おれとれ 20
イルルを探しに【コルト】の外輪を歩く道すがら、以前と特に変わりないように見えた街には死体が幾つか見つかった。
さらにその中の幾つかは、砂で汚れている以外綺麗なもので、そこに致命の一撃の痕跡が窺える。
それらは首や胸等、生命活動の重要部位を中心に見られ、しかし必要最低限のものばかりではなかった。
それが残るまた幾つかだ。
それらには、乱暴に叩き潰されたような状態のもの、首や体をへし折られているもの、貫かれているものがある。
そういう致命傷の状態の違いは、ノットの得物の違いと、それともう一つはまた別の要因、藻獣の攻撃だと考えられた。
「藻獣は、先ほど言った通り【エルオム】の子孫です。その親は、【エルオム】の純粋な子である三王。
ですので、あれらはただの竜の子とは違い死にます。がしかし、三王の力によって生まされたという点、竜の後を追って生まれた生命とも違った特性を持つ特異な生命なのです。
あれらは、死こそあり得るものの、竜の子を退ける力を持ち合わせています。
そういう意味で、竜の子の天敵ともいえましょう。
奴らや天使たちの阻害がなければ、ルトゥールももっと簡単に達成できたというのに……」
依然厳しい表情のまま、ウィッシュバルは拳を硬く握り締めた。
「ってことは、堕天使には藻獣と天使以外に敵がいなかったってことか?」
「完全にというわけでもありませんが、およそそうです」
「なんだ、じゃあ地上界最強って感じだったわけだな」
なるほど、とラナイが気軽に言うと、「それは違います」とウィッシュバルが首を横に振った。
「我々堕天使は、天使の持つ無限性を失っています。怪我をすれば癒えることは無く、手足が折れれば二度と元には戻りません。その代わり痛みに鈍く、たとえ切り落とされてもその部位にも自身が宿るということ、丈夫であるという特徴はありますが、それだって万物をはね返すような完璧なものでは無い……。
要は、我々はダメージを受けることを前提に出来ていない、ということ。
だからこそ、必要以上の訓練が必要だった。思念声という方法も、この体の不備を補うためにあるかのような能力なのです……」
まるで、と自分の手の平を眺めて言うウィッシュバル。
その違和感は、ラナイがイグナスに抱いたものと似ていた。
ラナイがイグナスに感じた、アリアスという存在とそれを知るためにあるかのような"心を読む"という力の関係性。
形を違えて、堕天使にも妙に噛み合いの良い都合が備わっている。
元にせよ竜の子であるという堕天使らの力とイグナスという最初の竜に備わった力。
似通った声の外側で通じ合うというその力の共通点が、ふと、ラナイの記憶の本を捲った。
浮かび上がるのは、『我が"何か"と心得ておれば』という台詞。
(何か、は自分が竜だってことだ。それはわかっていた……けど、何か引っ掛かる……)
僅かに考えて、ラナイに閃くまた別の共通点。
それは、
「【オウモ】にも心を読む、思念声みたいことができたのか?」
訊かれてウィッシュバルは一瞬戸惑い、「それはもちろんそうでしょう……」と答えた。
「堕天使は、天使とは違いますが、それでも【オウモ】の子であることに違いはありません。親である【オウモ】がその力を持たないはずがありませんよ。
天使の頃のことははっきりと思い出せることばかりではありませんが、思念声での会話は当然でしたし、【オウモ】とだってそうしていました」
「それを、他の種族に試した記憶はあるか?」
はい、とウィッシュバルが頷く。
「試した、というよりもできないなどと考える者は誰もいませんでしたね。妖獣人とも妖鳥人とも竜人とも、作戦の時はそれで会話するのが一番早いですから」
「そうじゃない、小さい方の人間は?」
ラナイにとって順当なその質問に、不意を突かれたかのようにピクリと動きを止めたウィッシュバル。
「そういえば……」
と、首を捻った。
「思い返しても、人間と思念声で会話した記憶はありません……」
「でも、妖獣人とかそういう人類とは使えた。何かおかしくないか?」
「言われてみれば、そうです。なぜでしょう?」
「わからない。けど、それが引っ掛かってるのか……?」
独り言混じりの返事に、ウィッシュバルがわけがわからないといった様子でラナイを見つめる。
「竜の子、同調、妖獣人……人間……」
いくら口ずさんでも答えは得られなかった。
だが、答えを得る方法だけはわかっていた。
【否読の書】の次の一ページが開くことを想像しながら、ラナイの口の中には竜の味が蘇る。
と、その時。
先を行っていたグリムとアレの動きが止まっていることにようやく気づいたラナイとウィッシュバル。
大股なのをいいことに歩くのが遅すぎた彼らは、その十歩を少しだけ足早に進んだ。
「どうした?」
口を開けたまま無表情で零区の方面を見つめているグリムを気にしながら、ラナイが訊く。
すると、グリムとは違い引き締まった表情アレが何も言わずに視線の先を指差した。
その方角。
首を回して、ラナイの顎の力が抜けていく。
「あ……」
辛うじて漏れた声が示すのは、今目の前に這っているそれへ向けられた驚き以外の何物でもない。
迷路状の構造をした零区の家屋の隙間を縫うように、外輪にまではみ出してきているそれは、蔓だ。
地下【忘れられた水路】を縦横無尽に這っていたそれが、外界であるそこにまで達していた。
「いつの間に……」
それを考えるのは無駄なことだ。
一行が【コルト】の異常を知ってから、さらに四日という時が経っている。
悠長なはずがない異変が、十日を越えた今現在まで大人しくしているはずなどない。
「これが、【コルト】が危険だってことの原因なの……?」
だが、それだけではないことを四人はもうすでに目にしている。
倒れていた幾人かの死体。
彼らを"そうした"張本人もまた、【コルト】が危険だと言われた原因の一つであることは間違いなかった。
そこでようやく、一行はイルルを探すという目的以外に周囲に目を凝らし始めた。
ノットや藻獣という危険を知りながら静かすぎる街に気が抜けていたことを再確認し、ウィッシュバルの表情には緊張感、アレは探るように視線を建物の隅に向け、ラナイは音に耳を澄ませていた。
グリムが呟く「イルル」という言葉は皆の耳に届いていたが、その緊張感には含まれていない。
異常の発見と同時に敏感になったそれぞれの感覚が、突如何者かの気配を感じ取っていたからだ。
「アレ、こっちに来い」
ラナイが声を掛けると、放心状態のグリムの手を引き、アレがラナイのそばに寄る。
「ノットなの?」
アレの質問に、ラナイが「わからない」とそう言った。
次の瞬間。
――うわあああっ!
誰か男の叫び声が静かな街にこだまする。
声は四人が向く外輪の南西方向、中輪と外輪を繋ぐ直線道の方から聞こえた。
瞬時に三人の視線が通りに集中する。
「来る……っ」
ウィッシュバルは呟き、一歩前に出て臨戦態勢に入った。
すると、何者かの駆ける必死の足音が聞こえ始め。
四人の視線の先、店内に無数の絵の具と筆が並ぶ"芸術の餌"の陰から一人の妖鳥人の男が姿を現す。
つんのめり、転びそうになりながら這うような格好で外輪に飛び込んできた男は、広げれば飛び上がれる翼がまるで飾りのように背中で畳まれたまま。便利なそれを使うことを忘れるほど焦っているのが見て取れる。
呻くような、悲鳴のような情けない声を上げ、そして妖鳥人の男は四人の姿に気づく。
「たすけてっ!」
それでも。男の声に四人の誰も返事をしなかったのは、
「たすけ……て……」
走ってくる男の後を追って新たに外輪に飛び込んできたもののせいだ。
一本の槍。
突如視界に入ってきたそれは、ラナイとウィッシュバルが身動ぎする間に妖鳥人の男を貫き、そして張り詰めて澄んだ耳鳴りのような音を鳴らした。
その頭頂部からの一撃で男は歩みを止められ、視点が定まらないままもう一度「たすけて」と口を動かした。そして、沈黙。
今一つ、一瞬にして命が失われた。
その時、四人の誰一人として彼に感情を揺さぶられる者はおらず。
彼らは皆、槍が"降ってきた"建物の屋根の上を見上げていた。
薄明るい雨雲の下、強い風の影響でで霧となった雨に濡れ、佇んでいるそれは小さかった。
破けてほとんど原型を留めていないズボンと幅の広い汚れた革ベルト、上半身はだらしなく首の広がったボロボロの汚い白いシャツ。そしてその袖先から漏れ出た薄汚れた白い体毛の手。
見た目におそらくと可愛らしさの原型を残すそれには、全くもって愛らしさの欠片もない無数のキノコが幾つも寄生していた。
「ノット……、やっぱり街に入り込んでいたのか」
呟くラナイをよそに、白い毛並みのノットは跳躍。
殺された妖鳥人の上に着地する。
衝撃で地面に押しつぶされ、死体から血しぶきと共に血染めの槍が露出する。
ノットの身長よりも少し長いその槍は、至ってシンプルな形だが、刃と柄との境目が見当たらない特製のものらしく。
石突から刃の先端まで同色の深い青色が、場違いに美しい。
美しいのは、血を振り払ってそれだけで鳴るその音もだ。
『いい音……』、と彼女の声がラナイの耳の奥に再生される。
「ウィッシュバル、あいつの得物はたぶん上等なやつだ。気をつけろ」
ラナイの注意に「当然です」と声だけを残し、ウィッシュバルがノットに突っ込む。
二本の足で疾走するウィッシュバルは、落ち着いた雰囲気からは想像を絶して速い。
瞬く間にノットに近付き、槍を構える間も与えず、硬く締めた拳を頭部に向けて突き出した。
直撃だ。
瞬間、先ほどよりも強い耳鳴りが周囲に反響する。
しかし、それこそがウィッシュバルの攻撃がノット本体に当たっていないことの証明。
柄の石突で打ち上げられた拳がウィッシュバルを無防備にし、がら空きになったその胸にノットの小さな足が蹴りつけられ、反動でノットはウィッシュバルから遠ざかった。
追ってウィッシュバルの繰り出した別の拳が空を切る。
そして、構え。
右手を手前に、左手を目一杯伸ばしてノットは槍の先端をウィッシュバルに向ける。
向き合い、ウィッシュバルはそれの表情を窺おうとするが、ギノコに覆われた顔面にそんなものは見つからない。
しんとした無表情の中の赤い瞳が、槍の先端に込められた殺意とは対照的にぼんやりとしていた。
「なかなかに速い……だが。それなりの使い手、といったところか」
ウィッシュバルの独り言。
打たれた自分の手を確認し、ウィッシュバルはまた拳を硬くした。
次の突進に声は無い。
一瞬吸った息を最後に呼吸を止め、同じく無表情を顔に収めてウィッシュバルはノットへと向かって行った。
構えを終えたノットの間合いは、それの身長と少しの距離。
目算で位置を想像し、随分手前でウィッシュバルは前方に飛び込むようにして地面を離れた。
およそ水平に宙を行くウィッシュバルの速度は、走るよりもさらに速かった。
もし、相手が普通の者ならば、速度に気を取られて初動が鈍っただろう。
だが、相手は普通ではなかった。
的確に、精密に白い頭部を目掛けて突き出される槍。
空気を裂き、耳鳴りのようにピンと張り詰めて鳴るそれは、見えない槍の一直線の軌道を表しているかのようだ。
タイミングは合っている。
傍から見るラナイに、長物相手に宙に浮くというその愚行が一瞬先の悲劇を想像させていた。
しかし、一瞬の空中戦がそこに生じ、ラナイの想像はあっさりと砕けた。
突き出された槍の先端をまるでわかっていたかのように、突き出されるタイミングがすでにわかっていたかのように、ウィッシュバルは両腕を振り空中で体を捻った。
それは宛ら、空を舞う鳥の動きだ。
そのまま横向きに数回転。
一瞬小さな閃光が煌めき、次の瞬間、回転の止まったウィッシュバルの大きな手がノットの頭部を掴んでいた。
後、ウィッシュバルが両足で地面を踏み。急停止の反動でノットの体が白い手の周りで歪んだ一色の軌跡と化す。
手が離れ、そしてノットは前方へ。
それは、投げと呼ぶにはあまりにも荒々しい投法。
人らしい人ならざる者ならではの異行だったが。しかし。
ウィッシュバルはそこからさらに人を越える。
投げ飛ばしたノットを追っての疾走。
見間違うことなく、追いつくつもりでそうしているとわかる速度でウィッシュバルは空中を漂う布切れのようになったノットを追う。
その機敏さは、留まらぬ風を体現しているといって過言ではない。
遠目にそれを見るラナイの目は、堕天使という存在が風の化身であるその片鱗を映し出していた。
次に交わった時。それが決着の時なのだと、想像に容易な状況。
このまま行けばウィッシュバルが追いつくだろうと思えたその時。
また、耳鳴りが響いた。
それは、地面に突き立てられた槍が発した音。
吹っ飛ぶ使い手の反動を受け、折れてしまいそうなほどひん曲がった槍が、それでも折れずに主の体を受け止めた。
その時、ウィッシュバルとノットとの距離は間合いよりも近く、白い人型の大股で後二歩というところだった。
槍の柄にしがみつき、不安定な状態のノット。
しっかりと相手を見極め、突進するウィッシュバル。
状況は明らかにウィッシュバルの優勢だ。
しかし、それなのに一瞬ラナイに何か良くない予感が過り、
「ウィッシュバル!」
先んじてそう叫んでいた。
ラナイが気にしたのは、地面に突き立てられた槍とそこにしがみつくノットという構図。
脳裏に浮かぶ二つの未来の内、(そうじゃなければ……)とその"後者"がラナイの危機感を刺激したのだ。
時間にして数秒とも言えず一、二、三秒。
雨風の音に混じり、槍が鳴らす耳鳴りのような張り詰めた音が、さらに張り、弦が引かれる緊張感と同じようにピリピリと鳴っているのをラナイの耳は捉えていた。
それが限界値に達し、そして。
放たれる。
瞬間、生じた金属音は今までのどれよりも大きく、澄んでいた。
同時、閃光。
それは先ほど見たような瞬きのようなものではなく、ハッキリと線を描いて空へ向かっていった。
血しぶきの如く、火花が散る。
ラナイの予期した未来の内の後者。
しなる槍が体重を乗せたノットに耐えきれず、刃が固定された地面から弾き出される。
その未来が、現実化したのだった。
「この、死体クズがぁあっ!」
右手で顔を覆い、怒り叫ぶウィッシュバル。
手が払われ露出した顔には、胸から続く一直線の傷が付き、口の右端とその右目が潰されている。
対峙するノットの首は、折れていた。




