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おれとれ 9

 面倒なことになりそうだ、というのがラナイの直感。


 だからじゃないが、覚えている自分の過去を含め、ドールたちにも余計なことを言うつもりが無かった。

 それなのに、ラナイは今最も言うべきことではないことを、伝えるべきではない相手に伝えてしまっていた。


 その一言を後悔するのに僅かな時間も必要はなかった。

 だから、あ、の一文字に今ある感情の全てを表現し、ラナイは口を硬く結んだが。


 しかし、時すでに遅しだ。


「そ、それで」


 と声は冷静だが、顔が明らかに動転しているのはウィッシュバルだ。


「それで、ベルバル様。【イグナス】は、殺せたのですか?」

「あー……どうだろう。でも、あれがイグナスだったのかなぁ……」


 なんとか誤魔化そうと大袈裟に首を捻るラナイ。

 すると、ミーヒルバルが「まさか!」と声を上げる。


「見間違うはずがないでしょう! 【イグナス】ですよ!? 六王の一柱! 黒く巨大なっ……巨大な……竜……です。ですよね?」


 勢いは始めだけ、すぐに自信を失ってミーヒルバルはラナイを見つめた。

 その複雑な色の目に、ラナイから"面倒だ"という感覚が消える。


「見たことが無いのか?」


 言うだけ言ってラナイは、ミーヒルバルの返事を待たずに「そりゃそうか」と鼻から息を抜く。


「お前たちは、イグナスを探してたんだったな。だからたぶん、"ベルバル様"を知っている感覚と同じだ。知っているがなぜ知っているかわからない。そうだろ?」


 と、ラナイはミーヒルバルが頷くのを待った。

 ミーヒルバルが頷く。


「……ウィッシュバルはどうだ?」


 ラナイはウィッシュバルの方を向いた。


「おれは、一度だけ。たしか天使だった頃のことです。

 天上界から地上を駆ける巨大な黒い竜の背を見たことが……」

「天使だった頃?」

「はい。おれたちは堕天使ですので、元々は天使だったのです。

 天上界に住み、【オウモ】の配下として生きていました」


 ですが、とウィッシュバルの表情が曇る。


「堕天は、そもそも【オウモ】の判断で行われるはずですが、おれには堕天させられるような何かをした覚えが無いのです」

「それはつまりなんだ……その、【オウモ】の気に食わないとそうさせられるってことか?」


「その通りですが……。やはり覚えていないのですか?」

「まったくだ」


 ラナイが首を横に振ると、ウィッシュバルが複雑な表情で小さく頷いた。


「では、一応説明します。

 まず、天上界には絶対の規則として【オウモ】がありました。

 しかし規則とはいっても、天上界で感情にも生活にも変化がない天使にとっては、規則を破るのが遊びのようなものでした。

 例えば、眠っている【オウモ】を起こす。【オウモ】の鱗を頂戴する。約束の時間を破る、などです」


「約束の時間、ってのは?」


「【オウモ】が決めた、訓練の時間です。敵がいないので意味はありませんでしたが、それがなければ統率も取れないということで【オウモ】が決めたのです。

 今思えば、それはきっと【オウモ】はそこで見た"集団"というものを真似したのでしょう。天使が食事をしないことが関係あるかと」


「天使は食事をしない、だから狩りをしない、ひいては目標が無いから集団としての意味もなく統率も取れない……ってか」


 おそらく、とウィッシュバルが頷く。


「ですが、いったい何が【オウモ】の気に食わなかったのかはわからない……」

「それは、【否読の書】を読んでもわからないってことか?」

「というよりも、今した話は記憶の本に書かれていることではありません。あくまでおれ個人の覚えている範囲のことなのです」

「そうか……」


 一言呟き、ラナイはどこか落胆したかのような鼻息を漏らした。


「しかし、ベルバル様。あなたが【オウモ】の怒りを買ったのは事実です」

「おれが?」

「はい、ベルバル様。あなたが今ここにいるのが何よりの証拠です」

「……なるほどね」


 一旦は納得し、そしてすぐにラナイは「だったらお前もじゃないか」と質問を返す。

 するとウィッシュバルは怪訝な表情をしながら首を傾げた。


「そう、そうなのです。それがわからない。

 記憶の本にも、【オウモ】を怒らせたようなことは書かれていませんし、そういうことをした覚えがないというのは言った通りです。

 それなのに、なぜおれは堕天させられたのでしょう……」


 そう言って俯き、頭をポリポリと掻くウィッシュバル。


「なら、お前は何を読んでたんだ?」

「ある友の記憶です。そしてそれは、イーバルが言うのと同じくおれが堕天使ではない頃の話。おれはオウムの妖鳥人のバークスでした」


 ウィッシュバルはそこまで言ってラナイを窺い、「続けても?」と。

 ラナイは二度頷いた。

 応じてウィッシュバルも頷く。


「おれは同種族の両親の間に生まれ、普通に成長します。

 そしてある日、狩人として働く父が仕事の途中、【ディーズベルグ】の東にある【ファルセル】麓の断崖【ククスカー】に落ち、帰らぬ者となりました。

 原因は、おれでした。


 言うことを聞かず、崖下を覗き込んだおれを助けようとして、父は襲ってきた鳥類の野獣に捕らえられ、その後【ククスカー】に……。


 それがきっかけで、おれは母といるのが辛くなり家を出ました。

 しかしおれには父に鍛えられた狩人としての力しかありませんでしたから。

 おれは【アーハイム】へ行き、そこである肉屋に雇われて働くことになりました。

 それから紆余曲折あって、またある日、おれは輪の内側で仲間たちに出会うのです」


「それが?」


「はい。彼らは輪の内側で主にアンノウンを狩る学会所属の調査集団でした。団名は"ニバンボシ"。

 その、当時六名だった団員の一人に変わった奴がいまして。

 

 防具を嫌がり、武器は鈍ら、無口で、いくら言っても身なりを整えようともしない不精な男でした。

 おまけに、戦い方もままならないのに野獣への執着心だけは異様に強く、自分が傷つくことも恐れずに大型の竜にすら突っ込んでいく矢のような奴だったんです。

 そしてそいつは、ある日忽然と姿を消し、二度とおれたちの前に現れることはなかった……」

 

 そう言って物憂げな表情でラナイを見つめるウィッシュバル。

 首を傾げ、「それだけです」と言った。


 その時、ラナイの脳裏を過るのは(まさか……)という息を飲む感情。

 しかし、それよりも早くラナイが口にしたのは、


「ヒイラギ、だろ。その不精な男の名前は……」


 ラナイが言うと、ウィッシュバルの目が見開く。


「あれを、知っていたのですか?」

「まあね……」


 ラナイは疲れたように言い、思い切り吐き出したいため息を飲み込んだ。


(また、だ)


 これで五人目。

 ヒイラギとの繋がりを持つ人物がまた、ラナイの前に現れた。

 とはいえ、ウィッシュバルの場合これまでの三人、アレ、グリム、ルールーウィップ、スズの場合とは少し事情が違っている。


 ウィッシュバルの場合、本人ではあるが過去、また別の誰かとしてヒイラギのことを記憶しているのだ。

 

 このことからわかるのはつまり、ヒイラギがいたのは堕天使が三竜と三王を追っていた時代よりも後であるということ。


「なあ、ウィッシュバル。ヒイラギが……というか、お前がバークスだったのはいつ頃だ?」

「いつ、というのを正確に説明するのは難しいですね……。

 しかし、堕天使当時の世界とは地形が少し違った。

 例えば、海の数が足りない。


 それと、輪の内側、というのもよくわかりません。

 地図の位置的には【グリンボウ】があった場所辺りのように見えますが……だからそうですね……。

 おれがバークスだった時代に【ヴェルーゴ】の文字が無い、というのが一番の違いです」


 と、ウィッシュバルが小さく首を縦に振る。


「【ヴェルーゴ】?」


 ラナイがグリムの持っていた地図を記憶の本で読み返しながら言うと。


「【ヴェルーゴ】は、【リルディア】の南方にある人王ヴェルーゴの治める国のことです。それが、バークスとして見た世界の地図には【ヴェルーゴ】にも【リルディア】と書かれてある。


 奇妙なことではありますが、ベルバル様の言う"世界が一個分変わるくらいの時間"が経ったということを考えれば理解できないこともありません。

 何かしらあって、【ヴェルーゴ】は滅び隣国である【リルディア】の統治に変わった。

 そしてその原因はおそらく……」


 含みを持って言い、ウィッシュバルはラナイの目をじっと見つめた。


「おそらく、野獣の侵略でしょう。

 信じ難いことではありますが、おれたちは野獣共の侵略に敗れたのかもしれません」


 そう言ってこれで終いだと言わんばかりに深く長い息を漏らしたウィッシュバル。


「いや、待てよ。押し迫る闇はどうした。それが神の怒りかなんか知らんが、攻撃だったんだとすれば、野獣のせいとは限らないだろ」

「確かに、そうですね……」


 大事なことなのに。

 と、ウィッシュバルは落ち込んでいて、だがそれも納得がいかないといった様子で頭をポリポリと掻いた。

 そうして二人が静かになって、暗い洞窟が【忘れられた水路】としての姿を取り戻したその時。


 そういえば、とラナイがコゾウを振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。

 理解不能の非常事態に、目的を放棄して戻ったのだろう。

 暗に察しラナイもまた、自分の本来の目的を思い出していた。


「とにかく、このままここで立ち話もなんだ。まずは地上に出る。いいか?」


 ラナイが言うと、例の三人のドールは頷いたが、他のドールたちは棒立ちのままピクリともしない。

 すると、ラナイの戸惑いを察してウィッシュバルが言う。


「彼らはまだ、動けるだけなのです。覚醒のためには、食事が必要かと」

「そうか。じゃあ、その辺で野獣が出たらそれを食ってもらおう……でも。またベルバル様だなんだって来られるのは面倒だなぁ……」

 

 ラナイはドールたちを見つめ、苦い顔をする。


「それについては、おれとミーヒルバル、イーバルの三人でまとめておきましょう。

 先に目覚めたおれたちなら、彼らの混乱も理解できますから」

「なるほど、じゃあそいつらのことは頼んだぞ」

「お任せください」


 ウィッシュバルが言って、並ぶミーヒルバルとイーバル。

 二人にも目配せをし、ラナイは「頼んだぞ」と一言だけ添えた。


          ◯


 出口までは道に迷っても三日あればなんとかなる。

 コゾウの言う通り、ラナイが人に括り付けられていない明かりを見つけたのは、体感で一日半か二日経った頃だった。


 それは例の橙色の光だったが、その範囲はラナイの光よりの数倍大きく、スズのランタンの光よりももしかすると大きいくらいだ。

 周囲に満ちる耳を塞ぐ闇の中で、本来ならば小さな点のようにまで押し込められるその光が十分な範囲を持って辺りを照らしているのは、光の柱のおかげだろう。


 そこには、ラナイの身長よりも少し高い程度の幅の広い小屋が二軒建っている。

 周りには三つ、四つの大きな木箱が重なっていて、他には低いベンチ、荷車が三台、はしご、ロープ、焚き火跡が三ヶ所そのそれぞれに鍋が吊るされたままになっている。

 それと、中身のわからない樽が二つだ。

 

 それら全ての中心に、目が眩むほど明るい光の柱がたっており、近付いてみるとそれが一メートル四方ほどの枠とガラス板だけの箱が七つほど積み重なって小屋よりも高い塔を作っていることに気づいた。

 

 白い人型のラナイにはいまいち感じ難いが、おそらくそこら中汗ばむほどには暖かく、中に込められているのは熱鉱石だろうとわかる。 

 

 そんなひと目見ただけでここがアナーブの拠点だとわかる場所。

 しかし、これだけ人のいる形跡が残されていても、そこに人の気配はない。


「なんだあいつら、戻ったんじゃないのか?」


 光の柱のそばから周囲を見回すラナイ。


「一時撤退したのでは?」


 と、ウィッシュバルが言う。


「それはわかるけどさ。でも、あいつら何か用事があって入ってきたんだろ?

 それが未達成で帰っちゃうってことは、後回しでも良かったのか?」

「それはわかりませんが、単に考えれば、我々に恐れをなしたとのではないでしょうか」

「……やっぱりそうなのか」

「『なんだテメエら』と最初にそう言っていましたから」

「なるほどねえ……」


 ぼんやりと呟き、ラナイが見つめる先では、ミーヒルバルとイーバルを含むドールたちが各々何か話し、ざわついている。


 総勢二十五体のドール。

 それらにはそれぞれ名前があり、皆訂正軍アトニモに所属していた過去を持っている。というのは、この二日ほどの間にわかったことだ。

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