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あれとれ 3

 白い人型が四つん這いの格好のまま、あり得ない、というその言葉の意味を考えていると、自称人間は「竜の言葉は普通届かない」と言った。

 

「だけど、話し掛けてきたのはあいつだ。それに、おれと会話してて何がおかしいってことも言わなかったけどな?」

「イグナスは私とばっかり話してたから、それで忘れちゃったんじゃないかと思う。最近は特にそういう物忘れみたいなことも増えていたし……」

「じゃあ、やっぱり歳だったんだな」


 白い人型が言ったのと同時、激しい地鳴りが狭い洞窟を揺らし、どこか遠くで何かの崩れる嫌な音が響いた。

 伝わる衝撃で白い人型たちのいる場所でも壁が砕けて欠片、天井からは小石が散らばる。


「何が、起きてるの……?」


 天井を見上げ、自称人間が言った。


「アリアスが来たんだ」


 白い人型が言った途端、自称人間は慌てて先へ進もうとして道を阻む大きな顔に体当たりした。


「もうっ! 邪魔だよ! どけてっ!」

「無茶言うなよ」


 するとまた「もうっ」と唸り、自称人間は大荷物を降ろして白い人型の下をさらに小さく四つん這いになって通り過ぎて行った。

 その後ろ姿を覗き込み、白い人型はぽつり「尻尾も無い」と呟く。


 白い人型にとって、その自称人間はとても変わった生き物だった。

 それというのも、白い人型の抱く人間のイメージには進化の名残りとしての細く長い尻尾がトレードマークだったからだ。


 羽もなく、尻尾もない。

 それなのに人間に近い姿をしていて、知的な言語を発する。


(……わからない。あれは、何なんだ?)


 顔を正面に戻し、「ま、いいか」と白い人型は荷物を跨いで先へと進んだ。

 それが少しして、出口らしい光の溢れる穴を見つけると、突然白い人型は尻の辺りに妙な違和感を感じた。すると。


「もうっ!」


 声が聞こえ、白い人型の腹の下を何かが、ズリ、ズリと進む。

 そうして腕の間から顔を出したのは、山菜やキノコなど食べ物がぎっしりと詰まった例の大荷物だ。

 次いで自称人間が白い人型の視線に後頭部を晒す。


「どうしたんだ? あいつのとこに戻るんじゃないのか?」


 白い人型が訊くと、


「道が塞がっていたの。たぶんさっきの衝撃のせいだわ……」


 思い当たることを、白い人型はため息と共に飲み込む。


「回り道しなくちゃ……」

「あいつならたぶん大丈夫だと思うけど……。なんかすごいデカかったしな。それに、火も吹いてたし」

「……当たり前でしょ」


 振り向かずに言って自称人間はさっさと出口へ走って行った。

 後を追うようにして、白い人型も洞窟から這い出した。


 そんな白い人型の目に映るのは、鬱蒼とした森。

 先程まで歩いていた場所よりもずっと木々が密集してそこら中苔むし、地面に生える草も向こうより青く生き生きとしている。

 その分陽の光は遮断され薄暗く、木の葉が揺れてキラキラと光って見える様は、昼の夜空といった感じだろうか。  

 

 道という道もなく、少なくともここが獣もあまり近付かないような場所であることは、白い人型にも理解できていた。

 

 周囲を見回し、「ほー」とのんきな声を漏らした白い人型。

 さてどっちが下山ルートか、と適当に歩き出した途端に、思い出した。


「あっ。そうだ……"目"を連れてこなきゃいけないのか……」

  

 またボリボリと後頭部を掻き、「もう一回聞きに行かなきゃ」と戻る道を探した。

 するとその視線、白い人型は地面に寝転がるキノコに気が付く。


(これってもしかして……)


 追えばあの巨大な洞穴へ戻れるだろう。

 ひらめいた白い人型は、点々と続く自称人間の落とし物を追って道を進んだ。


 山菜、キノコ、キノコ、山菜、山菜、木の実、キノコ、キノコ、キノコ……。

 そうして道を進む間にも、大地が激しく揺れる。


「キノコ、キノコ……キノコ……」


 落とし物を数えて、なんとなく自称人間の好みを察したところで、そこがなんとなく見覚えのあるような風景に変わっていた。

 細い幹の木々と禿げて砂地が顕になった道、その脇には無骨な岩壁と崖がある。


(……やっと戻ってきたか)


 と白い人型が見つめる前方、道が抉れて数メートルほど失われていた。

 その付近に散らばる道標たち。


(まさか……)


 近付いて覗き込んだ崖の下に、自らの収穫物の上で仰向けに寝そべる自称人間の姿が見えた。


「おーい! 大丈夫かー!」


 白い人型が声を掛けても、返事はない。


「気絶してるのか。ったく仕方ない奴だな」


 高さがどれくらいなのか白い人型にはよくわからなかったが、一度落ちた経験もあり、さほど危険だという感覚もなかったことから、特に迷いもなくあっさりとそこから飛び降りた。


 今度は見事に着地。

 足下の自称人間を両手の平で掬い上げた。 

 

「これで人間……。やっぱり記憶なんてあてにならないな」


 繋げた両手に体の大部分が収まったそれを見て、白い人型は呟く。

 その時、三度の咆哮が山全体に轟き、空が赤色に染まった。


 振り返った白い人型の目に映るのは、背の高い崖に阻まれて尚それを越えて吹き上がる巨大な火柱。

 撒き散らされる赤い粒は、火花というにはあまりにも大きく。

 それが地面に落ちる度に地面が細かく揺れた。

 

「う……ン……」


 白い人型の手の平の上で呻く自称人間。

 僅かに身動ぎをしたその首元で、何かが赤く染まる光を反射して輝いた。

 手の平を顔に近付け、白い人型はそれを間近に覗き込むと、


「なんだこれ……やっぱり人間じゃないだろ」


 それは、胸元で半分皮膚に飲み込まれかけている楕円状の宝石らしい何か。

 赤く怪しい光を湛え、その中心には縦に黒い裂け目のような痕が見える。

 

 するとその形が"あれ"に見えた白い人型は、一言「そういうことなのか?」と呟いて、未だ吹き上げ続ける火柱を見上げた。


 また、咆哮が聞こえた。

 まるで悲鳴のような、叫んでいるようなその声色に、白い人型は思わず身震いする。

 そして思い浮かぶあの言葉、それが頭を掠めたその時だった。


 激しい地揺れと共に肌を焼く鋭い熱が降り注ぎ、それまで道の形をしていた崖の上部が崩壊する音が聞こえた。

 反射的に白い人型が見つめたのは、イグナスがいたあの巨大な洞穴の方向。


 高くそびえる岩壁が崩落し轟音を響かせ、山が形を変えていく。

 鳥が騒ぎ、一層木々はざわめいて。

 唖然とする白い人型の頭上を、金切り声を上げる幾千の虫たちが風となって通り過ぎ。

 遠く強烈な爆発が生じた。


 猛烈な風が起き、それは身を隠そうと白い人型が体を寄せた岩壁をも砕こうと暴れ回り、そこが持ちこたえても、さらに高いところから大きな岩が降り注いだ。


(ああ、わかったよ……)


 白い人型はもう一度炎の吹き上がる向こうを見つめ、そして手の平に抱いた自称人間に視線を落とした。


「…………」


 その目に、確信を得たのだ。

 白い人型は自称人間を胸に抱え、そして幾度目か轟く咆哮に背を向けた――。   


          ◯


 自称人間のその名は「アレ」という。

 長いストレートの黒髪と光に当たると青が強くなる濃紺の瞳が特徴的な、女の姿をしている。


 アレは、山の向こうの小さな村で育った。

 両親はなく、親代わりもなく。ただ一人、大きな人間ばかりのその村で知恵を絞って生きてきた。

 

 ある日も、アレは日課としていた山菜と鉱物を採るために山へと入った。

 いつもと山の様子は変わらず穏やかだった。

 それまでも自分と同じように山へ採取に来る者は多くいたが、その日アレが出会ったのは、"見知らぬ者"でも"近所の者"でも無かった。


 そこにいたのは、一人の人間。

 自分と同じく小さな姿であり、それはアレに初めての"同胞"と呼べる初めてのものだった。

 彼は自らを「ヒイラギ」と名乗った。

  

 それからアレとヒイラギは頻繁に会うことになるが、待ち合わせをしたことは無かった。

 いつもと同じ時間、初めて出会ったその樹のそこへ行けば会えたからだ。


 何度も会う内、いつしかアレはヒイラギを村に誘うようになったが、彼はいつも山を下りる途中で姿を消してしまった。

 どうしてなのかアレが訊いても、ヒイラギは首を捻るばかりだった。


 それがある日突然、ヒイラギはいつもの樹の前にいなくなった。

 アレが山に滞在する時間は長くなっていった。


 いずれアレは山に詳しくなった。

 獣道の行方も洞窟の道筋も、山菜のよく採れるところや甘い果実の採れるところも知っていた。

 お気に入りの場所を見つけたし、危険な場所だって山に入る誰よりも詳しくなっていた。

 それなのに。


 ある日、アレは道に迷った。


 いつもと同じ道を歩いていたはずなのに、戻って行先が知っている場所じゃ無くなっていたのだ。

 突如不安に駆られ、山の歩き方すらも疎かになったアレは、もう今来た道すらもわからなくなってしまった。


 何日も何ヶ月も森を彷徨い、そしてアレは翼を持たぬ巨大な黒竜イグナスに出会った。


 イグナスは、道に迷ったというアレに対し、自分も同じだと言った。

 そうして新たに生まれた同胞を、アレはヒイラギと切り離して考えられず、イグナスはヒイラギなのではないかとしばらくは疑っていた。しかし。


 両目の潰れた巨大な黒竜には、結局ヒイラギの断片などどこにも見当たらなかった。  

 いつしか、消えたヒイラギのことは心の隅に置かれるようになり、アレはその空いた部分に"安心"を据えるようになった。


 続くイグナスとの生活に、喜びも楽しさも生まれた。   


 少しずついっぱいになっていく心に、再び"不安"が押し寄せたのは、"ルトゥール"という言葉を耳にするようになってからだった。

 それらは突如現れ、言葉も交さぬ内に"ルトゥール"を叫び、イグナスを襲った。


 その侵入者たちをアリアスだと、イグナスはアレに教えてくれた。


 アリアスは、一日に何回も来ることもあれば、来ない日もあった。

 いつの間にか、アレの安心の大概はアリアスの現れないその短い瞬間にだけ置かれるようになり、大半を不安が占めるようになっていた。


 それからずっと、いかにイグナスが強くとも、その割合だけは変わらない――。


          ◯


「ここ数年はあいつらも姿を現さなくなっていたの。でも……」


 と、言い掛けてアレは一旦黙り頭を振る。


「……そして、あなたが現れた」


 遠く空の赤く染まった【イグナスの山】を背景に、仰向けで青い空をぼんやりと見上げてアレはそう言った。 

 白い人型はその脇に腰を下ろしたまま、山を眺めて「ふーん」と返事をする。


「だからね、別にあなたみたいなおかしなのに会っても驚かないんだ。心が、全然微動だにしないの……」

 

 アレは、相変わらず空を見上げていて、その視線は流れる雲を追うこともなく青い空の一点にじっと向けられている。

  

「嘘付くなよ。お前あの時驚いてただろ……『わっ』ってさ」

「それはまあ、そう……って。微動だにしないってそういう意味じゃないわよ」

「じゃあ、どういう意味だよ」

「生きていれば、何があっても不思議じゃないってことを知ってる。そういう意味」


 そんなアレの答えに、またも白い人型は「嘘つけ」と言い放つ。


「お前さっき、『なんで連れてきたの?』って言ってたじゃないか」


 ショックだったんだろ。

 と白い人型はアレを向いた。


「そういう意味じゃないわよ、それも。

 あなたにとって私は何の関係もないのに、どうして連れてきたのか、って意味で言ったの」


 そう言って白い人型の方を向いたアレ。

 見つめ合う二人の頭上を、少しだけ強い風が草の切れ端を巻き込んで飛んでいく。


「頼まれたんだ」

「それは、イグナスに? 私を?」


 白い人型は頷く。


「ああ、間違いない。

 イグナスは、お前に"世界を見ろ"って言ってた。意味はわからないけど、おれにやることはそれしかなかったし、だから連れてきたんだよ」


 白い人型が言うと、アレはまた空を見上げ「迷惑な話ね」と呟いた。


「それっておれのセリフじゃないのか?」

「うん……そうだね……」


 アレが頷く。


「返してくれ」

「……どうやって?」


 きょとんとしてアレが白い人型を見ると、そこは相変わらず丸く何もない後頭部に変わっていた。

 陽の光を鈍く跳ね返して全体が白く浮かび上がる卵の殻のような頭だ。


「何か……迷惑な話してくれよ」


 後頭部越しにそう聞こえると、アレはクスクスと肩を震わせ、そしてすぐに大口を開け声を上げて笑った。


「…………?」


 再び振り返った白い人型の目には、顔を両手で覆って足をバタつかせて、ただ必死に声を上げるアレの口の端だけが見えていた。

 その胸元の"あれ"は、赤い光を失って黒く染まっている。


 きっと瞼が閉じたままなんだ、と白い人型は納得し、またアレから顔を背けて精一杯笑うその通り雨のような声に耳を澄ませた。


 それはしばらくの間続いた。

 しばらく続いて雨が上がり、急に静かになって風の吹く音が際立つようになって、


「どうせ行くなら。あの空が見えなくなるくらい遠くへ、連れて行って欲しいなぁ……」


 葉に溜まった水滴がいくつも垂れて水溜りを鳴らす。

 そんな微かな声が、白い人型の耳に届いた。

 すると、白い人型は大袈裟に長く深いため息をつく。


「……まったく、迷惑な話だ」

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