えるとれ 12
ラナイが司令部を出ると、音売りの女が待っていた。
体に合わない大きな古びた外套のポケットに半分だけ手を入れて、そして彼女はラナイを見上げる。
「お別れお疲れ様。それで、オマエはボクをどこへ連れて行ってくれるんだい?」
「連れて行くとは言ってないぞ。おれが欲しいのは、オマエが持っている情報だけだ」
「ビクターのことかい?」
「ああ、そうだ。きっとグリムは、そいつのところに向かったんだ」
ラナイが言うと、女は「ほー」と感心したような声を漏らす。
「同胞を捨てて、オマエはその人を追うんだ? もしかして、女かい?」
「まあ、そうだな」
「ってことは……」
そう言って女はやれやれと頭を振り、
「そんな成りでよくやるよ」
と、ニヤリと頬を歪ませた。
「……なんだよ」
「好きなんだろ。その子のこと」
「は? 何だそれは。別にグリムに食欲を感じたことはないぞ」
「食欲……? わけわからないけど、オマエにはもう一人大切な人がいるだろ? その子のことは無視して、そっちを迎えに行くんだ。そうに決まってるさ」
「アレのことか……。あいつはいいんだ。アレは、"自分からどこかへ行った"んだから」
ラナイの言葉に、女の表情がまた違う様子に歪む。
「それは、グリムも一緒だろ?」
「まあね。けど、どっちが先かって意味じゃグリムの方が優先だよ。あいつにはビクターのところへ向かった目的がある」
「それは?」
「だから、その確認にまずルール―ウィップのところに行くぞ」
言うなりラナイは女を鷲掴みにし、さっさと【オルディグ】へ向かった。
ラナイが【オルディグ】に入ると、そこはまた数時間前とは違う空間に変わっていた。
これまで人々からコルトの火を守るため、そして人々を匿うためにとその存在意義を変えてきた鉄格子が、今度は捕えるために使われている。
コルトの火から四層、外側から四層離れた中心の五層に押し込められた元の兵士、一般人。
皆同じような薄ら笑みを浮かべた彼らが、そこに囚われているのだ。
その隣の層からは、前後六名の種火守が睨みを効かせている。
これが現状の【オルディグ】。
そこは今、寄生し人から自由を奪う謎の生物に狂わされた人々の牢獄と化していた。
時折鉄格子を叩き、出せと言わんばかりに暴れる狂人たちを一番外側から望んでいるポルポ。
背後からでは窺えるはずのない悲しげ表情が、背中越しにも伝わってくる。
それが背中が語るからなのか、それともラナイがポルポという人格を理解しているからなのかはわからない。
「ポルポ。ルール―ウィップは……」
ラナイが声を掛けるとポルポが体を向け、その脇からふさふさの尻尾が顔を出す。
「そこにいたのか」
言ってポルポの陰に体を傾けるラナイ。
するとルール―ウィップはその巨体に預けていた体を離し、「ラナイさん」と振り返る。
「グリムのことについて訊きたいんだ。少し、いいか」
言いながらラナイがポルポを見ると、ポルポは少しだけ顔を傾けてルール―ウィップを見下ろし、囁くように「さあ」と彼女を促す。
「……なんでしょうか」
「グリムが最後になんて言ってたのか、確認したいんだ」
それだけの質問にルール―ウィップは苦しげな表情を浮かべ、胸を抑える。
「こ、この子は死なない。絶対に治せる……です。でもイルルさんは……」
「死んでいた、そうだろ?」
「……はい。呼吸が止まって、心臓が止まっ……」
と、ルール―ウィップが胸を掴む手に力が入る。
その苦しそうな背中をポルポの大きな手の平がそっと温め。呼吸を整えたルール―ウィップがまた口を開く。
「……止まって。そしてイルルさんは動かなくなりました。それから少ししてグリムさんが来たんです。嗅いだことのない不思議な香りの誰かと一緒に。それが、堕天使の方……だったんですよね?」
そう言ってルール―ウィップがポルポを向くと、「そうだ」。
「あの時しか見なかったが、あいつがウィッシュバルなんだろう?」
「ああ。グリムのところに向かわせたのはおれだ。それであいつは……」
「グリムさんといなくなりました。イルルさんも一緒に……」
死んでいたのに。
確認のためではなく、そう理解してはっきりとラナイは言った。
「そうです。イルルさんは亡くなったはずなのに、間違いなく歩いて行きました。足音が彼女のものとは多少違いましたが、確かにあれはイルルさんのものです」
ルール―ウィップが言うと、ポルポが「ああ」と頷く。
「ワシも見たぞ。あの子っこは死んどったが、グリムっちゅう女子が来て軽く抱きかかえたら立ち上がったんだ。そんで当たり前に歩いてった。でもありゃあ……」
まるで人形みてえだった。
ポルポの言葉に、今度はラナイが「ああ」と頷いた。
「紐だ。たぶんグリムはイルルに紐を付けたに違いない」
「紐?」
「どういう仕組かはわからないけど、グリムはゴーレムを操る術としてそういうことをするんだ。おれも何度か操られたことがある」
ラナイが言うと、ポルポが「なんてこった」と頭を抱える。
「また、操りか。どうしてこうも簡単に人を操る連中がいるってんだ……。人は、そんな簡単な生き物だっていうのか……」
がっくりと肩を落とすポルポにラナイが掛ける言葉は、「さあね」。
「イルルはちょっと特別だからなのかもしれない。それに、グリムはそういう力がありながら地底人やあの小さいのとか、ギノコみたいに乱暴にはしなかった。たとえばそれが生者に使えたとしても、だ」
「なんだそりゃ。ってことは、あの女子の術は生きてるもんには使えねえかもしれねえのか? ギノコみてえに」
「イルルが死んでたっていうんなら、そっちの線が強いだろうな。だけど、さっきも言った通りイルルは特別なんだ。一概にはいえないよ」
ラナイが肩をすくめると、ルール―ウィップが訊く「その、特別というのは?」。
「詳しくはわからない。だから、とにかく今はあいつが特別だって覚えておいてくれればいい」
「そう、ですか……」
呟いたルール―ウィップが神妙な顔付きに変わる。
「それで、ラナイさんはグリムさんを?」
「そうするつもりだ。行く宛も見つかりそうだしな」
と、ラナイは右手の中の女を二人の前に差し出す。
それをまじまじと見つめるポルポ。
「で、"ジェニ"が何の役に立つって? こいつはただの音売りだろう?」
「商売は、な。でもこいつは、ビクター・シュタインを知っているんだ」
「ビクター、というのは誰です?」
「グリムの父親だ」
「グリム、さんの……父親?」
言葉にして、ルールーウィップは息を呑んだ。
そして、ラナイの手の平の上で、ほう、と唸る声が。
「イルルが教えてくれていたんだ。思い出したのは、ついこの間。特に意味はないと思っていたけど、こいつに会ってそこに意味があるってわかった。グリムは、父親のところに行ったんだ。たぶんだけどな」
「それで、そのお父上がどこにいるのかは?」
そう言ってルールーウィップが音売りの女"ジェニ"に顔を近付ける。
「知らないよ。どこにいるのかは、ね」
「じゃあ、他に何か知っているんですか?」
「ビクターの姿形、声とかそういうことはね」
「なるほど。でも、グリムさんがお父様のところへ行ったとして、どうしてイルルさんが……その、生き返ると……?」
言うなりまたルールーウィップに悲しげな表情が浮かぶ。
「それは……」
答えあぐねるラナイ。すると。
「友達が突然死んじゃって混乱してるのさ。だから大好きな父親のところに行ってしまったんだろうね。わからないかい?」
ジェニが口を挟む。
「それは……」
言い掛けて一瞬言葉を詰まらせ、そしてルール―ウィップは「わかります」と頷いた。
「私も時々兄を思い出しますから……」
「だろ? グリムも同じさ。苦しみをわかってもらいたくて、父親のところに行ったって考えるのが妥当だよ」
「でも、それならそっとしておいた方が……」
ルールーウィップが言うと、ジェニが声高に言う「ダメだね」。
「どうして、です?」
「グリムが好きだからさ」
「え? でもジェニさんはグリムさんとそれほど親しかったとは……」
それを「違う違う」。
「グリムを好きなのは、これだよ」
と、ジェニがラナイを指差す。
「まだ言ってるのか、お前は……」
ラナイが否定したものの、ルールーウィップはあんぐりと口を開け、へぇ、とおかしな声をもらした。
「違うぞ。そういうんじゃない。おれはただ……」
「好きなのさ。だから仕方ないだろ?」
「ジェニ。お前もう黙ってろ」
「なんだよ。隠すことないだろ? もう大人なんだし」
「わけわからないこと言うな」
「そうかい?」
問答する二人に、ルールーウィップの咳払いが割り込む。
「と、とにかくわかりました。ラナイさんはグリムさんを追うんですね。でも、アレさんはどうするんですか?」
「アレは……いいんだ。きっと無事だから」
「無事……って。でも心配じゃないんですか?」
ああ。頷いてラナイは「今は……」。
奇妙な発言にルール―ウィップは首を傾げたが、小さく「そうですか」と呟いた。 だが。
「ちょっと待て、ラナイ。地下の奴らはどうする? ここの穴はおめえが塞いだからいいけど、【アーハイム】がマズいことになってんだろう?」
「らしいな。でも、その辺はきっとなるようになるさ」
ラナイが言うと、ポルポは複雑な表情を浮かべ、「どうしちまったんだ」とまた頭を抱える。
「おめえさんがそんな無責任なこと言うなんて……」
ポルポの失望に、ラナイが軽い笑いを返す。
「大丈夫さ、ポルポ。おれが介入しようがしまいが、結局またこの"縄張り争い"は起こる。【アーハイム】を塞いでも、向こうから。それを塞いだら今度はまた別の場所から出てくる」
「だったら、全部塞いじまえばいい。そうすりゃ【アトニム】は安泰だろ?」
身振り手振りで訴えるポルポ。
しかし、ラナイは静かに首を一往復だけさせた。
「考えてみろよ。どうしてあいつらが地上に出てきたと思う?」
「それは、ここらを乗っ取るためじゃないのか?」
「だったら、どうして今までそうしてこなかったんだ?」
ラナイの意見にポルポが「それは……」と答えを失う。
「あいつらは、今まで地下界のことしか知らなかったんだ。だから、地上に出ようなんて、地上があることすら知らなかったかもしれない。けど。
今はもう知っている。ここがどういう場所なのか。
だったら、これからの奴らは本能に従って地上を目指すようになるさ。自分たちが平穏に暮らせる場所を探してね」
「だったら、ワシらはそれを食い止めにゃならんだろう。ワシらにはワシらの生活がある……」
ポルポの表情に覚悟が宿る。
「ああ、そうしてくれ」
またしても発されたラナイの他人事のような返事に、ポルポの目付きが変わった。
「どうしてだ。どうしておめえはそんな他人事だ? 堕天使だからか?」
「これが、ルトゥールじゃないからだ」
「それがどうしたってんだ。ルトゥールなんざ、初めっからワシらには関係ねえ。ラナイ、おめえは最初こそワシらに加勢してくれてたじゃないか。それは、ルトゥールなんか関係なくじゃねえのか?」
もちろん、ラナイが頷く。
「だけど、わかったんだ。こんなことを幾ら続けても何度だって繰り返される」
「だったら、何度も守るぞ。そのために幾らでも戦う」
「そうしたければ、そうしろ。それがきっと正しい」
「また、それか! ラナイ!」
声を荒げるポルポ。
そこに、ラナイも声を張り上げる。
「自然現象だ! これが! 縄張り争いってのはそういうことなんだよ!」
「しっ、自然現象だ……? こんだけ人が殺されて、遊ばれて、それが自然現象だと!?」
食って掛かるポルポはついに我慢しきれなくなり、ラナイの胸に拳を突き当てる。
衝撃音は鈍く乾いていて、まるで肉を叩いたようには聞こえない。
その熱い拳。
言葉にしきれなかった感情を、ラナイは理解していた。
だからだろう、ラナイの胸の奥では打たれた拳とは違う傷みがちくりと痛む。
「……繁殖期だ」
ラナイがそう言って、まともな反応をしたのはルールーウィップだけだった。
あんぐりと口を開け呆けた顔をするポルポの隣で、ルール―ウィップは僅かに首を方向け瞼を強く閉じ、神妙な顔をしている。
「"大地の躍動"……ですね。それがこんな形で……?」
「【ビッツ】ではそういう言い方をするのか?」
ええ、とルールーウィップが深く頷いた。
「【ビッツ】というか、牧畜をやっている人なら大抵は知っているはずです。輪の内側では家畜がよく育つ。理由は草の成長が早いことだと。
でもそれは、過去"繁殖期"と呼ばれた影響を逆手に取った方法らしいんです。
増える草を食べるウシやウマ、ヒツジやヤギのような人に害を及ぼさない野獣が増え、今度はそれを食べる野獣が増え、そしてそれがあるところまで達すると、野獣同士では適わなくなり、街へ人を襲いに来る。
そういう流れを利用して、私たち牧畜を営む人は家畜を敢えて増やし、食べてきました。
それがいつ頃からなのかはわかりませんが、考えてみれば繁殖期がしばらく来ていないのはそれが原因ということも……」
でも、それが地下の生物の侵攻と同じとは思えない。
ルールーウィップの意見に、「いや」、ラナイが首を横に振る。
「同じだ。奴らは閉ざされた地下界で繁殖期の臨界点にまで来たのかもしれない。地下の野獣との主従関係からすると、おそらくその連鎖の頂点にいるのが藻獣だ。
奴らはただの野獣とは違って妙に賢いからな。それが侵略みたいな形でやってきているだけだって考えられる」
ラナイが言うことに、ルール―ウィップの目尻のシワがさらに濃くなる。
「つまり、結局人が襲われる……と?」
「現実そうなってるだろ?」
「でも、なぜ人なんです? 他にも強い野獣はいるのに……」
「確かに……そうだよな、言われてみれば……」
不覚な結論に唸るラナイとルール―ウィップ。
そこに差し伸べられる意見は、「なにも間引かれるのは草や野獣だけとは限らないさ」。
「どういうことだ?」
「人だって、野獣の範疇じゃないか。増えれば食われる、そう言ったのはオマエだよ」
そう言ってジェニがルールーウィップの唇を捲り、そこに隠れた牙を剥き出しにする。
「そ、それは人が弱い野獣たちと同じだってことですか?」
恐る恐る、といった様子で訊き返すルール―ウィップに、「だろうね」とジェニが鼻を鳴らす。
「ものが違っても、状況と食らう者がいるってのは同じさ」
「言いたいことはわかります。けど、じゃあどうして藻獣は増えたのでしょう。藻獣は獣の脳髄を食べるのに……」
「それに関して言えば、食い切ったから地上に出てきたとも考えられるさ。でもその前に、彼らには増えるきっかけとなる"餌"があったはずなんだ。そしてそれは、皆もう知っていると思うけど?」
言われて、誰にも閃く様子はなく。
数秒待ってしびれを切らしたジェニがため息がてらに言う。
「ノットさ」
その言葉に、ラナイもルール―ウィップもポルポも驚愕したものの、同時に何を言っているんだと言わんばかりの怪訝な顔を浮かべた。
「死体だろ、ありゃ」
「とっくにギノコに寄生されて、食べるとかそういう状態じゃ……」
「脳ならなんでもいいってのか、あいつらは……」
三人が言うのに、ジェニはまとめて嘆息で返事を。
「そもそもってことさ。ノットはそもそもなんだった?」
人だ。
とラナイが答える。
「そう、人さ。で、その人がどうして地下にいたんだい?」
ルトゥールですか。
とルールーウィップが答える。
「ま、半分正解かな。でも、それは数千年前の誰かさんの野望であって、ノットになってしまった人が地下へ入った理由の全てじゃない。おそらく半分はまた別の理由……"冒険"に入ったって考えるのが妥当さ」
冒険。
唖然として訊き返すポルポ。
「そう、冒険さ」
そう言ってジェニは、ラナイから順に「オマエも」、「オマエも」、「オマエも」と指を差し、「忘れている」と。
「真ん中の時間ってもんがあるだろう? 前と後ばっかり気にして、オマエたちは真ん中を疎かにしているよ。
そこには今よりもちょっとだけ乱暴な時間があった。彼らはルトゥールも生活も気にせず、やりたいことをやっていたのさ。
その結果が藻獣の大繁殖、知恵の深さ、現状の侵攻に繋がる全てじゃないのかい?」
まるで核心を突くようなジェニの発言。
それを聞く三人は、「確かに」、「言う通り」、「そう考えられる」。
そんな彼らの反応を満足気に目で流し、ジェニが、ふふん、と笑う。
「アトニム放浪記を一度読んでおくといいよ。あれはとても興味深い真ん中の時間の出来事が書かれているからね」
「アトニム放浪記? それはなんですか?」
「冒険者ゴールドが【アトニム】を旅する話さ。ありふれた冒険譚のような物語だけど、そこには【忘れられた水路】が出てくる。この意味がわかるだろ?」
「……ただの物語じゃない、ってことですね」
ああ、そうさ。
ジェニが意味深に頷き、「あれは……」と続きを言い掛けたところで「後にしろ」とラナイの声が割り込む。
「だから、ルールーウィップ。おれたちは行くよ」
「グリムさんのところに……。でも、それで何が変わるんですか?」
「それはわからない。けど、グリムの父親ビクター・シュタインに会えば、きっとこの不毛な連鎖を終わらせる方法がわかる気がするんだ」
「繁殖期、ですか? それを起こらなくする?」
ルールーウィップの質問に、ラナイは大きく首を横に振る。
「呪いを解くんだ。そうすれば何かが変わる」
次いで、お前はどうする、とラナイはルール―ウィップの決断を促した。
それは不意などではなく、予期できる質問。
しかし、ルール―ウィップは「でも……」と口ごもった。
「いいさ。お前の好きなようにすれば。別についてこいって意味で言ったわけじゃない。一応確認して起きたかったんだ。【マッキンダム】へお前を連れて行くのが遅くなりそうだからさ」
するとルール―ウィップは、「【マッキンダム】……」と街の名を口にしてまた黙り込んだ。
そしてラナイは告げる。
「ジェニの用意が済んだらおれたちは街を出るよ」




