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えるとれ 8

 初動、猪突猛進は変わらず。

 ラナイは開かれた大きな口の上下を押さえる形でアンノウンの体当たりを受け止めた。

 このまま押し切れば口を捲って返せそうな勢いだ。

 だが、ラナイはそうしない。


 そこにちらちらと映り込むアンノウンの頭部に齧りついた地底人の姿が、ノットのそれと似ていると気づいてしまったからだ。


 ラナイの過るのは不安や焦燥ではなく、驚愕でもなく、呆れだった。


(こいつらもなのか……)


 自身ではない別の体を用いる方法。

 人ではまず行えないその寄生じみた方法を、地底人はアンノウンに行っているのではないか。


 スズの言っていた、『地底人は生き物の脳髄を食う』という言葉がラナイに蘇る。


 しかしそこに込められた意志は、食欲ではないのだろう。

 いうなれば"いたずらに"、都合勝手に地底人は生命を弄ぶ。


 これが知能なのか。

 凶暴な地底人の一面にラナイが考えるのは、人ならばどうするかということだった。


 地底人よりも遥かに知恵深いと思われる"人"は、他者からの侵略にどう抗うか。

 浮かぶ風景には、武器を構え、鎧を纏う彼らの姿がある。

 時に勇敢だと言われ、時に愚かだとも言われる彼らの姿だ。


 この地下棲生物からの進行により、後者を謳う者は見かけられなくなった。


 理由は、この戦いが狩りではなく守護だからだ。

 人々は安寧を求め、その先に進歩しようとし、そこにある生活を守ろうとしている。

 縄張りを守る野獣の意識と何ら変わりはない。


(今は……)


 言葉に聞くばかりの過去を思い、ラナイはふとむず痒いような感覚に襲われる。

 それはもどかしさであり、そこにある些細な痛みがそう感じさせるのだろう。


 そうして脱力する意識に合わせて、ラナイは両腕に込めた力を解いた。

 すると、バチン、と音を立ててアンノウンの口が閉じ、反動で硬直した僅かな時にラナイは乾いた丸い背の上に跨る。


 すぐ目の前にはうつ伏せに抱きつく格好でアンノウンの後頭部付近に齧りつく地底人の背中がある。

 全身を覆う毛のような触覚がうねうねと蠢き、その先はラナイに吸い付くように向けられていた。


 背後を取られていることには気づいている。

 しかし地底人は口を放してラナイに襲いかかることはなく、抗うように体を捩り始めたのはアンノウンの方だった。


 振り落とされないようしっかりと両足を締め、ラナイは地底人の頭を鷲掴みにし、アンノウンから引き剥がす。

 大顎が食い込んでいて多少の抵抗はあったものの、首がもげることを恐れたのか地底人はすぐに諦めたようにアンノウンから口を離した。

 

 直後、アンノウンは目玉をぐるぐると回し、あの鳴き声と共にそのまま地に伏せて絶命。

 

 だが、ラナイの手の中で地底人は生きていた。

 大顎の中心にある奇妙な口から長い舌のような器官が中にしまいきれずに飛び出したまま、それはヒクヒクと痙攣するように動き。

 そんなだらしない口元とは対象的に離せといわんばかりにラナイの指を引っ掻く地底人からは衰弱している様子は窺えない。

  

「…………」


 ラナイが出した推測は正しかった。

 地底人は、アンノウンを操るのだ。

 ギノコが死者に付くのとは違い、地底人は生者を。

 

(もともとは食うための器官だったはずなのに、それをどうして……)


 地下棲生物の中でも知能が高いと思われる地底人が、ギノコをきっかけにそういう方法を思いついたのではないかといえば、考えられないこともない。

 武器を扱うようになった姿からもそういえる。


 だが、たとえ思いついたとて、やろうと思ってできることではない。


 それがわかっているからこそ疑問は、地底人単体ではなく藻獣という生物そのものへ向けられた。


(進化の王パイロニアス……)


 まるで寄生することが前提にできているような生物、それはウィッシュバルの話によれば【エルオム】から生まれた三王により生み出されたという。

 【エルオム】が共生の末を模索していた過去。その結果として生まれたのが三王なのだとすれば、三王の考えることは共生の末というところに向かっているはず。


 共に生きる、というその先にあるものが"乗っ取り"なのか。


(共生は凶暴……か)


 きっとそれはイグナスが世界を眺めていた頃から変わっていない。

 

(本当にそうなのか? だからイグナスは世界を拒絶して、あの山に……?)


 イグナス自身が言った通り、下りられないのではなく"下りない"。

 だから代わりにアレをよこした。

 拒絶しながら、なぜ。


 ラナイにそう思わせるのは、山を下りると決めた直前の出来事。


(だったらあの火柱はなんだ。おれには、イグナスがそんな隠居じみた奴には……)


 ラナイの脳裏に凄まじい咆哮と火柱が打ち上げる無数の岩石が浮かんだ、背後に物音。

 振り返ったラナイの視線の先には腹部を損傷し腰が曲がったノットが立っていた。

 両手に握られる二本の剣の刃は、とろりと糸をひく液に濡れている。


 その液の意味することを理解し、ラナイは右手に持ったままの地底人をノットに向けて放り投げた。

 ノットはそれを空中にある間に八つ裂きにする。


 すると辺りには剣に滴るものと同じ液体が散らばり、それを浴びてラナイは拳を硬く握り締めた。


 立ち向かってくるノットは、先ほど会った時よりも動きが鈍く。

 カクカクと時折力が抜けて失速し、振るう剣捌きにも鋭さが感じられない。

 全ての攻撃を容易に交わし、ラナイがノットから武器を奪い取るまで僅か十秒程度。

 しかし、得物を失っても攻撃の手は緩まない。  


 白い人型の首を締める指先の力も衰えてはおらず、首からはギシと小さく軋むような音がしていた。 

 

「…………」


 ラナイは自分の首に掛けられた手を握り締め、圧迫されてノットの腕の骨が折れる。

 それでもまだだ。

 ノットが正面を向くこともままならない頭部を無理に持ち上げてラナイに噛み付こうと襲いかかった、その先。


 白い胸はギノコまみれの頭を受け止め、その両腕は乾きかけている骨ばった肩を抱いた。


 抱擁。

 そこには白い人型が朽ちかけた人を抱きしめる姿があった。

 瓦礫によく似合う、どこか淋しげな少し狂った光景だ。

 

 それからすぐに、コキコキ、と幾つもの骨が砕ける音が響いた。 

 

 背骨が役に立たなく成って頭は後方に垂れ口が開きっぱなしになっても、その目には血が宿り続け、白い人型を見つけようと動き続ける。

 宛ら萎れた花のようになった生き続ける何かを両腕に抱え、白い人型は大きく息を吸い込み始めた。

 

 黄色の息充填、七割。

 風に逃げずにそこら中を漂っていた塵がゆらゆらを踊りながら開かれた口の中へ進路を決めたようだった。

 

 黄色の息充填、八割。

 塵ひとつない清澄な空間が周囲に散らかる瓦礫の一つ一つの輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、世界はどことなく小さくまとまったようだった。


 黄色の息充填、九割。

 口内の一点へ集中する内向きの風がどこからともなくまた別の塵を運んで来て、あたりは一時澄んでいたことが幻だったかのように思わせる。

 いずれ暴風と化した風は持ちこたえていた壁を壊し、足下にはまた瓦礫が増えた。


 時点で、ラナイの胸囲だけが通常時の倍ほどに膨れ上がっていた。

 その姿は長く生きた巨木が如く、胸に抱かれたノットは木の枝にからまったかのように見える。

 

 そこでラナイは息を止めたのは、限界まで息を吸うことに若干の不安を抱いたからでもあるが、それだけではない。

 ふと聞こえたのだ。


――わたしはここに


 風が運んできた一言が、ラナイの動きを止めた。

 一瞬にして訪れた静寂の中、不意に流れる未知の旋律が耳の穴に触れ。ラナイは穴から少しズレた方角へ体を向けた。


 続く声には、やはり『わたしはここに』としか言われない。

 だがその一言が、ラナイの膨れた胸の奥に小さな刺すような痛みを齎していた。


 ともすれば鼓動が止んでしまいそうなほどの強烈さをもつその一瞬の痛みは、『わたしはここに』と歌詞が続く度に繰り返され。

 それは新たな鼓動であるかのようにラナイを苦しめる。


 その幾度目か、突如銅表紙の本が捲れた。


 書かれているのは、"罪"。


『ワタシは、神の怒りに触れた。


 ワタシは、忠実だった。

 ワタシというものにただ忠実だった。


 それが罪だろうか。

 許されざることだろうか。


 ワタシは狂ってなどいない。

 甘美な妄想が狂っているとは思わない。

 

 所詮は幻。

 一時得られる未知なる世界への羨望。

 それが許されないというのであれば、落とせ。

 ワタシは決して謝罪しない。

 

 ワタシは忠実だったのだ。

 ワタシというものにただ忠実なのだ。


 ならばワタシは得る。

 そして甘美な現実を狂ってなどいない妄想を、夢の中で貴方に教えよう。


 捨てるのではない。

 捨てられたのだ。

 貴方はワタシを捨てた。


 ワタシは決して離れるつもりなどなかったというのに。

 貴方はワタシを捨てるのだ。


 努々忘れてはくれるな。

 ワタシはあくまで貴方を想う。

 もしも貴方が罪を負わぬのであれば。』

 

          ◯


 その獰猛な生物は、瓦礫、生命、全てを一緒くたに同じ姿へと変えた。

 一瞬にして出来上がった汚れた沼は底知れず。

 それはゆっくりと穴に向かって流れ始めていた。


 水流は遅かったが、重い沼に足を取られ巨大なアンノウンも獣型のアンノウンも、ましてや小さな地底人などひとたまりもなく汚水に飲まれて穴の向こうへと流れされる。

 

 それでも抗う敵勢力は、その獰猛な生物の体を染める色としてしか意味を成さず。

 それは今や黒い人型と変わり果てていた。


「白眼の黒い人型……イカすね……」


 異様な人型を目の当たりにし、女は歌うのを止めた。


 代わりに始めたのは、詞の無い演奏。

 暴れ狂う黒い人型に合わせて奏でられる旋律は、先ほどまで澄んだ美しい音色とは打って変わって重厚にして凄味が感じられる。


 弾く、叩く、劈く。

 女の巧みな指捌きは忙しなく、八本の弦が張られた首の長い瓢箪型の楽器を打ち。

 黒い人型はまるでそれに合わせて踊っているかのようだ。


 殴る、潰す、引き裂く。

 舞い散る飛沫は黒い人型の汗が如く。

 女はそれを見てまた旋律を変えた。


 駆けるような旋律から一転、弦が響くのを味わうように奏でられるそこには、凄味に加えて哀しさと恐怖が乗る。


 それが気に入った女は恍惚とした表情を浮かべ、笑った。


「イカすぜ。イカす、イカす……イカしてるよ、オマエ……っ!」


 哀しみと恐怖の旋律最後の一小節は、女の細い指が八本全ての弦を弾いて終わった。

 同時、汚れた沼の底が顔を出し。枯れた沼の畔には残された地下棲生物の残骸を見下ろす黒い人型の姿がある。


 その光景をさらに高いところから見下ろす女は、そっと目を閉じ、疲れを癒やすようにゆっくりと大きく息を吸った。

 そして、叫ぶ。


「わけわかんねえええええ!」


 馬鹿に大きな声。

 驚いて我に返った黒い人型が手の平で顔を拭うと、そこにはあの白い肌が浮き上がる。

 だが、手の平は黒く汚れたまま。

 

 ラナイは汚れた手の平から屋根の上の女へと視線を移した。


「おれは、どうすれば……」


 不意の質問に、女が言う。


「好きにしなよ。だってオマエは"かりすま"なんだろ?」

「かり……すま……?」


 ラナイが聞き返すと、女は慌てたように手を振り振り「意味は聞かないで。よくわかんないから」。


「そういう言葉がどっかにあんのさ。ボクはそれを"イカしてる"って思う。で、そういうイカしてる奴は好きにしていいの」

「そう、なのか?」

「大衆は金魚のフンってな。オマエの行動から生まれるもんもあるさ」


 女の言葉に、ラナイは何も答えず。

 そっと穴の方へ振り返った――。

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