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おれとれ 18

 七人王が治める七つの国の中心付近。

 そこにある街の名は【ウーノス】と呼ばれていた。

 いつからそこにあるのかは不明だが、七人王が国を築くよりも前からそこにあったらしく、また、天使"ベルエル"が【オウモ】の怒りに触れて天上界【アピタ】を追われ、地上界に落とされた最初の着地点である。


 その後いくらか不明の時を経て地上界へ堕天させられたウィッシュバルが地上界に着地した時、【ウーノス】はすでに訂正軍アトニモの基地として機能していた。

 

 落ちてきたのは自分だけでなく、そこにはすでに何人かの堕天使化した天使がおり、ウィッシュバルと時を同じくして堕天した天使たちは皆一同に集められ、先の堕天使たちに地上界に落とされた理由を説明された。

 そこで聞いたのが、【オウモ】の怒りと、そして"罰"の存在だ。


 そもそも、なぜ落とされたのか【オウモ】が何に怒ったのかわからなかったウィッシュバルたち後からやって来た堕天使にとって、その情報は自分たちに起きたことについて唯一の情報だった。

 

 しかも、それはしばらく前に姿を見せなくなった"竜の目"その張本人からの情報だったのだから、そこには驚愕と納得以外起こり得なかった。


 堕天し、彼は天使の名を捨て"ベルバル"として生活していたが、名が変わろうとも漂うその異質性は衰えていなかった。

 見たこともない小さな"人間"という野獣ともつかない奇妙な生物や妖獣人、妖鳥人、竜人という道の生物を従える様は、天上界で異端児として扱われていたあの時よりもはっきりと天才だと思えた。


 そんな天才には、"妻"と呼ぶつがいと決めた女がいた。

 ウィッシュバルは初めその意味がわからなかったが、後に地上界の生態系を知り、そういう関係が体や思考が共有できずとも互いを思考の一部分に固着することで得られる奇妙な感覚だということを理解した。


 二人の間には"子"がおり、これにも当時ウィッシュバルは驚かざるを得なかった。

 どうすればそんなことができるのか。

 ベルバルは、自分で考えろ、と言って何も教えてはくれなかった。


 母親譲りの濃い茶色の瞳以外全てが真っ白な、それでいて明らかに人間の姿をした子供。

 寄り添う両親に見守られ、堕天使や人々に見守られ、そこら中を元気に走り回るその光が駆けるような光景が今もまざまざと目に浮かぶ。


          ◯


「わかりますか、ベルバル様。その子がウーリエです」


 ウィッシュバルの僅かに色づいた瞳は、とっくに地図から離れてラナイの分厚い瞼の奥に潜む白い瞳へと向けられていた。

 真っ向からその視線を受け、記憶の本を再度読み返して。

 それでも、どうしてもラナイには実感が沸かなかった。


 だから訊くのは、「その光景におれがいるのか」。

 はい、とウィッシュバルは頷いた。そして。


「見てみますか?」

「見て? どうやってそんなこと」

「思念声です。ベルバル様が私と同調してくれさえすれば、私の記憶を読むことができます」


 思念声。

 一言呟いて、ラナイは「どうすれば?」と。


「ひっくり返すのです」

「ひっくり返す……」


 意味不明な説明に一瞬悩み、ラナイは体を前に曲げて股からウィッシュバルを覗き込んだ。

 そうすれば頭が下を向き、当然ウィッシュバルはひっくり返って見えるが、しかしそれはあるものを逆さに見ているだけだ。

 ひっくり返ったといえば確かにそうだが、それは額に収まった絵画を上下逆さにして眺めるのと変わらない。


「いえ、そういうことではなくてですね……」


 大きな身振りでラナイの行動を否定し、「むむぅ」と唸るウィッシュバルは、"ひっくり返す"という同調の仕方をどう伝えるべきかと悩み始めた。

 すると数秒後、何か閃いたウィッシュバルは「そうだ!」と手の平を叩いた。


「記憶の部屋です、ベルバル様。あそこはただの部屋ですが、たとえば窓があったとしてください。ベルバル様は中から外にいる私を見るのが普通ですが、それをひっくり返すのです。

 私が部屋の中にいて、ベルバル様は窓からそれを覗いているそういう風に意識の向こうで想像してください」  


「なるほど。そういうひっくり返す、か。でも、それはわかったけど、実際記憶の部屋に窓はないぞ?」

「ええ、まあそうですね。だからそれは例えで、実際はこうします」


 失礼、と軽く会釈してウィッシュバルはラナイの頭部にぐいと自らの顔を寄せた。

 ここまで近付くと、もうラナイの視界にはウィッシュバルの僅かに色付いた瞳しか映らない。


 ほとんどが白濁して体よりも濃い白色にしか見えないそこにほんの少しだけ差された薄青色。

 気をつけなければ気のせいくらいにしか思えないほど些細な色味だ。

 強いていうならば、それは薄雲と奥に隠れた空のようである。


 ラナイがこれまでに幾つか見てきたドールの瞳。

 ふと思い出されたのは、あの時サンゴーだ。

 突如動き出し何をするつもりだったのか、それが今になってようやくわかる。

 サンゴーは、ベルバルと同調しようとしたのだ。

   

 右目と左目、それぞれに浮かぶ二つの曇り空は、天上ではなく正面にどこまでも続いている。

 瞬間、ラナイの中で"覚え"が閃いた。


(この空……。おれは……)


 ふと風音がラナイの耳を撫でる。

 そこら中で飛び回る風の鳴き声だ、彼らの中に触れて擦れ体がボソボソと鳴り続ける。

 徐々に重く小さくなる身体。遠ざかり、濃く白く青くなっていく空。


 また、熱くなる。背中からじわりと。

 陽光が身体を下へ下へと押し、空に拒絶されていることを実感していた。

 落ちていく。

 落ちていく。

 落ちていく。


 腕を伸ばさなかったのは、落ちることに意味がないと思っていたからだ。


(いつかまた戻れる……)


 足下はいつの間にか鮮やかな緑一色に染まっていた。

 もう空は飛べなくなっていた。

 体が固くなっていた。


 その時"おれ"は、絶望しただろうか。

 見上げた空は、美しかった。

 眺めていると、伸ばさなかった腕の代わりに何かが口から飛び出しそうになる。

 嘔吐くように繰り返される何か、誰か――。



「ベルバル様?」


 不意に声が聞こえ正気に戻ると、ラナイの目の前に誰かがいた。

 誰か、は言うまでもなくウィッシュバルだ。

 先ほどと変わらず僅かに色付いた瞳をじっとラナイに向けている。


 一歩下がり、ラナイは周囲を見回した。

 それも先ほどと変わらない。

 緑色の草と雲の塊が多い晴れ空、そして遠くには【ディーズベルグ】の"背中"が見える。


「……ダメですか」

「たぶん、そういうことだよな……」

 

 そう言って頭をポリポリと掻くラナイにウィッシュバルは「残念です」と言った。


「ちなみに、同調が上手くいくとどうなるんだ?」

「どう……と言われましても。よくわかりません。生まれてすぐにできることですから、あまり意識したことがないのです。ただ。

 わかるようになります。遠くで仲間が何をしていたのか、強いて言えば妄想や夢というもののように浮かび、それが実際に会って聞いたことと同じであるというように」


「つまり、既視感とか正夢とかそういうものってことか……」


 ラナイが言うと、ウィッシュバルが首を傾げた。


「それは、なんですか?」

「なにって……勘だよ。たぶん。見たことのないものに見た、経験した気がするとか、夢で見たものが現実に起きたとか。まあ、つまり、時系列がズレて感じられる錯覚みたいなもんだ」


 でも。

 ウィッシュバルが「むむ」と唸る。


「思念声は、時系列を違えませんよ。その時起きたことを同時に確認しているだけです。それを錯覚として感じることはありませんし、互いに見られたという感覚が残りますので」


 ウィッシュバルはそう言って一瞬沈黙し、「ところで」とラナイの方を向いた。


「ベルバル様は、そういう既視感とか正夢というものを見たことがあるのですか?」

「今のところは無い、かな」


 そう言ってラナイが首を横に振るのと同時、離れたところからアレの「行くよ」と声がした。


          ◯


 四人が【ディーズベルグ】の門を目の当たりにした頃、空は赤く染まり始めていた。

 さっきまで青かった空が下方から炙られるように色を変えていくのは一瞬のことで、空の薄青色を南方から蝕む夕日色は異様に眩しく、それはまるで空を焼いているかのようだった。


 多種多様な人々が行き交う【ディーズベルグ】の北門。

 門をくぐり抜けてすぐ、グリムが「熱いわね」とローブを脱いだ。


 ここ【ディーズベルグ】は、鎧と盾を紋章に持つ戦士たちの街である。

 そこら中で武器、鎧を装備した物騒な輩が彷徨いているのは最早見慣れた光景で、何が特徴的かといえばそれは妙に怒号が多いことと人集りが多いことだ。


 そういう人集りの理由は専ら喧嘩で、しかしここで起きる喧嘩はただの殴り合いではない。

 武器を用いた所謂戦闘であり、場合によっては死者が出ることもある。

 

 彼らがただ単に血の気の多い連中であることも理由の一つだが、何より、【ディーズベルグ】がポロトロスの本拠地であることが大きい。

 

 世界【アトニム】輪の内側より連れてこられた強力な野獣、アンノウンに加え、所有の鍛え上げられた戦士が守護者として【ディーズベルグ】のポロトロスで待っている。

 彼らの座を奪うことは、こと戦闘狂にとって栄誉であり、野獣狩りで生計を立てる者とは一線を画した存在として【アトニム】でも一目置かれる存在だ。


 つまり対人最強。

 それを目指す者どもが集う場所が【ディーズベルグ】である。


 猛烈な雑踏に気を取られる三人に一通りの説明を終え、「さあ、さっさと馬車を手配するわよ」と言ってグリムは周囲に馬車の手配所を探した。

 それは門のそばにすぐ見つかった。


 門より少し入ったところで起きる戦闘を覗き込むようにして何やら落ち着きがないウィッシュバルは、グリムが馬車の手配をする間ずっと実況宛らに「それじゃだめだ」とか「跳躍とは愚かな」などと言っていた。 

 すると。


「そんなに気になるならここに残ればいいじゃない。思ったよりドールにも興味がないみたいだし、お前みたいなのが彷徨いていても誰も気にしないわよ」


 案内された馬車の具合を確かめながら背中を向けて、グリムはそんなことを言った。 

  

「バカを言うな。私は戦闘狂などではない。今は特に、ベルバル様をお守りするという重大な役を担っているのだ」


 そう言ってまた人集りに視線がいくウィッシュバル。

 それを横目に見て、グリムはニヤリと顔を歪ませた。


「だったら、あっちでアタシと組む? もちろんドールとしてだけど」


 いったいどんな返事をするのか、少し気になってラナイがウィッシュバルの反応を待つと、彼は「考えておこう」と言って小さく頷いた。 

 

 それが意外な返事だったかというと、確かに意外だとラナイは感じていた。

 何が意外かといえば、ミーヒルバルやイーバルたちに比べて記憶が古く、そのせいか歳を取ってるように思えるウィッシュバルにも盛んな血の気があったということがだ。

 

 だからラナイは、荷台に乗り込む手前、「案外楽しいぞ」とウィッシュバルの肩を叩いた。


「やはり、ですか」


 は、ウィッシュバルの返事。


「まあね」


 とラナイは荷台の隅で小さく丸まった。

 そして馬車は動き出す。

 

 向う先は【コルト】。

 地下を抜けるのにラナイの体感で三日ほどのその道を、馬車はそれよりも長い時間かけて進んで行った。

 疲れ知らずの特別な体が一日の時間を狂わせていたのはそうだ。確かにラナイの体感は通常の人間が感じるものよりもずっと早く大雑把だった。


 馬車が到着を告げた時、それが正しく三日の時間であることをラナイは知った。だが。

 それにしても短かったのだ――。

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