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おれとれ 16

 その日の昼。


【ディーズベルグ】への買い出しに出掛けていたアナーブの小柄なサルの妖獣人が、なにやら慌てた様子で隠れ家の前でぼんやりしているラナイの脇を通り過ぎて行った。

 行った、とはいっても行く先はその小屋しかなく。


 彼は、ほとんど蹴破るような勢いでコゾウの眠るその小屋へ飛び込んでいった。

 

 様子がおかしいのは一目瞭然。

 後を追って中に入ろうかと一旦は小屋の中に頭を突っ込んだラナイだが、室内はアレ、グリム、ショージョー、それと新たに加わった中くらいのサルの妖獣人でいっぱいなのを察し、外から窓辺に腰を下ろして中を覗き込むことにした。


 空気の入れ替えのため半分だけ開いている窓を全開にし、ラナイはそのそばにあぐらをかいて座る。


「お、おい聞いたか、ショージョーのダンナ……」


 息切れ切れに、彼はそう言った。


「いや、聞いていない。いいから早く話せ」


 彼の混乱を察してか、余計なことを言わずショージョーは椅子を差し出した。

 すると彼は「すまねえ」と軽く会釈し、出された椅子に座る。


「ちょっと走りすぎたもんでよ。ありがてえ、ダンナ」


 ふぅ。

 と彼は一息つき、そして、ほっ、と息をつく。


「…………」

「…………」

「おい」

「は?」

「おい、何をやってる」

「何って。いや、お言葉に甘えて休憩を」


 言った彼の脳天に拳が降る。


「バビィ、さっさと話せ」


 不意の怒りに戸惑う小柄なサルの妖獣人"バビィ"は、涙目で頭頂部を撫でながら「へい」と返事をした。


「さっき……ってももう何時間か前になりますけどね、オレっちは【ディーズベルグ】に買い出しに出かけてたんすよ。買い出しってのは、カシラの換えの包帯やら清潔な服とか、他にも色々ですね。

 そいで、【コルト】なんですが。【コルト】といや、ダンナの好物は【コルト】じゃねえっすか。

 そういえば、あのふわふわっすけど。

 そんなに好きなら金を出して支店を出させればいいんじゃねえっすか?」


「……ん?」


「いや、だから。好きならあの店に言って、金をやって、そいで支店を……」


 出させてやれば、と言った瞬間、バビィに二発目の拳が炸裂した。


「いい加減にしろ」

「へ、へい」


 しかし二度も殴られて続きを見失ったバビィは、あちこち目を泳がせて何かを探している様子だ。

 するとショージョーが、「【ディーズベルグ】に買い物に行った。それでどうした」と全然話が進んでいないことへの不満を大袈裟なため息で示した。


「ああ、そうだ。そうです。【ディーズベルグ】に買い出しに行って、そいで聞いたんす。

 なんだか街がいつもよりごみごみしてて、おかしいなぁとは思ってたんすが、どうやら【コルト】から流れてきた奴らでして。

 すると奴ら、【コルト】がおかしいから逃げてきたって、そこら中似たようなことをぐちぐち言ってやがったんすよ」


「おかしい? 何がだ」


 ショージョーが訊くと、バビィは目を見開き割れんばかりの「あああああっ!」。

 突如の大声にその場にいた全員が耳を塞ぐ。


「キノコっすよ! キノコ! キノコが生えて、やっべえんだそう……」

 

 っす。

 最後の一文字放り捨てるように言い、バビィが怪訝な顔をする。


「ちょっと、聞いてんすか? 大事なことなのにその態度はねえっしょ」


 続く嘆息。

 瞬間、その生意気な顔面に巨大な拳が炸裂する。


「ぐあっっはぁっ!」


 バビィの苦痛の吐息を「うるせえ!」とショージョーの怒号が掻き消す。


「テメエ……耳がっ……」


 耳を抑えているのか頭を抱えているのか、ショージョーは大きな手の平で顔の脇を押さえ、苦悶の表情のままバビィを睨みつけた。

 その隣、アレは耳を塞いだ格好のまま目をパチパチさせて無表情であり、グリムは同じく耳を塞いだ格好でその場に蹲っている。

 外で聞いていたラナイは耳の穴を塞ぐ手を離し、鼻息での嘆息を。


「くそっ、まだ耳鳴りが……」


 そう言って痛みを振り払うように頭を振るショージョー。

 すると、


「い、い、いきなり何すんすか……」


 バビィが腫れの始まった頬を撫でながら、むくりと体を起こした。


「うるさいからだ、このバカモノっ。自分が何のサルか忘れたのか」


 ショージョーは言って、嘆息した。


「それで、何の話だ」


 場の空気を切り替える副団長の言葉に、バビィから不満の色が消えた。


「そ、そうだっ。キノコっす、ダンナ! キノコが【コルト】に!」

「それはさっきも聞いた。キノコがどうした」

「はえてるんですよ! キノコが、たくさん!」

「キノコが……たくさん。それがどうした」


 だぁかぁらぁ。

 多少苛立ちつつ言うバビィ。

 続く言葉によっては、と拳を硬めたショージョー。


「灰色まだら模様の橙色のキノコ、っすよ。ダンナ……」


 興奮から一転、神妙な面持ち、声色でバビィは言った。


 それは、ラナイにも覚えがある。

【ビッツ】から【コルト】へ続く街道の途中で見かけた不気味なキノコ。

 ラナイにふと、嫌な予感が過る。


 頭に"繁殖期"の三文字を浮かべたまま、窓際からその視線をグリムに向けた。だが。

 その表情を捉える前にショージョーが放った、「ギノコ」、という単語にグリムの視線は奪われていた。


「ギノコ?」


 誰よりも早く、グリムがショージョーに質問する。


「ん? そうか、お前は知らないんだな。

 ギノコは、地下に生えている未知のキノコだ。とはいっても正確にそれがキノコかどうかあやしいから、俺たちはそれをギノコと呼んでいる。

 橙色の傘に灰色のまだら模様をした気味の悪いものだ」


 それを聞いて、グリムは「へえ」と声を漏らした。


「毒キノコ?」

「それはわからない。地下は未知の生物ばかりだからな。そんなものを食ってどうにかなったら処置のしようがないから、俺たちは基本的に地下の生物を口にしない」

「なるほど、懸命ね」


 ふむふむ、と頷くグリム。

 それを眺めて、ラナイは唇を硬く締めた。

 

「グリム……、わからないのか?」


 なんとか絞り出したラナイの言葉にグリムは肩をすくめた。


「わかってるわよ。気味の悪いキノコがギノコで、【コルト】に生えてきた。そうでしょ?」


 ああ、と返事をしたものの、ラナイのその表情には薄く影が落ちている。

 グリムに起きた異変への罪悪感。

 行き場のない虚無感が、吐き出すことの許されないため息が、ラナイの体内で渦を巻いていた。


 グリムがおかしい、と感じたのは地下【忘れられた水路】から出てきてすぐのことだ。

 ドール。

 ラナイを見てそう呼んだ者の中に彼女がいた。


 初めはラナイも気づかなかったが、地上で待つ読者の団の中に飛び込んで行ったグリムの発言が、"まるで初めて話すドールを見たかのようなもの"だったことで、グリムに何が起きているのか、それがただの勘違いでないことを悟った。


 当然、グリムはラナイのことも覚えていなかった。

 ルールーウィップのことも、アレのことも覚えていない。


 アレ曰く、『【コルト】のネズミ道で突如生じた崩壊により地下への入り口を失ったイーリークラップとアレが別の入り口を探している時に倒れているあの子を見つけた』、『何かに怯えていて、見つけた穴を通って地下へ行く私たちに連いてきた』。


 何かはアリアス・コム。

 見つけた穴、はイルルが壊した別の通路のことだろう。

 アレとイーリークラップは、グリムを連れ、【忘れられた水路】を抜けてきたようだった。

 スズと会ったのは、彼らが【グリンボウ】で命からがら待機していたアナーブと合流してから。【ディーズベルグ】へ抜ける道を歩いている途中、黒い湖を越えた辺りでのことだ。

 

 それから【忘れられた水路】を抜けるまで、グリムはそこがどこなのかもどうしてネズミ道で気を失っていたのかも思い出さなかった。

 もちろん、嫌な予感もだ。


 その原因が黄色の息にあることは、ラナイだけが認識している。

 グリンドルに起きた現象と同じだ。

 グリムは、黄色の息を浴びて記憶を失った。


 幸いなことに、それで全て失くしたというわけではなく。

 グリムが失ったのは、ラナイと出会ってから得た知識と経験が大半の様子。だから、イルルのことは覚えているし、ヒイラギのことも忘れてなどいない。

【アーハイム】に自宅があるとも、覚えている。


 そういう部分、会話に大変ということでもないが、変わらず接しているように見えてそれは新しく"ラナイ"を作り上げている途中で。

 それがラナイは虚しいのだ。


 あってもなくても困らないほんの一ヶ月と少しの経験。

 グリムが新たに得たのは、ラナイという不思議な存在と黄色の息とせいぜいギノコのことくらいだった。

 

 随分長い間一緒にいたような気がして何か大切なことを経験したと、ラナイはそういう錯覚を覚えていただけなのだと知る羽目になっていた。

 

 それがきっかけで失いかけた現実感を、間違いではないのだと引っ張り上げてくれたのは、やはりアレの存在だ。

 考えてみればほんの数日という付き合いでしかないアレに、"また"ラナイは救われていた。


「…………」


 人知れず、短い鼻息を漏らすラナイ。

 それをアレは見ていた。


「気になるな……」


 と、それはショージョーの声。


「地下に生息していたギノコが今頃になって地上に顔を出す、か。誰が何を言わずとも【コルト】の人間はそれを異常だと感じている。それを伝えるためにお前は急いで帰ってきたわけか」

「いや、確かにそうなんすけど。なんか違う気が……」


 呟いて天を仰ぎ、バビィはまた。


「あああああっ!」


 不意の絶叫が四人を襲う。

 それが止むのと同時、ショージョーに握られた拳は、続く「アンノウン!」という叫び声によって解かれた。


「アンノウンっすよ、ダンナ! 【コルト】にアンノウンが現れたんっす! それが【ディーズベルグ】に逃げてきた原因っすよ!」

「ア、アンノウン……?」

「そう! 街の中にっすよ!? 外からじゃなく中から! わかるっしょ!」


 飛び跳ね、ショージョーに詰め寄るバビィは先ほどよりも激しく興奮している。

 そんなバビィの振る舞いに反し、神妙な顔でショージョーが呟く「まさか……」。


 その先を言わずとも、ラナイとアレにはそれが何を示す驚愕なのかがわかっていた。


「ネズミ道から……?」


 アレが慎重に言う。


「それ以外考えられない。お前たちが通ってきたという穴を抜けて出て来たんだろう。だとすると……」


 眉を寄せて唸るように言い、ショージョーはアレを見た。

 真剣なその視線を受け、大きく息を吸うアレ。


「スズちゃん!」


 大声で叫ぶアレに構わず、ショージョーは「バビィ! それはいつの話だ!」とバビィの胸ぐらを掴む。


「今朝出て聞いた話なんで、それより前っすよたぶん。今日ついたとも限らねえすが、【コルト】から【ディーズベルグ】まで街道を徒歩なら七日は掛かりやす。っつーことは、カシラがやられちまう前っすか。けど、あそこにだって戦士はいるでしょう? 

 だからもう解決しちまってやすよ。

 逃げてきた奴らはちっと大袈裟なだけじゃ?」


 不安げな表情の中、引きつった笑顔を浮かべるバビィ。


「スズが弾を取りに【コルト】に向かったのは、次の日の朝か。また戻ってくるとは言っていたが……」


 同じく、ショージョーも不安げな表情だ。


「七日前、なんだよね。最近だとして」


 アレがショージョーに言う。

 ショージョーはそれに「そうだ」と頷いた。


「だったら、私たちが【忘れられた水路】に入った頃だよ。たぶん。

 それってつまり、私たちは外に出ていった地下の何かとすれ違ったってことだ……」


 顎に指の背を当て、考えるような仕草をしたアレ。

 顔を上げ、


「私たちが【忘れられた水路】に入った時、一番初めに出会ったのは、"死にかけの野獣"だった。あの時、イーリー……ジュウザはノットの仕業だろう、って言ってたけど、待ち合わせの街のそばに武器が落ちてて、だからそれがあの野獣を殺そうとしたんだろうって私は思ってた。でももし、あいつじゃないとしたら……」


 アレは探るような視線をショージョーに向けた。


「野獣を死にかけにした張本人が、地上へ出たかもしれない……か?」


 うん、とアレが深く頷く。


「ノットは体中にギノコを付けているから、それが胞子を撒き散らしたって考えるとギノコが地上に生えてきたっていうこととも辻褄が合うと思うの」

「確かに、合う。だが、とはいえあれは見た目ただのキノコだ。わざわざ逃げてくるようなものでも無いはずだし、地上に出たアンノウンがなんにせよたった一体で【コルト】の戦士が対処できないはずも……」


 話が振り出しに戻りかけたその時、グリムが口を挟む。


「それがさ、一体とは限らないんじゃないの? 地下には光も平気な生物がドールを除いてあと三種いたはずよね。たしか名前は、地底人、ケムシ、ワシヅカミだったかしら。そのどれかか全部か、もしかすると全部出たのかもしれない。

 それで【コルト】の戦士じゃ、解決できないってことはあり得ないの?」


 訊ねて、グリムは肩をすくめた。

 アレはショージョーを見つめていた。

 

 地下では珍しくもない生物が、単体で地上に出たとある種間違いのように考えるのは、アナーブやスズたちの間だけの秘密だからだ。

 そんな自惚れのような間違いを正され、ショージョーは沈黙していた。


「だとしても、七日前の出来事だ。スズは三日前に出ていったばっかりでまだ着いてもいないさ。

 それに、もし解決できていないにしてもスズがいる。他の奴らでダメでも、あいつがいるなら大丈夫だ。ジウがあるし、弾も【コルト】にある。待っていればその内帰ってくるんじゃないか?」


 室内の重い雰囲気に反し、窓辺から声を掛けるラナイの声は平然としていた。


「それも、そうだな……」


 納得しているのか疲れているのか、どことなく力の抜けた声を漏らすショージョー。

 それに合わせて多少和んだ空気が皆に流れ始めたその中で、ただ一人怪訝な表情を浮かべていたのは、アレだ。


 そういえば、とアレはラナイの方を向く。


「ラナイ、【コルト】に知り合いが怪我しているって言ってなかった?」

「……あ」


 大口を開けて間抜けな声を漏らしたラナイの頭部に小鳥が留まってその頭を啄んでいた。

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