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えるとれ 9

 やるべきことを終え、ラナイが真っ先に気にしたのは"後ろ"だった。

 そこには女が立っているが、それではない。

 

 ラナイが気にするのは、さらにその向こう。

 いずれ来るか、もしくはもう近くまで来ているかもしれないと思っていた【コルト】の兵たちだ。


 特に、その視線は"共感"を求めていた。

 振り返った自分自身と共に皆にも唖然としてほしかったのだ。

 だが、彼らの姿はどこにもなく、彼らの気配は微塵も感じられない。


 だから観客は自称"音売り"の女一人だけ。

 しかもその唯一の観客は、半笑いを浮かべて方をすくめ、視界に映っているはずの光景にもまるで他人事のように振る舞う。


 さらに放つ一言。


「やっちゃったね」


 色々と思うところはあったが、ラナイはとりあえず頷いた。


「ま、ここまでくれば後はどうしようもないさ。やるようにやって、なるようになった……ってことで」

「そんな簡単な問題か?」


 ラナイが言うと、女は短く笑った。


「経過がどうであれ、結果は大概一つさ。幾度も訪れる試練、それを乗り越える苦労、苦悩、全ては結果に収束するように出来てる。その結果が、今、というもの。所詮過去なんてのは、この一瞬に起きる"ラプチャ"で散る脆弱なものってことなんだろうね」


「……つまり?」

  

「ボクたちは、いつも生まれてるってことさ」


「えーっと……」


 ラナイが無意識にこめかみに指をやると、女はやれやれと頭を振った。


「決断や行動というものは、過去という膜を育てる栄養みたいなもんなのさ。そして結果はその外側にある。求めてラプチャ、さ。

 過去という膜は弾け、ほんの一瞬だけボクたちは結果と同じ位置に立つんだ。だから向こう側には見えるだろ?」


 意味深にそう言って女は上を指した。

 つられてラナイも上方に目を移す。


「……空がある」 

「オマエにとっては空が未来なのかい? わけわかんねえな」

「いや、それはお前が指差すから」


 ラナイの答えには、女が嘆息を返す。


「過去をラプチャした後、今という結果に立つボクたちは、その瞬間だけ結果の……仮に"空"としようか。"結果の空"を見ることができるのさ。そこに浮かぶ雲がどう見えるのかが、未来。そうして今は過去に変わり、またボクたちはその未来という結果を求めてラプチャさせるために決断し行動する……」


 この繰り返しさ。

 そう言って女は両手を空に突き上げ、くるくると踊るように回り始めた。


「狂ってるだろ?」


 空に語りかけるような女の大きめの声は必要以上に響き、それはくるくると回る姿に相まって本当に頭がおかしくなったように見える。

 ラナイは「変な奴だと思う……」と頷いた。


 すると女は回転を止め、今度は首を横に振っていた。


「違うよ。狂ってるのはボクじゃなくて、世界の方がさ」

「世界が狂ってる……」


 呟いてぽつり、「ルトゥールか」、とラナイにはついさっき目の当たりにした地下棲生物たちのことが浮かんだが。しかし。

 女はまだ首を横に振っている。


「呪いさ」

「呪い?」


 そう、と女が頷く。


「世界は呪われている。意味のある無意味、偶然が必然のように訪れ。ボクたちはただの結果を未来と錯覚し、過去を注ぎ繰り返される。奇妙な呪いさ。それは……」


――"永遠"と呼ばれる


「永遠という、呪い……」


 どこか愕然としてラナイの口からは声がもれる。     

 だがそれは聞き覚えこそないものの、知っている言葉だった。


 イルルとおれ、そう題された記憶の本に書かれていた。

 イルルが気を失ったままの白い人型に語りかけていたその台詞。


『ぼくはモンスターじゃない。アリアスでも、プライアでもない。

 ぼくは、本物の作り物"火の妖精"。名前も何も無い、"人間"の人形。

 永遠という【アトニム】の呪いを受けていない唯一の生物だ』 


 思い返し、ラナイは問う。


「誰に聞いた……」


 すると女は意外そうな顔をラナイに向ける。


「ボクより古いプライアさ」

「名前はっ!」


 突発的に興奮したラナイの声が荒いだ。


「……ビクター・シュタイン」


 女の返事に息を呑む。

 

 次の瞬間、ラナイは硬い表情を浮かべたまま女を鷲掴みにして走り出した。

 突然の出来事に女はただほんの少しだけ悲鳴をあげただけでほとんど何も言えず。

 街にはラナイ一人分だけの突進するかのような足音が響いていた。 

 

 それは夢中といって過言ではなく。

 ラナイをそうさせたのは、"ビクター"とばかり知っていた名の続きが語られたからだった。


 この音売りの女は何か知っている。

 ならばイルルとウィッシュバルを連れて姿をくらましたグリムの行き先を掴む手掛かりになるやもしれない。


 だから最後の会話を交わしたルール―ウィップの口からもう一度、グリムと何を話したのか聞きたかったのだ。


 何度か繰り返したルール―ウィップの声を、何度も繰り返しながら外輪を越え、中輪を走るラナイには道すがらの何も目に入っていない。 

 そこにある静寂も街の奥へと吹き始めた緩い風の流れも、何も。


 だから内輪の門が開かれた時、そこから先頭を切って現れた者が誰かも気にせず、「ルールーウィップはどこに」いるのかと訊いた。


「な、な、内輪がっ!」


 そう言った男は慌てている様子で、ラナイが黒く染まっていることなど気にするでもなく、その両腕を力いっぱい掴んだ。


「それはわかってるよ。そのどこにいるのかを訊いてるんだ」

「そうじゃない! 内輪が! アークスのっ!」

「アークス?」


 妖鳥人の彼の名を聞き、一度は止まったあの疑問が再び違和感となって浮かぶ。

 そして同時、その答えが門を潜った先にあるのだろうとも。


「アークスが何を……」


 言い掛けたラナイの言葉を、焦る男が「アークスの連れ帰った奴がっ!」と言い直すかのように叫んだ。


「中から溢れ出したんだ。小さな、虫のような何かが……っ! 溢れ出して人を襲い始めた! もう何人もっ!」


 苦しげに声を上げる男は、さらに「あれじゃノットと変わらない」と。


「堕天使殿……」


 助けてくれと言う代わりにこぼされたその言葉の後には、涙と悲鳴を上げながら走る群衆が激しい流れとなって押し寄せた。

 その激流に逆らってラナイは走る。  

  

 アレ、スズ、ルールーウィップ三人の安否。それと。

 黄色の息を使うべきかどうか、が思考を支配していた。

 

 使えば事態は収束するだろう。

 しかし、街と生者である人々から記憶が失われる。

 

 グリムの場合に一部で済んだのがネズミ道での事故のおかげなのだとすれば、故意に行われるこれからの出来事は間違いなくグリンドルと同じようになるだろう。

 自らの名前すら、わからなくなる。


 考えがまとまらぬまま、ラナイが最初に目撃したのは、兵士が兵士の刃を受ける姿だった。

 一方は何かを叫び、もう一方は薄ら笑みを浮かべていた。


 それが一つ見つかると、二つ、三つと逃げ惑う人々の中に武器を交える仲間たちの姿があることに気づく。

 ラナイはその中に、彼女たちの姿を探した。


 するとその時。

 

 一人の兵士がラナイの足下に吹っ飛んでくる。

 強い衝撃を受けたのか鉄仮面はひしゃげ、奥にクマ顔が覗いているが、そこにはもう表情といえるものが窺えない。


「ベルバル様、ご無事で」


 足下の兵士に気を取られていたラナイに声をかけてきたのは、イニバルだ。  


「後を追って行くつもりが、突如このようなことになってしまいましてね……。しかし、ベルバル様ならお一人でも問題ないと思っていましたよ」


 やはりあなたには返り血が似合う。

 まじまじと黒く染まった体を眺めるイニバルを、ラナイはじっと見つめ返す。


「手加減は、しないのか?」

「どうも苦手で……」


 そう言ってイニバルは左手の拳を開けたり締めたり、そして、


「まったく、人は脆くて敵わないですよ」


 と肩をすくめた。

 ラナイはその肩にそっと触れ、掴んだ。


「寄生された人の数はわかるか?」

「正確にはわかりませんが、百くらいでしょうか。ワタシの目についたのは十かそこらでしたが……」


 それよりもですよ。と、イニバルが嘆息する。


「コタロが寄生されました。アークスが連れ帰った妖鳥人から話を聞こうとしたんです」

「コタロが……。まさか、あいつも殺したんじゃ」


 ラナイが訊くと、イニバルは「いえ」と。


「彼はウィルバルが捕獲しました」


 そう聞いてどこか安堵したようにラナイがもらす「そうか」。

 すると、イニバルが言う。


「良いことなんて何もないですよ。あの虫のような何かは、生者であれば見境なしに寄生し、その者を狂わせるんです。ギノコのように限定された状況がなくてもね」


 その視線が自ずと自分自身に向くことで、ラナイはイニバルが言いたいことを理解した。

 返事をする前にふと右手に力が入り、その中で女の「ぐえっ」と声が聞こえた。

 そこに一瞬視線を送り、それからラナイはイニバルへと視線を戻す。


「つまり、堕天使も……というか、ドールだって危ないってことか」


 イニバルが頷く。


「まあ、そういうこともありえるかもってとこですか。ですので、どうか注意してください、ベルバル様」


 そう言ってイニバルは向こうの争いに目を向け、「では」と走り去っていく。

 颯爽と走るその後姿を見送るラナイ。

 すると。


「こうなると、オマエのやったことに間違いは無かったのかもしれないね」


 と、同じくイニバルを見つめていた女が呟く。


「ああ。でも……」


 濁流と共に土砂と瓦礫に潰れた大穴。

 そしてそこに覆いかぶさるように"崩壊した城壁"のあの光景がラナイの脳裏を過る。

 

 確かに穴は塞げた。

 しかし、それと引き換えに【コルト】は輪の内側から身を護る鎧を失ったのだ。

 女が言うように間違いがなかったとは言い切れない。

 

 それがラナイの中に一つ、配慮として引っかかっていた。


「ま、そう悪く考えることはないさ。一つの決断、伴う行動は必ず結果に晒されると言っただろ?」


 だからオマエには結果の空には未来が見えたはずだよ。

 そう言って女は「さあ、行こう」とまるでラナイが何をしたいのか理解してるかのように促した。


          ◯


 内輪を右回りに進むラナイがグィンリルを見つけたのは、イニバルと別れてすぐのことだ。

 彼女がその巨大な盾で立ち向かってくる兵士の誰かを突き飛ばし、すぐに連れ立っていた二人の妖獣人の戦士が捕獲するところだった。


「グィンリルっ」


 突如声を掛けられ反応はしたものの、グィンリルはそこに立っている黒い人型を見て驚愕の表情を浮かべた。


「ベルバル殿……なのか? それは、もしや野獣の血か?」


 グィンリルの質問には答えず、ラナイが訊くのは「アレたちはどこに」。


「あ、ああ。彼女らには【オルディグ】内で適当な用を頼んでいた。一応見守りに人が付いているはずだからきっと無事だろう」

「そうか……。ありがとう」


 ラナイが頭を下げると、グィンリルの顔に力強さが宿る。


「ここはわたしたちで何とかなる。さあ、早く彼女らの元へ」


 またしても促され、ラナイはもう一度礼を言って【オルディグ】の入り口の一つを目指した。


 しかし、目と鼻の先にあるそこが入り乱れる人の波によってやけに近付き難く。

 嫌でも耳につく騒音には悲鳴の他に、「近寄るな!」とか「やめろ、違う!」など、人々が何にどのように混乱しているのか物語るような内容が含まれていた。


 不穏な空気が騒音にかき乱されて広がる。

 それは静寂の中で感じられるものよりも速く、だから早く。

 

 どうしてかラナイはこの騒動の決着より先に彼女らの顔を見なければと気が逸っていた。

 一歩、二歩。五歩、十歩。十ニ歩、ニ十歩。


 右往左往する人の流れを躱しながら、そしてラナイは【オルディグ】の入り口に立ち。同時に強く、弾くように【オルディグ】の扉は開かれた。


 瞬時生じた風は、立ちはだかる白い人型を押し退けて我先にと【オルディグ】の中へと飛び込んでいく。

 それは宛ら【オルディグ】の呼吸が如く。


【オルディグ】が息を吸うのとほぼ同時に、街が歌い始めた。


 どこからともなく聞こえてくる争いの金属音、悲鳴、雄叫び、怒号。

 それらと相まって竜の鼻歌はまるで彼らを焚き付けているかのように聞こえる。


「アレ、ルールーウィップ。どこだ……」


 扉の向こうに広がる以前とは様子の違う【オルディグ】を眺め、ラナイは押し詰め状態で鉄格子の内側に身を潜める何人もの人々に目を凝らした。

 長い耳、短い耳、顔の脇の耳、男、女、獣、鳥、毛髪の有る者、無い者。

 なかなか彼女らの姿を見極められないラナイが、


「ルールーウィップ、いるか!」


 声を上げたその時。

【オルディグ】が唸りを上げる。


 ウワンウワンと鳴るそれが雑音を隠し、自分の声すらもよく聞こえなくなった耳の穴に届く何らかの気配。

 咄嗟に顔を向けたそこには、ポルポが立っていた。


 ポルポは何かを伝えようとしている。

 必死の形相で何か。


 音を失った世界でポルポの口元だけがやけにハッキリと見えており、ラナイは開いては閉じるそこに音を探した。


 お。

 じょう。

 さ。

 ん。

 あ。

 く。

 す。

 が。と、そこまでわかれば十分だった。


 ラナイはどこかを指差すポルポに駆け寄り、「どこへ」と訊ねた。


「それがどこだかわからねえから、おかしいんだ! 何も言わねえで、あいつは……。とにかく、スズ子が追っかけてった!」


 おめえも早く。

 そう言ってポルポは、門の方へ向かって走り出した。

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