おれとれ 27
「アレと一緒に部屋にいてくれ」
「そりゃもちろんそうするけどよ。あんた……一人で大丈夫なのか?」
ウィービークラップは不安げな表情を浮かべる。
その反応は至極当然のものだろう、つい先ほどの失敗を見ていれば。
しかし、ラナイは深く頷いた。
「もう、余計なことを考えるのはやめる」
覚悟の一言だった。
それは、格上相手に何を考えても対処できない自分と、ノットを相手にするということが形は一つでも多勢に無勢な状況だということに気づいたからこそ。
力の無い自分が、守りながら戦うなど驕りだった。
あるもの全てを何の躊躇もなく打ち出すこと、それが必要だったのだ。
(もっと強くならなきゃならない、おれは……。守るなら……)
ノットがラナイの鋭い視線に気づいた。
左手には直剣が逆手に握られている。
その光景を見た瞬間、ラナイは突進していた。
姿勢はすでに四足、しかし、足運びは今までの蜘蛛のそれとは違う。
後ろ足で強く体を押し出し、前に突き出した両手で床を掻くその姿は、サルが如く。
長い手足のおかげでその速度は、本物のサルよりも遥かに速い。
だが、速いのは走り方のせいだけではなかった。
ラナイは、止まることを考えていなかったのだ。
それが二掻き目、ラナイの前方で体を半分だけ階段上に覗かせていたノットは、振りかぶって剣を投げ飛ばした。
投げられた剣の行先は、ラナイ。その顔の中心だ。
一直線に吹っ飛んでくる剣は、薄暗い室内の影響でほとんど姿が見えない。
おまけに対向して走るラナイと剣との間は実際の速度よりも早く詰まっていた。
ラナイと剣が相まみえたのは、ラナイが三掻き目に入る直前。
気づいた時には目の前にあった剣の切っ先を避けるつもりでラナイは咄嗟に首を捻ったが。
間に合わず、剣はラナイの顔面に直撃した。
鈍いすり足のような音がしただけで、ほとんど音らしい音はしなかった。
剣はどこへいったのか。その行方をノットが知るのは、ラナイが三掻き目を終えて今にも飛びかかろうという寸前のこと。
ノットの血走った目は、ラナイの左頬に突き刺さったままの剣を捉えた。
それなのにラナイは怯みもせず突っ込んでくる。
もし、ラナイが怯んでいたならどうだっただろう。
きっとノットには関係のないことだ。
ノットは直剣を投げつけたのとは反対の手に、投げたものよりも短い小型の直剣をすでに構えていた。
それを何に使うつもりだったのか。
突っ込んでくるラナイの胸の中心を目掛けて、それは突き出される予定だったのかもしれない。
だが。
結果としてノットが突き出した剣は空を刺していた。
ラナイが即座に体を避けたのか。
違う。ノットはタイミングを誤ったのだ。
そこに生じた計算違い、それはノットがラナイを"ただの人間"だと認識していたことにあった。
ラナイの腕は、通常の人間よりも少し長い。
だから、ノットから剣の一撃が繰り出されるよりも手の平一つ分、ラナイがその頭部を掴むのが早くなったのだ。
直後押し込まれ、仰け反る格好で後ろに傾いたノットは、予定よりも上方に剣を突き出していた。
ラナイは頭から、体重と加速の両方を乗せてノットを踊り場へ叩きつける。
会心の一撃だ。
後頭部から先に床に着地したノットの首は、追って吹っ飛んでくる体の重みに耐えられず捻れた。
勢いで体をあちこちに振り回して壁床を汚すノットは、宛ら糸を失った操り人形のようだ。
そのそばでラナイがひっくり返って壁に激突する。
もし今の光景を誰かが見たのであれば、間違いなく絶句しただろう。
壊れた人間と人のようなもの、それが折り重なって身動ぎをする様は、とてもじゃないが現実に起こり得る絵ではない。
先に体を起こしたのは、ラナイだ。
その足の下には今の衝撃で手足が折れてしまったのか、胴だけをグネグネと蠢かすノットの体がある。
「これで、お返しだ……」
勝ち誇り、踏みつけたままの死なない死体に語りかけるラナイ。
すると足の裏に違和感が。
それは、ゆっくりとラナイの足を押し上げる。
「……ん?」
見下ろすラナイの視線の先で、ノットは膨張し始めていた。
竜人の体が膨張する意味をラナイは知っている。
「そうはさせるか」
と、踏み潰すつもりで上げた足がピタリと止まった。
(おれは、何をしようとしている……)
竜人の息吹を止めるためだ。だが。
それは、ノットという存在を相手に必要のある行為だろうか。
今ラナイには二つ、選択肢がある。
一つはスズに習った通り、ノットを動く意味が無くなるほど粉砕してしまうこと。
そしてもう一つは、黄色の息の力でノットを死体に戻すことだ。
後者はつい最近気づいたばかりのラナイにしかできない方法。
忘れていたわけでもなかったが、それよりも、"夢中になりかけていた自分"にラナイは困惑していた。
それ故の迷いだ。
純粋な殺意、それがこの身体にも宿っていたのだと。
(…………)
湧き上がる得も言われぬ不快感をため息と誤魔化し、ラナイが膨れ続けるノットに吹きかけようとしたその時。
下方三階からの物音。
反射的に移したラナイの視界に姿を現したのは、傷み汚れた外套を着た小さなサルの妖獣人だ。
血で汚れ歪んだ大きな剣型シャベルを両手に握っている時点で、それがノットかどうかと見極めるまでもない。
(もう一人……?)
医院に入り込んだノットが一人でなかったことはラナイにとって予想外だったが、今この瞬間に姿を現してくれたことはかえって都合が良い。
ラナイに気づくなり素早く階段を駆け上がってくるサルのノットに向けて、ラナイは口に溜まっていた黄色の息を遠く飛ばした。つもりだったが。
しかし、口から飛び出した黄色の息は塊となることはなく、ふわりと膨らんで宙に広がった。
それが触れて至る所から白煙が上がり、ポタ、ポタ、とヘドロと化した建物の一部が床に落ちる。
(飛ばないのかっ……)
さらなる予想外の出来事がラナイに僅かな動揺を生じさせた。その隙。
白煙と黄色の息が未だ残る不鮮明な視界にシャベルの歪んだ切っ先が姿を現す。
それを目視した瞬間、ほとんど反射的にラナイは、投げられた、と感じていた。
だからラナイが次に起こした、手を伸ばす、という行動も反射的なものであり、弾き飛ばすのではなく受け止めるという発想もまた同じだった。
受け止めた後のことなど考えておらず。
守るのではなく攻めるのだという姿勢がそうさせたのかもしれない。
見事、ラナイは飛んできたシャベルを掴み取った。
シャベルは残る少しの黄色の息に触れ、ところどころ抉れたように傷みが増えている。
それを手にし、ラナイが自然と逆手に持ち替えていたのは、正に経験値が成した業。
何度も見てきた"得物を投げる"という行為が、ラナイの身体に宿った瞬間だった。
シャベルを構え、煙の向こうにサルのノットの姿を探すラナイ。
その間数秒か。
煙の向こうに聞こえる物音の違和感にラナイは気づいた。
音が遠ざかっている。
階段を下りたのではない。
それを確認するように床に目をやり、そしてラナイは窓のある階の奥の方へと視線を送った。
「どこへ行く……?」
小さく呟き、ラナイがまたしても思考の波に飲まれかけたその時だった。
――パンッ
遠く発砲音が聞こえた。
続けざまにもう一発。
その音が何を意味するのか。閃くように訪れた不穏な勘に導かれ、ラナイは階段を駆け上がっていた。
◯
「アレっ!」
廊下を走りながら、ラナイが叫ぶ。
すると。
「たっ、たすけてくれぇっ!」
ガチャガチャとやかましい音を鳴らし、つんのめりながらクロウガーが部屋から飛び出してきた。
「何が起きてる!」
「小さいのが何匹か壁を上ってきっ、来てる! たすけてくれ!」
そう言って躓き、床に突っ伏したクロウガー。
その体を空いた右の手で掴み上げ、ラナイは室内に飛び込む。
部屋の中に飛び込むなり、まず聞こえてきたのは、ウィービークラップのいきむ声だ。
ぐぬぬ、と唸るウィービークラップは、窓から室内に入り込もうとするシカのノットと同じく布切れ一枚を纏ったネコのノットと競り合っていた。
アレは、その隣で折れたベッドの脚でウィービークラップと同じ相手を殴り続けている。
「アレ!」
ラナイが声を上げると、アレはラナイをちらと目視し、
「ラナイ!」
と呼応した。
次の瞬間、ラナイは先にやりそびれていた投擲を実行する。が。
投げたのは右手に持っていたものだ。
つまり。
「ひぎあああああっ!」
無様な悲鳴を上げ、窓に向かって吹っ飛んでいくクロウガー。
気づいたが時すでに遅し、ラナイは「しまった!」と自らの行為に唖然とする。
不意に投げ飛ばされたクロウガーは、重い鎧のおかげで遠くまでは飛ばず、競り合うウィービークラップとネコのノットの間に激突。
ウィービークラップはクロウガーに押しつぶされ、不幸中の幸い、ネコのノットは窓の向こうへと落ちていった。
「わるい、ウィービークラップ」
即座に駆け寄り、ラナイはウィービークラップの上でジタバタと藻掻くクロウガーをどかした。
しかし、ウィービークラップはそれどころではない様子で、上体を起こすなり「次が来るぞ!」と叫んだ。
荒いだだみ声に促されラナイが窓へと移した視線。
窓枠に掛かったその指は、肉厚、薄い茶色の体毛、黒ずんだ爪。
下で逃げたサルのノットの雰囲気と似ていた。
「今度は……っ!」
それだけ言い放ち、サルのノットが窓に顔を現すのと同時に放たれるスコップの一撃。
――ッッシュ……
窓枠を掠め、ラナイの放った突きはサルのノットの一部を"掬い取った"。
その一部を眺め、ウィービークラップが「まだだ!」と叫ぶが、それはもうわかりきったこと。
ノットは自身を掬い取ったシャベルの柄を掴んでいた。
そこに増える下向きの力。
外へ引きずり込もうかというその力に、ラナイは抗った。
ラナイがシャベルを振り上げると、二匹のサルのノット連なって姿を現す。
それを見てウィービークラップが叫ぶ。
「バっカ! なんで捨てねえんだそんなもん!」
シャベルを振り上げた反動に乗って飛び上がり、室内へと侵入してくるサルのノット。
先の一体が真っ先に狙うのは、アレだ。
させるか、とラナイが伸ばした腕を新たなサルのノットが飛びついて阻む。
サルのノットの腰にはサーベルが携えられており。肩、肘、膝、胸等必要な部位を守る程度の防具を身に着けている様子から、元は戦士だったことが窺える。
それら防具に、汚れて入るものの錆ひとつ見当たらない。
しかし。だから戦況が変わる、というわけでもなかった。
体格の差だ。
いかにノットがギノコの影響で機敏に立ち回ろうとも、小さなサルの妖獣人の身体では力も重さも全く足りない。
腕にしがみつくノットを無視し、間一髪、ラナイはアレに飛びかかろうというその外套を掴み取った。
「大人しくしてろっ!」
怒鳴り声と共にラナイは、外套を着たサルのノットを窓の外へ投げ飛ばした。
すると、器用にも戦士のもう一人のノットはラナイの腕を渡り、すれ違いざまラナイの頬から剣を抜き、さらに首筋をサーベルで斬りつけていく。
その素早さは、これまでラナイが相まみえたどの相手よりも速く見える。
というのも、狭い室内であちこち飛び回る動きには直線的な移動が少なく、行先を予測するのが難しいのだ。
それはいうなれば"手首そのものの動き"であり。
肘や前腕といった動きの鈍い繋がり部分が無いため、掴みどころが無い。
背後にはアレ。
もし抜かれれば、という焦りと不安がラナイを必要以上に緊張させていた。
その時。
「あんた、そいつで終わりだ! そいつを仕留めりゃ暇ができる!」
窓の外を覗き込んだウィービークラップが言った。
それを励ましの一言、とそう聞くこともできるだろう。だが、今のラナイにとっては張り詰めたものを緩ませる"余計な一言"だった。
ほんの一瞬ラナイにふわりと湧いた安堵の心。
その隙に、ラナイの視界からノットが消えた。
「……っ!」
声は出ない、ただ焦りだけがラナイの体を動かしていた。
振り返る。
発砲音。
走る白い筋。
叫び声。
白い足が床を踏みしめる。
伸ばされた長い腕。
また、発砲音。
まだ一本の白い筋が消えぬ間に新たな白い筋が窓から飛び込んでくる。
それが、白い腕を貫き。
黒髪の少女がベッドの脚を振り上げ。
サーベルは空気を撫でながら水平に少女の首へ向かう。
――ッッシュ
頬を汚す赤い飛沫。
一瞬、薄明かりで暗い水面のような濃紺のその瞳には白い人型が映り込み、それはまるで暗い水面の中で溺れ藻掻いているかのようだった。




