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あれとれ 6

 いつまでも、空は青かった。

 それが急激に色を濃くし始めたのは、草原の終わりに現れた緩い丘を越えてからだ。

 夏の宵が訪れる突然と同じく、暗くなって初めて二人は夜がやって来たことを知った。


 時の流れに対して、それ以上に疲労を感じていた。

 まるでその緩い丘が高い波だったかのように、二人がそこを越えた頃にはアレの体力のほとんどが失われていたのだ。


 だから、もうそれ以上は進めない。

 アレがまず丘の斜面に腰を下ろし、大の字に寝そべった。

 ラナイはその隣に腰を下ろした。


 満天の星空を眺めながら、二人が交わしたのはたった二言、


「疲れた」

「長い一日だったな」

 とそれから、「ジュイ」。


 そうして二人と一匹の声が収まると、少しずつ虫の音が聞こえ始める。

 風の流れは柔く、鈴の音を思わせる虫たちの様々な音色をそっと夜空へと運んでいった。

 湧いたそばから遠くへ音が運ばれていくため、残されて余韻は混じり合い、一つにまとまって。


 それは宛ら大地の歌。

 夜にだけ聞こえる、秘密の子守唄である。


          ◯

 

 それから二人は二度、夜を越えた。

 草原に比べて見るものの多い"こちら側"の風景は、目にも楽しく。

 目に付く見慣れぬものを見るたびにアレがそこへ走り、次々に鞄へ土産を詰め込んだ。


 そうして一度はほとんど空になった鞄に重さが取り戻された頃。

 二人の前には道が現れた。

 地図には記されていないその道を辿って行くと、そこには、巨大な壁があった。


 いや、それは壁というにはあまりにも大きく、立ちはだかる崖と呼ぶべきなのかもしれない。

 そんな大自然をも越え得る圧倒的な城壁は、景色だけでなく、その内に一つの街を隠している。


 その名は【アーハイム】。

    

 街に冠された紋章は、城であり。

 それは城壁に点々と、そして分厚い壁をくり抜いた大きな石門の両扉にも刻印されていた。


 その堂々たる門をくぐり抜けると、そこは別世界ともいうべき光景に変わる。

 大小様々な建物が立ち並ぶ巨大な街だ。

 小さなものより大きな建物の方がが多く、それらは出入り口の向きすら無視して乱雑に置かれていて、その隙間を縫うようにして大勢の色とりどりの人々が行き交っている。


 そこから目を遠くにやると、そのおよそ四角形と思しき城壁の門から一番遠い角には、山が見える。

 山、とはいってもそれはあくまで人工的なものであり、正確には"山のような"というべきだろうか。

 

 それは幾個もの建築物が重なって出来ており、乱雑な街の象徴らしく存在し。

 そういう意味で、この街はあの隅に重なった"山"がこぼれて出来たかのようであり、視線の奥から順にと歴史をひと目に感じさせる不思議な街の格好をしている。

 だが。


「どこにも城なんてないじゃない」


 門をくぐってすぐに見つけた物見櫓、その上で地図を広げてアレはポツリと呟く。


「楽しみにしてたのに……残念……」


 それもポツリと呟き、そして置いて来たラナイを探すために足下の雑踏へと視線を向けた。 

 そこには何人もの色とりどりの"人"の姿が見えるが、あの白い卵のような頭は見えず。

 遅いな、と一言漏らして、アレは仕方なしに門の方へと目をやった。


 すると、その大勢が行き交うその溜まりに一つ、特に体の大きな連中で出来ている集りが見えた。

 その中心で、荒波に飲まれて浮かんでは消える流木のようにちらちらと窺える白い卵頭。


「……もうっ」


 嘆息して、アレは物見櫓の真下を覗き込んだ。


 そこには遠く街を望んで見えるものと同じく、人が行き交う。

 だがそれは、上から見れば、の話だ。

 

 実際に同じ位置に立てば、雑踏はアレにとって押し寄せる波でしかなく。

 人の背を越える位置で梯子にしがみついたまま、アレは下に降りるか僅かに躊躇していた。

 振り返るも、もうそこにあの白い卵頭は見えず。


 勇気を振り絞り、アレはまたその濁流の中へと身を投じた。

  

 そこを行く人、その大概はアレに気付かない。

 皆前を向いて歩いているだけだが、それがアレにとっては命取りなのだ。

 なにせ、アレはこの街の人々にとって"小さすぎる"。


 ラナイを特別大きな人だと思っていたアレにとってそれは大誤算だった。

 

 あの白い人型が世間知らずにもそんなことを言っているのだと高をくくっていたのに。

 とはいえ、身の危険を感じたのは門をくぐってからではなく、今。

 

 見知らぬ世界に興奮して、森を駆け抜けるのと同じ要領で物見櫓を目指したものの、一旦目的を達成したことで、そこにあるのが森でないことについ今しがた気が付いたのだった。


 意志を持って歩き回る木など、アレは見たことがなかった。

 それ故にその行先が読めず、ほんの数歩進むのに少なくとも三度は人を避けなければならない。


 心の中で何度「もうっ」といきんだことだろうか。 

 ようやく雑踏を抜けると、そこはまた門の外だった。


「もうっ!」


 怒り任せに地団駄を踏み、そして視線の先に唯一知っている者を見つけた。

 それを囲むのは緑、茶、灰の肌の色をした者たち。

 それらは、両足をしっかりと地面につけて立ち、当たり前のように鎧を身に着けていた。

 

 緑色の者は、岩と思わせるほどの硬く引き締まった筋肉質な体を持ち、太い首が小さな角が二本生えた獰猛そうな顔を支えていて。

 

 茶色の者は、露出している肌の全てが茶色の剛毛で覆われていて、顔は人のそれに似ているが、先の尖った耳が顔の脇ではなく頭頂部に二つ生えている。


 灰色の者はというと体の特徴は人のそれだったが、背に大きな翼があり、頭部がそのまま鳥のものだ。

 そのどれもがアレの倍は背が高く、ラナイに匹敵するほどだ。


 それらを見上げて一瞬愕然としたアレだったが、すぐに気を取り直した。

 その内側に隠されている見慣れた白い人型を求めて、アレはそこへ近付く。 

     

「ちょっと、ラナイ!」


 もみ合いの外側で、アレが騒ぐ。

 するとアレに向けられるのは、求める視線ではなく三色の視線。


「……何か用か、妖精」


 足下で騒ぐアレに初めに声を掛けたのは、緑色の者だ。


「違うわよ。私は人間……ってそんなことどうでもいいわ。その人、返して」


 と、アレがその獰猛そうな顔を指差す。

 しかし、返ってくるのはラナイでも返事でもなく、笑い声。


「こいつ、人間とかいってるぞ。どう見ても妖精なのに」


 言って緑色の者が、隣に立つ茶色の者へ視線を送る。


「バカ、よく見てみろよ。こいつ服着てる。だから、妖獣の子供だ。そうだろ?」


 両親はどこだ、と茶色の者はアレのそばにしゃがみ込んだ。

 

「だから、違うってば」


 呆れて否定するアレに、「じゃあ、なんだ?」と茶色の者が続ける。


「何って。だから人間だって言ってるでしょ。まったく、どうなってんのよ」


 もうっ、とまたアレが苛立つと、灰色の者が不意にアレを抱き上げた。


「お前は妖精だ。そうだろ?」

「ちがうっ!」

「……安心しろ。わたしはそういう者を差別したりはしない。生物は皆、友であり愛すべき対象だ。だから、偽らず、素直に自分を受け入れていいんだぞ」


 灰色の者は優しくそう言った、だが。


「もうっ! 何なのよあんたたち、さっきから全然話が通じない! イグナスなんて、完璧ドラゴンなのに、もっとちゃんと話し聞いてくれたのに!」


 憤慨してアレが暴れると、三人が突如沈黙する。

 周囲の雑音の中で、その小さな空間だけ時が止まったかのように静かだ。

 すると。


「イグナス!」


 そう声を上げて三人が三人とも、笑った。


「おい、ビームス。お前の言う通りこいつは"妖精"だ」

「ふっ。まさか、イグナスの名が出てくるとはわたしも思わなんだ」

「そういや、俺もガキの頃はよくやったな、"ルトゥール"!」

「懐かしいな、俺もやったぜ」

「わたしもだ」


 それぞれの色の違う三人は、"ルトゥール"という共通の思い出に浸り、笑顔のまま話を続けた。

 そこで灰色の者の腕に抱かれたままアレは呆然とし、消え入りそうな声で「……そんな」と声を漏らした。


 その時。

 それまで沈黙して状況を窺っていたラナイは腕を伸ばし、灰色の者からアレを奪い取った。


「大丈夫か、アレ」

「ラ、ラナイ……イグナスは……」

「ああ、わかってる」


 アレの言葉に頷き、ラナイは三人を見つめる。


「一つ、質問がある。いいか?」

「なんだよ」

「ルトゥールってのは、なんだ?」

「は? お前、知らないのか?」


 ラナイは無言のまま首を横に振った。

 すると返事をした緑色の者がまた笑う。


「おいおい、今時ルトゥールを知らないなんて、野獣くらいなもんだぜ」

「いいから、教えてくれよ。記憶喪失なんだ」


 ラナイが言うと、緑色の者は突然大人しくなり「なるほど」と呟いた。


「頭でもぶつけたのか? それとも、野獣どもとの戦闘でやられたか?」

「……後者だ。油断しててね」

「そうか……そいつは笑ったりして悪かったな」


 そう言って緑色の者は、ラナイの肩に触れた。


「ルトゥールってのは、太古に起きた戦争のことだ。

 全ては自然によってでき自然的であるべきだ、とまあそんな感じでな、【アトニム】創生の三竜を倒そうってことになったわけだ」

「なんでそうなる? 自然が大事だからって、竜を殺す意味なんてあるのか?」


「そいつはな、三竜が強すぎたからだ。

 さっきも言ったが、三竜は【アトニム】を生み出したって言われてる。

 つまり、最強。超絶最強のバケモンだ。誰もあいつらには敵わない……でも。

 それは弱肉強食の世界であり得ないことだろ? ズルだ。

 だったら、弱肉強食の理に則って殺っちまおう……ってな」  


 得意げに緑色の者が話をする間、アレはずっと眉間にシワを寄せていた。


「……それが、ルトゥールね」


 と、ラナイが鼻から息を抜く。


「ああ、ってもまあ"むかしむかしあるところに"ってな話だけどな」

「おとぎ話なのか?」


「当たり前だろ。誰がそんなもん信じるんだよ。だってお前、竜ったら凶暴で危険な奴らに違いはないけどな。所詮は動物だぜ? 街に行けば、竜で出来た道具だっていくらもある。誰も殺せない最強の竜なんてのは、おとぎ話じゃなきゃなんだっていうんだよ」


 そう言って緑色の者は鼻で笑った。

 そんな緑色の者の態度に、アレが鼻を鳴らす。


「まあそう怒るなよ、妖精ちゃん。お前らおとぎ話好きには信じられないのかもしれないけどな、それが現実だ。そういうとこ変わらないから、お前らはいつまで経っても"野獣"扱いなんだよ」


 指を突き出し、緑色の者が触れようとすると、アレはそれを乱暴に振り払った。

 それを小馬鹿にするように、緑色の者は肩をすくめる。すると。


「おい、ガリオ。いい加減にしろ。妖精も野獣も関係ない。彼らも生物であり、それは我らが人間だからといって差別して良いものではないのだぞ」


 と灰色の者が緑色の者を睨みつけた。


「また、動物愛護の説教が始まったな。"しんじゃさま"がよ」


 緑色の者が言うと、灰色の者が「むっ」と喉を鳴らす。


「それがなければ、我々は日々の生活もままならん。感謝こそすれ、差別するべきではないのだ。お前は、この世への感謝が足りんっ」

「じゃあ聞くが、妖精が何をしてくれるってんだ? 

 こいつらは生きてるだけ。どこからともなく生まれて、そんで消える。ミツバチだって蜜を集める役に立ってるってのに。妖精ときたらその辺を彷徨いて、おとぎ話の中でままごとしてるだけだろ」


 そんなのいてもいなくても変わらねえ。

 吐き捨てるように言って緑色の者はまたアレを見つめた。


 すると、灰色の者は怒りに満ちた声で「貴様」と呟き、相対して緑色の者は「何だよ」と突っかかる。

 そうして明らかによろしくない雰囲気が醸し出される最中、「まあまあ」と茶色の者が二人の間に割って入り、


「もう行っていいぞ。【アーハイム】は自由な街だ。妖精の立ち入りも、許可されている。だが、一応お前は正体不明人類だから、"アンノウン"としての申請をしてから街に入ってくれ」


 そう言って門のそばにある小屋を指差した。


 ラナイは一応会釈の真似事をしたが、アレはむくれたまま表情を変えず。

 どこか釈然としない雰囲気のまま、二人で小屋へ向かおうとすると、


「待って」


 と不意にアレが声を上げた。


「あの人たち見てないし、このまま街に入っちゃおうよ」

「……いいのか?」

「いいよ、なんか感じ悪かったし。それに、私たちは別に悪いことをする気なんてないしさ。あと、アンノウンなんてわけのわからないものと一緒にされたら、ラナイが何なのか知るヒントも見失っちゃうかもだし」

「ヒント?」


「うん。ラナイがアンノウンじゃなかったら、今みたいに似たような人を教えてくれる人がいるかもしれない」

「おお、なるほど。アレ、賢いな」

「まーね。私、"ようせい"だから」

「……気にするなよ。もしかしたらアレだって、妖精じゃない別の似たやつがいるかもしれないだろ?」


 ラナイが言うと、アレは雑踏を見つめ、


「そうだね」


 呟くように言うと、ラナイの腕を伝って寄ってきたジュイを抱きしめた。

 そうして少しだけ明るさを取り戻し、二人が雑踏に紛れた。その時。


 何かがラナイの脚にぶつかった。

 すぐに気付いたラナイが視線を下へ向けると、そこには何の姿もなく。

 地面を這わせたその視線の先に、人々の脚の間を縫って進む小さな何者かの姿があった。 

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