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おれとれ 15

 スズを見下ろし、そしてコゾウを見下ろし、空を見上げて佇む男の姿。

 夜空の下、夜闇の中でそれは明らかに人である。

 孤独を体現したような姿。

 そこに悲壮が感じ取れないのは、彼の持つ使命感を知っているからだろう。


 ラナイはもう木の陰に隠れてはいなかった。

 

 孤独の男"ジュウザ"の頭部から滴る血液が、カサ、カサ、と足下の草を鳴らす。

 先ほど吹いた強風は嘘だったように静かに、今は彼の頬を撫でていた。


「……俺はプライアだ。俺が……」


 消え入りそうな声で呟き、そしてジュウザは木立の中に消えた。


 それを目で追うラナイ。

 一瞬、彼を追おうと身を翻したが、耳の穴に触れたうめき声を聞き踵を返した。


「スズ、大丈夫か」

「……らない、くん……」

「ほら、これを」


 ラナイは拾った解毒薬をスズに渡すが、手を開くこともままならない彼女にはその小瓶を掴むことができない。

 ラナイは指先で慎重に瓶の蓋を外し、スズの口に瓶に溜まった液を一口分流し込んだ。


 それが喉を通って音が鳴り、ニ、三咽て、するとスズの呼吸が安定した。

 緩んだ呼吸の中、一言だけ「ありがとう」と呟き、スズは眠る。


 だが、これで一段落でもない。

 眠るスズから振り返り、ラナイは横になって倒れたままうめきと身悶え、荒い呼吸を繰り返すコゾウに近付いた。

 腹を抱えて体を丸めているコゾウの腹には、一本の小さなナイフの柄が見える。

 

「いくぞ」


 ラナイは一言そう言って、コゾウの返事を待たずにナイフを引き抜いた。

 瞬間、痛々しい悲鳴を上げて、コゾウは体をくねらせてのたうち回る。

 

 次いでラナイは手に持ったままの解毒薬を与えてみるが、スズと同じく咽た後も彼の苦しみは消えない。


「おい、どうすればいい」


 そう言ってラナイがコゾウの顔を覗き込むと、


「ぼーっとしてんじゃ、ねえ。みんな……あいつら……っ」


 血を吐き、咳の中でそう言い、苦悶の表情でラナイを睨みつけた。


 はやく。

 その言葉を合図にラナイは立ち上がり、コゾウのポケットに解毒薬を詰め込むとスズと二人を抱えて森を走り出した。


 木々の間をすり抜け、風に踊る木の葉のように進んで行くその間、ラナイはあまり良い予感を感じてはいなかった。

 かといってそれは悪い予感でもなく。

 

 今まで謎だと思っていたことが一気に明らかになり、それを処理しきれていないといえばそうだ。

 現実味が感じられない。

 特にわけもわからないまま、ただ体を思うままに動かして、それはコゾウに声をかけるまで。


 その後は、そういう現実とは逸脱したところで無意識に行動していた。

 

 そうして急ぐラナイには、無数に立ちはばかる障害物はあまり意味がない。

 ほとんど直線的に木立を走り抜け、そうしてラナイの目が木々の向こう側に篝火の明かりを捉えるまでの時間は、スズを追って来った時の半分にも満たなかった。


 夜闇ですら眩しく感じたラナイにとって、数十分ぶりの煌々と輝く明かりは一瞬視界を白く染め上げるほどに眩く。

 瞳が風景を正しく映せるようになるまでの数秒間、ラナイは立ち止まっていた。


 白く染まった風景がそれぞれの色形に作り上げられていく。


 白い風景に徐々に現れてくるのは、まず色の濃い黒色。

 それが不規則に点々と、大きな岩のようにそこら中転がっている様子。

 次に現れるのは木々の色である焦げ茶色。

 背景が出来上がり、その上部を暗くなった木々の葉の深い緑色が雲の如く覆う光景。

 そして、白い風景は徐々に赤っぽく色付いて落ち着いていく。


 すると、そこに周辺のどの色からも浮いたものが幾つも目立ち始めた。


 白い塊の十数個。

 それらが何だかラナイがわからないはずもない。

 それらはドールたち。

 苦しそうに蹲る黒色の彼らそれぞれのそばに佇んでドールたちは何かしている様子だ。だが。


 ラナイはそれらには目もくれず、別の方へと歩いて行く。


「アレ……」


 名を口ずさみ、ラナイは一人のサルの妖獣人のそばで何やら作業をしている少女の元にコゾウとスズを降ろして寝かせた。


「スズはもう大丈夫なんだ。けど、こいつがどうしようもなくて」


 そうは言ったが、ラナイ自身どうしてアレに訊くのかは理解していない。

 するとアレは徐にコゾウに近付き汗ばむ額に手を当てると、血で汚れた服を捲り上げた。


「刃物の痕……、刺されたの?」

「そうだ。ジュウ……イーリークラップが」


 ラナイの声が聞こえていたのかどうか、アレは傷口を覗き込み、「酷い」と呟く。


「患部がもうダメになり始めてる。たぶん、"エルオムの指先"だ」

「エルオムの指先……?」

「うん。イグナスがそう言ってた。

 通常の草と同じ姿をしているけど、時々そういう生き物をダメにするものが混じってるの。

 普通、見分けたりできないはずなんだけど……」


 そんなことより、とラナイは言う。


「助けられるのか?」

「わからない。エルオムの指先で受けた傷を治療したことがないの。

 私が持ち帰る山の植物はイグナスに選別してもらっていたし、それを口にしたアリアスを見かけた時にはもうダメになってたし……。

 やれることはやってみるけど、もしかするとそれでダメになるかもしれない」


 淡々と話すアレ。

 すると。


「カシラを……助けて……っ」


 そばでアレの治療を受けたアナーブの誰かが懇願するように言った。


「……約束はできない。助からなかったら、諦めて」


 言い放ち、アレはさらに少しコゾウににじり寄った。


「まずは毒を抜かなきゃいけない。ラナイ、傷口からできるだけ血を吸い上げて」

「おれが? 大丈夫なのか?」

「私は一応人間だから、エルオムの指先が口に入ったらダメになっちゃうかもしれない。だから、ただの人じゃないラナイにしかできない」


 アレの言葉にラナイはもう一度「おれが……」と呟く。


「やって」


 返事代わりにアレを一瞬見つめ、ラナイはコゾウの腹を見下ろした。

 衣服に吸い取られてなお、ドク、ドク、と鼓動に合わせて傷口から溢れ出す血液。

 その中で傷の縁だけが山になって盛り上がり、その周辺は肌の色とも血液の色ともつかない濃い灰色のありふれた石ころのような色に変色している。

 それは宛ら血をこぼす血の気のない唇とも思える。


 躊躇する耳の穴に「早く!」とアレの声が届き、ラナイはコゾウの脇で這うような格好になり、そっと腹に顔を近付けた。


 大きなラナイの頭はそれでコゾウの体の三分の一ほどを覆い、口はそれよりも小さいとはいってもナイフの傷口の数倍は巨大だ。


 どこに口を付けたら良いのかはわからず、儘よとラナイは適当に口を押し付けた。

 瞬間、口の中に感じる血の味。

【忘れられた水路】で食ったものとさほど違いはなかった。


 舌先で傷口を探し、口の位置を微調整するラナイ。

 そして、ここだという場所で口を僅かにすぼめ、吸い上げる。


 だが、力加減がわからない。

 竜の息吹すら吸い込むラナイの吸引力で全力を出せば、コゾウの"中身"が無くなってしまうだろう。

 そこでラナイは、舌ですぼめた口の空間を調整しつつ、限りなく吸い込める力を優しく込め、次々と連なって流れ込むコゾウの血を口内に溜めていった。  

   

 いったいどこまで吸えば良いのだろうか。

 ラナイに疑問が過ぎったその時。


「ラナイ! 終わり!」


 と、アレが叫ぶ。

 言われて咄嗟に口を放すラナイ。ゴクリ、と喉が鳴る。

 すると、その目に顔面蒼白のコゾウの姿が映った。


「……あれ……」

「わかんないけど、たぶんギリギリ……」


 アレは自信なさげに言って立ち上がり、そばにある焚き火へと駆けて行った。

 そうして持ち帰ってきたのは、ジョッキだ。

 中には少しだけスープが入っている。


「おい、アレ。それって毒が入ってるやつだろ?」


 ラナイの質問に、アレは「目には目をだよ」とそれだけ言ってジョッキの中身を口に含んだ。

 そして。


「おい……」


 アレは、苦しむどころか口と目を半開きにして虫の息となったコゾウの口に自らの口を押し付けた。

 ほとんど意識を失っているコゾウの喉が動き、アレの口から押し出されるスープがコゾウの体の中へと流れていく様子が見て取れる。


「おい! アレ!」


 不安に駆られラナイが声をかけるも、コゾウから口を離したアレの返事は「次」。

 そう言って近くであたふたしているサルの妖獣人にナイフを持ってくるよう声を上げ、持ってきたナイフを受け取った。


「次、患部の肉を削ぐよ」

「削ぐって……大丈夫なのか?」

「そんなのわからない。けど、やらなくてもダメ。躊躇してたら、間に合わない」


 あくまで淡々と言うアレには、言った通り躊躇する様子は窺えない。

 ナイフをコゾウの腹に立て、ビクビクと痙攣するコゾウを構わず、慎重に傷口の変色した部分を削いでいった。

 ラナイが吸い上げたせいか傷口の出血はほとんど止まっており、そこに流れるのは桃色の半透明の体液が多い。

 

「よし……次っ」


 そうして削いだ肉を取り上げまた焚き火の方へ行くと、アレはそれを火の中に放り込んだ。

 瞬間、バチバチッ、と音を立て、肉は火の中で跳ねた。

 ある種異様な光景。

 しかし、そんなこと、だ。

 目の前でもう死んでいるとしか思えないコゾウがいて、ラナイが出せる言葉など何も無かった。


 アレが叫ぶ。


「誰か! 竜の鱗を持って来て!」


 叫び声にドールが数体となぜか元気なサルの妖獣人が反応した。


「倉庫にならあるが、ここにはねえよ!」

「じゃあ、急いで取ってきて! 五秒! 待っても五分が限界!」

「バっ、バカ言うな! 倉庫は近くにゃねえよ! 【マッキンダム】まで行かなきゃならねえ!」

「どこよそれ、そんなのいいから早く取ってきて!」

「十日は掛かる! 無理だ!」

「なんでよ、バカっ!」


 せっかくここまできたのに。

 悔しげに呟くアレ。

 すると。


「あの……」


 と、一人のドールがやって来た。


「竜の鱗ではないが、竜の味がする。これじゃあダメなのか?」


 そう言ってドールがアレに見せたのは、"何かの一部"。


「なに……これ……」

「地下にいたんだ。後で食おうと口の中に隠してたんだが、どうだ?」

「なんだかわからないもの渡されて、どうだって言われても……」


 困惑するアレ。

 それを傍で見ていたラナイには、その何か、が閃く。


「それ、ワシヅカミか? あの手の平みたいな」

「そうです。やっぱりあれが一番上手くて、一口だけ取っておいたんです」

「へえ」


 場もわきまえず間の抜けた返事をするラナイにアレが言う。


「それって、竜なの?」

「わからない。けど、確かに竜の味がするものだ」

「竜の……って、どうしてラナイがそんなこと……」


 同じく現状と違った疑問が浮かんだアレだったがすぐに振り払い、「だったら信じてみる」、と受け取ったワシヅカミの一部を自分の服で拭い、それをコゾウの傷口に当てようとしたその時。


「待って」


 そう言ってアレの隣にしゃがみ込んだのは、グリムだ。


「竜の再生能力が欲しいんでしょ?」

「うん。竜の力なら、縫うよりも早く傷口が治るから……」

「だったら、アタシの体を使っていいよ」


 不意の発言に息を呑んだのは、アレだけでなくラナイもだ。

 

「でも……」


 躊躇するアレにグリムが言う。


「一応、竜人との混血だからアタシは少しでも竜よ。傷の治りが早いのは実証済みだし。それくらいの大怪我が治るかはわからないけど、わけわからないもの使うよりはずっとマシじゃない?」


 ピクリとも動かないコゾウを見下ろし、グリムは細く息を吐いた。


「さ、早くやっちゃいましょ」


 それ貸して。

 言うなりアレの手からナイフを受け取ると、それをローブの端で拭い、グリムは焚き火の方へ歩いて行く。

 アレもラナイも、その小さな背中を眺めているだけだった。


 グリムは受け取ったナイフを火の中に押し込み、少しの間炙ると、そこらに落ちていた酒の残るジョッキを拾い上げ、中身を刃にかけた。

 じゅっ、と音がしてナイフから薄い白煙が立つ。


 それを右手に、袖を口で捲り上げるグリム。

 そのまま袖を強く噛み締め、鼻で大きく息を吸うこと三回。

 息を止め、前腕の内側にナイフの刃を当てた。


 ぐるりと大きく楕円を描き、ナイフの軌跡からはプツプツと血が溢れて流れ出す。

 乗じて袖を噛むグリムの口からは苦しげな嫌な声が漏れ。

 一周終えて涙が伝う頬を拭う暇もなく、グリムはナイフの刃を寝かせた。

 

 描いだ楕円をくり抜くように傷口に刃が滑り込むと、噛む袖の奥からグリムが悲鳴が溢れ出る。


 それで周囲の皆が足を止め、女の方へと視線を向けた。

 唖然とした空気が漂う中、篝火に生まれた影がチラチラと踊り、耳を塞ぎたくなるような叫び声だけが場違いに大きな音として存在していた。


 全てが終わるのに、どれだけ時間が掛かっただろうか。


 彼女の悲鳴に呼応し、涙を流すサルの妖獣人が数人。

 ドールたちはただ立ち尽くして、自分の腕から皮膚を取り上げる女を見つめ続けていた。


「ああっ、くそおおおっ! ほら、これ使っちゃって!」


 アレにそれを渡し、グリムは近くにいたドールを思い切り殴りつけた。

 アレは、真剣な表情のまま顔のどの筋肉も微動だにさせていなかった。

 痛みに藻掻きドールを殴りまくる、ボコ、ボコ、という打撃音を背景に、酒で洗い流したグリムの一部をコゾウの腹に押し付ける。


 その瞬間、コゾウの体がビクリと反応し、小さく「ぐあっ」と声を漏らした。

 

「良かった、まだ生きてる……っ」


 いつの間にか苦悶の表情にまで吹き返していたコゾウに汗だくの笑顔を向け、アレは治療を続けた。


          ◯


 それから三日。

 コゾウの意識は戻らなかったが、目はちゃんと閉じていたし、口は開いたままだったがそれは荒い呼吸をするためだ。


 誰に見せてどんな評価を受けるやも知れぬ素人の処置は、おそらく上出来だったのだ。


 一人幼い頃から山の中で生きてきた少女アレの豊富な知識と、自傷をも厭わない勇敢な女グリムの行いにより、猛毒"エルオムの指先"に侵されたコゾウは事なきを得た。


 後にアレは、「三竜は共生できない。だったら、地上界の毒はエルオムの指先と戦うはずだよ」とコゾウに行った"目には目を治療"の説明をした。

 

 地上界の毒とは、イグナスの言うところの土となった獣を喰らって育つ草の力のことだ。

 その一言が、【エルオム】という存在がただの草の化身でないことを表し、未だ世界は三つに分かたれて、そこには相容れぬ関係が残っていることを証明していた。


――終わってなんかいない。ルトゥールは今、休戦中だとさっきも言ったはずだ


 ジュウザの発言は、狂言でも虚言でもなかった。

 イグナスとの生活が当たり前だったアレにとってそれは当然のことで、だから"目には目を治療"なんてことを思いついたのだ。

 

 しかし、ならばなぜこの世界【アトニム】は今のように一つであるかのように振る舞うのか。


【アトニム】の人々をアンノウンだと言ったジュウザ。

 彼らはルトゥール休戦に乗じて生まれた生まれるべきではない者、だとも言った。

 その言葉が、"この世の者のフリをしたこの世の者"という言葉と重なり、ラナイはふと"アリアス"という存在の正体がわかったような気がした。

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