えるとれ 14
通称輪の内側。
それは、およそ円形に設置される六つの街を繋ぐ街道が描く輪の内側。
辿り着けぬ大樹【マセル】を中心に広がる土地のことである。
また、そこは全ての生命の始まりの地ともされ、二本足で歩くこと以外ほとんど共通点がない基礎人型の妖獣、妖鳥、竜、三種の人類は皆、輪の内側に故郷を持つと考えられている。
そして、アンノウン。
あれらもまた、輪の内側からやって来るのだ。
現状確認されている生物と形態ばかりが似ていて違う新種の生物。
最近はほとんど発見されることがなくなったそれらが、なぜ輪の外側に現れないのかは未知である。
「藻獣然り、地下の生物然り。考えれば考えるほど、地上界で起きる異変は地下界に集約されていたと思えるよ。特に、"バグ"の発生だ。アンノウンの発見例でも特に少ないそれが現れたとなると、ね」
道なき道、ともいえずそこは土地だ。
三人がいる場所からは、もう街道も【コルト】も見えない。
足下には硬い茎や草の植物が生い茂り、ところどころには花弁の大きな花と幹と枝の太さが同じくらいの木々。木々には何か実がなっているものもある。
一見すれば輪の外側とさほど変わらない風景が広がっている。
そこに敢えて違いを挙げるならば、歩く度に、パリ、バキ、とガラスを踏むような音がすることと、目線を下げただけでは土が見えないということだろう。
街道や街を見慣れたからなのか。窺える自然にベルエルは、鬱蒼とした、という印象を抱いていた。
しかし、思えばそれだってベルエルは知っている。
輪の外側、【イグナスの山】を下りてからこういう風景は広がっていた。
越えられぬ丘【ファルセル】の向こう側に。
「バグ……ね。他にはどんなのがいたんだ?」
「見聞録によれば、浮遊する目玉、無作為に食らう腸、大地を泳ぐ石群……それに、不可視の衝撃なんてものもあったよ」
「なんだそれ……。最初の二つは生き物って考えられないこともないけど、後の二つは生き物じゃないだろ。どうしてそれが生物扱いされてるんだ?」
「食うからさ。それ以外ないだろ?」
「……納得いかないな」
「起きた出来事に納得も何もないさ。ま、受け入れるかどうかはオマエ次第だけどね」
大地を覆う植物ばかりの風景、共に歩く者たち。
未知多き輪の内側にはもう、ベルエルが知らないことなど何も無いのかもしれない。
広がる大地、その地平線は草たちの様々な緑色に混じって起伏にも区別が付きづらく、そこら中いつ何が出てきてもおかしくないと思わされる。しかし、相変わらず雲ひとつない空は一直線の風景の何よりも多く色を占めていて。沼地のような色をした大地のすぐそばでは、夕日色が滲み始めていた――。
◯
「輪の内側での野宿は、テントを張らない。ってのが基本。だから本当はランタンもダメなんだけどさ」
そう言って適当な木陰に荷物とランタンを降ろすスズ。
そこにジェニが、ふむ、と頷く。
「常識さ。そうしなければ野獣に見つかりやすくなるからね」
さらに、ベルエルが「ああ」と頷く。
するとスズの顔に例の不満げな表情が浮かび、「あ、そ」。
「……っていうか君さ。音売りなんでしょ? どうして輪の内側のことを知ってるの?」
「それはもちろん、旅したことがあるからさ。当たり前だろ?」
「当たり前じゃないよ。どー見たって君は戦えないじゃない。武器も無い、防具も身に着けて無い」
言われてジェニはまた、ふむ、と唸った。
「必要ないからさ。どちらもね」
「は? ここは輪の内側なんだよ? 戦えなきゃ死ぬ、ってのは常識だと思うけど」
スズが言うと、ジェニはふふんと鼻を鳴らす。
「戦えなきゃ、じゃない。戦って負けるから死ぬのさ」
「……同じだよ。戦えなきゃ初めから負けたも同然でしょ」
「いいや、違うさ。ボクは戦わない」
「敵前逃亡だ……そういうことだね」
「いいや、違うさ。ボクは、戦わないんだよ」
そんなジェニの言わんとすることをスズより先に理解したのは、ベルエルだ。
「まさかお前、全部おれたちにやらせるつもりなのか……」
ズバリ、とジェニがベルエルを指差す。
さすればもれるため息はスズから。
「呆れた……。ラナイくん、どうしてこんなの連れてきたわけ?」
「さっきも言っただろ。こいつしかビクターがわからないんだ、行く場所も。だからだよ」
「それはわかってるけどさ……」
呟いて、「同じプライアとして恥ずかしいよ、俺」と。
「だけど、ここでの経験があるんだろ? ジェニ」
「ああ、あるさ。もちろん、その時も一人ではなかったよ」
胸を張って言うジェニに対し、ベルエルが訊く。
「ちなみに、その時はどういう理由でお荷物のお前は受け入れられたんだ?」
「ふふんっ」
鼻を鳴らし、ジェニが取り出すのは八本弦が張られた首の長い瓢箪型の楽器「ター、さ」。
「たぁ? 何それ変な名前……」
「"そだろ"のオマエがそれを言うのかい?」
そう言ってジェニがスズの脇に置かれた奇形の弓を指差す。
「ターよりソダロの方が絶対可愛い」
「見た目はオマエの物の方が凶悪さ」
「……でも、役に立つよ」
「それは、ボクのターも一緒だよ」
言ってターを掲げるジェニ。
そこへ「どんな風にだ?」とベルエルが口を挟むと、不意にジェニの肩の力が抜け、あからさまにガッカリとした。
「ベルエル、オマエはわかっていると思っていたのに……」
そんなジェニの反応に、ベルエルが頭をポリポリと掻く。
その仕草を恨めしそうな目付きで見つめるジェニは、「まあいいさ」とターを構えた。
「まさか、弾く気? 止めなよ」
スズがそれを止めようと一度寝転んだ体を咄嗟に起こす。
「いいや、問題ないさ」
言うなりジェニは、スズの制止も聞かずにターを横に構えて一本の弦を弾いた。
すると、強く鳴るひとつの音は一気に空へと飛び上がり、それを追うようにして楽器の首で押さえられた左手の指が隣の弦に触れるほど押し上げられると、音はさらに高くへと昇っていき。
次いで踊る右手の指の一本一本が八本全ての弦の上を跳ね、合わせて左手の指が弦を強く踏んで走る。
奏でられる旋律は夜の子守唄とは程遠く、耳を塞ぎたくなるほどの凶暴さを孕んでいた。
「うるさ……っ!」
実際、両手で耳を塞いでいたスズが、騒音の中に声を混じり込ませる。
そして勇気を振り絞って外されたスズの手がジェニに触れようとしたその時。
ターの首に数本の弦を巻き込んで当てられていたジェニの指が、叩き落とされた右手の残響を追って首の根本まで滑り、鳴り響く。
それは、咆哮を彷彿とさせる衝撃。
スズは結局、ターが上げた咆哮が空に消えるまでジェニに触れられずにいた。
そんなスズをよそに、ジェニは満足げな顔でベルエルを見つめる。
「これで、どうだっ」
嬉々として言うジェニだったが、ベルエルは首を傾げ、挙げ句肩をすくめた。
「何がだ。今ので野獣が来たら面倒だぞ」
「……嘘だろー?」
「嘘じゃない。あんなうるさいの、絶対聞こえたはずだ」
と、ベルエルが立ち上がって周囲を見回す。
すると、
「予定には無かったけど。まあ、今なら大丈夫さ」
軽いため息の後、そう言ってジェニは軽く弦を鳴らした。
「今のは、サンボンクビリュウの鳴き声から出来た一曲でね。輪の内側でもこの辺りなら効果てきめんさ」
「何にだ?」
「獣避けだよ。特に輪の内側の野獣は自分よりも強い相手に敏感だ。肉屋や旅道具屋に猛獣の皮を煮出した香りが売っていることがあるだろ? あれと同じ原理さ」
「そうなのか?」
言ってベルエルがスズを見ると、スズは「そりゃあね」と頷いた。
「高いから買う人の大概は狩人とか輪の内側で訓練するような戦士くらいだけど」
そうなのか。
また呟くベルエルに、「まさか」とスズが驚愕する。
「一度も旅道具屋に入ったことないの?」
「いや、【ビッツ】で一度イルルと一緒に……」
言い掛けて、そういえば、とベルエルは来た道を振り返った。
「あの時の荷物、【コルト】に置いたままだ……」
全部。
どこか遠い目で言うベルエルの顔は二人からは見えない。
だが、二人はその白い人型をじっと見つめていた。
「……ま。そういうものだよ、ベルエル。出掛けには忘れ物が多いものさ。重要なのは自分自身と未来を見つめる視線。後ろ髪を引くものなんて、いずれラプチャして跡形もなく消え去ってしまうからね」
「跡形もなく……か……」
ぼんやりというベルエルの後に、「でもきっと見えるよ」とスズが言う。
「君には【否読の書】があるじゃない。目の前から消えて失くなっても、君の中に残るんだ。ハッキリと……」
「それは、お前にもだろ?」
「ん。そうだね」
そう返事をしたスズの表情は晴れ晴れとしていて、だがランタンの熱光石が照らす橙色がそこに影を付け、そうとも言い切れない印象を上塗りする。
それが"寂しさ"なのだとして、ベルエルにはスズがどこか遠くに見えていた。
すると。
「あー、腹減ったね」
今しがたの表情よりもずっと砕けた顔をして、スズは荷物の中に手を突っ込んだ。
さすがに火を焚くのはいけない。
ぼやくように言って取り出された干し肉に、細く長い指の手の平が差し出される。
「……なに?」
「ちょうどボクもお腹が空いていたんだ」
「だから、なに」
「分けてくれよ」
「……旅に必要なのは、自分自身と未来を見つめる視線だけなんでしょ」
「いや。旅ではなく、出掛けには、と言ったんだ。つまり、旅に必要なものはまた別ということだね」
「……それが、干し肉?」
「ズバリ」
「…………」
「忘れていたんだ。すっかりね」
「…………」
「……なら、仕方ない。一曲弾いて、料金として貰おうじゃないか」
そう言って再びターを構え大きく息を吸い始めたジェニの口に、干し肉が乱暴に突っ込まれた。
後追いに放たれる「しょうがないなっ」。
スズの嫌味を干し肉とともに朗らかな笑顔で受け取ったジェニは、「ふむ」に続き「助かったよ」という感謝、とそして「少し塩辛いな」という感想を返した。
そうは言っても美味そうに手製の干し肉を頬張るジェニを見て吐き出された嘆息には、少なくとも嫌味は含まれていない。
「ラナイくんは?」
改めて二枚取り出された干し肉の一方をベルエルに差し出すスズ。
ベルエルは首を横に振った。
「おれは昨日の夜いくらか食ったからな。あと数日は食わなくて平気だ」
「そっか」
納得してスズが余った分を鞄に仕舞おうとすると、そこにまたあの手が差し出されていた。
おかわりだ。が。
それは無言でおことわりされた。
「ところで、おれたちはこれからどこへ向かうんだ?」
今さらながらの質問だったが、それにはスズも首を縦に振って同意していた。
「村さ。【マセル】までは行かないけど、あの大樹を望める場所にある、ね」
その"村"というありふれた単語が、ベルエルにはどうしてか違和感を持って聞こえたのは、ここが輪の内側と呼ばれる危険地帯だと理解していたからだ。
それと、グリムの昔話。
人目を避けるためにそうするしかなかった、と話されたそこにまさか人が集まっているとは考えもしなかった。
意表を突かれて、ベルエルは「そんなものがあるのか?」と訊き返していた。
「もちろんあるさ。もしかして、【アトニム】には六つの街しか無いと思っていたのかい?」
ジェニの予想はずばり当たっている。
ベルエルは頷いた。
「まあ、目覚めたばかりの堕天使なら仕方がないね。一応説明しておくと、村程度の集落は【アトニム】中に幾つも存在するよ。規模は家ニ、三軒から三十軒もある大きめのものも。
とはいっても、ここは輪の内側さ。十軒を越えるような中規模のものでも珍しくて、基本的には五、六軒の小規模なものだ。その小規模な村の一つが、これからボクたちが目指す場所だよ」
「なるほど、それでその村の名前は?」
「名前? そんなもの普通は付けない。でも強いて言うなら、【高台の古い村】かな」
「【高台の古い村】……ね。それでそこはここからどれくらい掛かる?」
「徒歩なら四、五日だろう。でも、途中で幾つか他の村を経由して行くから、七日はみておくといい」
「七日……」
それが長いのか短いのか、ベルエルにはよくわからなかった。
いや、長くなるのか短くなるのか、だ。
イルルとウィッシュバルを連れて失踪したグリム。
その理由が人間の模造品であるイルルの治療だとまでは予想しているが、それがどこでどのようにされるのかもわからない。
唯一彼女を治せる人物がビクター・シュタインという男であることがわかっていても、彼がどこにいるのかもわからない。
わかるのは、グリムの記憶がおそらく元に戻っているということ。
イルルが気を失った白い人型に吹き込んだ、"改ざんされた"はずの記憶がだ。
だが、だとすれば。
(グリムはとっくに気づいていたのか。イルルが妖精じゃないことも、人じゃないことも……)
導き出された事実とビクター・シュタイン。
二つの道標が示す道に距離は無い。
不意にベルバルを過るのは、この旅が終わるのかという疑念と、そしてこの旅が終わった後、振り出しに戻った自分はどんな未来を見ればいいのかという漠然とした緊張感だった。
「…………」
ベルエルが見上げた空は暗く、深く。
どこまで追っても追いつけない、遠く離れていく暗闇だった。




