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おれとれ 19

 少し前から雨が降っていた。

 木材の枠組みに分厚い皮を張っただけの荷台はその一粒一粒の衝撃をもれなく受け止め、閉ざされた荷台の内側からだとそれがまるで豪雨のように聞こえる。

 そういう雑音の中で、それでも静寂は生きており、固い地面を叩く車輪の音や蹄の打つ音や人の寝息はまた別の音として存在していたが。


 荷台内という限られた空間だけが確立されていて、すれ違う別の馬車の音や人の足が行く音など、外の気配は一切感じられない。


 アレはラナイの足の間で、グリムは反対側の隅に丸まって眠っていた。

 ウィッシュバルは雨が降る前に昼を過ぎてからの昼食がてらの休憩の時から一人記憶の部屋にこもりきり。

 目を開いているのはラナイだけで、ラナイは風で僅かに見える幕の隙間から降りしきる雨の姿を捉えようと目を凝らしていた。


 すると。  

 

 蹄が地面を蹴る音が徐々に速度を早めて止み、その少し後に車輪が鈍くギギィと音を立てて止まった。

 その異変に反応し、グリムが身動ぎもなく目を覚ます。

 咄嗟に起きた割鈍い動きで、体を半分だけ起こした状態のまま薄暗い荷台を見回し、そしてグリムはラナイへ視線を向けた。


「まさか、寝過ぎた……?」


 その時、ラナイの視線は荷台の後方から前方へ、分厚い幕の切れ間の先にあるはずの御者の背中へ向けられていた。

 細い隙間の向こうはよく見えない。


「ニ、三時間がそうなら」


 言いながら、ラナイはランタンに伸びかけているグリムの手を止める。


「明かりは点けないほうがいい。何か様子が変だ」


 ラナイがそう言ったのには、根拠が二つある。

 

 一つは、待ち伏せ。

 グリムとイーリークラップを追っているポロトロス、アリアス・コムが、ネズミ道で見失った二人を探さないはずがない。

 その後【コルト】がどうなったにせよ、そこは執着して二人を追うだろう。

 そう考えると、危険な【忘れられた水路】に入るより、出口に張っている方が遥かに効率が良い。

 たとえばそれが街道に及んでいてもおかしくないという考えだ。


 もう一つは、雨が降り出す前までのこと。

 耳に届いたすれ違った音の数、ラナイにはそれが少しだけ気になっていた。


「おい」


 幕の切れ間の向こうから御者の声がした。

 妙に落ち着いた声だ。


 しかし、荷台の中の誰も返事をせず。

 グリムはラナイのそばに這っていき表情を強張らせた。

 すると、二度目の「おい」。


 それにも返事をせずにいると、御者は幕の切れ目に手を突っ込んで捲り上げた。

 瞬間、熱光石特有の橙色の光が荷台の中に飛び込み、急に照らされてグリムが思わず顔をしかめる。


「ここで終わりだ」


 御者の発言に「は?」と生唾を飲み、グリムはさらに少しラナイに寄り添った、が。

 その時、すでにラナイの目には外の異常が映り込んでいた。


 白い瞳のその奥を上部を微かに染める薄灰色。

 夕日を覆い隠す雨雲があって、ただの薄雲のようにも見えるが、しかし違う。

 それは、地平線から吹き出しているのだ。


 強いていうならば、雨雲を作っている最中のように。モクモクとひっきりなしに吹き出している。

 それを異常だと断言できる匂いが、ラナイの鼻に薄っすらと感じられていた。


「なに。この匂い……」


 グリムが荷台内に漂い始めた微かな異臭に鼻を鳴らす。

 すると。


「お客さん。ここで引き返すのが良いと思うぜ……」


 片腕を荷台に突っ込んで幕を捲り上げたまま御者が言ったのを、グリムは首を傾げて聞いていた。


「どういうこと?」


 グリムの質問に、御者は「降りてみな」と言って腕を外に引き戻した。

 再び幕が下りる。

 包まれた薄暗闇の中、二度目の「どういうこと……」が響いた。


 追って御者の側から外に出ていくグリム。

 ラナイは未だ眠ったままのアレを横に寝かせ、背後から荷台を下りる。

 

 荷台を下りて顔が濡れると、匂いは一層強くなった。

 だが、向こう【ディーズベルグ】方面は何の変哲もなく、雨雲のせいで普段のよりも少しだけ重みを増した夜の気配が漂っていた。

 その向こうに明かりが一つ、二つ遠ざかっていくのが見える。


 それを眺めながら、雨音で消えた馬車はきっとこれだけじゃなかったはずだとラナイは思っていた。

 雨が降る前にすれ違った馬車の数、それが車輪が地面を削る音の中に幾つも紛れ込んでいたからだ。


 思い返されたのは、バビィが【ディーズベルグ】で耳にした噂とその人数。

 大袈裟などではなく、それは確かに【コルト】が危険であることを告げていたのだろう。


 それでもラナイが焦るべきだったとは後悔していないのは、まだ進行方向を見ていないからだ。


 だから、荷台の後ろ側から進行方向へ向きを変え、そこに佇む御者とグリムの並ぶ背中に変化がみられなかったことに違和感を覚えなかった。しかし。

 並ぶ背中のさらに先で分厚い雨雲を下方から照らす夕日まがいの発光を目の当たりにしたその時、


「こんなこと……」


 そう声を漏らしていた。

 後方から来るラナイの足音を聞き、御者が口を開く。


「【ディーズベルグ】では、同業の仲間からちらほら噂は聞いていた。あそこはヤベえ、今【コルト】に行くのはやめとけって。

 けどよ、お客さん。誰がこんなことを想像するかよ……」


 あれは、【コルト】が燃えてやがるのか。

 そう言って御者は、何事も無かったかのように馬車に乗り込んだ。  


「どうする。グリム」


 ラナイの質問には前提があったが、それは口にしない。

 グリムの返事は、イルル、だった。

 すると、御者が言う。


「もう少しだけ先に進んでやることならできる。けど、その代わり条件がある」

「条件?」


 呆然として夕日まがいの光に気を取られているグリムに代わりラナイが聞き返した。


「俺を守ってくれ。もし、何かあったとしても」

「それはもちろんいいさ。けど……お前は何があると思ってるんだ?」


 ラナイの質問は当たり障りなく当然のものだっただろう。だが、御者はそれが意外であるかのように困惑した表情を浮かべた。


「わ、わからねえ、けど。たぶん、ビビってんのさ。街がこんなことになるのは見たことがねえ……」


 呟いて、「そうだよな」と。


「あるはずがねえんだ……」


 そして御者は、「やっぱり俺は帰るよ」と続けた。


「戻るなら乗せていくが、これ以上進むなら降りてくれ」


 結局それが御者の結論だった。

 御者はそれっきり、馬の背に視線を落としたまま押し黙り手綱を握って動かなくなってしまった。

 

 グリムもラナイも抗議はしなかった。

 アレとウィッシュバルを起こし、幾らかの荷物を降ろして、街道をはみ出すくらい大きく回って向きを変えた馬車が去っていくまで、何も言わなかった。


 見通しが良すぎる風景の中で【コルト】にはすぐにでも辿り着けそうに見えるが、それでも馬車が進むはずだった丸一日分、徒歩ならば二日ほどの道が残っている。


 逸り急いだところで何の意味もない。

 それがわかっているのか、グリムには一切焦る様子はなく、それどころか少し歩くのが遅いと感じられるほどだった。


 それでも、誰も先へ行こうとはしない。

 ラナイもウィッシュバルも、二人より小さな小さなアレも、グリムが五歩進む内に一歩、三歩ずつ、幼い子供がおぼつかない足取りで歩くように誰よりも小さな女の後についていった。


          ◯


 一昨日からの雨は未だ止まずに降り続け、街道のあちこちに深い水溜りを作り、幾本も交差する轍は小さな河となっていた。

 道の先に点々と落ちている衣服や靴、本や割れた壺や樽は、ここを過ぎて行った者たちの落とし物だろう。今はそこに姿がなくとも、彼らの焦る光景がまざまざと浮かぶ。

 

 よもやそこに人の姿があったとしても、きっと誰も驚かない。

 そういう不穏な空気が半ば現実らしい幻覚をもって嫌な匂いと共に漂っていた。


 視線の先にはもう【コルト】の城壁が見えている。

 遠く見えていた雨雲らしきものは、近付いて白い薄煙のようにしか見えなかった。


 雨凌ぎに被ったフードが耳を塞ぎ、頭部を打つ雨音が一切余計な音を隠していて、周囲はほぼ無音のように感じられたが。

 嫌な匂いは強くそこら中に感じられた。

 それは残像の如く、"何かが起きた"ことだけを告げ、同時に何事もないかのような雰囲気を漂わせている。


 昨晩の夕食以降、グリムは何も口にしていなかった。

 何をするでもなくただぼんやりと足下を見つめているだけで、アレが声を掛けてもラナイが声を掛けても適当に相槌を打つだけで特に反応はしなかった。


 そのせいか、足取りは昨日よりもさらに重く。

 アナーブのアジトを出る時、勇み急いでいたグリムの姿はそこにはない。

 

「ルールーウィップがいる。もしかしたらもう【コルト】を出ているかもしれないぞ」


 気休めの言葉を吐いたのは何度目か、ラナイは語彙を失ったように時折グリムの背中にそう語り掛けた。


「……誰よ、それ」


 これも何度目かの返事だ。

 

「あいつは、目が見えないけど鼻が利くんだ。だから目を使う奴なんかよりもずっと早く異変を察したはずだ。別にノットは最強ってわけでもないし、そんなに心配しなくても大丈夫だ」


 また何度目かの台詞に、グリムが「そうね」と答えたのはこれが初めてだった。


 そして一行は、【コルト】正面に辿り着く。

 街道を迂回する際に強く感じられた風はそこで一気に暴風となり、雨は横降りに嵐へと姿を変えた。


 門は開け放たれたまま。

 風雨に押し込まれてあの嫌な匂いが感じられないのは幸いだ。

 しかしその代わり、外からでは見えなかったものが見えてくる。

 一見して、まず初めに反応したのはラナイだった。


「何も、変わってない……」


 街灯が数本倒れているだけで、建物には引きずった痕が付いているものの大した損傷はなく。静かで。

 それなのに、人気のない荒廃した雰囲気だけが漂っている。

 すると、ラナイの隣に一歩踏み出し、「おかしい」とウィッシュバルが呟いた。


「どうしてこんなに静かなの……?」


 そうウィッシュバルの言おうとした続きのように声を発したのはアレだ。


「やっぱり、全て終わったんじゃないのか。もしかして……」


 ラナイが言うと、グリムが無言のまま街の奥へと歩き出した。 

 三人は周囲を見回しながら、グリムは前方を向いたまま街の中を進む。

 

「あっ」


 と、一番最初に異変を捉えたのはアレだった。

 三人が声に反応して送った視線の先に、人がうつ伏せに倒れている。


「大丈夫?」


 駆け寄り、アレがそのウマ面の妖獣人に声を掛けるが、返事は無い。

 そしてその首筋にそっと手を当てようとし、


「あ……」


 とまた声を漏らした。

 落とした視線の先には傷がある。

 首の後ろ側を一直線に横切る深い傷だ。

 それを確認し、アレは小さく首を横に振った。


「もう、ダメみたい……」


 呟くアレを見下ろし、「ノットだ」と言ったのはラナイ。


「スズにも同じ場所に傷がある。あいつはジュウザに助けられたから無事だったみたいだけど、こいつは……」


 言ってラナイは、「でも……」。


「ノットは殺さないはずだ。それなのに、どうしてこいつは死んでるんだ」


 それはラナイにだけわかる疑問だった。

 するとそこにウィッシュバルが言う、


「首を斬られれば普通死にます。ノットが本当に殺さないのであれば、腕や足……もっと急所を外した箇所を狙えばいいのでは?」

「確かに、そうだよな……。そうだった」


 以前にも一度感じた違和感を思い出し、ラナイは深く頷いた。


「じゃあ、どうしてスズは『ノットは殺さない』なんて言ったんだ? 明らかに殺そうとしているのに」

「考えられるのは、"勘違い"ですね」

「勘違い? 殺されそうになった上でそんなこと間違えるか?」


 ラナイが言い返すと、ウィッシュバルは「はい」と軽く頷いた。


「彼女は、"殺しても死なないもの"に襲われた。すでに死を超越したものと対峙していたのです。だからもしかすると……」

「そうか……」


 ラナイの驚愕にも、ウィッシュバルは「はい」と頷く。


「殺しても死なないものを見たのでしょう。地下で見たノットに襲われたものは皆、そういう状態であったとしてもおかしなことはありません……」


 その証拠に、とウィッシュバルが死体のそばに膝をつく。


「この人間は死んでいる」


 言いながら、首の傷をまじまじと観察するウィッシュバル。


「この人間は、死んでいるのです」


 再度確認するように言ってウィッシュバルは顔を上げた。


「じゃあ、ノットはやっぱり殺すことを目的にしていたのか。でも、なんのために?」

「それはわかりません。ですが、あの闇がグリの仕業である以上、【エルオム】を守るためだったと考えるのが妥当かと」

「つまりそれは、兵士の量産、ってことか。優秀な兵士を引き込む最も簡単で単純な方法、それがあの耳を塞ぐ闇だった……。そして、そのきっかけは死、か」


 おそらく、とウィッシュバルが頷く。

 

「だとすると……」


 と、ラナイが周囲を見回す。


「ノット化した堕天使はどうなる?」

「ただの死体とは違いますから。あるいは、我々も……」


 そう言って両手を目の前に置き、ウィッシュバルは自分自身を確かめ始めた。

 その行為に、「いや」とラナイが否定する。


「お前たちが狂ってるようには見えないよ。それに怪我しているようにも見えない。何より、お前の死んだ場所は地下じゃないだろ?」


 言ってラナイは、「でも」と頭を捻る。


「そういえば、ジュウザは堕天使は武器じゃほとんど傷付けられないって言ってたのに、お前の話じゃ堕天使も怪我をするし殺される。どういうことだ?」


 矛盾の解消を求めるラナイの質問にウィッシュバルは、「【エルオム】の子です」。


「世界を交えない三竜の性質と同じく、三竜から生まれた子はそれぞれ反発する影響が生じます。忌み嫌う感情が強く、我々はあれらを野獣と同一視していましたが……」

「ってことは、地上に出ていて危険なのはノットだけじゃない?」


 確かにそうです。

 と、ウィッシュバルは立ち上がった。


「盲点でした。ベルバル様の言う通り、地下より出て脅威とすべきはノットよりも【エルオム】の子孫である"藻獣"です」


 語気に力が込められ、ウィッシュバルの表情に緊張感が増した。

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