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おれとれ 24

 外気が閉ざされ体温を奪う力から隔離された医院内では、どことなく暖かさまで感じられる。

 だが、それは安堵を促すようなものではなく。そこにはない人の温もりのように錯覚されて、かえって不気味だ。


 外ではまず嗅ぐことのないいやに清潔な香り、それと野花とも違う花の香りが相まって鼻の奥を染め、それもまた外と内とに決定的な差を生む要因だろう。


 しかし、ここに漂う静寂の質は外と同じである。


 何の変哲も無い。

 争いがあった残骸は見当たらず、そして誰かがいたという気配だけが残されている空間。

 また現れる、それが何であってもそう思わせるのだ。


 ここ一階は凸状の形をしている。

 玄関口はその底辺の真ん中に位置し。右手に通常の人間なら三人は入れる大きさの半円状のカウンター、左手には丸い絨毯と丸いテーブルと同型の一人掛けソファが五台輪を描いて置かれており、それが二揃え分。そのそばの壁には三つの本棚が本の詰まった状態で並んでいる。


 そこを待合ロビーとして、凸の突起部分は廊下である。

 ロビーに対してへこんだ両二箇所には部屋が作られていて、それは左右三つずつ。

 一番奥には踏み面のわりに蹴上が低めの大小兼用の階段、一階の天上すれすれに踊り場見えることから、そこから折り返して二階に通じているのがわかる。

 その階段に至るまで、三つずつある扉と扉の間には椅子が三脚ずつ置かれ、それらは皆バラバラのデザインで統一性は見当たらない。


「上だよね……」


 玄関口に立って皆が医院内を一頻り眺めた後、アレはそう言って正面に見える階段を指差した。


「たぶん、そうだろうな。俺はこういうとこにはあんまり来ねえから、中のことはよくわからねえがよ」

「そうなの?」

「まあな。見ての通り金がねえんでな」


 ウィービークラップは言って、ジャケットのポケットをぽんと叩いた。

 そんな明らかな皮肉っぽい冗談に、アレは「ふーん」と鼻を鳴らしただけだ。


「よくわからないけど。そういうものなんだね」

「まあ……な」


 肩透かしをくって少し戸惑うような表情を浮かべ、ウィービークラップはアレに続いて木の床を鳴らし始めた。

 それが階段を上り始めてすぐ、


「いると思うか?」

 

 ラナイが言った。


「ここまで来て今さらそんなこと言う?」

「そりゃまあ……。だって気になるだろ?」

「いたら、いた。いなかったらそれまでじゃない。この期に及んでそんなこと考える必要ないよ」

「そうか?」


 そう。

 ラナイを振り向かず、アレは頷いた。


「……いないと思うけどね。一応」

「なんだ、やっぱりそう思うのか」

「うん。なんとなくだけど」


 アレがそう言うのと同時、その小さな足が二階の床に、トン、と置かれた。

 次いですぐにまた、トン。

 その後の足音にだけ、床がしなるギィと音が混じっていた。


「どうする?」


 前方と右側に伸びる廊下を交互に見つめてラナイが言った。


「手際よく別れて行こっか」


 アレの提案に、そうだな、と言い掛けてラナイはあることに気づく。


「そういえば、アレはイルルもルールーウィップも顔を知らないよな?」


 それに「そういえば」とアレが返事をすると。


「大丈夫だ、俺がわかってる。ってもまあ、こんだけ静かじゃいるかどうかも怪しいけどよ」


 ウィービークラップがアレの肩をポンと叩いた。


「それじゃあ」


 言ってラナイは二人より先に右の廊下を進み始めた。

 それがすぐ、その背中にアレから「そうだ」と声が掛けられ、


「ラナイを見つけやすいように入る部屋の扉は開けっ放しにしておいて」


 二つ目の提案に頷き、ラナイは前を向いたまま片手を上げて了解を示す。


 そうして二手に分かれた足音は遠ざかっていく。


 右の廊下は、右手に壁が続き、左手に両開きのものが二つと正面にとりあえず一つ扉が見え。

 前方の廊下はその逆で左手に壁が続き、右手の奥に扉が一つと正面に一つ大きな窓があったのは、階段を上りきってすぐに確認できていた。

 そんな二つの情報と一階の構造から、つまりこの二階はロの字型の構造で、二手に分かれても進めばいずれ鉢合えることが想像できる。


 一番最初に扉を開く音を響かせたのは、右を行ったラナイだ。

 

 近くで見れば思いの外大きめに作られている両開きの扉にはノブがなく、手で押せばそれも思いの外軽く滑らかに開いた。

 瞬間、そこら中に漂っているいやに清潔な香りの濃厚なものが溢れ出し、ラナイは一瞬別の空間にでも飛び込んだかのような錯覚に陥る。


 その通り、ラナイの視線の先には白黒の輪郭だけのすぐ手前の世界とは全く違う世界が浮かび上がっていた。

 

 部屋は暗闇だ。

 不思議な二次元表現の室内と薄暗い廊下の境目に立ち、ラナイは勝手に閉じようとする扉に腕を突っ張ったまま室内を見回す。


 部屋の真ん中には背の高いベッドが一つ。

 そのまま視線を部屋の奥へズラすと、そこには引き出しの多い大きな棚が二つ並んでいる。

 

 そこから視線を右へ。部屋の右隅にはラナイの見覚えのない長い管が纏められた大きな器具が三種類ほど追いやられており、そのそばには空の台がそれも三台ほど、どれにも車輪が付いていて可動式のようだ。

 連なって、その先にはガラスの嵌められた棚があり、中には大小も形も様々な瓶が幾つも入れられている。

 それが二つ並び、その隣にはラナイの膝よりも高い大きめの蓋付きの箱が一つ。

 

 そこで視線は再び部屋の中央にあるベッドへ戻り、次は左側へ。

 

 部屋の左側は、目のところに穴の開いたマスクと丈が長く襟の無い上着とシンプルな靴が一揃え、小人用のものも合わせて並んでおり、そのところどころ隙間が開いていて、奥の隅には小さめのクローゼットが一つ。

 それと、並んだ衣服の前には大きな黒板がおいてある。


 部屋全体に必要以上にゴミ箱が置いてあることを含め、この部屋には見るところはなかった。


 腕を引っ込め、再び廊下に戻るラナイ。


(ここが手術室だとすると、隣もそうだろうな……)

 

 見るのも無駄だろうと思いつつ、念のため隣の両開きも開いてみるが、中は先の部屋と同様の造りで特に見回すこともなく扉を閉めさせた。 

 

 そうして二つの部屋を見ただけで、ラナイにはこの二階が何のための空間なのかなんとなく理解できていた。

  

(だとすると、患者が寝るのは上か……?)


 廊下の先に見えていた扉に鍵が掛かっているのを確かめ、ラナイはそこで初めて扉に掛けられた札の文字を気にする。


「道具庫……じゃあ、あっちは……」


 薬品庫だ。

 その隣は消毒室。

 ラナイがそう書かれた札を眺めていると。


「裏に一室だけベッドがあったけど、誰もいなかったよ」


 大窓側を経由して角を曲がってきたアレが言った。

 すると、その向こうで最後の扉を見上げていたウィービークラップが「仮眠室に用はねえな」と呟く。

 それでも一応、と背伸びして扉のノブを回し中を覗くも、すぐに体を廊下に戻し、ウィービークラップは「誰もいねえ」と首を横に振った。


 なら上だ。


 三人の意見は一致し、そして彼らは階段に戻る。

 そこを上る順番は、一階から二階に上がった時とは違い、ラナイを先頭にアレ、ウィービークラップと続く。


 それが踊り場で向きを変え、残り十二段の一歩目を踏んだ瞬間、ふとラナイが足を止めた。


「どうしたの?」


 アレの質問にラナイは真上にある踊り場の腹を見上げ、


「音がしなかったか?」

「風じゃなくて?」

「……どうかな。そうかもしれないけど」


 半ば納得したようなことを言いつつ、それでもラナイは上階を見上げていると、ウィービークラップが「いや」と。


「聞こえたぜ。足音だ……」


 そのウィービークラップの頭頂部で萎れていた耳がピンと立ち、くるくると左右に捻れて動いている。

 じっと見つめ、それからアレはラナイを見上げて頷いた。

 

 三階を素通りし、三人は四階へと辿り着く。


 四階の構造は、二階のロの字の構造と変わらないが、ここでは大窓の側にも部屋があり、その分二階で手術室の先にあったベッドの部屋の分が短くなっている。

 それで音は、今三人が立っている四階の入り口で聞こえたのだった。


 正面と右に伸びる廊下を交互に見つめるアレが、ついでに耳を澄ませるが何も聞こえず。

 ウィービークラップの耳も今はまた萎れていた。


「部屋の中に入っちまったんだ。もう少し若けりゃ隠れた人の息遣いまでも聴けたんだがな……」

「じゃあ、どの部屋に入ったかはわからない?」


 たぶん、一番奥の部屋だ。

 そう言うウィービークラップに従い、三人は右の隅の部屋の前に立つ。

  

 そこは"四◯一室"。

 ラナイが先導し、扉を開くと。


「……誰もいないぞ」


 言って部屋の奥へ入っていくラナイに続き、ウィービークラップが「聞き違えたのか」と首を傾げる。

 奥に長い空間の奥にはベッドと荷物を奥棚が一つずつ置かれているだけで、そこはきちんと整頓されたまま誰に使われた形跡もない。


「もしかして、もう一つ上の階だったのかもしれないな……」


 ぼんやりと呟いてラナイがまた天井を見上げていると、壁を伝って、ゴトッ、と僅かな物音が聞こえた。

 一斉に視線が集まるその壁は、医院の外壁の方だ。


「隣の部屋……」


 そして部屋を出た三人は、二階では大窓があった位置の"四◯七室"が壁一面に伸びていることを知った。

 その入口は階段から上ってくると正面に見えていたあの扉だ。


 ラナイがそこに手を掛け、押し開ける。すると。


――ゴトッ


 再び聞こえた物音が広い空間に反響する。

 それは部屋の一番奥。

 体を室内に入れ、ラナイが遠く部屋の奥に視線を送ると、そこには背中があった。


 先端が長い毛に覆われ、筆のような形状の尻尾。

 腰を折って服の裾から垣間見える黄土色の毛並み。

 そのどれをとってもラナイには見覚えのない背中だった。


 準備していた言葉を飲み込み、代わりにラナイは「あの……」とそっと声を掛けた。


 追ってウィービークラップとアレが室内に入ってくる。

 二人が見つめるのも、その背中だ。


 だが、その人物からは返事がない。

 

 届かなかったのかと改め、ラナイが二度目にもう一度「おい」と声を掛けたその時。


「……こいつはもうそろそろでしょうか」


 振り返ること無く、ベッドに向けて彼はそう言った。

 

 言葉の意味は三人の誰にもわからなかったが、ベッドの上に誰かが寝ていることに気づく。

 身動ぎをしないその誰かは、彼の大きな背中に隠されて天井を向いているつま先だけが正体である。


「先生……」


 囁くような男の弱い声。


「悪いけど、おれたちは医者じゃない。人を探しているんだけど、オオカミの妖獣人の女……か栗毛の小さい人間の女をここで見なかったか?」


 ラナイは歩み寄りながらそう言った。


「先生……もう三日は経ちましたよ」

「だから、おれは医者じゃないって」

「三日です。もう三日なんです……」


 男に近付き、「だから」とぼやくように言いながら、様子のおかしい男の視線の先を確かめようとラナイがベッドの中を覗き込む。


 つま先から順に、膝、腿、腰、腹。

 撫でるように頭部へ向かって移動していくラナイの視線は、胸の辺りに差し掛かってピタリと止まった。

 そして、「むっ」と一文字だけが開いた口からこぼれ落ちる。


「先生、まだですか? まだこいつは……」


――死なない


 聞こえた瞬間、ラナイはベッドから目を逸らし、男の顔を見た。


 荒れた鬣、獰猛な牙、突き出た大きな鼻。

 顔面の構成として足りないものなど一つもないかのように思われた男には、耳が片方無かった。

 潰されたのではない。その抉れ方から察するにそれは、食いちぎられていた。

 

 ベッドに寝ている"それ"も然り、明らかに無事ではない男の残った顔に釘付けになったラナイの視線が、血走ったその片方の目とかち合う。


「死なないんですよぉぉおおお!」


 突如激高したように叫ぶシシの妖獣人の男。

 次ぐのはもう声であっても言葉ではない咆哮だった。


 咆哮と同時、ラナイへと伸ばされた手。

 その折れた爪先は、鋭さこそ失われているものの、鋸刃のように立って慌てて体を引いたラナイの腕を引っ掻く。

 

「やっぱり"いる"じゃないか」

 

 ラナイの呟きは、向こうの二人には届かない。


「先生、なぜです。どうして妻は死なない!」


 興奮し、とてつもない力でしがみつく男の両手を取り、ラナイは「落ち着け」となだめるが、それも届いていない様子だ。

 その最中、ラナイは目だけを男から再びベッドの上のそれに戻した。そして訊く。


「それをやったのは、お前か?」


 ラナイの質問に、男は涙と涎を撒き散らしながら苦しげに叫ぶ。


「妻はもう死んでいた! 死んでいるはずだ!」


 男が妻と呼ぶ同じシシの妖獣人。

 その顔には小さなギノコが幾つか寄生している。そしてその胸、ラナイがすぐに視線を逸したそこには剣が一本突き立てられていた。だが。


 彼女の目は今も活き活きとし、艶を持ってギョロギョロと周囲を見回す。

 この異常は、最早見慣れた光景。

 ラナイは依然冷静さを保ったまま、「何が起きた?」と男に訊ねた。


「三日前……。妻は突然息をしなくなったんです。最初は何が起きたのかわからなかった。だから、ここへ連れてきたんです。家の外に出るのは恐ろしかったが、俺一人では何もできない。だけど妻は……だから、教えてください……」


 妻は死んでいるのですか。

 男の質問にラナイは答えられない。

 しかし。


「……わかった。少し様子を見てやるから、ちょっと離れててくれ」

 

 ラナイがそう言って、荒い呼吸を繰り返す男を押し退けベッドに近付くと、女はラナイに目を向けた。

 それを気にせず、ラナイが血に濡れた額にそっと手を寄せると、途端に女の目は血走り、牙を向いて吠える。


「…………」


 一呼吸置くラナイ。

 背後で男の呻きに混じり、アレの「ラナイ……」と声が聞こえた。


 ラナイは大きく息を吸った。

 そして、胸を膨らませたままシシの女に顔を寄せ、藻掻き唾を撒き散らすそれを構いもせずその凶暴な顔を目掛けて、吐く。


 そこからは一瞬の出来事だった。


 ラナイの口から溢れ出る黄色の息がシシの女の顔を包み、白い蒸気が立ち上る。

 それで終わりだ。

 塵のように姿を変えた枕とベッドの一部の上には、シシの女が横たわっていた。

 比喩も感情も抜きにして、本当に静かな眠るような表情を浮かべて。


 そばで見ていたシシの男は「妻は……」と一言だけ呟き、そしてベッドに横たわる女の寝顔に口づけをした。


 その後の二人を、もうラナイは見ていなかった。

 だが、四◯七室の扉が閉まる直前、微かに聞こえた「ありがとう」という言葉にだけは、嘆息気味の鼻息で返事をした。


 今しがたの出来事は、不穏な空気の流れる医院内を少しだけ落ち着いた空気に変えたかもしれない。

 アレもウィービークラップも複雑な表情を浮かべていたが、そこに嫌なものは含まれていなかったのだ。

 しかし。


 それも束の間、またしても聞こえた物音が足音ではない"何かの倒れる音"だったことが、緩みかけた三人の緊張の糸を再び張り詰めさせたのだ。

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