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えるとれ 5

 それから、ラナイは四軒分の建物を経由して中輪に辿り着く。


 そこには壊れた武器や瓦礫が片付けきれずにまだ残されており、そのいたる所にあの蔓が伸び、昼に閑散としていたあのだだっ広い通りの姿はもうどこにも見当たらない。

 この一ヶ月を目の当たりにして、ラナイは店々で退屈そうにしていた店員や行く宛もなく通りを徘徊していた人々が何を求めていて何を知っていたのかを理解した。


 彼らは、いつだって平穏だったのだ。

 それ故に充実感を求めていた。

 だからそうだ。平穏という土台の上には、探求というそれが眠っていた。


 彼らが空想を具現化しようとして生まれた芸術というものは、つまり探究という"種"が咲いて生まれたものだったのだろう。

【コルト】は、そういう意味で前衛的な思考を持つ人々が住む街だった。

 

 ラナイは足下で小さな砂山が風に崩されていくのを見つめていた。

 

 陽光を浴びて僅かに煌めくそれが"コンセキ"だと知ったのは、地下から二度目の侵攻を凌いだその後だった。

 

          ◯


 クロウガー医院が崩壊して少し経った後、ラナイは瓦礫の中で目覚めた。

 すぐにアレを探したが見つからず。

 一番最初に見つけたのは、歪に変形した鎧だった。


 幾つか足りない部分があるそれがクロウガーだと気づいて声を掛けたが、返事はない。

 兜の面を開いて、ラナイはその時初めてクロウガーがイヌのような顔をしていることを知った。

 目を剥いたまま身動ぎも呼吸もしていない彼を見て、ラナイに湧き上がる焦燥。

 

 何度も少女の名を呼びながら必死に瓦礫を掻き分けていくと、次に見つかったのが白い毛だった。

 瓦礫に押しつぶされ、表情はわからなかった。

 ラナイには焦燥の次に失望感が生じた。


 人は脆い。


 そう思うと僅かな力でも壊れてしまいそうな気がして、ラナイは必要以上に慎重にウィービークラップの死体を抱き上げた。

 もう彼には届かないことがわかっていたが、ラナイは事切れたウィービークラップに一言だけ感謝を述べた。


 アレはまだ見つからなかった。

 ラナイがウィービークラップとクロウガー、そして新たに見つけたシシの妖獣人の男と彼の妻だった身体を開けた場所に移し、もう一度瓦礫を調べようと立ち上がると、ラナイの周囲には何体ものノットが武器を構えて立っていた。


 最早響くほどの吐息と呻きが、ラナイがアレを呼ぶのを閉じ込めようとしているかのようだった。

 その時ラナイからもれたため息は、きっと熱かった。


 拳を振るうラナイの勢いは凄まじく、取り巻く風は暴れ回る白い人型から流れるわけもない汗を拭うように優しかった。


 拳を、脚を振り回しながら、ラナイは考えていた。

 今砕いているものも人なのだと。

 友が死んだきっかけに過ぎず、友と思っていた者が死んだのはあくまでその脆さと崩れた瓦礫のせいだと理解しながら。

 それでもノットを砕く勢いは衰えなかった。

   

 八つ当たりのようなラナイの猛攻が止んだのは、ノットがいなくなったからではなく、彼の少女の声が聞こえたからだ。


『――っ!』


 ラナイ、と呼ばれたような気がした。

 それでラナイは救われたと思うことにした。


 それからラナイは街の戦士たちを引き連れてきたスズと合流し、次々と襲いかかるノットと地下棲の野獣を退ける。

 最中雨が止み空が晴れていくと、野獣は枯れ、そこには煌めく砂や石塊が残されていた。


 風が吹き、煌めく砂粒が舞う光景はあまりにも幻想的で、凄惨な光景が浄化されていくかのように見えた。


『コンセキって……綺麗だったんだ……』


          ◯


 コンセキは生命の結晶。そういわれてはいるが、実のところそれは野獣からこぼれた血液が凝固したものだと見聞録には記載されている。

 その中でコンセキの純度は、血の主である身体の生命としての強さ、つまりは食物連鎖のヒエラルキーで上位に位置するものほど濃い血を持っており、結晶化しやすいとされる。


 だから地上の野獣たちは死すと枯れ、そこにコンセキを残すのだと。 

 

 古い人々がコンセキと肉を同時に食していたのは、その野獣が枯れるということが原因だ。

 学会が創設されて間もない頃、人々はまだ枯れた野獣には栄養が少ないと考えており、乾いた肉が食べづらいこともあって焼くよりも煮て食うことが多かった。

 

 それが学会が発行する"見聞録"という各地で報告される細かな情報をまとめた書物が閲覧可能になり、人々は枯れた肉を枯らさない方法があることを知り。野獣から得られる肉の柔らかさを知った。


 肉を枯らさない方法は至って単純で、食う予定の野獣にもコンセキを食わせれば良いというものだ。

 そうすれば野獣が枯れていく速度を緩めることが出来た。


 その隙に加工し、食らえば肉は柔らかいまま。 

 いつしか人々は肉が枯れるまでの期間を、"潤いの時"と呼ぶようになり、現在【アトニム】では特に採れたばかりの食材にそれを明示することが常識となっている。

 

 と、それだけを知るのなら他愛もない情報だ。

 だが、【コルト】に生じた地下生物の侵攻が無知な人々にまた別の真実を知らしめた。


 それは、人にもまた"潤いの時"があるということ。


 考えればすぐにわかりそうな事実がなぜ人々に伝わっていなかったのか。

 その答えは、死ぬのが人だったからだ。


 どれほど昔からか、人々は生命の終わった人間を火葬することが当たり前となっていた。

 待って二日か三日、輪の内側でも街の外でも例外なく死体は火葬されてきたため、人々は人間が野獣と変わらず"潤いの時"を有することを、街に死体が幾つも転がるまで考えもしなかったのだ。


 とりわけ人はコンセキを餌付けしている獣よりも多く摂取している。

 おかげで朽ちる、つまりは枯れるという状態が人に生じづらいこの"潤いの時"が長く。

 ラナイが幾つも見てきた死体が今にも動き出しそうなほど活き活きとして見えたのは、おそらく"潤いの時"が原因だった。


 それまでは食材の鮮度を示すものとして考えられていた概念が、自分を食材ではないと自覚していた人々にどのように捉えられたか。

【コルト】の住人は素直に受け止めたが、ラナイは違った。

 

 ノットは死んでいるのか、と一度浮かんだ疑問が消えなかったからだ。

 

 身体は健康なまま、状態は死、意志はギノコによって育まれている。

 ラナイはノットをただの動く死体だとは考えられなくなっていた。

 むしろ、これも一つの生命ではないかとすら。


 野獣と人。

 その違いはどこにあるのだろうか。


「あれは……」


 伸びる蔓を追い、外輪に着いたラナイは、それらが零区からはみ出して束になっているを遠く眺められる位置で足を止めた。

 視線の先には重なるようにして倒れているニつの妖鳥人の死体。


 その周りに集る蠢くもの、それを見つけてラナイは「あれか」と呟く。


 遠目には形すら判別できず、あるという羽の音も僅かな風音に紛れて聞こえない。

 だが、確実にアークスが見た"わけのわからないもの"だと断定できるのは、それらが死体の頭部に集中しているからだ。


 耳の穴に限らず、嘴に空いた鼻の穴からも目の端からも"わけのわからないもの"は溢れている。


(確かに小さいな。でもこの数、普通に叩くだけじゃ難しそうだ……)


 であれば、早期決着が望ましい。

 それを想定して一人で出てきたことは正解だった。


 念のために周囲を見回し、そこに誰もいないことを確認してラナイが大きく息を吸い込んだその時。


――クックックックッ……


 背後から鳴き声。

 咄嗟に振り返ったラナイの視界に一匹の地底人が立っていた。

 大顎を開いたまま、胸を小刻みに動かして喉を鳴らす地底人はすでに戦闘態勢に入っている。


 ラナイは一度息を飲み込み、姿勢を四足へと変えた。


(……どうせ一匹じゃないんだろ)


 幾つかの戦闘経験を経て、ラナイは地底人の行動には集団性が伴うことを学んでいる。

 ラナイは低い姿勢で目玉を回し、瓦礫や建物の影に他の仲間の姿を探した。

 すると、崩れかけている内輪寄りの建物の陰に一匹、零区側の建物の屋根の上に見を低くする一匹を捉える。


 各々随分と距離が離れていて、まとめて息を吹きかけることはできない。

 かといって一匹ずつ相手するにしても、他の二匹に詰め寄られるだろう。


(まったく、こいつらも賢くなったもんだな……)


 攻めあぐねるラナイを知ってか、戦闘態勢であるものの地底人は襲ってこようとはしない。

 

(厄介だぞ……。でも)


 迷いは暇だ。

 ラナイが最初の目標に選んだのは、今目の前に姿を晒している地底人。


 即座に蜘蛛の姿勢から猿の姿勢へと変わり、ラナイは後ろ足を強く蹴って急加速。

 あまりの速度に飛びつくのは無理だと判断したのか、跳躍してラナイの突進を躱そうとした地底人を空中で捕らえた。


 瞬間。地底人は大顎でラナイの腕を挟み、叫ぶ。


 ラナイのすぐそばでそれは、悲鳴とは違って聞こえた。

 すぐさまその叫びの意味を理解したラナイは、着地と同時に地底人を地面に叩きつけ破壊。

 長く続く叫びは鈍く濁った呻きに変わって止んだ、が。


 ラナイに触れる風は、背後で蠢くさらに幾つかの気配の揺らぎを伝えていた。

 

(三人だけじゃ……っ)


 視界の両端に捕らえた先に確認した二匹分の地底人が走り込んでくるのに反応し、振り向きざまにバク転したラナイの顔面を尖った石片が掠める。

 

 そんな不意打ちの投石に驚く間もなく、二発目の折れた剣の柄がラナイの腹に直撃した。

 次いで三発目の斧を叩き落とし、四発目のまた石片を体を捻って躱すラナイ。


 同時、飛びかかって来たのは今しがた確認した二匹の地底人だ。

 一匹は左足に、一匹は対称位置にある右腕に飛びついて大顎を食い込ませる。


「この……っ!」


 その右腕に齧りつく地底人の一匹を空いた手で握り潰す視線の先、そこらで拾ったのだろう正常異常関係なく武器を握りしめた地底人が五匹走り込んでくるのが見える。だが。


 ラナイが気にしたのは立ち向かってくる五匹の地底人ではない。

 ラナイが見つめているのはさらにその先、さっきまで死体に集っていた"わけのわからないもの"を身に纏わせて佇む妙に姿勢の良い地底人だ。

 その手には先端が歪な球状をした柄が木製の杖らしきものを持っている。


 明らかに様子の違うその一匹がラナイを指差したその途端。


 点のように見えていた"わけのわからないもの"の群れがラナイ目掛けて一直線に飛んでくる。

 その異様な光景を目の当たりにして、ラナイはなんと言っていいのかわからないものを雄叫びとして吐き出していた。

 

 初動、ラナイは大きく息を吸い込む。

 最中、放られる刃だけの剣。

 同時、放られる斧。

 

 躱すのに気を取られ、ラナイの肺に溜まった息は三割程度。

 それを留め、ラナイは左足を振り鋭く蹴り出す。

 凄まじい勢いに耐えきれず、顎を残して吹っ飛んでいく地底人。


 それは前方で武器を投げ捨てたばかりの一匹に激突、二匹はまとまって後方に転がっていく。

 しかしそれで他の四匹が怯むわけもなく、その内三匹は拙い武器使いで剣と槌とメイスを振り回してラナイを襲う。


 それらを捌くのは、今となっては容易なこと。

 手足を器用に使ってあしらっていくラナイだが、状況は多勢に無勢。

 いくら相手の攻撃が拙いものであっても、それなりの筋力と数があればラナイからの致命打を受けずに済んでいた。


 だが、足りない。

 ラナイの怪力と自在の手足を前に、地底人には素早さと技術、そこに備わるはずの経験が全く足りていなかった。


 致命打などもとより必要がない。

 叩く。

 殴る。

 握る。

 蹴る。

 素手時に行われる基本動作の全てが、ことラナイという存在においてはひたすらに脅威であり強力だった。


 地に伏せ。

 吹っ飛び。

 壊され。

 爆ぜ。

 地底人は傷の三つ四つを付けてラナイから離れていく。


 そうして前哨戦を瞬く間に終え、ラナイの耳はついに、パチッ、バチッ、と弾けるような音を捉えた。  

 似ているがそれぞれ勢いの違う二種類の音がそこにある。

 

 一つは目に捉えるのは不可能と思えるほどの高速で震える半透明の羽の音。

 もう一つは、地面を蹴って弾ける音だ。

 数は確認しきれないが、恐らく三、四十だろう。


 ほとんどひとまとまり向かってくるそれらを一撃で沈める、一旦はそう考えて息を深く吸ったラナイだったが。


(いや、ダメだ。まずはこいつらの正体を知る必要があるか……)


 再び息を止め、黄色の息充填は五割ほど。


 ラナイは足下に転がっている地底人の体を拾い上げ、"わけのわからないもの"の群れに向けて放り投げ後ろ飛びに下がった。

 

 するとそれらはニ、三ぶつかるような音を立てて他は一気に広がり。

 それはまるで直撃を避けたかのように見えるが、それでも群れはラナイへの進行を止めない。


(わからないな……やっぱり虫なんじゃないのか……?)


 群れとはいえあくまで個である虫にも、今くらいのことは起き得る。

 なら、どうすることがあれらを虫とは違うといえるのか。


(とりあえず、捕まえる……)


 それが死骸でもなんでも、捕まえて確認すればわかる。

 そう考えてラナイ取った行動は、建物の中に駆け込む、だ。


 広い空間で戦うよりも、狭い区間で逃げ道を減らす方がやりやすいと判断したのだ。


 近くでまだ原型を留めている零区側に位置するその建物は、"カビ臭くて尚善し"という店名。

 扉を蹴破って入ると、会計用のカウンターの上に置かれたランタン一つだけがまだ橙色の光を発していた。


 周囲、天井には妙に装飾の凝った箒や鍋の蓋、何に使うのかわからない歪な形の箱や食器や人形や古びた本など、まったくもって統一感を感じられない商品がまだ並んでいる。

 雑然とした店内のそこら中に積もった埃は、きっと店主の怠慢のせいだろう。


 くるりと一周店内を見回し、ラナイは壁に掛けられた平たい箒を取る。


 ラナイの大きな手にも余るほどの長さを誇るそれは、掃くために作られたとは思えないほど重く、長い柄にはびっしりと装飾が施されていて握りづらい。

 それを見つめ、不覚にも(なんだこれ……)と箒への疑問がラナイに過ぎった瞬間、あれらの音がラナイの耳の穴に触れた。


 外から内へ、すると不意に強調して聞こえるように鳴るそれらの挙動音は、ラナイに五月蝿いと印象づけた。


 そしてその五月蝿さは最も陽光を浴びる入り口のそばで玉となり、追ってやって来る地面を這う粒共と一緒になってラナイを襲う。

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