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おれとれ 22

「溶けていない……」


 地面に横たわり微動だにしない白い毛並みの誰かを見下ろし、ラナイは呟いた。

 そして、同じくそこにあの不可解なキノコようなものを"探す"。


 その行動が示す事実。

 おおよそラナイの予想は的中していた。

 

「わかったぞ、アレ……」


 ラナイはぼんやりと言い、アレは返事をしない。


「あの息は、やっぱり記憶を消すんだ」

「……どうしてそう思うの?」

「言っただろ。ノットは学習しているように見えるって……だからだ……」


 まず、グリンドルが記憶を失った一件。

 このことを踏まえると、ラナイは黄色の息には記憶を失わせる力がある可能性があった。しかし。


 その可能性を捻じ曲げたのが、ヌメヌメという存在だ。

 あれが溶けてしまったことで、ラナイは黄色の息が記憶を失わせるわけではないと考えるようになり、黄色の息は、ラナイにとって全くわけがわからない脅威と化した。


 使うべきではないただの凶器。

 そんな危ないものが、ちょっとしたことで口から吹き出してしまうことをラナイは恐れた。


 だから、その正体を知りたかった。

 黄色の息がなんなのか。

 溶かすか記憶を消すか、という矛盾すらしない別の二つの事象を引き起こしたその正確な姿を。


 まさかそれをこんなに早く解決できるなどと、ラナイは考えもしなかった。

 あの時、街道で不気味なキノコを見掛けていなければ、【忘れられた水路】で死なない死体と出会ったその時にはギノコのことを気にもしなかったかもしれない。


 死体に付き、鎧にも石にも付く奇妙な性質。 


 ラナイが抱いた疑念は、直接ノットではなくギノコへ向けられていた。

 最初から疑っていたわけではなく。らしく疑念が確立されたのは、"ノットが学習している気がした時"だ。

 

 ギノコが記憶なのかもしれない。

 動く死体を見て、アレの疑問を受けてラナイはそう思った。

 それが、死体が動き学習する、という矛盾を解く繋がりになると。


 それでもヌメヌメが溶けて流れたことへの答えには足りなかった。

 その答えに繋がるヒントはウィッシュバルが与えてくれたのだ。


 藻獣。

 三竜【エルオム】の子である三王、そのさらに子として生まされたというその存在がヌメヌメだと聞いたその時に、あれには足りないものがあるのかもしれないと一つ考えが増えた。

 生まれたて故に足りないもの。それが、記憶だ。


 一線交えて、死を恐れず光を求めるあの姿に、まるで経験というものを感じなかった。

 こじつけかもしれないが、そう考えるとヌメヌメの行動に辻褄が合ったのだ。

 そういう話も踏まえて、ラナイはヌメヌメこそ空っぽの体なのではないかと考えた。


 そう考えることで、死なない死体、あの視線はヌメヌメが取り込んだそういうものの気配だったのだろうと結論することができた。

 でもそれは、あくまで仮定の域を出ない妄想じみた結論だ。

 実際この結論には、ヌメヌメが跡形もなく溶けたという、死なない死体もが無くなったという事実が含まれていない。

 だが。


 ノットという存在がそれを解決してくれた。


 ノットにはある"殺す"という自覚が、ヌメヌメの取り込んだ死なない死体には含まれていなかったのだろう。

 栄養としてか何か、ヌメヌメに取り込まれたあの部位は、そういう付属品としてしか機能していなかった、という風にだ。

 

 そこがノットの場合、ヌメヌメとは大まかな作りが逆。

 体が死なない死体で、ギノコはそれに"寄生"しているだけだ。

 ヌメヌメという本体が死なない死体を取り込んだという状況とは反対になっている。


 おそらく。

 その逆の作りが、"殺す"なり死なない死体の自覚に作用する。とラナイは考える。


 結局のところ、食って経験は得られない。

 体験したことをどこかに保存して初めて、経験は体現できるのだ。

 

 その体現可能な経験が、記憶。

 体の機能を失ったノットの代わりに、無制限に動き続けるノットが得る体験を保存する場所としてギノコがある。

 体現者は、死なない死体であるノット自身だ。


 だから、本来生者であれば当然にやっていることが、一応にも死んでいるノットにはできない。

 

「……なら。

 黄色の息が破壊するもので、その効果が記憶を消すかどうかって知ることができるだろ?」

「ギノコだけなら、記憶の破壊。どっちもなら、無作為な破壊……ってこと?」

「大体な、そういうことだ。正確には、死なない体にも自覚という部分で記憶が残ってる。そいつも破壊するんだとすれば、死なない死体は動かない完全な死体に変わって、ギノコが消滅するはずだった……」


 そして、その見解が正しいにせよ間違いにせよ、ギノコは消えて死体は残った。


「……ってことは、ラナイの黄色の息は記憶を消す……」


 最後に呟いて、アレは「ふーぅ」と疲れたような長いため息を漏らした。


「そういうことだな……。とにかく、おれはこれで一安心だよ」


 アレにつられてラナイも長い鼻息を漏らし、そして。


「グリムは?」


 と、屋根に上る前から気になっていたことを口にした。

 アレの反応は、「あれ?」。

 

「気づいてなかったのか?」

「……うん」


 ぼんやりと言って頷くアレ。

 すると。


「降ろしてくれ……」


 こぼすように言ったウィービークラップの声には、さっきまでの勢いは消え失せまるで生気が感じられない。

 そのこぼれた一滴の痛みが、ラナイとアレに流れ込み二人の声を奪っていた。


 二人は何も言わず。

 ラナイは屋根から飛び降りて、動かなくなった死体へと近付きそばでウィービークラップとアレを降ろした。 

 だが、アレができたことをウィービークラップは腰が抜けてできない。


 体に付いているはずの四肢は流れ落ちるように地につかれ、這うよりもみっともない姿でウィービークラップは死体に覆い被さった。


 それが引き金か。

 最初の一滴を皮切りに、後悔と自責と懺悔と入り混じった負と悲しみの感情が「イリク」と「イーリークラップ」の二言に込められて涙と共にだくだくと流れ出す。


 雨も風もそれを打ち消すことはできず。

 世界はウィービークラップというたった一人の背景だった。

 そして、浮かび上がる台詞。

   

「イリクを、こんな風にしたのは……誰だ……」


 ラナイは、準備していたその一つを答えた。 


          ◯


「【コルト】はもうただの街だ……」


 ラナイの返事を聞いた後、ウィービークラップは涙を拭ってそう言った。

 意味するところは、街から失せた喧騒を見るに明らか。

 ラナイは、「だろうな」と改めて人っ子一人いない濡れた街を眺めた。


「あんたらが昼に来てその夜だ。あのオオカミ女が小せえ娘を抱えて医院に行って、そのしばらく後。外輪の奴らが店をしまって、夜明け頃に始まった」

「ルールーウィップに会ったのか?」


 ラナイが訊くと、ウィービークラップが頷く。


「見かけただけだけどな。血まみれの娘を抱えた男と一緒に……、医者のとこに行ったのはわかった。俺は一応、気になったんで後を追っかけたんだ」

「それで、イルルは?」

「イルルってのか、あの娘……」


 呟いて、ウィービークラップは首を横に振った。


「中までは入ってねえよ。おせっかいだと思ったんだ。

 それからはまたネズミ道に行こうなんて気にはなんなくて、俺は家に戻った。

 そして夜明け頃だ。


 大体皆まだ眠ってるだろうって頃なのに、妙に外が騒がしくてな。

 興味本位で外を覗いてみたら、衛兵どもが武器持ってどこかに走ってくとこだった。

 向かってる先がネズミ道だってすぐわかったのは、つまり、勘ってやつだ……。


 嫌な予感がした。

 漠然とじゃねえ、確かに嫌な感じがしたんだ。


 実際、俺の嫌な予感は当たった。

 けど、そん時はネズミ道がどうのなんて問題じゃなかった。

 気づいてみりゃあちこち衛兵が走り回っていて、ついでに悲鳴まで聞こえるようになりやがった……」


『死体が襲ってくる』


「……耳を疑った。だがな、衛兵にくっついて野次馬やってたら、俺も見ちまったんだよ。動く死体をな。

 そいつは、最近死んだばっかの近所の奴だった。

 

 その日の昼頃にコルトの火から貰った炎で焼く予定だったんだ。

 そいつが、路地を彷徨いていた。近所の女を殺していやがった。


 まったく信じらんねえよな。

 だってあいつら、見た目は生きてるただの人間と変わらねえ。ピンピンしててよ。


 だから、もしかしたら死んでねえんじゃねえかって。衛兵が叫ぶんだ、『止まれっ!』って。

 でもな、到底聞いてるようには見えなかった。


 いきなり襲ってきて。そこで衛兵があっという間に殺された。

 ただの死体のはずがよ、なんであんなに動けんだ……。

 気づいたら俺は一人になってた。慌てて逃げた。  


 そういう時ってのは、上手く頭が働かねえもんなんだよな。

 俺は、自分の家に逃げ込んだ。

 外ではさっきよりもはっきり悲鳴がしてた。

 情けねえ話だ。

 俺は、布団被ってガタガタ震えて……震えが止まんなくて……」


 そう言って体をすくめるウィービークラップ。


「その死体、どうだった? キノコは」


 怯える様子を気にせずラナイが質問すると。

 付いていた。とウィービークラップが頷いた。


「イリクとおんなじだ。数はさほどじゃねえが、俺が見た動く死体には皆、気味の悪いキノコがくっついていたよ」

「それで、街の死体がノット化して。この現状か?」

「いや、違う。動く死体の騒動は、一日掛からねえで済んだんだ。そりゃ、衛兵も街の奴らも何人も殺されちまったし、それで逃げた奴も少なくはなかった。

 でも、違うぜ。

 街の奴らの大勢がいなくなったのは、動く死体の騒動からニ日くらいした後だ」


 そう言って、ウィービークラップの表情が険しくなる。

 それを神妙な顔で受けるアレ。


「何があったの?」

「緑色のアンノウンだ。妙に毛深い気持ちの悪い人型のアンノウンが、嘘みてえな数、街に入ってきやがったんだ。

 門からじゃねえ、そいつらも零区からだった。

 詳しいことはわからねえが、そんなもんネズミ道しか考えられねえ。アンノウンは、街に入ってきて……入ってきて……」  

  

 と、ウィービークラップは言葉を詰まらせた。


「大丈夫?」


 気にかけるアレの声が効いたのか、ウィービークラップは「ああ」としゃがれた声で返し、そして生唾を飲み込んだ。


「あ、あいつら、アンノウンは、食い始めたんだ。街の奴らを、誰かれ構わず。まるで果物でも食うみてえに、人の……頭を割って……そんで……っ」


 耐えきれず、ウィービークラップが嘔吐する。

 慌てて駆け寄ったアレは、また大丈夫かと彼の背をそっと撫で続けた。


「地底人、だな。おれも見たぞ、あいつが人を襲うのを」

「地底人って?」

「おれには野獣にしか見えなかったけど、スズはあれを人だって思ってるみたいだった。話せばわかる奴がいるって」

「それが、人を襲って……食べた?」


 確認するようにアレが言った。


「まあ、人間だって他の種類の生物を食うからな。そこは不思議じゃない。けど、群れで行動するってのは考えもしなかった。地下で見る野獣は単独で行動するところしか見なかったし、皆同じだと思ってた……」


 ぼんやりと言ったラナイに、「てめえ!」とウィービークラップの怒鳴り声が響く。


「あれだけ人が殺されたってのに! そんなことっ、バカじゃねえのか!?」

「……何をそんなに怒ってんだよ。生きてるんだから、死ぬのは当たり前だろ」

「そっ、そういう意味じゃねえ! 殺されてんだぞ! 無作為に! 無様に、乱暴に、残酷に! なんとも思わねえのか!」


 返事代わりにラナイが取った行動は、首を傾げる。


「ひ、人じゃねえ。てめえは……」

「見ての通り」

「くっ……!」


 そうして不意にラナイへ向けられる憎悪に満ちた目線。

 まあまあ、とアレがそこに割って入る。


「この子、記憶が無いから。ちょっと常識はずれなのは許してね。で、その後のことは?」


 話を無理に引き戻そうとするアレだが、一度溢れた感情がそう簡単に消えることはなく。

 厳しい目線でラナイを一瞥して、そしてウィービークラップは嘆息した。


「緑色のアンノウンは、いつの間にかまた増えた動く死体と衛兵と全部まとめて襲った。見境ないのは、死体も同じだ。

 二種類のアンノウンがお互い潰しあって、衛兵やら戦士たちはそこに付け入ってそれで、街ん中にでっかい闘争が起きた。


 そん時だな、街の奴らの大半がいなくなった。死んだり逃げたり、な。

 それから少しずつアンノウンの数も減っていって、雨が降り始めた頃にやっと落ち着いたとこだった……」


 そう言ってウィービークラップは疲れたように息を漏らし、落ち込んだ視線は手元の死体へと向けられた。

 

「イーリーは……今日見つけたの?」

「ああ、そうだ。食い物を集めに【オルディグ】から出て、その時だよ」


 と、ウィービークラップの視線は先ほどノットに殺された妖鳥人へと移された。


「すまねぇ……」


 すまねぇ、と。

 幾度も繰り返される毎、それは渦巻く感情に飲まれ変わっていく。

 殺された妖鳥人に言っているのか、腕に抱いた息子へ言っているのか。

 それはもう単純な謝罪ではなかった。

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