えるとれ 6
振るうは箒、向かうは意志を持った粒共。
拡散して各々にラナイへと向かってくる"飛ぶ何か"からは、確かな戦意こそ感じられるものの、何をどうしようとしているのかはその小ささ故にわからない。
それは"跳ねる何か"も同様だ。
むしろ地面近くで這い回るそれらの方が目で捉えにくい。
例えばハチならば針を使うだろうし、そういう特別な器官を持たない虫であってもおよそ備わっている顎で噛み付くだろう。
それがカマキリだったりするのならもっとわかりやすい、が。
この"わけのわからないもの"を相手するにあたり、光と影の差が激しい店内は小さなものほど姿を捉えづらく、姿を知るという点では不利な状況だ。
だが、今ラナイが目的としているのは、あくまで戦闘後での捕獲。
現時点でその姿形などどうでもよく、粒共の攻撃を躱すことよりも箒を使ってできる限り大量に叩き潰すことだけに集中していた。
するとこの狭い室内で推定三、四十の粒共を相手にするという作戦は成功といえる。
ラナイが箒を振る度に、バチッ、と爆ぜる音がニ、三響き、その小さな振動が箒の柄を伝って感じられ、踏み込んだ足の裏に僅かな異物感を得られる。
一挙動につき五匹程度、それらを破壊することが可能なら必要なのは六回分の挙動。
時間にすればものの二十秒程度だったが、しかし。
薄暗く狭い室内での細かいものとの戦闘は、ラナイに四つの想定外を起こす。
一つは、粒共が"飛ぶ"ことと"跳ねる"ことの二種類の行動を取るため、視界が悪ければ簡単に背後を取られるということだ。
ラナイが忍び寄る"跳ねる何か"の存在に気づいたのは、耳の穴のそばにふと違和感を覚えたからだった。痛みに鈍感であるために背を上ってきたことに気づけなかった、というのが二つ目の想定外。
耳の穴に近づいたそれは、虫特有のガサガサとした音を発しておらず、代わりに耳慣れぬチリチリという音を立てていた。
ラナイは咄嗟に頭を振り回し、すると音は消えたものの、今度は周囲で"飛ぶ何か"の羽音が聞こえる。
囲まれては厄介だと飛び退こうとして、カウンターにぶつかる。
これが三つ目の想定外だ。
逃げ場が無いのは粒共だけでなく、ラナイ自身もそうだった。
そして、幾らか数が減った粒共が音だけを存在させ、まるで透明になったかのように感じられる、というのが想定外の四つ目。
いつの間にか箒を振るっても柄を握るラナイの手の平には爆ぜる感触がしなくなっていた。
相当数を減らして、この時推定十匹いるかいないかの"跳ねる何か"は、感覚の鈍いラナイの体を伝い続々とその白い卵のような頭部を目指している。
それを阻止しようと体を捩るラナイの顔に直接飛びついてくるのが、"飛ぶ何か"だ。
最早箒を振るうことの方が不利だと判断したラナイは、武器を放り、手の平で直接粒共を払おうと躍起になる。
しかし、乱雑に体中を払うラナイの手に感じられた感触は少なく、右の耳の穴にチリチリと音が触れれば、反対の耳の穴には羽音が聞こえ。
背にはカウンター、左右のには壁。
唯一逃げ道としてラナイを誘わんとするのは、陽光が差す扉を失った入り口だけだった。
そこにふと向けたラナイの視線。
あの背筋の正しい地底人が陽光の下に立っていた。
背筋の正しい地底人は、手に持っていた杖のような何かを勢いよく振っている。
その歪な球状の先端が鳴る、ガランガラン、という音はいつから鳴っていたのだろう。"わけのわからないもの"を相手にしていたラナイは気づいていなかった。
音は、耳障りではないにせよ美しくもなく、時折響く鈍い金属音が質の悪い鈴の音のようだ。
いったい何をしているのか。
刹那の迷いを掻き消したのは、コゾウの一言ではなく、杖先の楕球に見覚えのある現象が生じ始めたから。
(なんであれが……っ)
その青白い発光を目の当たりにして浮かぶ、痺れるような衝撃。
ラナイは咄嗟に"最終手段"を放つ。
天井に向かって勢いよく吐き出された威力五分の黄色の息は、瞬時に室内に満ち、汚れた雨を降らせ始めた。
それが小雨から豪雨に変わるまで数秒。
初めは、ボタ、ボタ、と溶けた天井が床を鳴らす音が聞こえていたが、豪雨に変わる頃には水溜りを打つ、ボチャ、という音に変化していた。
同時、激しく軋んで建物が崩れ、水雨は瓦礫の雨となってラナイに降り注ぐ。
と、また同時。
建物の崩壊音を叩き砕く一発の凄まじい轟音が鳴った。
一口にどんなと形容し難い強烈な音は、破裂したようでもあり、巨大な生物の唸り声のようにも聞こえた。
するとふとラナイに過る彼の黒竜イグナスの姿。
最後に見たあの巨大な火柱が、黒竜の凄まじい咆哮が、不意にラナイを身震いさせていた。
だが。
(……違う、もっとだ……)
懐かしさと共に脳裏を掠めた畏怖のような感覚は、轟音と同時に生じた痺れを吹き飛ばし。
周囲は突如として静けさを取り戻していた。
そうしてラナイが瓦礫の山を分けて立ち上がると、立ち尽くす白い人型の周囲だけ風景が一変していた。
それは崩れ落ちた建物もそうだが、それだけではない。
瓦礫の山の上から見下ろすラナイの視線の先に残された、焦げ跡だ。
通りの真ん中あたりにあるその一点を中心に広がる焦げ跡は、直系一メートルほどの歪な円形。その先には長く枝分かれした跡が残されている。
その影響か、近くにあった半壊の建物は細く抉れて小さな火種を残し煙を上げていた。
まるで木の根を地の底から見上げたかのような奇妙な形状の焦げ跡が何を意味するのか、ラナイにはわからない。
それよりも、あの姿勢の正しい地底人が消えていなくなっていることと、黄色の息のせいでなくなってしまった"わけのわからないもの"の方が気になっていた。
(……そう上手くはいかない、ってか)
手と顔についたおそらく"わけのわからないもの"の雫を拭い、ラナイが瓦礫の山から飛び降りたその時。
――バキッ
音を立ててラナイの足の裏で何かが潰れた。
ラナイの見下ろす先には、柄が折れてしまった杖がある。先端にある球の部分が内から捲れ上がって原型を留めていないが、それは明らかにあの楕球の杖だ。
ラナイが拾い上げて中を覗いてみると、内側には煌めく何かが青白く発光していた。
指で触れると微かに痺れを催すそれが、"竜の涙"と呼ばれる石の欠片だとラナイは知っている。
ビリーの原料となるものだとスズに聞かされていたのだ。
『竜の涙はね、触るとビリっとくるだけで、簡単に壊れちゃうし、武器として加工するのには向いてないものなんだ。でもまあ、肩凝ってる人とか腰が悪い人とかそういう人には効果があるみたいでさ。
そういうのって、本当は"イレキセなんとか"っていうんだけど、アトニム人には全然通じない。体に優しい竜の涙なんだって』
スズは体に優しいそれが臭い石や金属と相性が良いことに気づき、全く体に優しくない弾丸ビリーを生み出した。
他二種類も同様に、元は床暖房に用いられていた"竜の痰"をジリーに、最上級の鎧に用いられるコルト鉄鋼を元に熱光石と臭い石を混ぜ合わせた特性の粉を層にして詰め込むことで二段階加速を可能にし、ヒューイを生み出したのだ。
それらは、発明家としてプライアの血を遺憾なく発揮した結果といえる。
しかし、今ラナイが体験したもの、そして目にしているその結果はスズの発明を凌駕していた。
「言葉が通じるとかそういう問題なのか、これは……」
地底人に知性を感じ、一度は殺さずを考えたスズ。
だが彼らの凶暴性を知り、彼女は地底人を凶暴な野獣と判断するようになった。
「こんなの……」
厄介なのはギノコだけじゃない。
生命を賭けた凶暴性に気づき、だが僅かな違和感を残したままラナイは一つの結論に達する。
◯
世界の意志を感じ、【忘れられた水路】へ向かうラナイの足は急いでいた。
その思いは、一刻も早く地下と地上を繋ぐ道を断つべき。
出くわすノットの残党やそれを襲うまだ馬鹿なままの地底人、野獣、逃げ切れなかった四人の兵の死体に群がる"わけのわからないもの"、一つに目もくれずラナイはネズミ道の穴を目指して走る。
視界の端に捉えた不穏分子の数は十か十五か。
それらが早めに目を覚ました寝ぼけ眼の地下棲生物だとして、一本道で見かけるには数が多い。
先の戦闘で手間取る内、陽光はラナイの頭部をはっきりと温めるようになっていた。
その熱を感じ、ラナイは本格的に地下棲生物がやって来るとすればそう時間は掛からないことを悟る。
地下棲生物の侵攻は、朝日と共に現れ昼頃に最大数となる、というのはこれまでの経験により明らかになっていた。その最大数は、朝方の数の十倍か数十倍。
今ラナイが見かけた数からすると、今日の侵攻は数の少なかった四度目ではなく、三度目のそれと同等の数が現れることだろう。
つまりこれから先に起こるのは、地下棲生物からの【コルト】侵攻の五波目。
他の街からやってきた戦士たちで兵力が上がったことや四度目の侵攻から体勢を整える時間が数日あったことを加味すれば、内輪にまで侵入されることはないのかもしれない。だが。
そこにもし、楕球の杖のように開発された武器を持っている地底人がいたとしたら。
例の"わけのわからないもの"がもっと大量に吹き出してきたら。
数はもとより力は比べられない。
「そうなる前に早く、穴を……」
不穏な未来に抗うため、廃墟を飛び越え、貫き、ラナイは乱暴に道を進んで行く。
そして辿り着く、そこ。
もうネズミ穴とは呼べないほど大地に大きく口を開けた巨大な穴へと姿を変えた【忘れられた水路】、それを見張る急ごしらえの二つの物見櫓を視界に捉えラナイは足を止めた。
自ずと再生される『防衛が破られた』という声。
しかし、この状況は、
「乗っ取り……だ」
ラナイの目線には、左右二つの物見櫓に立つ四匹の地底人が映っている。
それらの手には例の如く武器が握られ、視線はまるで何かを探すかのように動き。
その行為が"警戒"以外の何物でもないことは戦士でなくとも、わかる。
反射的に、ラナイは壁の陰に身を潜めた。
(とっくに、ってことだったのか……。あいつら、とっくに知恵をつけていた。もしかすると、四度目の侵攻に数が少なかったのは……)
いや、違う。
ラナイの思考を止させたのは、一つの違和感だった。
守るということに意識がいっていて気づかなかった一点。
なぜ、"防衛"が破られたのか。
そもそもこの危険な穴を守り切ることなどできなかった。だからこそ物見櫓は設置され、その意味は一刻も早くの報告という一点に置かれていた。
警備隊は物見櫓に近付くノットや外部から侵入した野獣に対処するもの。
だから、あの"わけのわからないもの"の出現が突発的なものだったにせよ、そこに『防衛が破られた』などと言う必要は無い。
なにせ、初めから"防衛は課せられていない"のだから。
(たった数人で守りきれるはずないのにどうして……)
疑問がラナイに呼び起こす道すがら見掛けた兵の数は、四人だった。
(監視に当てていたのは五人で、一人は妖鳥人だった。倒れていた死体には皆翼が生えていなかったから、助かったのは妖鳥人の一人……のはずだよな……。偵察の小隊は三人一組だから……)
残るのは助かった妖鳥人一人とアークスが率いる小隊の一人、つまり偵察の小隊ではアークスのみが生存者だ。
(助かった奴にも話を聞いておけば良かったな……)
穴を塞ごうと焦るあまり細かいことを気にしていなかった後悔と生じた違和感を一瞬振り返った内輪への視線に残し、ラナイは再び【忘れられた水路】を覗き見る。
(さて、どうする……)
ラナイに浮かぶ選択肢は大きく二つ。
強行突破か、隠密行動か。
体質に合っているのは前者だしそれが当初の予定だった。そのせいというわけでもないが体質に合わない後者に関しては何をすればよいのかラナイには浮かばない。
ならば選ぶのは前者しかありえないというのに。
楕球の杖や姿勢の正しい地底人の存在が否が応でもラナイに残るもう一つの穴を塞ぐことを気にさせ、無理は禁物だと囁くのだ。




