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あれとれ 4

 二人が歩く広大な平原には視界を阻むものが何もなく、地平線の向こうで空が背景となって広がっている。

 雲が地面すれすれを行き、太陽は強く輝いて白く薄水色の空に溶けてしまいそうなほど曖昧。

 光を弾いて活き活きと輝く緑色の草の隙間から色とりどりの花が顔を覗かせ、草の背の少し高いところを羽虫が飛び回っている。


 阻むものがないためか風は強いが柔らかく、右へ左へと草花を揺らして遊んでいた。


 踏みしめる度に、ザクッ、となる草は音を上げ、強い風に流されて騒ぎ、ともすれば陽光のジリジリと草を温める音すらも聞こえてきそうなほど敏感に自然を漂わせる空間は、長いこと山にこもっていた二人にとって爽快の二文字でしかなかった。


 そんな中、白い人型にだけずっと気になる音があった。

 それは虫の羽音のようにも聞こえたが、くるぶし辺りを飛び回るそれらが発するにしてはあまりにも近く聞こえ。

 

 耳らしいその穴の中に虫が飛び込んだのかもしれないと、白い人型は指でそこをほじくったが、それでも音は止まなかった。


(……はぁ……)


 少し先をスキップ宛らに歩くアレの方をどことなく眺めて、白い人型は軽くため息をついた。


(うるさいな……)


 すると、白い人型の前方を行くアレが振り返り、「ねえ」と声を上げた。

 

「なんだ?」

「その子、どうしたの?」

「……"その子"って?」


 白い人型が言うとアレは駆け寄り、「やっぱり」と呟いてその背後に回り込んだ。

 すると、それまで白い人型の耳を煩わせていた謎の音が遠ざかる。


「ほら、この子」


 とアレが腕に抱いているのは、短い灰色の嘴に全身が青みがかったそれも灰色の体毛に覆われた四本足の不思議な生物。

 それはアレに抱かれながら小刻みに体を震わせ、ずっと白い人型を悩ませていた「ジュイジュイ」と音を発している。

 

「なんだ? それ……」

「ずっとあなたの背中にくっついてたの。わざとかと思ったけど、やっぱり気付いてなかったのね」


 言ってアレが笑う。


「全然……。いつからくっついてたんだろう」


 そう呟いて、白い人型は目覚めてからここに至るまでの過去を思い返していた。

 そして、なんとなく"その時"が頭を掠める。


「あの洞窟か、なんとなく尻がむず痒いとは思ったけど……そうか、お前が……」


 と無警戒に差し出された白い真っ直ぐな指を、謎の生物は啄んだ。


「いてっ!」


 その衝撃的な痛みに、白い人型は勢い良く指を引っ込めた。


「もうっ、何やってんのよ。"パイカ―"は食欲旺盛だから、気を付けないと怪我するわよ」


 そう言ってパイカ―を遠ざけたアレは、「でも」と首を捻る。


「この子、"生き物には"攻撃的じゃないはずなんだけど……」

「それ、どういう意味だよ」

「どういう意味って……ねえ?」


 とアレがパイカ―に同意を求めると、それはまた「ジュイ」と鳴いた。


「……まあいいよ。百歩譲っておれが生き物じゃないとしよう。それで、じゃあおれは何なんだ?」

「そんなの知らないわよ。あなたみたいなの、見たこと無いもん。なんか色々足りてないし……」

「足りてないって何が?」


 白い人型が訊くと、アレは言う。


 まず、肉っぽくない。

 それと、鼻と耳がない。

 体毛も、髪もない。

 それから、シワがない。


「あと、唇もないわね。瞼は一応あるみたいだけど、ここから見るとただの太い眉毛……って感じ」


 そう言ってさらに、「落書きみたい」と続けた。


 何が無い、ということは白い人型本人にもそれなりに自覚はあったが、最も衝撃的だったのは自分が"落書きみたいな容姿"だということだ。

 否定できず、白い人型は「うぐっ」と声を漏らした。


「言い訳ってことでもないけど、元々はこんなんじゃなかったんだ。もっと格好良かったはずだ……たぶん、だけど……」

 

 腕を組み、首を捻る白い人型。

 それを下から見上げて、アレは首を傾げる。


「信じられない」

「……あ、そう」


          ◯


 平原は、どこまでも続いていた。

 どこまでも続いているようだった。

 足下が多少でこぼことはしていても、視界にはいつまでも緑と薄水色ばかりが平面状に広がっていた。


 まるで絵に描いたような悠久。

 永遠へと続くその境目はきっとこんな光景なのかもしれない。


 それだけに、世界の中心は自分だけなのだと錯覚しそうなほど単純で、ガラス玉に閉じ込められた風景をただひたすらに回転させて覗くかのような無意味さを感じさせる。


 そこを駆ける黒髪の乙女。

 木の皮で作られた粘土色の袖口の広い衣服は翻り、その首元で赤い木の実のネックレスが飛び跳ねていた。


 もしそこに彼女がいなかったら、この風景に吸い込まれてしまっただろう。

 もしそこに彼女がいなかったら、いつの間にか自分を見失ってしまっただろうか。


 そんな小さな疑問は、やがて深く大きな穴へと白い人型を導いた。


(おれは、どうしてこんなところにいるんだろう……)


 見上げた空は相変わらず青く、遥か遠くに感じられる。


「いや、ほんとうに……。どうしてこんなところに穴なんか開いてるんだよ」


 僅かに疼く背中を気にして、白い人型はそっと鼻から息を抜いた。 

 すると突然、その耳の穴に何者かの声が届く。


「お、おい……」


 と、それは微かな声。

 聞いただけで驚愕しているのが伝わるような慎重さを窺わせる。

 白い人型が声のした方に顔を向けると、そこには一人の男、それも屈強な男が尻もちをついた状態でその落書きみたいな顔を見上げていた。


「……何か用か?」

「いや、別に用は……じゃなくて……あ、危うく死ぬところだったんだぞっ!」


 白い人型を指差し、憤慨して男はそう言った。


「なんで?」

「なんで、って……お前だよ! お前がいきなり上から落ちてきたんだろうが!」

「避けられたんだろ?」

「まあ、それは当然だ。オレほどの者がたかが……たかがお前のような……」


 と口ずさみ、男はまた「おい」と今度は声を上げた。


「な、なんだ!? お前はっ、なんだ!」

「知らないよ。おれだって」


 そう言って白い人型が手を差し伸べると、男はそれを払い、


「怪物めっ! 嘘をつくな!」

「嘘じゃないって。じゃあ聞くけど、お前にはおれが何に見える?」

「何に、だと……?」


 呟いて立ち上がり、様々な角度から白い人型を見上げる若い男。

 白い肌に長い白髪が真冬に凍った滝のように美しく、天上から降り注ぐ光を弾く立ち姿は、イグナスの股の下から垣間見た"あの戦士"を彷彿とさせた。

 

 そこに尻尾は見当たらず、しかし自分の顎辺りにまで達するその身長は、白い人型のイメージする人間のそれに近いような気がしていた。

 

(ちょっと違うけど。人間ったらこのくらいだよ、やっぱり……)


 一人納得して頷く白い人型に向かって、白髪の男は結論とばかりに「骨か?」と問う。


「あのな……おれだってバカじゃない。こんな成りでも一応常識はあるんだ。よく見てみろよ、骨としても足りないものがあるだろ? それに、骨が生きて歩くはずない」


 やれやれ、と白い人型は頭を振った。


「だ、だが……じゃあ、何なんだ?」

「だから、知らないって言っただろ。目が覚めたらこんなことになってたんだ」


 白い人型は、出かけたため息を慌てて堪える。

 すると白髪の男はポツリ、


「信じられない、こんなバカデカい奇っ怪な生き物がいたなんて……」


 と呟いて、言葉を失った。


「またそれか……。でも、お前はそれなりに大きいだろ? そんなに気にするな」

「き、気になんかしてない! むしろ、オレは他に比べれば背が高い方だ。失礼な奴め」

「あ、そう」


 言ってアレがどこへ行ったのか気にして、白い人型は空を見上げた。

 目に映るのは、巨大な穴の縁からまつ毛のようにちらちらと風に揺れて見える背の高い草。

 今にもその隙間からあの黒髪が覗くような気がして、少しの間期待してそこを眺めていたが、いつまでも同じように草が風に揺れているだけだった。


「それじゃあ、行くぞ」


 白い人型がその場を去ろうとすると、白髪の男が「お、おいっ」と後ろ髪を引く。

 そんな男の声に、(うるさいな……)と目の前に何もないのをいいことに白い人型は小さくため息を漏らした。

 振り返ると、男は直立不動のままじっと白い人型を見つめていた。


「一つ、質問がある」

「なんだ?」

「お前……一体どこから来た?」

「向こうの山から」


 嘘偽り無く、素直に白い人型はそう言った。

 しかし、何が気に食わなかったのか男の表情は優れず、むしろ険しくなって出来た眉間のシワの隙間から白い人型を覗いている。


「山……それはあの【イグナスの山】か?」

「ああ、そうだ」

「なら、竜と会ったか?」

「会ったよ。それがどうかしたのか?」


 答えた白い人型に対する男の返事は、「なぜ、生きている?」


「お前もそんなこと言うんだな……」

「当たり前だ。お前こそ、あそこがどこだかわかって言っているのか?

 あそこには、竜がいる。創生の三王が一柱、灼熱の黒竜【イグナス】がな。

 そこをお前は出て来たと言う。なら、聞くのが当たり前だ――」

 

――あいつを殺せたのか、それとも殺されなかったのか


 静かにそう言った男からは、異様な気配がした。

 鋭く凄まじさを感じさせるその気配は、その奥で己の凍った滝柱をも溶かしてしまいそうなほど激しい熱を孕んでいる。


 一瞬圧倒され、白い人型は反射的に臨戦態勢を取っていた。 


「落ち着け……それと、オレに敵意を向けるな。お前が未知の怪物とわかって、普通にしているだけでも苦労しているんだ……」

「殺す……つもりだったのか……」


 警戒し、白い人型の声は低い唸り声と変わる。

 が白髪の男は冷静なままで、ゆっくりと首を横に振った。が。


「いいや、殺すつもりはなかった。お前から、竜の気配を感じるまではな……」


 と言うが同時、白髪の男は剣を抜き、白い人型に向けて勢い良く薙いだ。

 瞬く間の斬撃。

 白い人型が咄嗟に飛び退いていなければ、直撃してどうなっていたかわからない。


 ただ、その強烈な風圧に白い人型は肌を裂かれたような錯覚を覚え、すぐに膝をつく。

  

「見事。よく避けたな……」


 吐き、白い人型を見つめる白髪の男の視線は斬撃よりも鋭い。

 そしてその鋭い眼光を向けたまま、


「お前は竜ではない。それなのに、なぜ竜の気配がする?」


 白い人型は立ち上がり、再び臨戦態勢を取って、答える。


「何度も言うが、わからない。おれは目覚めてからのことしか覚えていないんだ。その前の記憶は、何もかも曖昧。イグナスと会ったのも偶然。

 お前の言う"竜の気配"なんてのも言われるまで気付かなかった」

「……それを信じろって言うのか?」


 言って白髪の男は「呆れたもんだ」と呟く。


「でも、お前はおれを"竜じゃない"とも思ってる。だったら、殺す意味もないだろ?」


 最もなことを、白い人型は言った。言ったつもりだった。

 今見知らぬ二人が殺し合ったとして、何の利益もない。

 それを伝えたくて、そして何より……。

 白い人型は怯えていた。


 対峙しているだけで突き刺され、焼かれ、引き裂かれる。

 そんな猛烈な眼差しに、白い人型の記憶の中で何かが暴れたのだ。

 それが白い人型の空きが多い記憶の棚を荒らし、幾つもの薄っぺらな記憶が床に落ちて乱暴にページが捲られた。


 甘く濃い酒の味、狭い血管を押し広げるほどの激しい血流、まどろみを飛び越えて襲いかかる睡魔、木漏れ日の熱、青い香り、強烈な酸味、黒い竜から感じる燃えた石の香り、黒髪の女、その間抜けな顔、悠久の草原……。

 

 どれも、他愛もないごく最近得たばかりの記憶だ。

 それらが床に散らばり、すると本棚には一冊の本だけが残る。


 いぶされた銅のまだら模様が特徴的な表紙。

 縁に同じような色合いの鋲が何本も打たれていて、それ以外には何も描かれておらず。

 どの記憶とも違って、分厚い。


(これが、この感情の……?)


 その時、二度目に記憶の棚が激しく揺れ、重いその記憶の書が棚から落ちて表紙が開けた。

 宙でパラパラと捲れるページ。

 しかし、それを見ても白い人型には何も感じられなかった。


 それもそのはず、床に落ちた記憶の書のどれもが文字の無い"感覚の絵本"であったのに、その銅表紙の分厚い一冊だけは、びっしりと文字で書かれていたのだ。   

  

 そこに書いてあることの一行も白い人型には理解できず。

 油断したその一瞬を、光の一筋が横切る。


 記憶の部屋から脱出するのがほんの少し遅れていれば、首を飛ばされていただろう。

 白髪の男が発する猛烈な眼光に興奮してたことが幸いしたのだ。


 一手先に殺意を気取った白い人型が仰け反った顎下を、よく研がれた刃の切っ先が光を削って通り過ぎる。


「また……避けた……」


 白髪の男が呟き、振り抜いた剣を構え直した。


「竜の気配を漂わせる気味の悪い怪物。それだけじゃないとは思ってたが、まさか手練だったとはね……」 

「あ、そう……」


 と白い人型はもう目を逸らさなかった。

 見つめ合い、これ以上気圧されるつもりもない。

 次の一手でこの不明の息をぶち撒けてやろうと、そう考えていた。その時。


 甲高い悲鳴が空の向こうから勢い良く飛び込んでくる――。

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