えるとれ 2
互いに人と呼ばれながら、スズと緑色の男は全く別の生き物にしか見えない。
倍はあろうかという身長、体格の差に始まり、肌の色も体の作りもまるで違う。
もし言葉を交わすことができなかったのなら、それは喧嘩に見えるだろうか。
片一方からすれば、大きな野獣にまるで立ち向かうかのように。
もう一方からすれば、小動物をただ見下ろしているだけ、と。
どちらにせよ、互いを間に合う相手と捉えるには至らない雰囲気が漂っている。
「一応訊くが、もしお前を殺しちまっても俺が追われるなんてことはないよな?」
半笑いのまま、緑色の男が言う。
「やれるもんならやってみろよ。苔男」
睨むスズに向けて、緑色の男はまた「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「そう格好を付けるなよ。冗談だ、妖精。雑魚を相手に本気で戦うなんてするはずないだろ? だから……」
こいつはいらない。
そう言って緑色の男は背負っていた大斧を地面に放り投げた。
その重さで石造りの地面が砕け、小石が飛び散る。
「素手の方がいいだろ……とはいっても、チビにはこの拳でもじゅうぶ……」
言いかけた緑色の男の右の耳、そこにはすでに一筋の傷がつき、じわりと血が滲んでいた。
「不意打ちか。だがな、今のいちげ……」
言いかけた緑色の男の右の腿、そこにはすでに一筋の傷がつき、じわりと血が滲んでいた。
「ちょこまかと、チビが速いと相場は決まっっつでぐぁあああっ!」
言いかけた緑色の男の尻の間、そこに突き刺されたのはジウの先端だ。
いったいどこまで到達したのか。見守る群衆はゴクリと喉を鳴らし、顔をしかめた。
「むぬぅぅぅぅぅ! 抜けっ! 抜けっ! このバカが!」
激痛に叫び、中腰の姿勢で尻に突き刺されたものを払おうと藻掻く緑色の男。
すると。
「暴れるな。撃つぞ」
研ぎ澄まされた鋭い目付き、真剣な表情でスズはジウ口をさらに深くまで押し込んだ。
それにまた緑色の男が下唇を噛みながら唸り、藻掻くと。
「動くなって言ってんだろ!」
背後でスズが叫び。その最終警告ともとれる迫力に気圧され、緑色の男は身動ぎを止めた。
「いいか。バカはお前だ苔男。今から戦うってのに武器を捨てる奴がいるか。俺が遊びでお前に付き合うほど暇だとでも思ったのか……?
こっちは真面目にやってる。腕試しなんてくだらない目的でここに来たんなら、ノットになるまえに俺が殺してやるからな……」
一変し、囁くように語りかけるスズ。
そして、
「あいつらを前に慢心すれば、これよりもっとひどいことになるぞ! 大きさ、種族、武器、関係なく奴らは危険だ! 慢心は捨てろ! いつでも殺されることを覚悟しておけ!」
スズが声を上げると、群衆の背筋が僅かに伸びる。
その光景に満足げな息をつき、スズが"苔男"の尻からジウ口を引き抜く。
「それとお前、脳筋なら脳筋らしく重鎧を着た方がいいよ。脇どころか尻まで甘い、それと頭も目も」
穴がデカくて良かったな。
助言なのか、嫌味なのか。真剣なその表情から上手く察することができない。
それからスズは両手に持った武器を背に収め、「外に出る時また集合を掛けるからそれまで自由にどうぞ」とその場を後にした。
そうして表情を緩ませたスズの行く先にはラナイとウィルバルがいる。
手を振り、スズは二人に駆け足で近付いた。
すると、出会い頭にラナイが言う。
「そんなに悪いやつじゃないはずなんだけどな……」
「なんだ。ラナイくん、あいつの知り合いだったの?」
「知り合いってほどでもないけどね。ちょっとだけ話したことがあるってだけだよ」
そう言ってラナイが向こうを眺めると、そこに尻を押さえて何人かに気遣われる緑色の男"ガリオ"の姿が見える。
「けど、まあ自業自得だな。あれは……」
独り言のように言って、ラナイは鼻で嘆息した。
◯
ラナイたちが【コルト】清掃作戦のための司令部に入ると、そこにはすでに一人の小人と一体のドールが準備万端といった様子で部屋の中心に置かれた大机の前に立っていた。
小人の方は真っ白なローブを纏い、フードを目深に被った怪しげな格好。
ドールはらしくもない茶色の外套を引っ掛けている。
「コタロさん。ちょっと」
白いフードの男の方を向いてスズが言った。
白いフードの男"コタロ"は、無言のまま体をスズの方に向けた。
「何、あれ。プライアは雑魚じゃないよ。それに、間違えてる」
不満を一切隠さない表情でスズがコタロを睨む。
「間違っているというわけでもない。実際多くのプライアは記述の通り弱く、脆い。貴方やコゾウのようなプライアが珍しいだけだ」
コタロの発言に一瞬の沈黙を挟み、「でもさ」とスズが改めて口を開いた。
「そういう言い方をして、皆が油断することになるのはマズいでしょ。俺とかコゾウみたいなプライアもいるって書いといてよ」
「必要ない。結局脆いところは同じだ。それに、プライアがギノコに寄生された報告がないんだ。だから、今はそれで良い」
「……つまり、油断しろって? ギノコに寄生されたノットがいたら?」
「それは本人次第だ。どうせ貴方はプライアを甘く見るなと説明したのだろう」
コタロが言うと、納得いかないなあ、とスズが近くにあった椅子に乱暴に腰掛け、さらに「やっぱアークスに任せれば?」と加える。
「アークスは妖鳥人偵察部隊を率いることに決まったんだ。それに、【ガダルタ】を何年も一人で歩いたお前以上に地下界の野獣が普通ではないのだと伝えられる者はいない。わたしは適任だと思うがね」
ウィルバルがそう言ってスズの頭をぽんと叩くと、
「言っとくけどね。俺はアトニム人が苦手だから、ずっと一人でいたの。この街で戦ったのだって、一応友達がいるからだよ。そうじゃない奴なんて俺の知ったことじゃない」
スズが邪魔くさそうに頭に乗せられた白い手を払った。
そんなスズの態度にウィルバルは肩をすくめ、ラナイに目配せをする。
視線の求める意味を察したラナイは、鼻息混じりにスズに近付いた。
「嫌なら止めろよ、スズ。やりたくないことやってても良いことないからな」
「じゃあ、誰がやるの?」
「おれがやるよ。喋るドールの話をどこまでちゃんと聞いてくれるかはわからないけどな」
言ってラナイが肩をすくめると、スズは相変わらずの不満げな表情のまま唇を尖らせた。
「……それ、ちょっと面白そうじゃん」
ラナイの提案を飲みかけたスズに、ウィルバルが「バカを言うな」と苦言を呈す。
「ベルバル様は、我ら堕天使の長だぞ。人が直接教示を得るなど恐れ多いと知れ。だからお前たち人間は、過去【アトニム】がそうだったように人が治めるべきだ。それに、ベルバル様の戦いには人も、我らとて介入できない。新人の隊を率いるなど無理なんだ」
ウィルバルが身振り手振りで言う。
「人が、って……じゃあ、君たちはどうして戦うのさ。世界中に仲間を送り込んで、おまけに率先して指揮を取ったりまでして……」
そう言ったスズの表情は、やはり不満げなままだ。
だが、その不満がさっきのわがままとは異質であることにラナイは気づいていた。
二度目だったからだ。
『特に目的もねえのに、テメエは全員守ろうとしたってか』とコゾウが放った一言が、前回とは違う状況で同じ意味をもって投げかけられている。
どうしても答えきれない、ラナイが本当にわからない"人からの"疑問だ。
その答えは、やはり今も浮かばないまま。
何も無いまま、目的ではなく"理由"を考え始めた時、ラナイの記憶の部屋には本棚が一つ"増えていた"。
何の装飾も無い初めからの本棚と違って、増えたもう一つの本棚には外縁の一番高いところの中心に頭に浮かんだ"細枝に付く一個の蕾"の絵が紋章のように刻まれている。
ラナイはそれを意識が投影された結果だと感じた。
つまり、記憶の部屋とは自分の意識ひとつで自在に変化させられるのだと。
しかし、試しにもう一つと思ったところで本棚は増えなかった。椅子や机といった家具も然り、現れない。
ただ、その"細枝に付く一個の蕾"の絵が皆を救おうと思った理由なのだろうとそうは思えたのだった。
「ルトゥールだ」
不意に聞こえた声にラナイは外套を着たドールへと視線を向けた。
「それこそが世界の使命である。六王を殺し、真の秩序を取り戻すことこそ、お前たちが戦う理由であり、我らの悲願なのだ」
するとスズは、「勝手だなぁ」と嘆息した。
「人にはそれぞれ戦う理由があるんだ。バイバル、君がルトゥールのために戦うならそうすればいいよ。けど、皆には関係ないじゃないか。ルトゥールなんて、もう終わったことになっているんだ。それを今さら理由にしようったって誰も理解できない。
だから君たち堕天使は今、もう失くなった理由のために皆を巻き込んでるだけだよ。それはたぶん、街を守りたい理由じゃない」
壁のどこぞを見つめ、淡々と話すスズ。
対して外套のドール"バイバル"は静かにスズを見つめていた。
「ならば訊くが、お前はなぜ戦うのだ。スズ」
訊かれ、スズはバイバルの切れ長の目をじっと見つめて「死なせるためだよ」と答えた。
およそ即答の間を置かぬ返答。その強い目にはもう不満など微塵も感じられない。
「死なせるため? どういう意味だ」
聞き返したのはバイバルではなく、ラナイだ。
スズは壁からラナイに目線を移し、疲れたようにため息をついた。
「やっと、話すタイミングができた……ってことなんだろうね」
「何がだ?」
ラナイがまた聞き返すと、スズの視線はコタロの方へと向けられた。
「あの時、【忘れられた水路】でラナイくんと別れた後、俺は地底人に襲われたんだ。暗くて何も見えないし、地底人は何人もいた。殺されると思ったし、覚悟もした……けど。ノットに救われた」
スズの言うことに「ノットが?」と反応したのは、やはりラナイだ。
「少なくとも俺はそう思ってる。だってあの時、思い出したんだ。あのノットは、"ビリー"だった……」
と、スズが胸に手を当てる。
「ビリー? それってお前の弾のことじゃなかったか?」
ラナイが言うと、スズは首を横に振った。
「俺もそう思ってた。でも違った。思いついた弾の名前は、全部"昔の仲間の名前"だったんだ。ビリー・ジェームス、ヒューイ、ジリー・ビンズ……俺の仲間たち……」
スズの胸に当てた手に力が入る。
するとバイバルが「やはりか……」と苦々しげな顔をした。
「だが、ならばなぜ雨が振った後にもプライアの死体にだけはギノコが生えなかった?」
独り言のような発言にさらに、「学会の意見を聞かせろ」とバイバルがコタロへ半ば睨むような視線を向けるが。
コタロは静かに首を横に振った。
「今聞いただけのことでは何も判断できない」
次いで、他に思い出したことは、とコタロが言ったのに、「スズ」とラナイの声が割って入る。
「仲間って、もしかして気がつく前の記憶か? 静かな村にいたっていうそれよりも前の……」
「たぶん、そう」
と、スズに「良かったな」と声を返したラナイの表情はどことなく明るい。
そうして色の違う微笑みを向け合う二人に、バイバルの「ベルバル様!」と厳しい声が飛んでくる。
「いいことなど一つもありません! プライアがギノコに寄生されるとなれば、振り出しです! あれらはただ死体に付いているわけではないということになるのです!」
まったくどういうことなのだ。
上りきった血の気がなかなか引かないバイバルに、ウィルバルが「落ち着け」となだめに入った。
「しかし、となれば各街に殺されたプライアが放置されていないか探させる必要があるな。バイバル、【アーハイム】とアナーブのところにいる読者の団に追加で警告するんだ」
ウィルバルの提案にバイバルが「ああ、そうだ」と納得したその時。
「それはたぶん、必要ない」
二人のドールの意見を真っ向から否定するスズの発言に、室内にいた四人の必要が集まる。
「どういうことだ」
首を傾げウィルバルが言うと、
「そのプライアが"死んでいる"なら、問題ないはずってこと」
その説明不十分の言葉に向けられた二度目の「どういうことだ?」は、コタロから発されていた。
コタロの表情はフードの奥に隠れて大人しく見えるが、今や机に両手を付くほど前のめりになっている。
すると不意に、スズがコタロへと近付く。
「プライアは、"死ねば終わる"からだよ」
「死ねば……終わる、だと?」
間近に寄り、フードの奥に何を見つけたのか、スズは「やっぱり知らなかった」と呟いた。
「コタロさん。プライアにも【否読の書】が存在するんだ、たぶんね」
「【否読の書】がたぶん……? 何を言っている」
どこか噛み合わない不自然な会話。
コタロの疑問へスズが返した答えは、「俺は一度死んでいる」。断言。
瞬間、その場にいた全員の顔が同じように固まった。
そんな驚愕の一同を見回し、スズは徐に奇形の弓を取り出した。
「ビリーが、先に逝かせてくれたんだ。
だからたぶん、ビリーはわかっていたんだと思う。どうしてギノコに寄生されるのか、ギノコが何を目的として寄生するのかを……」
言いながら、スズの視線は弓の端と端を跨ぐ一本の弦に落とされる。銀色の弦は陽光を浴びない薄暗い室内ではあるかないかもよく見えない。
「それは、いったい……?」
コタロが机から手を離し、姿勢を正すのと同時に言った。
だが、スズは小さく首を横に振ってしまう。
「わからないんだ。どうやら俺の【否読の書】は虫食いみたいで、細かい出来事が思い出せない」
するとコタロの体がぴくりと反応する。
「それは、"誰の"記憶だ?」
「誰のって、俺のだよ」
「そうじゃない。その時貴方が何の人間だったのかを訊いている」
「だから、"俺の"だってば」
困惑しつつ、僅かに苛立ちを滲ませてスズがそう言った途端。それもまた四人全員の表情が、怪訝なものへと変わった。
その中でただ一人表情の違うスズは、周囲に何か察し急に挙動不審になる。
そうして吐かれた「なんなの?」の不安に、コタロが返すのは、
「それは、【否読の書】ではない」。




