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おれとれ 21

 誰がどう見ても、死んでいる。

 だがやはりその瞳は生き生きと色付いて、生きている死体なのか、そもそも死んでいないのか、存在としてだけでなく、見た目にもその曖昧さが伝わってくる。

 今にも話し掛けてきそうで、しかしその無表情にはそんなことを微塵も感じさせない。


 槍を構えるその姿は、首から下こそ生者のそれと変わらないが、首から上は完全に"終わっている"。


「たとえばだ。ジュウザの言う通りドールがイグナスに焼かれた堕天使なんだとして、それはやっぱり死んでるってことだよな……」


 睨み合うウィッシュバルと白い毛並みのノットを眺めて、ラナイが言う。


「そうだね、正しいと思う。けど、今はそんなこと言ってる場合じゃっ」


 助けに行け、と視線で訴えるアレを「少し待て」と一言で諌め、「じゃあ」とラナイは続ける。

 アレは一瞬不満を浮かべたが、ふんっ、と一息で感情を収めた。


「……ドールとノットの違いはなんだと思う?」

「大きさ、かな……。違う、姿形? 存在? そもそも種族が違う?」

「それは"あいつ"とドールの違いだろ?」

「そっか……。じゃあ、ラナイはどう思うの?」


 アレの質問に一瞬、わからない、と答えかけたラナイ。だが。

 開いた口からは、


「自覚の仕方、だと思う」


 と。


「自覚? 自分がどうだってわかってるってこと?」

「大体そういうことだな。おれ……は別として、ウィッシュバルには自分が堕天使だって自覚がある。それと過去のこと、死んだ後にどう生きていたか、そして今とか。そういう漠然としたこともあいつはちゃんと覚えているんだ。

 

 そういうとこ、ノットが覚えているかはわからない。

 だけど、ノットが"殺す"ってことを考えているのは見たらわかる。

 ジュウザはノットのことを空っぽだって言ってたけど、殺すってことは確かに考えていると思うんだよ。 

 もし、その発想が"生きている"って感覚と同じたとしたら……」


 ノットは死んでいるのか。

 ラナイの疑問が、にじるウィッシュバルとノットの足使いに混じって解説じみていた。

   

「ラナイは、ノットは死んでないと思うってこと?」

「いや、違う。おれが言いたいのは、あいつには"過去が失くなっている"んじゃないかってとこだ。

 自分が何をしているのか理解しているから、それが殺すって行為に直結してる。

 けど、どうしてそうするのかって部分が欠落しているっぽくみえるんだよ」

「つまり、自覚が……ってことか」


 大体な、とラナイが頷く。

 

「過去が自分の今だと思う自覚の仕方が、生きているウィッシュバル。

 ノットは、殺すってことが今なんだ。だから、自覚の仕方が違う。

 その違いが生まれるのは、どうしてだ?」


 ラナイが独り言のように宙に疑問を投げる最中、視線の先の二人が交わる。


 ウィッシュバルは両腕だけでは怒りを伝えるのに足りないといった様子で、今度は両足も器用に使い、ノットを叩きのめそうとしている。だが。

 それがこのノットの特徴なのか、身軽にピョンピョンと跳ね、風に舞う木の葉が如くウィッシュバルの猛攻を躱す。

  

 先ほどいとも簡単にノットを捕まえたことが嘘だったかのように、ウィッシュバルはノットを捕まえられない。

 互いに疲れ知らずな特別体質。

 生き物であることを超越した動きは衰えず、さらに加速していた。


 その様子を俯瞰で眺め、ラナイが「あの動き……」とまた口を開く。


「アレ。あいつは、ノットは学習している……ように見えないか?」


 ラナイの声にアレが少し首を前に出して二人が戦うのを凝視する。


 少なからず黒竜とアリアスの戦いを見てきたアレだ。

 今しがたの行動。ウィッシュバルの振り上げた右拳、同時にピクリと動いた左足と、直接攻撃と関わりがないように見える左拳が硬く締められた意味が理解できていた。


 三方同時の攻撃、その予備。

 ウィッシュバルの構えには、対峙する相手の思考から"攻め"を迷わせる要素が多く込められていた。

 そしてそれだけでなく、その場に留まり"受ける"という行為への躊躇も。

 つまり、今のノットには"回避"が最善策として用意されている。

 それが誘いか否か、考える間はとても短い。


 ノットの結論は、攻めだった。

 左手一本で槍を右拳を振り上げて開いた胸に突き出す。

 だが、そうすれば左の拳か足が飛んでくるのは明らかだ。


 特に、胸への攻撃を阻止するならば、最速、左拳による槍の打ち返しが妥当。

 次ぐのは振り上げた右拳での攻撃だろう。

 

 確かに、ウィッシュバルはアレの想像する通りの行動を取っていた。だが。

 左拳は空を切り、槍先からはふっと力が抜けウィッシュバルの脇を抜ける。

 そしてそこから先はアレの予想外の出来事だった。


 左拳が空振りに終わっても、右拳がノットに命中するとアレが信じていたのは、ノットが槍を突き出す際に体を開かなければならないからだった。 

 そうすれば軸は後方に残された右足となり、対してウィッシュバルが放つのは右拳だ。

 体を捻っている分側頭ないし、後頭部側の死角から打ち込まれるはずのそれを右足を軸にした状態で避けるのは、蹴りもあるし難しい。


 唯一、しゃがむという行為だけがそれを回避する術だが。


「だったら、突きはおかしい……っ」


 アレが気づいた時、それはウィッシュバルが敵の"フリ"にはめられたと気づいた時だった。

 ノットは軸足の膝を折ってウィッシュバルの右拳が届かない低い位置にまで姿勢を落とし、そして前方に一歩分だけ進む。


 再び空を切るウィッシュバルの拳。

 それが意味するのは、ウィッシュバルが反転できない、ということだった。

 一瞬にして攻撃の回避、そして背後に回ることに成功したノットは、体を捻って回転。

 左手に握ったままの槍をがら空きの背中に向けて、突き出した。


 瞬間、小さな閃光が弾け、ウィッシュバルが「くそ!」と声を荒らげる。


「左手だ、アレ。あいつ、構えでは右利きを見せておいて、今の一瞬だけは左手で攻撃した。今の感じからいってウィッシュバルも速度重視の左手だと思ったはず。

 だけど違った。

 ノットはたぶん最初から、背後を取ることを意識していたんだ。


 いくらノットが槍の達人だったとしても、今なんだ。今、あいつはウィッシュバルと戦っている。過去にどんな経験があろうとも、ウィッシュバルは今しかいない。

 なのに、ノットはウィッシュバルの騙しを見破っている。

 これってやっぱり、ノットが成長しているって考えられないか?」


 アレを見下ろし、ラナイはどうしても拭いきれない疑問を投げ掛けたが。

 アレはむこうを向いたままだ。


「おい、アレ。聞いてるのか?」

「……確かに、そう見えるけど。でも、ノットは死体なんでしょ? 生きているか死んでいるかもよくわからない上に、学習までするって……。だったらノットの"どこが"死んでいるっていうの?」

「どこが……?」


 死の"どこ"。

 すぐにその意味は理解できなかったが、少し考えてラナイはその意味を理解した。

 死んでいない、という意味でアレはそう言ったのだろうが、おそらくそれだけだと正確ではない。


 アレがラナイに伝えたかった"どこ"は、単純にノットの体のどこか、だ。

 虚を突くようなアレの疑問に、ラナイは改めてノットを観察する。


 やはり目に付くのは、折れた首。

 目が生き生きとしているのは不思議だったが、痩せた体の具合、汚れた様子は、折れた首と相まって死体らしく見える。


 つまり、ノットは死体なのだ。

 その中で死んでいないもの。


「ギノコだ……」


 ラナイには、何かがわかったような気がしていた。

 ギノコの正体とまではいかないものの、それがノットに感じる生きているのか死んでいるのかわからないという印象の答えではないかと。

 

 確かではない、だがそれは糸口だ。


「ウィッシュバル! 替われ!」


 またしても不意を突かれ一撃を受けたウィッシュバルに叫び告げ、ラナイはアレの隣から離れた。

 

 ラナイの声に反応して生まれた油断が、ウィッシュバルの首への一撃を逸した。

 そして、その小さなズレがノットに生まれた隙。


 ノットが外した槍を手元に引き戻す一瞬。

 現場に到着したラナイはウィッシュバルを蹴飛ばし、同時撃ち直されたノットの一撃は二手に分かれた二体の白い人型の間をすり抜ける。


 突如蹴飛ばされ、驚きを隠せないウィシュバルはその表情だけを置き去りに吹っ飛び。一突きが空振りに終わったノットは、放った一撃の先へと続く惰性に引っ張られて腕一本が丸々ラナイのすぐ脇にまで伸びていた。


 槍の長さと合わせれば、たとえ急いで引き戻したとしても、ラナイが一旦地面に足をついてそれから落ち着いて左手で掴むに余裕。


 ラナイは即座に左手で槍を掴み、そのまま引き寄せて近付いた振り子のように揺れるノットの頭部を右手で捕らえた。

 瞬間、地面を蹴り飛び跳ねようとしたノットを、ラナイは力任せに地面に押し付ける。

  

「逃げるな」


 語りかけるように言い、そしてラナイは口を大きく開いた。


 ラナイにはある思惑があったのだ。  

 もしそれが上手くいけば、疑問が一気に二つ解消される。


 一つはもしかしたら特に意味のないことかもしれない、だが、もう一つはラナイにとって重要なことだった。

 

 前者は、ギノコが原因でノットが動くのかもしれないということ。

 後者は、黄色の息の効果を知ることができるかもしれない、ということだ。

 

 溶けることと記憶を失うこと、全く辻褄の合わない二つの事象を生きているか死んでいるかわからないノットになら同時に体験させることができる。

 ギノコが溶け、ノットは死体に戻るという風にだ。


 そしてそれがラナイの望む答えだった。

 藻獣のような不可解なものを除き見慣れた動物には効かない、とそういうある種平和的な能力であることをラナイは望んでいた。


 大きく息を吸い、ラナイは腹の中で何かがムズムズと蠢くのを感じる。

 込み上げて、それらは喉を通って口を目指し始める。 

 酸味、鼻を突く香り。

 

 放出まで僅か。

 その時だった。


「やめろ! やめてくれ!」


 何者かの叫びが、ラナイの息を止めた。


「頼む! せがれを殺さないでくれ!」


 ノットを押さえつけたまま振り返ったラナイの目に映るのは、あわやノットと見間違うほど小汚い格好の小さな人間。

 意外にも健康的にピンと立つ二本の長い耳、花冠のように口を回る無精髭。

 

 どう見てもウィービークラップなウサギの妖獣人が、あろうことかアレの首元にナイフを突き立ててそこに立っていた。


「やっと、帰ってきたんだ。俺のイリク……。

 まだちゃんと話もしてねえ! 頼むから、殺すのだけは……っ!」


 声を詰まらせ、懇願するように言うウィービークラップ。

 わけがわからずに小首を傾げるラナイに、


「じ、じゃねえとこいつを殺す! おれから"二度も"息子を奪わねえでくれ!」


 ウィービークラップは興奮してまた叫ぶ。


「あれが、イーリー……なの?」


 そう言ったアレには、突如現れた男も首に立てられたナイフも気にする素振りはない。

 ただ一点、ラナイの指の隙間から覗くその"人の部分"に目を向けたままだ。


「ああ、そうだ。耳も尻尾もねえが、顔もキノコだらけでわけわからねえが……それでも。その目が、母ちゃん譲りのまん丸の目玉がよぉ。柔らけえ毛がよぉ。どう見たって、イリクじゃねえか……」

 

 話すウィービークラップの目から涙が溢れ出す。

 

「おい、イリク……聞こえるか? 俺がちゃんと見えてるか?」


 ラナイの指の向こうでノットの赤い瞳がぐるぐる動いているが、視点は定まらない。


「もうやめろ。いったいどうしちまったんだ……」


 ノットの目がぐるぐる動く。


「酒か? それとも汚えからか? それが嫌だってんなら今すぐにでも止める」


 と、ウィービークラップは自分の身を包む濡れた衣服に目を落とし、激しく首を横に振った。


「お前の部屋も出てった時のまんま何にも変わってねえんだぞ。まだ作りかけの楽器、ちゃんと作れよ。自分で植えた花の世話ぐらい自分でやれよ。部屋の掃除だって、もう俺はやりたくねえよ……」

 

 ノットがラナイの手の中で藻掻く。


「そうだ! お前がいなくなってから、毎晩母ちゃんが夢に出てくんだ。

 イリクは元気かって、いっつもそればっか聞いてくんだ。生きてる時と何も変わらねえ。いつもいつもお前の心配ばっかりだ。

 だからよ、いつも同じ嘘ついてんだ。イリクは元気でやってるぞって……だけど……」


 いつまで俺に嘘つかせんだよ

 ウィービークラップが怒鳴った。  


「イリク! もう母ちゃんが死んだからってふてくされんのはやめる! もっとお前を大事にする! なんでもするよ……なんでもするから……だから……」


 目を。

 ウィービークラップが口にした瞬間。


「ベルバル様! 躊躇する必要はありません! それは、"ノット"です!」


 いつの間にか立ち上がり、ウィッシュバルが叫んだ。


「やめろぉおおっ!」

「ベルバル様!」


 こだまする二色の咆哮。

 だが。


(正直……)


 と、ラナイはどこを見るべきなのか視線の収まる先を探していた。


(よくわからないんだよ……。ノットじゃないから、イーリークラップだから? 違う。もし……)


 ラナイは考える。

 もし、今地に伏せている存在がジュウザだったなら。

 いずれ来るやもしれない未来を想像していた。


 その時、自分はこの優勢をどう処理するだろうか。

 彼が大儀と呼ぶ、ルトゥールの再開。

 否、姿を眩ませた今、次に出会う時はもうそれが達成された後かもしれない。

 

 ジュウザはきっと、竜の側に付く。

 きっと堕天使やルトゥールそのものの首謀者である自分を襲ってくるだろう。

 そうして再びこの構図に出くわした時、誰がジュウザを殺さないでくれと懇願するだろうか。


 その不安定な未来の絵には、スズがいた。


 ラナイの背後から、やめて、と叫ぶ少女の姿。

 堕天使たちは、やれ、と言う。


(おれは、堕天使……?)


 ラナイはウィッシュバルを見た。

 口の動きでは、「やってください」と読み取れる。

 次いで、ウィービークラップへ顔を向ける。

 父である彼は、「やめてくれ」と。


 アレは。

 ラナイの目を見て、静かに頷いた。   

 

「……ああ、そうだな。どれも違うよ。おれは"殺さない"」


――ただ、壊すだけだ


 こぼれた一言は、手元のノットなのかイーリークラップへ向けられた微かな音だった。

 風が吹く。強い風が、雨粒をさらに小さな粒子に変えて辺り一帯を隙間なく濡らす。

 だから、おそらく誰にもラナイの吸う息の音は聞こえなかっただろう。


 少なくとも、ウィービークラップとウィッシュバルはラナイの胸が膨らむ姿を見て初めて何かに気づいた。

 それが何を意味するのか、二人とも知らない。だが、叫ぶ声はさっきと同じだ。


 相反する感情がごちゃまぜの、うんざりするような他人事。

 強い風はそういう鬱陶しさもまた霧に変えたようだ。


 そして、溢れるように吐き出された濃密な黄色の煙がラナイとノットを包み隠した――。


          ◯


「ウィッシュ! 逃げろ!」


 黄色の煙の中から声が響き、ウィッシュバルはすぐさま風上である門の方に向かって走った。

 その後、そこから飛び出したラナイが、呆然とするウィービークラップと腕を伸ばすアレを抱えてそばの建物の壁を屋根まで駆け上がった。

 

 ほどなくして、黄色の煙は猛烈な雨風を受け、右往左往して見えなくなった。

 屋根の上と外輪の風上側、二点からの視線がその場に残されたノットへと集中する。 

 

 まず目につくのは、風に流れず地面に残った白い蒸気。

 それは氷が温められて立つ湯気のように。

 そこには、溶けずに残った一つの体があった。

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