おれとれ 12
「下がれ、サルども! 我々は、訂正軍アトニモ改め"読者の団"である! 攻撃の意志はない!」
ウィッシュバルから発されたのは、ラナイにとっては意外な言葉だった。
それで少しだけほころびかけたが。
「貴様ら如きサルが、我らを捕らえられようなどと思い上がるな! 今すぐ撤退し、そのちんけな尾を巻いて巣へ帰るのだ!」
と、ウィッシュバルはすぐに(余計なことを……)続けた。
そんなことを言われれば、きっとサルは腹を立てるだろう。
ラナイの予想に反して、それを聞いた周囲の反応はそれもまた意外なものだった。
互いのサル顔を見合わせてわざとらしく驚いたように肩をすくめ、彼らは一斉に牙を剥き出しにして笑いだしたのだ。
「そりゃあ俺たちゃサルだけどよ。わけのわからん木偶に言われる筋合いもねえ。ちんけだかなんだか知らねえが、そんなもんも付いてねえツルケツくせによぉっ」
巻く尻尾がねえならお前は舌を巻いて逃げればいいぜ。
腹を抱えゲラゲラと笑うアナーブの誰かはそう言って、長い腕で膝まで叩き始めた。
それに合わせて、周囲の皆もキーキー声を上げてウィッシュバルを笑う。
すると、ウィッシュバルは顔をニヤつかせ、つまらない嘲笑だと吹き飛ばすかのように、ふんっ、と嘆息した。
「地上界の獣も落ちたものだな。我々が何者か、全く理解できていない……」
頭を振り振り、そして「ベルバル様ぁ!」とわざとらしく大声でラナイに呼びかける。
「確かに、あなたの言った通りです。世界はいつの間にか随分変わってしまった。膝をつくならまだしも、腹を抱えて我らを嘲笑うなど、以前にはあり得ないことでした。尊敬されこそすれ、ね」
ウィッシュバルンの言葉に、すかさずサルが噛み付く。
「キキッ! 尊敬!?
どーして俺たちが木偶に、何の、尊敬をするって?
ちょっと話せるくらいで調子に乗るな……ってまあ、そういうドールは珍しいからなぁ……」
カシラ、と今度はサルの妖獣人が声を上げた。
「こいつら、グラン金貨十五枚じゃもったいねえ。もっと釣り上げられるんじゃ?」
手下の声を受け、コゾウはまた顔をニヤつかせた。
「ああ。ここまで知恵が回るなら、学者どももキーキー喜ぶだろうぜ」
そう言って、コゾウが一度収めた剣を抜く。
「迷いは暇だ……。野郎ども、全部、腕の一、二本はへし折ってでも捕まえろっ!」
コゾウの声に合わせ、アナーブが吠えた。
その甲高い悲鳴のような咆哮に風の音が消え、代わりに踏み鳴らされる足音と一斉に引かれる弦の音が周囲に響く。
一斉に沸き起こった騒音、そして幾人ものサルの妖獣人に囲まれている状況で、誰がいつ襲ってくるかわからない。
群れの中心付近にいるウィッシュバルが戦闘態勢を取り、周囲に目を配るその隙。
後方から忍び寄るサルの一人が手持つ棍棒でウィッシュバルの背中を思い切り殴りつけた。
不意打ちに怯み、前方につんのめるウィッシュバル。
それを見ていた他のドールたちが怒り、自らにロープを掛けるそばのサルを蹴り上げた。
その光景が次々と。
下から上がってくる残り数体のドールも今起きていることを察し、すぐに近くのサルを殴りつける。
事態は最早、"開戦"である。
「おいおい……どうしてこうなった……」
そうして突如始まったサルとドールの殴り合いを少し離れたところで眺めていたラナイ。
一言呟いて、がっくりと肩を落とした。
すると。
「よお、変りもん。テメエは乗らねえのか?」
喧騒を背に、何事も無いかのように歩いてきたコゾウがそう言った。
「乗るも何も、戦う意味がわからないね」
「は? 何を腑抜けたこと言ってる。これを見ろ」
と、コゾウが後方を指差す。が、視線はラナイを捉えたままだ。
「喧嘩、だろ?」
「なーに言ってんだ。こいつは、生命の取り合いだろ」
「生命の? そんな大袈裟なことかね……」
おれにはそうは見えないよ。
ラナイが言うと、コゾウが「ほーぅ」と感心したように鳴いた。
「じゃあ、テメエはとっ捕まって学者どもにバラされてもいいってのか?」
「そうなる前に逃げるさ。それこそ、多少喧嘩になってもな」
「……だったら、今やれよ」
厳しい目つきでコゾウが言った。
だが、ラナイは首を横に振る。
「お前こそ、周りをよく見てみろよ。
これだけ何も無いところ。おれたちはここがどの位置なのかもよくわかっていない。つまり、わかるだろ?」
「いや、全然わからねえ」
コゾウの返事に、ラナイがやれやれと鼻から息を抜く。
「おれたちは逃げても隠れる場所が無い。
逃げるにしても走るだけだ。
でも、お前らはここがどこだかわかっていて、おれたちが逃げても隠れる場所の検討が付けられる。そうだろ?」
そりゃそうだ、とコゾウが頷く。
「だから、だよ」
「…………ん?」
「お前、そうか……頭が悪いんだな……」
ラナイがそう言ってまた鼻息を抜くと、コゾウは「ぁあ?」と癪に障ったようだ。
その怒りを撫で付けるようにラナイが続ける。
「このまま行けば、お前たちを殺すしかない。逃げられないなら。
おれがそう言わなくても、あいつらはきっとわかってるぞ?」
「だから言ってんだろうが、これは生命の取り合いだ。喧嘩なんかじゃねえってよ」
と、コゾウから殺気が沸き立つ。
「……お前、本当に勝てると思ってるのか?」
「当たり前だ。勝てなくても勝つ。じゃなきゃ盗賊は務まらねえ」
「あいつらが、ルトゥールを越えてきたとしてもか?」
ラナイの言葉を聞いて、コゾウが怪訝な顔をする。
「ルトゥールだと……?」
そして若干コゾウの殺気が弱まる。
「嘘だと思うならそれでもいいぞ。けど、少なくともおれは本当のことだと思ってる。お前らが野獣狩りでいくら腕を上げていたとしても、あいつらだってそれは同じ。しかも、あいつらは世界を始めた竜を殺そうとしていたんだ。
言ってただろ、"読者の団"だって……」
そう言うラナイの言葉に、コゾウが何かを思い出そうと目線を斜め上に釣り上げた。
「言ったんだよ。
あいつらは、【否読の書】を読める。
そういうの、今はアリアスって呼ぶんだろ? そういう奴らがどういう奴らなのか、知らないわけじゃないはずだ」
「よ、【否読の書】だ?」
今やコゾウは、殺気三割、残りが戸惑いの状態。
ほとんど戸惑っているが、それでもコゾウの戦いに対する意識だけは保たれている。
「そうだ。だからお前たちが一回分の人生で得る経験を、あいつらは少なくとも二回、得ている」
お前たちとは経験値が全く違うんだよ。
ラナイが吐いた最後の言葉に、コゾウは返事をしなかった。
信じるか信じないか、それを考えているのだと言うことは、いくら表情が険しくともわかる。
細かに動く目線、剣の柄を握る手の力が入りきっていないところ。
迷いが暇だと、そう言っていたコゾウが完璧に迷っていた。
そんなコゾウにラナイがダメ押しの一言。
「それでも。このまま喧嘩を戦争にしたいなら、おれも参加してやる……」
――貴様らの生命を、おれの経験値として食らってやる
その時、ラナイが発したのは怒気。
だから別にコゾウを殺そうとしたわけではなかった。だが。
コゾウの剣を握る手は強く締められた。
だが、それは戦うための力ではなく、慄きによる硬直。
ビクリと体を縮める代わり、コゾウは指先を硬くさせただけだった。
「…………」
ラナイを睨みつけ、コゾウが振り返る。そして。
「テメエら! 止めだ! 止め止め! 武器を収めろ!」
コゾウが大声を張り上げた。
その声に気づいたのは数名、声が聞こえて振り上げた武器を降ろした瞬間、交戦中のドールに殴られる。
そうして突っ伏した仲間を見た別のサルがドールを睨みつけ、襲いかかろうとしたその時。
「やめろっつってんだろ! 迷うな!」
と、またコゾウが叫んだ。
それで、終いだ。
惰性で何人かドールに殴られたり蹴られたりしたが、戦意を失ったサルをドールたちはそれ以上襲ったりしなかった。
再び風の音が舞い戻る。
風音が喧嘩が起きる前よりも静かに聞こえるのは、今一時の戦いで荒れるサルたちの息遣いのせいだ。
そこをひと眺めし、コゾウがラナイに視線を戻す。
「テメエ……」
何か言わんとしてコゾウはラナイを見つめたが、それだけ呟いて口を閉じ、仕切り直しとばかりにまた口を開く。
「いったい何なんだ、テメエ」
とそれは、ラナイの待ち望んでいた一言だったのかもしれない。
◯
二十八体のドールは、ラナイのそばに集まっている。
それを"読者の団"として、彼らの前でラナイと向かい合っているのはアナーブの団長"コゾウ"と地下で出会った屈強な黒いサルの妖獣人の二人だけだ。
他アナーブの連中は、二十九体のドールを捕らえようとして仕込んだものを片付けるので忙しくしていた。
先の戦闘で大きな怪我をしたものはいなかったが、擦り傷をより多く付けられたのはアナーブだけだ。
だからだろう、時々コゾウの背後から恨めしい目線が幾つか読者の団には向けられ、中には思い切り睨みつけて何やら侮辱するような表情、仕草で挑発してくる者もいる。
それに気づいているはずのコゾウは、目を閉じてかったるそうにため息を漏らし、舌打ちをした。
「……一応」
と、コゾウはそばに立っている三回りは体の大きい彼に親指を向ける。
「紹介しておく、こいつはウチの二番目"ショージョー・シュタイン"。ゴリラとオランウータンの近種混血でな、多少体は小さくなっちまってるが、こいつほど賢い大猿は珍しいんだぜ。
参謀も実戦闘もどっちも任せられる、ウチには欠かせねえ存在だ。
年は三十五歳、男で、子供はいねえし嫁もいねえな。
あと、なんだ。こいつはあんまり女にモテねえ。
デカさが中途半端だしサル似だから、ゴリラの妖獣人にもオランウータンの妖獣人にもバカにされてんだよ。笑えるよな。
それと、頭が回りすぎてすぐビビっちまうのもモテねえ原因だ。
迷いは暇だっていっつも言ってんのによ、こいつときたらいちいち検討しやがる。
ま、おかげで間違いは少ねえが。っても、いちいちコトを運ぶのに時間が掛かっちまうんだよなぁ。
盗賊は素早さが命だってのによ。
ああ、あとあれだ。
こいつの好物は、あそこのパンなんだぜ?
知らねえか? あの【コルト】のバカみてえな店の……なあ?」
あくまで何事もないといった様子でコゾウがショージョーの方を向くと、彼は不快感丸出しの表情でコゾウを睨みつけていた。
「余計なことを喋るなっ。あんたは口が軽すぎるんだよ」
ショージョーの噛み付きに、コゾウが「そうか?」と首を傾げた。
そうして二人の視線は読者の団へ再び向けられる。
「で、だ。テメエらはこれからどうするつもりなんだ? 俺たちが諦めても、どうせ街に行っても別の輩に襲われるぜ」
片方の目を釣り上げ、覗くようにラナイを見つめてコゾウが言った。
そんな挑戦的な目線を受け、一瞬の間の後、ラナイが言ったのは、
「それは、どういう意味だ?」
「どうって……、だからテメエらはこの先どこへ行くのかって訊いてんだよ。ドールそのものの知名度が高くねえにしても、これだけまとまってウロつきゃ、気味が悪いのは言うまでもねえ。そうだろ?」
最もな意見に、まあね、とラナイが頷く。
「でも、おれとこいつらは目的が違うからな。その辺は勝手にやるだろ。おれの知ったことじゃない」
その一言に、誰も反応しないはずもなく。
「なっ! べ、ベルバル様、それはっ!」
代表して声を上げたのは、ミーヒルバルだった。
「どういうことですか!? 我々は……読者の団の長はあなたでしょう!
あなたがまた我々を導いてくれると、そう思ったから皆で相談して新たに我らの名前を決めたのです!」
熱くなるミーヒルバルに、ラナイは「そんなこと言われてもなぁ」と頭をポリポリと掻く。
「おれは別に団長をやるなんて言ってないだろ。
いつ話し合ったのか知らないけど、お前たちが勝手に決めたことだ。おれにはおれの目的があるし、お前たちも好きにすればいいよ」
「そんな、急にっ!」
「いや、急じゃない。お前には言ったはずだ。"以前の記憶を参考にしたらどうだ"って」
「それは……たしかに……確かに言われましたけど。でも……」
急に熱が冷め、項垂れるミーヒルバル。
「ルトゥールは終わったんだ。もうお前たちにベルバル様は必要ない。
心残りがあっても、もう終わった。だから、諦めろ。
お前たちは、ここから楽しく暮らすことだけ考えてればいいんだ」
ラナイの言葉にミーヒルバルはそれ以上何も言わず。
それはまるで、言いたいことを奪われたかのような悔しげな表情だった。
ぐうの音も出ない、といった顔だ。
だからこそ、そこに漂う不満や困惑の雰囲気だけは鈍いラナイにも容易に感じ取れた。
そしてそれは、コゾウも然り。
「なんだ、テメエ。偉そうなこと言ってた割にまとまってないじゃねえか」
しかめっ面で言い、嘆息した。さらに。
「ま、そういう意味じゃ、テメエに団長は務まらねえな。役不足だ」
と小馬鹿にするように鼻で笑う。
「お前の言う通り、今のおれじゃあ団を引っ張ってくなんてできないな」
「じゃあ、なんで止めたんだよ。
俺たちがこいつらと戦って死んでも、それだってお前にゃ関係ねえだろうに」
コゾウが真っ直ぐラナイを見つめて言うと、ラナイの表情が緩んだまま固まる。
そのアホ面ともフヌケ顔ともつかない微妙な表情は、目から鱗が溢れる時になるそれだ。
「確かに……お前の言う通りだ……」
どうしておれは止めようとしたんだ。
今思い出した風に言って、ラナイの視線が泳ぎ始める。
一度腹に抱えた使命感の意味がわからなくなったのだ。
ウィッシュバル、ミーヒルバル、イーバルの三人を置いてショージョーに立ち向かう時、それからの行動。
彼らを助けようとしたのは、一応にも道案内を頼んだからだ。
ラナイは【忘れられた水路】の道がわからなかったから、ラナイは彼らを失うわけにはいかなかったし、ある種礼のような意味もあったかもしれない。
では、道を進む理由は。
それは、"アレに会うため"。
だからおかしいのだ。
ラナイが今最も疑問に思うのは、彼らを守る理由が"使命感ではないはずだった"ということ。
本来なら、三人の内誰か一人でも助かればそれで良かったし、ショージョーらアナーブの人間を殺しても良かった。
殺す、とその方法はまともに戦わずとも容易だということは、ヌメヌメの経験、グリンドルの経験で明らかだ。
身体を壊すか、記憶を壊すか。
結果がどちらにせよ、黄色の息を道に満たせばそれで事態は解決したはず。
それなのに、どうして自分がそれを選択しなかったのか。
それがラナイにはわからなかった。
そして持つべきだった疑問は、経緯を持たず結果としての答えだけを残している。
「特に目的もねえのにテメエは、全員守ろうとしたってか?」
確かに目的は無かった。だが。
理由はなかったのだろうか。
不意に浮かぶ、細枝に付く頼りなさげな一個の蕾の模様。
頭の片隅、それよりももっとさり気なく存在していたその違和感が、この時、ラナイの記憶の部屋に新たな変化を起こしていた。




