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おれとれ 11

 縦に割れた隙間から垣間見える薄水色、そこを縁取る両脇の歪な岩壁では下部から上部にかけて影がグラデーションを作っている。

 そこをちょうどよく濃い雲が横切り、誰の目にも丸く映り込むその風景はあたかも空に浮かぶ巨大な瞳のようだ。


 こちらを見つめる空の目。


 見上げる五十八の目が全てそんな風に視えているだろうか。

 とにかく。谷底から天上を見上げる誰一人として瞼以外は開かず、空の目を見つめ続けていた。


 ふと、ラナイの頭に拾ったあの地図が浮かぶ。


 色々と書き込まれた絵本のような地図には、一つ大きな雲が描かれており、そこには目が書き込まれていた。

 そばに記されていたのは、【オウモ】の文字。


 目に映る巨大な瞳と地図の瞳と交互に見つめていると、ラナイには空に竜がいたのが正しいのか、こんな風にただの景色だったのかがわからなくなっていた。

 だが、それなのに竜がいるのだと確信できるはイグナスに出会っているからだ。


 だから、ラナイは他の彼らには事実を隠した。

 現在【アトニム】ではもうルトゥールが終わり、もう竜は三匹ともいない、と。

 

 それは"ラナイ"という小さな現実からすれば嘘だが、【アトニム】という大きな現実では嘘とはされていない。

 全てを晒せば面倒なことになりそうだ、という突発的に生じた勘なのか自己防衛がラナイの口を動かした、といって良いだろう。


 そうして現在【アトニム】の常識を伝えることでラナイは、イグナスはまだ生きているという事実を隠すことにしたのだ。

 

 常識を隠れ蓑にしたその作戦。結果は上々といえる。


 ラナイの話を聞いたウィッシュバルは本当にルトゥールが終わったのかもしれないと思い始めているし、他の皆に関してはほとんど信じたといって良い。


 この真実隠しに妙な説得力がかかったのは、実はラナイもルトゥールは終わっていると思っているからだった。

 そういう意味で、ラナイがウィッシュバルに伝えた言葉の半分は真意だった。


 或いは希望か。

 

 終わったのか終わってないのかよくわからないからこそ、今の世が穏やかならそれでいいじゃないか、とラナイは思う。

 そういう安寧めいた時の中に、ルトゥールなんていう発想はいらないんじゃないかと。


 はっきりとそんな思いが浮かぶのは、やはり自分自身がベルバル様だからなのだろうか。

 ラナイは少しずつ過去の人物になりかけている自分に気がついた。


 次ぐ、違和感。


 宙ぶらりんで軽い、いつぞこぼれ落ちてしまいそうな一個の蕾のような微かな違和感だった。

 だがそれは、確実に枝に付いている。

 しがみつくのではなく、確実に。

 

「ベルバル様」


 皆がぼんやりと空を見上げる中、口を開いたのはイーバルだ。


「あのサルたちは、ここをよじ登ったんでしょうか」   


 よじ登る、という言葉につられてラナイが周辺の崖を見回すが、そこにはしごや綱の類のものは何も無い。


「サルだし、得意なんだろ」

「なるほど」


 気のないイーバルの返事を最後にまた谷底は静まり、数日振りに響く風の気配が高いところでウロウロしていた。

 

「よし、じゃあ行くか」


 そう言って一番最初にラナイが崖に手を掛けた。

 まさかほんの一ヶ月ちょっとの間に二度も高い崖をよじ登ることになるなんて想像していたはずもない。

 とはいえ、(あれは、いい予行演習だったな……)。


 ほぼ迷いなく崖を上って行くラナイに続いて、ウィッシュバルが。

 その後を追って新たに加わったドールたちを半分ずつ率いてミーヒルバルとイーバルが二枚の崖を分かれて上る。


 全二十九体の白い人型が影で黒く染まる崖を上る光景。


 下から見上げるのであれば、幾つもの似たような尻が蠢く物珍しい様子は、些か面白いと思えるかもしれない。

 宛ら巣を這い上がるアリの群れか、樹液に群がる幾種もの虫たちのように、それらは地上を目指して進む。


 それが半分を越えた辺り。


 崖の上から谷底を覗き込んだ顔があった。二つの頭だ。

 谷を跨いで両端からそれらはドールたちを見下ろし、ぎょっとした表情を残してすぐに頭を引っ込めてしまった。


「今の……アナーブか?」


 一番近くでラナイには彼らの体毛から露出した顔が見えていた。

 だが、その二つの顔は地下で見なかったものだ。


「三十人。そうだった、他にもいたのか」


 また呟き、ラナイが崖を上る速度を上げたのは、一度撤退したはずの彼らがわざわざ自分たちを待っていた、ということが気になったからだ。

 むしろそれは良い予感でも何気ない予感でもなく、悪い予感。

 

 ラナイは三点確保でのよじ登りを止め、ほとんど跳ねるようにして崖を上って行く。

 それが残り五飛びというところまで来たその時。

 谷に橋が架けられる。


 幅一メートルほどの木製の橋はつぎはぎで、見るからに急ごしらえといった様子だ。

 すると、そこにまた顔を出したサルの顔。

 再びぎょっとして、また引っ込んだ。


 その隙にラナイは残りニ飛び。

 最後の一飛びのために力を込めるのと同時、ラナイの目線は立ったまま崖下を覗き込む小さな人間の姿を捉えた。


 一瞬見ただけで、下っ端じゃないとわかる異様な覇気。

 ラナイが思い切り体を跳ね上げ、それと空中ですれ違う一瞬。

 男が背に掛けた二本の剣の柄を握ったのが見えた。


 このまま着地するのはマズイ、とラナイは直感していた。


 ラナイが宙に浮いて一秒足らず。

 鞘から抜かれ顕になった刀身が陽光でキラリと光る。

 一秒越えて、二秒手前。

 男の構える剣先は同一方向に並び、視線はラナイの着地予想地点に向けられている。

 二秒。

 ラナイから視線を外し、男は大きく体を捻る。

 二秒越えて僅か。

 剣先が風の中を流れ始め、ラナイの目に男の片頬だけを引きつらせる笑みが映る。

 二秒半。

 ラナイの足先が地面に近付き始める。その下を二本の刀身が通り過ぎる。

 三秒。

 ラナイは膝を抱えて体を丸めた。

 三秒半。

 ラナイの足の裏を刃が掠める。

 四秒。

 ラナイは再び足を伸ばし、地面を蹴る。


 そして再び空中へ。

 その足下をまた、刃が通り過ぎた。


「ちっ……」


 ラナイが少し離れたところに着地するのと同時、男の舌打ちがラナイの耳に届いた。


 男は、サルではない。

 背はイーリークラップと同じくらいか、それよりも高いくらいだ。

 短髪の黒髪、鎧は身に付けておらず、上下体に密着する薄い生地の衣服を着ており、その上から丈が腰辺りまでの黒い毛皮を羽織っている。


 背には両手に握り締めた直剣の鞘が交差して引っ掛けられていて、それが風を受けて、コツ、と小さな音を立てる。


「カシラぁっ! なーんですぐ殺そうとするんだ!」


 背後から駆け寄ってきたサルの妖獣人が怒鳴る。


「うるせえ。迷いは暇だって言ってんだろ」

「で、でもよ。こいつらどう見たってレアもんだ。今のやべえ地下に潜るくらいなら、こいつらとっ捕まえて学会に売っちまおうって話合ったじゃねえか」

「……レアもん? お前今の見てなかったのか?」

「は?」


 サルの妖獣人の反応に、男がまた舌打ちする。


「こいつは、少なくともレアもんとかそういう類のもんじゃねえよ。たぶん、捕まえるのも無理だ」


 そして男は、「上ってくる奴らを捕まえろ」と指示を出し、サルの妖獣人が向こうに走っていっても、一瞬たりともラナイから視線を外さなかった。


 それを聞いて、ラナイもただ傍観しているわけもなく。

『とっ捕まえる』という彼らを止めようと一歩動いた瞬間。


「待て。あいつらの邪魔はさせねえ」

 

 ニヤついた顔に怒気を乗せ、男が獰猛な目つきでラナイを睨みつける。


「邪魔をしねえなら、放っといてやる。だから、大人しくしてろ」


 その覇気に、思わずラナイは「お前がコゾウだな……」と二度目の台詞を吐いていた。


 前回、【忘れられた水路】で出会った黒いサルの妖獣人は、コゾウではなかった。

 黒い毛並み、というスズの話から察してあれがそうだと、ラナイは勘違いをしていたのだ。  

 

(毛並みって、毛皮のことか。スズめ)


 心の中でぼやき、ラナイは鼻から息を抜く。


「テメエ、なんで俺を知ってやがる」


 とそれも二度目に聞く台詞だ。


「まさか、野獣界隈でも有名だなんて言わねえよな?」

「……スズだよ」


 呆れ混じりにラナイが言うと、「スズだと?」と。


「なんだテメエ、あいつと知り合いなのか。前から変わった奴だとは思ってたが、まさかドールとも知り合いだったとはな」


 そう言ってコゾウがヘラヘラ笑う間にも、上ってくるドールたちを捕獲する準備が整っていく。

 

 アナーブ総動員だろうと思われる何人ものサルの妖獣人が崖の端の手前に並び、大網や弓を構えて今かと下方をちらちらと覗く仲間の合図を待っている状態だ。


 その光景を目の端に捉え、ラナイは若干の焦りを覚えていた。


「ちなみに、あいつらが学会に売られるとその後どうなる?」

「知らねえな。だがまあ、あれだけ数があれば好き放題研究できるだろうよ」


 そう言ってコゾウが肩をすくめた。


「研究、って何をするんだ?」


「知らねえよ。中身がどうなってるとか、ああしたらこうなるとか、そういうのを探すんだろ。アンノウンだって持ち込まれりゃそうされてる。

 おかげで俺たちみたいな狩りをする連中は仕事が捗ってありがてえもんだ」


 コゾウがケラケラと笑う。


「今回は、おまけに金までもらえるわけだ。先約を蹴るんだから、たっぷり儲けさせてもらうさ」

「先約……?」


 その一言にラナイが妙な感覚を覚えたのは、地下でアナーブが自分に興味を示さなかったあの一件があったからだ。

 やはりレア物である変わったドールを差し置いて地下を進む理由。

 それが気になってラナイは問う。


「先約って、なんだったんだ?」


 直球の質問にコゾウは、「あー……」と天を仰ぐ。


「待ち合わせだ。少し前に昔馴染みから久々に連絡がきてよ。

 理由はよくわからねえが、下を通ってくるんで上にあがってから匿って欲しいっていうんだ。


 報酬は期限二ヶ月でグラン金貨三十枚。後は一日伸びる度にグラン銀貨五十枚の宿賃。

 それと、倉庫で邪魔になってたドールを四体、金貨十枚ずつで買うってな。

 悪くねえ話なんで、受けることにした。

 っても下からだと色々面倒なんだよ。何が起こるかわからねえし。


 待ち合わせ場所は、【コルト】側のでかい狩場だっていうんで先に何人か迎えに行かせたんだが、いくら待っても帰ってこねえ。

 もしかしたら死んじまったのかもと思ってな。

 ウチの二番目を突っ込んでやったら……」


 と、コゾウがラナイから視線を逸し、下から這い上がってきて拘束されかかっているウィッシュバルの方を向いた。


「テメエ……ら、が……っ。このっ!」


 コゾウの舌打ちが響く。


 ほんの一瞬目を逸らした隙にコゾウの視界から消え失せた大きな白い人型。

 それを探して、コゾウが体を一回転させると。

 地面を影が流れていく。


「でかい図体でピョンピョンとっ! 虫かっつーんだよっ」


 頭上を飛んでいくラナイを目で追いながら、コゾウは焦っている割楽しげに「ハハッ」と笑った。

 そして、すぐに足でも追う。


 それが四歩ほど進んだだけで、コゾウは急停止した。

 舞い上がった砂埃が、風に流れて谷間を越えていく。


「テメェっ! 大人しくしてろっつたろ!」


 荒いだ声で叫ぶコゾウの視線の先には、ラナイが。

 その手には、先ほどコゾウに進言していた他よりも少し体が小さめなサルの妖獣人が握られている。


 まさに鷲掴みだ。

 手の平に収められ、完全に拘束された状態のサルの妖獣人は、藻掻くこともままならず首を左右に振り回しながら、「カシラぁ!」と騒いでいる。

 騒ぎに気づき、周囲の仲間たちの視線がラナイに集まる。 

  

「そいつを離せ、白いの」

「じゃあ、そいつを離せよ。黒いの」


 悪びれずラナイが言うと、コゾウは躊躇なく首を横に振った。


「そりゃ無理だな。仲間と友人を捨てるんだ。簡単に諦めるわけにはいかねえよ」

「たとえば、こいつを握りつぶされてもか?」


 するとまたコゾウは間を置かず、頷いた。


「まあそうだ。やれるもんならやってみろよ。そんなことでいちいちブレてちゃ盗賊なんざ務まらねえ」


――迷いは暇だ


 コゾウの声がラナイの耳に届くのとほぼ同時、今度はラナイの視界からコゾウが消えた。

 不意に立ち上った砂埃が風に流されて消えたのはその後。


 ラナイは完全にコゾウの姿を見失ってはいた、が。

 目的は明らかだった。


 一瞬の判断で、ラナイは視界から消えたコゾウを探さずその手に握り締めているサルの妖獣人を"投げた"。

 狙ったのは、ロープで巻かれ戸惑った様子で身を捩って抵抗するウィッシュバル。


 投げられたサルの悲鳴が撒き散らされ、それが当たった者から順に慌てふためく。

 そんなざわめきの連鎖は、当然投げられたサルよりも遅い。


 そしてサルがウィッシュバルにぶつかる寸前、彼は救われ、追ってやってきた慌てふためきによってウィッシュバルの拘束が解かれていた。


 半端に巻かれて解けたロープが地面に落ち、ラナイとウィッシュバルの目が合う。

 次の瞬間、一度だけの瞬きの後ウィッシュバルは大きく息を吸い、そして大口を開けた。

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