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おれとれ 13

 その次に起きた出来事は、つまり急変といって過言ではない。

 谷間を挟んで忙しく後片付けをするアナーブが、急に騒がしくなったのだ。

 

 そちらを正面にしていたラナイはすぐそれに気づき、そこを背にしていたコゾウはラナイの視線が自分とは違う方へ向いていることに気が逸れていると気づいてからだった。


「どうした」


 コゾウが背後を振り返るのと同時、ラナイの目に、谷間に飛び込むニ、三人の姿が映り込む。

 まさか、自決ではない。それが谷底に何かを見つけた上での行動なのは明らかだった。

 そうして何人か飛び込んだ後、崖の上からは縄はしごが放り込まれた。

 その行為が意味することを察するのは簡単だ。

 

 下から誰か上がってくる。

 それがわかった瞬間、ラナイがそちらへ歩き出したのは、本人にも理解不能な行動だった。


 だが、ラナイが何を口に出さずとも、少しだけ足早な足運びにはそれが表れている。

 

 自分たちの、仮にも先導者と称えた者が、どうして急にサルどもの行動を気にするのか自称堕天使たちには理解できていない。

 理由は違ったが、コゾウもショージョーもラナイの行動を理解していなかった。


 突然そばにやってきた妙に大きなドールの姿に、周囲のサルの妖獣人たちが自ずと道を空ける。

 

 ラナイは崖っぷちに四つん這いになり、谷底を覗き込んだ。


 その視線、高さ不明の谷底にアナーブの黒いサルの輪がある。

 影が重なり、人の目ならば何がなんだかわからなかっただろう、ラナイの特別な目だからこそ、そこにいる者を浮き彫りにしていた。


 他のサルに比べて一層小さい姿。

 黒い草むらに姿が隠れてしまう寸前のような垣間見える姿。

 それを確認して、ラナイは、


「あっ……」


 と声を漏らしていた。


 アナーブに迎えられ、崖にぶら下がる長い縄はしごに手をかけた彼女は、やはり巨大な背負い鞄を背負っていた。


「やっぱり、生きてた」


 一言呟き、ラナイはそれで急に体が軽くなったような錯覚を覚え。

 すると次の瞬間、ラナイは谷間へ飛び込んでいた。


 初めは陽光を受けて鮮やかな茶色。ところどころに草と石の緑色と灰色がまばらに色を付けている。

 数秒経てば風景はそこら中焦げ茶色の壁に変わり、僅かに湿った空気が土独特の香りを強調し始め、苔生す。

 

 深部へ落ちるにつれ、不思議と体は軽くなっていくような気になる。

 それは落ちるというにも奇妙な感覚だ。


 原因はおそらく、【忘れられた水路】だろう。

 濃い闇だけが満ち、風がほとんど吹かない底では、地上では当たり前に空席の多い空気たちも満ち満ちているのか。

 そういう意味で、この谷への落下は潜る感覚に似ている。


 さらに高度は下がり、周囲は黒へ。

 そこで白い人型は、ぽっかり空いた間抜けな穴のようになっていた。

 そして、


「スズっ!」


 声を掛けたのも束の間。

 ラナイは空中ですれ違った少女の反応を見る間もなく、


――ドンッ!


「わっ!」


 驚愕の声が谷間に響いた。

 湿った土で跳ね上がるのは、塵ではなく苔で繋がった土の小さな固まりだ。

 一度宙で表現したそれを、ラナイは地面に作り上げていた。


 大の字の人型。


 それは崖の上から見ても見紛うことはない。人の形だ。


「ちょっと、大丈夫?」


 不意の衝突に朦朧とするラナイの意識に、若い女の声がかけられる。

 だがうつ伏せのまま、白い人型は白い人型らしく地面の模様となっていた。


「……死んじゃった?」


 そう言って冷たい手の平がラナイの丸い後頭部に触れた。

 久しぶりの感触だった。


「もうっ、探したよ」


 白い人型が顔を上げると、少女と目が合う。


「……油断……してた」

「油断ってあんた。落ちたら死ぬでしょ、普通……」


 そう言って、少女が呆れたようにため息を漏らし、


「飛び込んで来るのはあり得ないわね」

「そう……なのか?」

「そうよ」


 少女ははにかむ。

 

 地下にいたなんて知らなかった。

【コルト】のネズミ道の奥にいたことはわかっていたが、二つしか無い入り口を通って【忘れられた水路】に入ったなんて考えもしていない。


 どこで会えるのか、どこで会うのかもわからないまま。

 赤いネックレスと粘土色の衣服、そして胸に隠された今は黒い宝石という危うい手がかりだけが彼女だった。


 この世界【アトニム】で、彼女を探すとはそういうことだった。


 誰の記憶にもなく、だから痕跡が薄い。

 もしイーリークラップという男がいなければ、それはもっと困難なことだっただろう。

 たとえ、記憶の本にどんな姿が描かれていたとしても。


「ア……アレ……」

「なあに?」

「……探したぞ」

「私もだよ」


 ラナイ。


          ◯


 その時の傍観者は、十一人。 

 はしごから見下ろすスズと、谷に飛び込んだアナーブの三人、それと応急処置が目立つ大小黒いサルの妖獣人が二人とその箇所が少ない三人。

 そして、この暗がりで一際黒い影のような姿でありながら、体中に備えた銀色のナイフが僅かな陽光を拾い上げて輝く、宛ら星空を纏ったような格好の男。

 最後に一人、ラナイの最後の記憶では粉塵に霞んで消えた薄緑色の女がそうだった。

  

「ラナイくん……?」

「ドール……」

「またドールがっ!」

「…………」


 アレと白い人型の再開を見守り、なのかただ唖然としていただけなのか。

 二人が短い会話を終えた途端、一斉に話しだした彼らの口から飛び出したのは総じて"ラナイ"のことだった。


 その中にラナイが本来ならば驚かなければならない相手は二人いた。

 しかし、アレという探し求めた女に会ってしまったことでラナイの感情は麻痺してしまって上手く動かない。


 汚れた薄緑色のローブの女が駆け寄って飛びついても、ぼんやり見つめるアレの向こうからじっとこちら見るうさ耳にも、ラナイは反応しなかった。


 いや、できなかった。


 ラナイを中心に蠢く事態は、達成された目的の前では雑音にも満たなかったのだ。

 ラナイはただ、待っていた。

 見知らぬ白い衣服を着た初めての友人である少女の次の言葉をだ。

 

 しかし。


「わっ、わっ! 今なんて言ったの? もう一度喋ってごらん?」


 そう言って興奮する一人の女の絶叫じみた叫び声が、呆けたラナイを叩き起こした。

 ほら、ほら、とせがんでいるのか挑発しているのか。女は驚愕と歓喜の混じったとんでもない笑顔をラナイの顔に寄せ、その肩を遠慮なしに叩きまくる。


「おい、やめろ」

 

 興奮する女の目を見つめ、ラナイが言った。


「わっ、わっわっわっ! やっぱり、本当に喋ってる! 信じられない!」


 両手に握り拳を硬め、女は雄叫びらしい声を上げた。


「今さら何言ってんだ。二日、三日でそんなに珍しいと思えるもんか……っても、もうおれだって珍しいとはいえないな」


 鼻息混じりに言って、ラナイは崖の上を指差した。


「上に行けば、おれよりもっと面白い奴らがたくさんいるぞ。学者のお前なら何か大きな発見があるかもしれない。

 っていうか、そうだ。おれもお前に訊きたいことが……」


 そうしてラナイがまた薄緑色のローブに視線を戻すも、そこにはもう彼女の姿は無かった。

 そんな彼女は今や縄はしごに手を掛け、五段ほど上がっている。


 グリムにあれだけの運動神経が隠されていたのは驚きだ。

 視線の先にいる小さな背中が不安定な縄はしごをスズについてスイスイ上っていく姿を見て、ラナイはなんとなく違和感を覚えていた。


「なんだ、あの子ラナイの知り合いだったの?」

「あの子……ねえ。まあ、知り合いだ。でも、"前の"じゃない。アレがいなくなって、探すのを手伝ってくれていたんだ」

「へえ……って。いなくなったのはラナイでしょ。せっかく助けに行ったのに、変な人形置いてどっか行っちゃってさ」


 アレの言う"人形"は、サンゴーのことだろう。

 つまり、とすれ違いの原因もまた、サンゴーにあることがわかり。

 

 確かに、状況を考え直せばそうなることも仕方ない。

 だからラナイは、「なるほど」と思わず呟く。

 すると。


「なるほど、じゃないよ。ったく。

 イーリーがいなかったら、このままずっとすれ違いだったかもしれないんだから」


 それにはラナイも「いいや」と返事をする。


「それは違うだろ。うさ耳は、おれを騙したんだ。おれを話すドールだと思って、大方高値で売るつもりだったか、グリムみたいにドール使いとして荒稼ぎするつもりだったか、そんなとこだろ。

 だからつまり、お前も騙されてたんだ。アレ」


 まるで世間話といった風に何の感情も込めず言い、ラナイはアレの背後で腕組みをしてきまりの悪そうな顔をしているイーリークラップを見た。


「おい、イーリークラップ」


 ラナイの声に、イーリークラップは返事をしない。

 そこでラナイはもう一度、「おい」と声をかける。

 するとイーリークラップは、顔は背けたままその目線だけをラナイによこし、「なんだよ」。

 

「お前の父親と師匠が、お前を探してる。いや、待ってるぞ」

「そうかい……。元気だったか?」

「ああ、健康そうだった。でも、元気だったかどうかはわからないね」

「へえ、そうか」

「だから、帰れよ。もういいだろ?」

「いい? 何がだよ」

「どういうつもりか知らないけど、"くだらないイタズラ"は、だ」


 瞬間、イーリークラップは腕を解き、眉間を寄せてラナイを睨みつけた。


「くだらない、だと……」


「だってそうだろ。【コルト】でお前のことを聞けば皆、お前はいい奴だった、ってそればっかりだ。

 そんな評判の良い奴が急にガビッツだポロトロスだ。おまけに、人を売り飛ばして儲けようなんて。 

 どう考えたって暇潰しのイタズラだろ」


 ふざけるな。

 イーリークラップの怒号が谷間に響く。

 不意の大声に驚き、アナーブの一人とはしごを上っている途中の二人は動きを止めた。


「イタズラだと!? そんな簡単なもんじゃない!」

「じゃあ、なんだよ」


 そうして睨み合う二人に、アレが「こらこら」と割って入る。


「もうっ、仲悪いなぁ。

 とにかく、皆無事で良かった。それでいいんじゃない?」


 さ、もう暗いのは嫌だよ。

 そう続けてアレが二人を促すと、


「アレ、行こう」


 と、イーリークラップがアレの手を掴み。その時。

 一旦はイーリークラップに手を引かれて進みかけたアレの服の裾を反対側からラナイが引っ張る。


「アレ、こっちに来い」


 そんなラナイの行動に反応したのは、イーリークラップ。

 

「お前……っ」


 憎々しげに呟き、イーリークラップがラナイを睨む。


「アレはおれの連れだ。おれもアレの連れだ」


 そうして再び"何か"始まり掛ける二人を交互に眺めて、アレが「もうっ」と嘆息し、そのどちらもの手を払う。


「ちょっとそこのサルの人。私疲れちゃったから、上まで運んでもらえない?」


 不意の頼み事に一瞬戸惑ったアナーブだったが、ちょうどその頃崖の上から降ろされた荷台に怪我人と一緒にそこに乗るようアレを案内した。

 それが空へと引き上げられていくのに合わせ、残りのサルの妖獣人五人は壁を、はしごを上り始め。


 谷底に残されたのは、うさ耳の妖獣人と白い人型だけになる。


 二人は互いに一瞥し合い、そしてはしごと崖に別れて勢い良く谷を上って行った。


 地上への到着は、ラナイ一番、二番にアレと怪我人、次いで健康なアナーブの一人、それから少ししてスズが来て、グリム、その後に残りのサルの妖獣人連中が地上に顔を出し。

 最後にイーリークラップが地上に姿を現した時、地上には幾つか白と黒の人の輪が出来ていた。


 グリムは到着するなり真っ先に白い輪の中に飛び込み、

 その輪の中心にはそれもアレとラナイの姿が、

 スズは、怪我人の処置に忙しくしている輪に入り。


 追ってイーリークラップは、一際大きい怪我人の輪の中に近付いて行った。

 

 輪の中心には二人の怪我人。

 彼らは幾つも巻かれた包帯や接ぎ木の目立つ痛々しい姿ではあるものの、割りかし平然としていて、コゾウに地下での報告をしている。


 その隙間。

 仲間の話に頷きながら、コゾウの視線の先でイーリークラップの姿が輪の外に垣間見え、一瞬その目が合った。

 コゾウの片頬が釣り上がる。


          ◯


 空に星が一つ、また一つと浮かび上がる。

 色は黒の手前、昼の色と混ざってまだ仄かに青い藍色だ。

 そのなりかけの夜を炙る赤黄色の大きな篝火。


 そんな大きさの割に影が多い篝火の周辺、幾つか設置された焚き火の上には鍋やフライパンが無造作に置かれ、溢れた汁や油が撥ねて小さな白い煙そこら中で湧いている。

 肉の焼ける香り、半開きの鍋の蓋の隙間から漏れるスープの香り、誰かの鼻歌と不意に始まった手鳴らし足鳴らしの演奏。

 

 そうして鳴る人の声と木製の食器の音は、これだけ開放的な空の下で不思議と赤黄色の光の中に留まっているかのように聞こえていた。


 ラナイとアレとグリムとスズとイーリークラップ、ドールこと自称堕天使の集まりである読者の団、黒いサルの妖獣人集団アナーブ。

 彼らは今、そのアナーブのアジトにいる。


 そこは【ディーズベルグ】の東側。

 越えられぬ丘【ファルセル】の麓にある【ククスカー】よりも数キロ離れたところ、ちょうど【ディーズベルグ】と【ククスカー】の真ん中辺りに唐突に現れる長さ百メートルほどの、あの大地の裂け目"ノゾキアナ"と【ディーズベルグ】のまた中心付近にある小さな森の中にある。 


 ラナイに関わる者たちには関係のない場所だったが、

 読者の団の行く末が決まらないこと、"グリムに起きた異常"、イーリークラップのしでかしたことの後始末、その何もかもが問題だったわけで。

 

 とりあえず場所を貸してやる、というコゾウの誘いを受けアナーブのアジトまでやって来たのだった。

 

 他はどうにせよ、読者の団という不可解で貴重な集団について、アナーブの反応に一抹の不安が残るラナイだったが、野原にいてもどうせそれはあり得ることだ。

 結局、アナーブを振り切るのはあまり意味がないと考え、アレやグリムの休息にもと納得した、というのが経緯だ。


 皆が食事をする中で、ラナイと読者の団だけは食べ物を口にしていなかった。


「ベルバル様。僕たちは、何も食わないので?」


 ラナイの背後から声を掛けてきたのは、新たに覚醒したドールの一人、名前は"アーバル"だ。


「ああ、おれたちは底なしだからな。それに、食わなくても死なないだろ?

 意味が無いなら、わざわざこいつらの分を減らす必要もない」

「じ、じゃあ、自分たちで取ってくるのなら、良いですか?」


 そんなアーバルの提案に、一瞬「いいぞ」と言い掛けたラナイだったが、


「……おれに聞かないで勝手にやれよ」


 と言い直した。 

 アーバルは「はいっ」と朗らかに返事をし、他の数人を連れて森のどこかへ行ってしまった。

 ラナイは彼らを目でも追わない。すると。


「なんか、変な感じ」


 ラナイの足の間でアレがラナイを見上げていた。


「何がだ?」

「ラナイって、堕天使なの?」

「……さあね。こいつらはそう言うけど、おれは未だピンとこない」

「へえ」


 アレがスープを啜りながら言うと、


「アレよ、この方はベルバル様で間違いない。いつぞや覚醒が進めば、きっとまた我々を導いてくれるに違いない」


 ラナイの隣でウィッシュバルがアレを見下ろしていた。


「よくわかんないんだけど。覚醒って、【否読の書】がどうのって話でしょ?」

「よくわからないが、【否読の書】というものが読めると覚醒なのだ」

「よくわからん」

「そうだな」


 しかしベルバル様に違いない。

 独り納得したように、うんうん、と頷くウィッシュバル。

 そこに嘆息気味の鼻息を漏らし、ラナイが言う。


「そんなんだから、読者の団の先が決まらないんだろ。

 いい加減ベルバル様とか導きとか言うのやめろよ。お前たちは自由にやっていいんだ……ぞ……?」


 とその時、ラナイは何気なく向けたウィッシュバルへの視線の先でスズが木立の中に消えていくのを見た。

 両手に齧りかけの骨付き肉を持ち輪を離れたスズの様子からは、少なくとも用を足しに行ったわけではないことが見て取れる。 


 その姿を見て(そういえば……)と、ふとラナイは思い立ち、


「ウィッシュバル、アレを見ていてくれ」


 スズの後を追う。

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