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あれとれ 5

 ガラスの割れる音がした。

 瞬間、激しく風が吹き、大穴が唸る。

 空から落ちてくる悲鳴と相まって、それは乱暴に金管楽器を鳴らしたような凄まじい合奏と変わっていた。


 その下方から鳴る苛烈なる音色に迎えられ、揺れる光の衣を纏って現れる何か。


 ゆっくりと、大穴の闇に光の衣を剥がされ、それが徐々に姿を現していく様は冷たい水に体を滑り込ませる時のように慎重で、しかし妖しさを感じさせていた。

 

 すらりと伸びる手足。その先に続く細く長い六本の指は、その白さ故に風景に紛れてしまいそうなほど曖昧。

 全体的に無駄の少ない肉体でありながら、突き出た尻と胸の肉付きは良く。

 それを覆い隠す黄金色の薄い衣は、まるでバターの上を流れる蜂蜜のようで、思わず喉が鳴ってしまいそうなほど甘美な妄想を掻き立てる。

  

 それが完全に姿を晒すと、迎えに現れた音色たちは最後にキラキラと残響を残し空へと消えた。

 風も止み、再びそこにはしんとした静寂が訪れる。


「また、お前か……」

  

 白髪の男がそう声を発すると、一度は訪れた静寂に柔く風の音が戻ってくる。

 しかしそれは自然の風ではなく、白髪の男が漏らす鋭い殺気によるものだ。


「知ってるのか?」


 白い人型が訊くと、白髪の男はそれを睨みつけたまま「当たり前だ」と答えた。


「このクソども。何度殺しても、次から次へと湧いて出てくる。どいつもこいつも似たような顔をして、ほんとうに気持ちの悪い奴らだ」

「ふーん。で、何なんだ? このデカさ、人間じゃないだろ?」


――妖精だ


「妖精? こいつが? でも、羽が生えてないし……妖精はもっと小さい奴だろ?」


 と白い人型は視線の先に佇む大きな人型を見つめた。


「妖精が小さいだと?」


 言って白髪の男は「あり得ない」と首を横に振った。


「こいつらは昔からこの大きさだ。バカみたいにデカくて、バカな奴らだよ」

「そう……だったか……?」

「ああ、そうだ」


 頷き、白髪の男は剣を構えた。

 するとその風は気のせいなんかじゃなかったのだと、それほどハッキリと吹き荒れる。

 白髪の男を中心に、それは生じているようだった。


 いや、風は生じているのではなく、"逃げていた"。


 すると、風の気持ちがわかるのか、薄く発光する大きな人型"妖精"はまた酷い金切り声を上げた。

 美しく優しげな表情からは想像もつかないその狂気に満ちた叫び声は、開戦の合図。


 妖精は、地面から数十センチ浮いたまま、後方に煌めく粉を撒き散らしながら疾走。

 悲鳴を音波と変えて白髪の男に向けて発射した。

 

 そうして土埃を巻き上げながら飛んでくる無色透明の衝撃波を、白髪の男は一刀両断。

 飛ぶ斬撃にて真っ二つに斬り裂き、それは突進してくる妖精に衝突した。


 瞬間、ガラスを引っ掻いたような不快な悲鳴が上がり、妖精の美しい姿は砕けて、代わりに勢い良く煌めく粉が吹き上がる。

   

「おいおい、すごいな……」


 いつの間にか戦闘姿勢をほったらかしていた白い人型は言った。

 すると、「あんなもので殺せるか」と白髪の男が剣を構え直す。


「妖精は、三王が【オウモ】の使いだ。特性は……」


 と言い掛けたところで、「来るぞ、気をつけろ!」と声を上げた。

 見つめる先には例の煌めく粉。

 しかしそれはいつまでも霧散せず、そよ風を象ったかのような帯となって二人の方へと向かってくる。


 蛇行しながらゆっくりと流れてくるそれは美しく、まるで警戒心など必要など感じられない。

 だが、それが近付くよりも早く白髪の男は前進。

 読みの難しい帯の動きを巧みに躱しながら、その後方へと走って行った。


 白い人型はというと、何がなんだかわからずに棒立ちのままで。

 振り返った白髪の男が「バカっ!」と叫ぶ頃には、煌めく帯に巻き取られて身動きが取れなくなっていた。


「な、なんだこいつっ。粉じゃないのかっ」


 藻掻き宙でジタバタとする白い人型に、「何やってんだ!」と罵声が飛ぶ。


「妖精の特性は、"変形"だ!」

「そうだったのか……って、早く解いてくれよ」


 締め付けられ、軋む体の不気味な音を聞きながら、それでも白い人型は冷静だった。

 しかし。


「その粉は吸うな! 今すぐ息を止めろ!」


 と白髪の男が叫ぶ。


 初めから、そんなことするつもりはなかったが、白い人型はその言葉に従い……。

 大きく息を吸った。

 

 するとまたしても罵声が飛ぶのは言うまでもなく。

 粉は、白い人型が吸い込む風に乗って鼻の穴へと次々に飛び込んでいく。


「うぐっ」


 日々の癖、もとい生命維持の基本を忘れるのは難しいものだ。

 鼻を通り、口内、喉奥へと白い人型はむず痒さに侵されていった。

 それが少しして、白い人型は奇妙な満腹感に襲われる。


 それは本人の自覚としてだけでなく、


「吐き出せ! 今すぐ!」


 叫ぶ白髪の男の目にも明らかだった。


 異常なまでに膨れ上がった白い人型の腹。

 見た目には無機質な石灰石のようにしか見えなかった白い人型が、今は風を受けた帆といわんばかりに丸みを帯びて、柔らかそうな印象を与えている。


 だがそれでもやはり、硬そうなものが膨らむという異常が煽る不安はそれも異様なもの。

 鈍感な白い人型でもさすがに焦りを覚えるほどだった。


 大口を開け、ぐっぐっ、と音を鳴らし無理に吐き出そうとするも一旦腹に溜まった妖精は出てこようとはせず、白い人型は焦りに任せて自らの腹を叩き始めた。

 その時だ。


 白い人型の腹の底で何かグラグラと煮立つような音が立ち、開きっぱなしの口からは大量の煙が吹き出した。

 空中に霧散していく煙は、差し込む陽光に照らされて七色に光る。

 

 すると、影の多い大穴の内部は、夜空に瞬く星を一つ残らず集めたかのような煌めきに包まれた幻想的な空間に変わり。

 と同時に白い人型の膨れた腹も元に戻っていた。


「……お、おい。お前……」


 宙を舞う七色の霧が鳴るキラキラという音の中で、唖然とした白髪の男の声が聞こえた。


「まさか、消化……したのか?」


 言って自分がおかしなことを言った気になったのか、力が抜けて落としかけた剣を白髪の男は慌てて持ち直す。  

 

「さあ。おれにもわからない……」


 あっという間に満腹感を開放した白い人型は、ゆっくりと鼻から息を抜いた。


「わからない……って、そんなバカな……」

「だから、言っただろ。おれはおれが何だかわからないんだ。【イグナスの山】で目が覚めてから大体こんな感じだよ」


 自身に呆れ、白い人型は頭を振る。

 すると白髪の男が、ハッ、と息を呑み、「まさか」と小さく呟いた。


「何か、わかるのか?」


 白い人型が訊くと、白髪の男は頭を振り、


「いや、あり得ない……」


 そう独り言のように漏らして、剣を収めた。


「なんだよ、教えてくれ」

「うるさい奴だ。あり得ない、と言っただろ。もう……帰れ」

「おいおい、そこまで言っといて何も教えてくれないのか? それに、おれはお前の敵を倒すの手伝ったんだぞ。ちょっとくらいヒントをくれてもいいだろ」


 白い人型が食い下がると、白髪の男は「ふぅ」大きなため息をついて、そこにある落書き顔をじっと見つめた。


「オレの名は、"ウーリエ"だ……」

「あ、そう。おれは……おれは、えっと……」


 名前が思い出せない。

 今さらそんなことに気が付いて、苛立ったように頭をボリボリと掻く白い人型。

 するとその時、


――ラナイー!


 と白い人型には聞き覚えのある声が大穴に響いた。

 見上げると、大穴の縁からアレが顔を出して白い人型を見下ろしていた。


「アレ……」


 呟いて振り返ると、白髪の男はもうすでに白い人型に背を向けて奥の方へと歩いている。

 颯爽と、何事も無かったかのように去っていくその背中を見て、白い人型にはもう何も訊くことが無いような気がしていた。


――何してんのー、早く上がっておいでー!


 催促するアレの声に再び視線を戻し、白い人型は「今行く」と声を上げて岩壁をよじ登る。


          ◯


「もうっ、探したよ」


 白い人型が地上に顔を出すなり、アレが言う。


「油断してた」

「油断……ってあんた。落ちたら死ぬでしょ、普通……」


 ぼそっと言ってアレはまた大穴の底を覗き込んだ。


「よじ登って来るのもあり得ないわね」

「そうなのか?」

「……そうよ」


 とアレは呆れて嘆息する。


「ところで、"ラナイ"ってのはおれの名前か?」

「そうそう。だってあなた、"わからない"ってそればっかじゃない。どう? いい名前だと思わない?」

「まあ、わかりやすいとは思う」


 でしょ、と白い人型に笑顔を向けたアレは、続けて「この子は、"ジュイ"」と毛むくじゃらのパイカーを突き出した。


「……あ、そう」


 呟いて、白い人型"ラナイ"は少しだけ心が痛むのを感じた。


「そういえば、底に何かあった?」

「あったといえばあったよ。なんか白い奴がいたんだ」

「白い奴、ってラナイみたいな?」

「いや、違う。なんて言ったらいいかわからないけど、カッコイイ奴だったよ」


 ラナイが言うと、アレは「へー」と漏らし、三度穴の底を覗き見た。


「……どこ?」

「どこ、って見ればわかるだろ。目立つ色してたし」

「それって何色?」

「今言ったろ。白だよ、真っ白。底の方は薄暗いからよく見えるはずだ」


 言うも、アレから返ってくるのは「いない」という言葉。

 ラナイが何となく見つめたそこで、アレはおまけに首を傾げていた。


「いないはずが……」


 アレの反応を不審に思ったラナイは、その間違いを正すために大穴を覗き込んだ。

 しかし、そこにはアレの言う通り"誰もいなかった"。

 

 大地をくり抜かれただけの単純な作りである大穴に身を隠せるような場所は無く、注がれる陽光で薄暗くとも底の地面はハッキリと見えている。

 無骨に歪んだ地面に生えた少しばかりの草も、誰が放り込んだのか朽ちた何かの木片やら布切れみたいなゴミなんてものも確認できた。


 それなのに、あの白髪の男の姿だけが見当たらない。


「……どういうことだ、これ」


 困惑し、アレを見つめるラナイ。


「さあ?」

「で、でも、確かにいたんだ。ちゃんと話もしたし、それに"妖精"が出てきて、おれも戦ったんだぞ?」

「そうなの?」

「見てなかったのか?」

「よくわかんない。私が見たのは、ラナイが向こう側むいてぼーっとしてるところだったから」

「戦ったんだ……強かったかどうかってのはよくわからなかったけど。少なくとも、あの白髪の男は強かった……」

「ふーん」


 素っ気ないアレの態度に、ラナイは「信じられないか?」と言った。

 するとアレはラナイをじっと見つめ、


「信じてほしいの?」

「あー、いや。まあ……」


 ラナイが口ごもってそう言うと、突然アレはその白い腕を掴み「じゃあ、信じるよ」、と言って草むらの中へと引っ張った。


 つられて踏み出したその一歩。

 そこで足の裏に違和感を感じたラナイは、アレを引き止めた。

 見下ろす地面には、土に埋まって何かの端っこが露出していた。


「なんだろう、これ」


 アレがつまみ上げたのは、小さく折られた羊皮紙。

 湿って染みができ、多少変形しているものの、まだ靭やかさを残していた。

 それをアレが慎重に広げる。


「なんだろう……これ」


 そこにあるのは、大きな楕円。ところどころが汚れて薄くなってしまっていた。


 円の中心には広い森があり、それを囲むように設置された七つの街の絵が。

 七つの街それぞれのそばには、街ごとを識別するためか形の違う紋章がそれも七つ。

 さらに、羊皮紙の隙間を埋めるように、鳥、獣とそうとはいえない謎の絵、そして木々や山が描かれており。

 

 その山の一つでは邪悪な顔の竜が火を吹き、

 地面から顔を出す蛇のような姿の竜が大地を縫うように泳ぎ、

 しかし、空に竜は飛んでおらず。

 その代わり、とばかりに羊皮紙の上部にはそれも大きな雲の塊があり、そこには一つの目の絵が描かれている。

 

 楕円の下にはそれよりも二回りは大きく楕円が描かれていて、そこは黒く塗りつぶされており。

 各所、要点と思しき街や山には名前らしい何か文字が書かれていて、


「【アーハイム】、【リルディア】、【マッキンダム】、【ディーズベルグ】、【コルト】、【ビッツ】……。

 これが【イグナス】、雲に【オウモ】、たぶんこの蛇みたいなのが【エルオム】。だな」


 ラナイが要所のそばにある文字を読み上げると、アレが「すごいねぇ」と感心した。


「じゃあ、この【リルディア】と【マッキンダム】の間のは?」

「それは……読めないな。汚れていてちょっと判別が難しい。他にも色々汚いし……全部読み切るのは無理だ」

「そっか……じゃあ、えっと……」


 と地図に指を這わせて、何かに頭を悩ませる。

 

「どうした?」


 ラナイが声を掛けるのとほぼ同時、「あった」とアレが指を止めた。


「私たちが今いるのは、ここだね。名前は無いけど……、穴がある」

「【イグナスの山】も近いし、きっとそうだな。ってことは、ここは輪の外側だったんだな……」


 ラナイは、地図に記される穴の絵が、楕円の縁に沿ってぐるりと描かれた山脈のそばにあるのを見てそう言った。

 すると、そんなラナイの言葉を聞いて「ふーむ」とアレが唸る。

 そして地図から目を離し、「どうりで」と漏らした。


「どうりで、道に迷うはずだね。こんなに大きな山だったんだ……」

「そんなの適当に描いただけじゃないのか? ってもお前は特に小さいからな。実は山だと思ってたのもこんなんだろ、きっと」


 ラナイは適当な岩の絵を指差す。


「バカにしやがって……と言いたいところだけど。イグナスとかあなたばっかり見てたから自分が本当に小さくないのかも、自信なくなっちゃった」


 そう言って肩をすくめたアレ。

 するとその頭にラナイがそっと手の平を当てる。


「まあ、背の低さなんて気にする必要ないさ」

「……気にしてないけど。っていうかやっぱ私、自分が小さいなんて信じられない」

「この街のどこかにはいるだろうな。お前みたいな人間も」

「じゃあ、この近いとこから見に行こう」

「そうだな。まずはアレの仲間探しをしてみるってのも良いかもな」

「ラナイの仲間はきっといないだろうけどね」

「……あ、そう」


 素っ気なくそう言って、しかしラナイはひとつ気付いたことを胸にしまい込んだ。

 

「さ、行こ」


 アレが立ち上がってラナイの手を引き。

 そうして二人は手を繋いだまま、体を覆い尽くすほど背の高い草で満ちた草原を行く――。

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