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おれとれ 14

 大荷物を降ろしたスズは、小さくて細い。

 その上、彼女の来ている濃い緑色の衣服は周囲のどの色にも同化して見えづらい。

 しかしそれは、普通の目ならば、だ。


【忘れられた水路】を抜け出たその時から腕に熱を感じられなくなり、思った通り白光を失っていたラナイは今、暗闇を暗闇として認識していた。

 すると、この浮き上がった白黒の風景が随分久しぶりに思え、むしろ眩しいくらいに見えている。

 だからもちろん、夜闇程度でスズを見失うことはない。

 

 そして何より、それがスズを追う理由でもあった。

 

 どうしてスズはランタンを使っていないのか。


 ここがただの夜闇であったとしても、通常暗いものは暗いはずなのに、どうしてあの便利な白光を歩かないのかがラナイは気になったのだ。

 とはいえ、ただそれだけだ。


 それがスズの何をおかしい思う理由ではなく、このスズの不可解な行為とあともう一つ。

 ランタン以外にも見ていないものがある、というのがラナイがスズを追う理由だった。

 

 皆が食事をする中、そこに姿が無かったのは二人。

 コゾウとイーリークラップだ。


 そのおかしさは、遡れば【忘れられた水路】からアレたちが出てきてすぐから始まっていた。


 まずおかしかったのは、コゾウが言っていた少し前に知人を迎えに行ったきりなかなか帰って来ないという仲間たちの存在。

 あの時、アレたちのそばにいた怪我をしたサルの妖獣人がそうなのは明らかで、だったら彼らは、アレ、グリム、スズ、イーリークラップ、の誰かを迎えに行ったということになる。


 突発的に事態に巻き込まれたグリムはあり得ない。

 突発的、という意味ではスズも同じ。

 つまり、彼らが迎えに行ったというのはアレかイーリークラップということだ。


 アレがアナーブと知り合いでないことはラナイがよくわかっている。


(……イーリークラップ。あいつはいったい何者なんだ?)


 警戒心の強いスズの木立の陰十メートルほどの距離を保ってスズを追いながら、ラナイは考える。


 コゾウが昔馴染みという相手。

 匿って欲しいというその要望を考えれば、ポロトロスやガビッツに追われているイーリークラップで間違いないとも思える。


 しかし、わからないのは彼が欲する"ドール"のことだ。


 アナーブの倉庫で保管されている四体ものドールをなぜイーリークラップが欲しがるのか。

 しかも、ドール一体をグラン金貨十枚で買い取り、さらに金貨三十枚の報酬で匿ってもらおうとまでしていた。

 ならば、金が欲しくてラナイをポロトロスに誘ったと考えるのはおかしい。

 つまり、やはりドールなのだ。

 イーリークラップは、ドールを欲しがっているに違いない。

 

 スズが立ち止まった。

 周囲をぐるりと見回し、何かを探している。


 その視界に入らないよう、ラナイはそばにある太い木の幹に直立になって姿を隠した。

 それで一旦スズは視界から外れ、草を踏みつける足音が今ラナイにとっての彼女である。


 すり足が少しの間続き、それからニ、三歩、そしてまた弱い足音が聞こえる。

 妙に慎重な足音だ。

 実際に見えはしないが、蠢くスズの足音を目で追うラナイ。


 それが遠ざかっていくのを聞いてから、再び木の陰から先ほどまでスズがいた辺りを覗き込むと、そこに彼女の姿は無かった。

 少し進み、ラナイは木立の中に小さな少女の姿を探す。

  

 足音は向こうの方へ行ったはず。

 想像の足跡を辿り、ラナイは足を進めていく。


 最中、ラナイの考え事はイーリークラップとドールから、アレとイーリークラップが失踪していたおよそ一ヶ月のことに変わっていた。


【アーハイム】から【コルト】まで、休みなく歩けばで八日程度。

【コルト】にいると知るまでの期間にそれが加わるわけで、つまり一ヶ月以上もの間アレとイーリークラップは【コルト】に潜伏していたことになる。


 ラナイが父親や師匠のことを口にした時、イーリークラップは『元気だったか』と言ったところ、彼はやはりどちらにも会っておらず、ただネズミ道に隠れていたのだろう。


 その奇妙な空白の時間の謎は、おそらくアナーブへの連絡に掛かった時間だと考えると、それなり合点がいく。 

 だが。

 アレはその期間一度も街に出ようとしなかっただろうか。


 もし出ていないのだとすれば、イーリークラップは活動的なアレをどうやって止めたのか。


 もしかすると、二人の間には自分との間にはない別の繋がりが出来ているかもしれない。

 そんな考えが頭を過り、ラナイは少しだけ妙な気分を味わっていた。


 ラナイの目が木々の隙間に微かなスズの姿を捉える。

 すると、 


「や。久しぶり」


 立ち並ぶ木々の向こうにスズが声を掛けた。

 しかしラナイの位置からは相手の姿が見えず、少しだけ場所を移動する。


 ニ本ばかり隠れる木の幹を変え、そしてラナイの視界に映るのは、スズとの間に細めの木の幹を一本挟んで二人の黒い影のような人の姿だ。  

 どちらも明かりを持っていない。


「なんだ、やっぱり来やがったのか。鼻の利く奴だな」


 声は、コゾウのものだ。

 

「あったりまえだよ。それだけ妙な匂いを撒き散らしてたら、隠れたって無駄」


 と、スズが大袈裟に頭を振る。


「ったく、どうせ逃げてるんなら俺に相談してくれれば良かったのに。水臭いじゃん」


 そう言って二人に歩み寄りながら、スズが言う。


――ジュウザ


(ジュウザ?)

 

 たった一言、その一言がラナイの思考を支配した。

 聞き覚えのある名前、それはスズの命の恩人の名だ。

 それがどうして今、目の前にいる二人に向けられるのか。

 ラナイの頭に浮かぶ二人の名前が、霞んで混じり合っていく。


「お前は単独行動だし、大体地下にいるしな。連絡の取りようがないんだよ」


 軽い笑い混じりにそう答えた男の声は、イーリークラップのものだ。

 少し鼻につく、いやにハッキリとした声色。

 それにスズは「まあ、確かに」と同じく軽い笑いで返した。そして。


「ところで」


 とそばに寄って、イーリークラップの頭部を指差す。


「その耳、どうしたの?」


 二の句は、「プライアにはそんなもの付いてないはずだけど」。


「…………」


 イーリークラップなのかジュウザなのかは、答えなかった。

 その沈黙の間、その男を見つめる視線はスズからだけでなく、コゾウからも向けられていた。

 すると、男はどちらに視線を合わせるでもなく。


「殺した」


 と、一言だけ言ってバンダナを解いた。

 そうして露わになった"うさ耳"は、力なく萎れたまま、頭部の曲線に沿って顔の脇についたもう一つの耳の方に流れ、垂れる。

 男はそれをまるで顔にかかった髪を払うのと同じように後頭部の方へ払った。


 スズは俯き地面に向かって「やっぱり」、と呟いた。


「……なんで?」

「必要だったからだ」

「なにが? どうしてあの子を殺す必要があったの?」

「大義のため」

「大義ね……。ジュウザはいっつもそればっかり。それが原因で【マッキンダム】にも【ディーズベルグ】にもいられなくなったんだよ? まだ懲りてないの?」


 懲りる、というスズの言葉を男は嘲笑する。


「バカなこと言うなよ。これは、俺の使命だ。プライアとして生まれ、プライアとして生きる。そのために必要なことをしたまでだ」

「何の罪もない人を殺すのが、そうなの?」

「人……? あれが、人だっていうのか?」


 そう言って男は声を上げて笑った。


「スズ、お前は昔からそうだ。他人には興味ないような顔をして、そのくせ同情的。抱えた大義も忘れて、そこら中我が物顔で歩き回る"アンノウンども"を人間扱いする……」


 それも、【否読の書】が読めないからなのか。


「…………」


 男の言葉に無表情のまま、スズは沈黙した。

 するとその隙にコゾウが口を開く。


「ジュウザ。俺も正直テメエの思想は理解できねえよ。妖獣人も妖鳥人も竜人も、なんてこたねえただの人間だろ。そりゃ姿形が違うから俺たちと同じだとは言わねえ。

 けど、変わらねえ。

 あいつらは俺たちプライアとなんら変わらねえただの人間だ。

 お前の言うアンノウンなんかじゃねえんだよ」


「違うっ!」


 声を荒らげ、叫ぶようにコゾウの言葉を否定した男からは、殺気が漏れ出ていた。

 しかしそれはそこにいる二人へ向けられたものではなく、どこでもないどこかへ向けられたもの。

 だからこそ甚大であり、その猛烈な殺意にスズとコゾウが怯む。


「あれは、アンノウンだ! ルトゥール休戦に乗じて生まれた、生まれるべきではない者だ! そんなもの、この世に必要なはずがない!」


 興奮する男をなだめるように、スズが「落ち着いて」と。


「……わかったよ、ジュウザ。君の考えは変わらない。だったら、教えてよ。

 君はどうしてその忌み嫌う妖獣人の耳を付けているの?」

「大義のためだ」


 またそう言った男に、スズは「違う」と答えた。


「君の大義は、アトニム人を滅ぼすことだよ。利用することじゃない。

 だから……違う。君は、変わった……」


 こぼすように呟き、スズは静かに目の前の男を見つめた。

 男の返事は、溢れ漏れる殺気の集中。

 体中に巻きつけられた幾本ものナイフが瞬時に息づき、衣服の装飾としてではなく、武器として浮き立つのが遠く三人を見つめるラナイにも感じられた。


 気取るのは、攻撃、の二文字。

 反射的にラナイが一歩にじったその時。


「ジュウザ、やめろ」


 コゾウが男の肩を叩いた。


「……コゾウ。お前もなのか」

「いや、その辺はスズと俺は違う。俺は盗賊だ。人殺しも、強奪も悪いこととは思わねえ。必要なことだ。むしろそいつが盗賊としてのプライド。

 善悪なんかじゃ世界は測れねえってことはよくわかってる。


 結局、どんだけ粋がっても一人は一人。多勢に無勢じゃ大義もくそもねえんだろ?

 だったらいいじゃねえか。利用したって。


 テメエが変わらなきゃならねえのは、そういうとこだ。

 一本筋が通ってるようで通ってねえ。

 それを女に指摘されて腹立ててるようじゃ、テメエの言う大義ってのもクソ食らえってことだ。


 だから、頭冷やせよ。

 スズは女だ。同胞だ。

 それでも、今この場で気に食わねえから女を殺すってんなら、俺は俺の友を守るためにお前を殺すぜ」


 そう言ったコゾウの声に野蛮な覇気は感じられない。

 だが、その発言が冗談の類でないことは、研ぎ澄まされた雰囲気から察せる。

 戦えば互角か、それがラナイにも感じ取れた。


 だったらこの場で一番強いのは自分。

 それがわかったことで、ラナイの気はさらに張り詰めていた。

 何か起これば飛び出す、そう腹を決めたからだ。

 

 すると、相変わらず落ち着かない殺気闇に紛れ込ませたまま、男がゆっくりと話し始める。


「イーリークラップは……あいつは最期、『なぜ』と俺に訊いた。

 理由は、大義のためだとそう答えた。


 大義が何なのか、それはとっくにあいつに話していたはずなのに、あいつは最後の最後でまたそれを俺に聞いたんだ。

 だから気づいたんだよ。

 

 イリクは、俺が何をしようとしているか気づいていた。

 それだけなら殺すまでするつもりはなかった。

 でもあいつは、隠したんだ。

 大義のため必要な"迎え火"の種火を俺から盗んで、あいつは隠した。

 

 逃げたイリクを見つけたのはしばらくしてから、【アーハイム】でだ。

 捕まえ、種火の場所を聞き出している最中、あいつは死んだ……」


 種火。

 その単語にラナイは記憶の本を開いた。


「ジュウザ……君……」


 スズの声が絞り出したように微か。

 その表情は歪み、何か混乱している様子だ。


 そんなスズに構わず、男が続ける。


「あいつは【アーハイム】にいた。

 だから【アーハイム】に種火が隠されていると、そう思っていた。

 そのための耳だよ。

 あいつが唯一残したその身体を使って、俺は隠された種火を探すためガビッツに入団した。

 

 結局、【アーハイム】に種火は見つからなかった。だが。

 やっと見つかったよ……」


 漂う殺気が声に乗る。

 闇の中を揺らめいて男の周辺を蠢いていたそれは、一瞬で闇から顔を出し、目の前に立つ無防備な少女へと向けられた。


 瞬間、ラナイが動く。

    

 一歩。大股のその一歩で彼らに辿り着くのは不可能だった。

 二歩。まだ彼らは遠い。

 三歩目でラナイは地面を蹴った。


 この時点でかなりの音と気配が顕になっていた。

 だからとっくに三人はラナイを視認していると思われたが、しかし。


 ラナイが二歩目を踏み出したのと同時、事態は動いていたのだ。


 前方に飛び、一気に距離を縮めるつもりだったラナイは、異変を察してすぐそばの木に腕を引っ掛け、勢いを殺す。

 

「……コゾウ」


 食いしばった歯の隙間から漏れる邪悪な声。

 即座に木の幹に隠れ、ラナイがそこから覗き見るそこには、地面に押さえつけられ、首元を交差した二本の刃に挟まれるかたちで制圧される男の姿があった。

 

「テメエ、言っただろ。スズを殺るならテメエを殺る。冗談だと思ったのか?」

「……殺すつもりはなかった」

「バカかテメエ! 誰が信じるか! それだけ殺気をだだ漏れにさせて、殺さねえはずがねえだろうが!」


 コゾウが男の背の上で声を荒げる。

 するとその前方、たった今この一瞬で生命を狙われていた少女が、落ち着き払った様子で男に近付いた。

 彼女は何も言わない。


「スズ、お前のランタンをよこせ」

「なんで?」

「大義のためだ」


 男が言うと、スズは嘆息した。


「またそれ。必要なら譲らないこともないよ。だから、理由を教えて」


 スズがそう言って男のそばにしゃがみ込む。

 すると男は目だけでスズの顔を見上げ、語る。


「"迎え火"だ。コルトの火の真髄。あの種火を燃やし、消えた竜を呼び戻すんだ」


「竜を……呼び戻す……? でも、ルトゥールは終わったんじゃ」


「終わってなんかいない。ルトゥールは今、休戦中だとさっきも言ったはずだ――」


          ◯


 今から数千万年前、この世界は三つに区別されていて、単純だった。

 各世界の特殊な竜、鳥、獣、魚、植物、そしてそれらの起源となる三匹の竜、彼らの子供たち。


 三匹の竜とその子供たちを除き、他のものは全て竜の歩みによって生まれた。

 風も陸も水も、生命も全てだ。

 そしてそれは、幾万年もの間続いていた。


 だが、ある日その均衡が崩れた。


 その時、それまで地上界には存在しなかった新たな生物がいた。

 それは堕天使という種族。

【オウモ】の子である天使が地に落ちた姿だ。

 

 始まりはたった一人の天使。

 そいつのが【オウモ】を怒らせ、地上に落ちた最初の堕天使だった。

 

 そしてそいつが始めたのが、ルトゥール。

 反旗への反旗という名の思想。

【オウモ】の"罰"に対する違和感への答えだ。


 つまりルトゥールの目的は、三竜の抹殺。

 殺せることを証明し、起源の竜ですらただの生命であることを知らしめようというものだった。

 その目的達成のため、始まりの堕天使が組織したのが"訂正軍アトニモ"。

 

 始まりの堕天使の後、急速に数を増やした堕天使を集めて構成されたその軍は、鳥や魚を含む野獣、竜もまるで歯が立たず、地上を席巻していた獣、その知恵の最高峰である人類の知恵の結晶ともいえる"武器"を用いても彼らを従えることはできなかったという。

 そして、アトニモは世界を統べた。


 堕天使はある時を堺に数が増えなくなったというが、それでも世界はアトニモを畏れ続ける。

 今はもういない七人王ですら、アトニモに畏怖を抱いていた。

 

 それからアトニモは、三竜【エルオム】が齎した王という災害の討伐に着手し、その一体を得たらしい。

 だが、何を得て、それがどうなったのかはわからない。


 それがきっかけかどうか。

 世界には大いなる異変が起きた。

 いや、起きていた。


 誰も気づかなかったんだ。 

 どこからか狂っていたのに、誰も世界の異変に気づいていない。


 異変、はつまりルトゥールの停止だ。

 直前まで世界に顔を覗かせていた竜が姿を消し、同時に堕天使も姿を消した。

 その後の世界でアトニモの名は霞み、ウーリエ、アインベール、ミシエル、ローディーカップ、ドルバルの名だけを残し、竜は彼らによって殺されたと流布されるようになった。


 でも、違う。


 竜はただ消えただけだ。

 死んだことも確認されていないし、ウーリエたち本人が殺したという記述はどこにもない。

 そして何より、ドールの存在が三竜が死んでいないことの証明だ――。


          ◯


「それはつまり、ドールがお前の言う異変だってことなのか?」


 男の背の上で、コゾウが訊く。


「全く違う、が遠からず近からずってとこだ。

 話によれば、あれらは"死体"。炎に焼かれ、肉を失い死んだ堕天使の残り物……」


 含みをもたせ、男がほくそ笑む。

 すると、


「だからなんだっつーんだよ。あんな骨みたいなのが死体だってんならそれも納得だ。いちいちまどろっこしいからとっとと結論を話せ」


 コゾウが苛立って男をせっついた。


「あれらは竜の子だ。人類の武器で受けるダメージなんて虫に噛まれる程度の傷しか付けられない。それなのに、丸ごと焼かれたんだ。誰の仕業か考えるのは簡単だろ」


 竜か、とコゾウが言う。


「そう。堕天使を焼いたのは黒竜【イグナス】の炎だ。

 一時に絶えたという状況を踏まえれば、まとまっているところを【イグナス】に襲われたんだろう。

 

 おそらく、アトニモは【イグナス】と戦っていた。

 相手が目的の三竜なら、堕天使は間違いなく集まっていただろうし、それ以来ドルバルが生き残りだといわれる所以も、その時堕天使のほとんどが殺されたからだと考えられるからな」


 男の話を否定できるのは、この時ラナイだけ。

 新たに覚醒した堕天使本人から当時の状況を聞き、アトニモが三竜を見つけられてすらいないことをラナイは知っていた。


 だが、男の話からわかったこともある。

 堕天使はある一時に一斉に殺された可能性がある、ということだ。


 その意見がラナイの記憶と一致するのは、押し迫る闇の到来。


 所謂時代。

 ウィッシュバルがアトニモとして戦っていた頃と、ミーヒルバルやイーバル、アトニモ灰影隊だったという皆を含むウーリエが戦っていた頃の二回、それは訪れている。


 男が勘違いしているのはその部分で、押し迫る闇が二回やって来て、それがもし【イグナス】だったとするなら。

 

(押し迫る闇は、【イグナス】の不意の襲来ってことだったのか……?)


 だが、わからない。

 ラナイが自身の考えを否定するのは、地上にいたウィッシュバルやミーヒルバルが焼かれて死んだことには納得できるが、地下にいたイーバルたち灰影隊が同じくドール化しているということの理由にはならないからだ。

 

(地下に満たされるほどの火力だっていうのか? まさか)


 ラナイは一度向けられたあの炎を思い出し、それがどれほどの威力だったのか感じてみるが、やはり地下丸ごとまで焼き尽くせるようなものではなかった。


(つまり、本気じゃないってか。まあ、ありがちだな)


 ラナイが自己完結させる間に、コゾウが荒い吐息に声を混じらせながら言う。


「で、どっちなんだよ。ドールは死体なのか、生きているのか。

 堕天使か何か知らねえが……やっぱり、お前の話は遠巻きで鬱陶しいんだよっ」


 そう言ってコゾウの構える二本の剣が僅かに男の首に近付く。


「死体が自分勝手に動く、って矛盾をお前に理解できるか?」

「なにを……いってやがる……」

「堕天使は特別性だ。何せ地上界のものじゃないからな。だが……」


――もしも、それが人間にも適応されているとしたら


「あ?」

「あいつらは、簡単に壊れない入れ物だからまともな形をして動いている。だけど人間や野獣は違う……簡単に壊れるから、動くにも動けない」

「なんだ、てめえ。じゃあひとも、どーるとおなじくしんでもうごくっていうのか……」

「お前らは知ってるだろ? ノットだよ。あれは過去あの地下洞窟【忘れられた水路】に乗り込んで死んだはずの誰かだ」


 スズの体が、ぴく、と硬直する。


「つまり、生物が死んでも動くってことはもう証明されている。だけど違う」

「……なにが、だ」

「ノットは誰かだった死体だが、その"中身"が入っていないんだよ。空っぽだ。だから、適当に動いて意味もなく行動を続けている」


 男が言う間に、その首元に触れかかっている刃が小刻みに震え始めた。


「わけが……わからねえ……な……」


 顔を歪ませ、不器用に頭を振るコゾウ。


「だから言ってるんだ。"異変"が起きているって……」


 ところで。

 と、男が目線を自分の背にのしかかるコゾウの方へ向けた。


「体は大丈夫か?」


 唐突な質問に、コゾウは震えて閉じきれない口の隙間から「てめえ」と声を漏らした。

 その柄を握る両手は役立たず。

 徐々に解け、そこから離れるのと同時にコゾウの体が傾き、倒れた。


「コゾウ!」


 スズが声を上げる。

 だが、すぐには駆け寄らず、もどかしそうに両手の拳を握り締めたまま、


「ジュウザ、なんでこんなことするんだよ!」


 と叫ぶ。


「なんで、か。お前も懲りない奴だな」


 言いながら、男は首の両脇に刺さっている剣を倒し、身軽に跳ね起きて服についた汚れを払った。


「大義のためだよ」

「た、たい……ぎ……?」

「何度も言ってるだろ。

 俺は、"ルトゥールを再開させる"。間違ったこの世界を正し、アンノウンどもを殲滅する……」


 男の殺気はいつの間にか止んでいた。

 すると、殺気の分空いた隙間に流れ込んだかのように強い風が吹き、ただ一人立っている男の頭に付いていたウサギの耳をなびかせる。すると。


 男は、そうして乱れたウサギの耳を徐に掴み、引き千切った。

 千切った耳を地面に捨てた後、男は尻尾とバンダナも捨てた。

 それともう一つ、男が投げて地面に落としたのは、三つの小瓶だ。


「解毒薬だ。だけど、これは"食事に混ぜた分"だけ。まさかナイフを抜くことになるとは思ってなかったからな。だから、コゾウは助からない」


 あくまで平然と男は言った。

 だが、コゾウの後に続いて倒れたスズは「ジュウザ」と呟くだけでまともな返事はできていなかった。

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