おれとれ 7
真っ先にラナイの頭を掠めたのは、スズ、だ。
道の先から来るのは少しおかしいと思ったが、【忘れられた水路】に詳しい彼女ならきっとできないことではない。
「ス……」
と、彼女の名を口にしかけたその時、ラナイはスズの話を思い出した。
(ここには、スズじゃない奴らがいるんだったな……)
スズは、アナーブ、と彼らのことを言っていた。
団長はコゾウという屈強な黒い毛並みの男。
しかし、聞こえる足音に慎重さ以外を感じ取れるほどラナイの勘は発達しておらず。
野獣ではないにしても、アンチなのかアナーブの団員なのかまではわからない。
それだけでなく、敵かどうかもだ。
ラナイはふと、三人に視線を送った。
「おい」
ラナイが声を掛けるが、ウィッシュバルもイーバルもミーヒルバルも、まだ戻ってこない。
(参ったな)
もし、戦うことになったらどうすればいいだろうか。
ラナイが考えるのは、三人の安全だ。
ドールとして認識されている彼らが、もしアナーブだった場合にその"商品"の対象になるのかはわからない。
だが、もしそうだった場合、動き回るラナイよりも大人しくしている彼らを狙うのは。
と、途中まで考えて、ラナイは(……そうだ)と自らの思考を正す。
(グリムのサンゴー……)
彼か彼女か。あれをグリムが所有していたということは、どこかで手に入れたということだ。
言わずもがな、グリムが【忘れられた水路】でドールを連れて帰ったはずがなく。
引きこもりの彼女が、他でドールを手に入れたとは考え難い。
(ってことは、やっぱりマズいな。でも、こいつらを担いで逃げる場所も……)
ラナイは周囲を探すが、どうやらここに横道は無い。
「仕方ないか……」
呟き、ラナイはすぐそばのイーバルを抱え、壁に向けて立たせる。
次いでミーヒルバル、最後にウィッシュバルも同じように壁に向けて立たせた。
「これでまず、違和感はないだろ」
一息つき、そしてラナイは気配に向かって歩き出す。
結局、一人で立ち向かうのが彼らの安全に繋がると考えたのだ。
近くにある気配は前方から来るものだけ、それがアンチだとしてもアナーブだとしても、たぶん一番変わってるドールである自分が狙われるだろうと。
だから、何かあれば逃げればいい。
その場合も、もちろん前方にだ。
そうして進める足に、ラナイは何か言いようのない重さを感じていた。
ともすれば、大地に多少めり込んでしまうかのような不思議な重さだ。
戦い方を思い出したからだろうか、それとも彼らと出会って起きたおかしさのせいだろうか。
いや、違う。
この感覚は、すでに経験済みだ。
使命感。
どこからともなく湧き上がる感情がそういうものだと気づいたからこそ、ラナイはこの瞬間に、一歩の重さが自ら込めた力のせいだと知った。
あの時。イルルの言葉を聞いた時のように。
前方からの足音は、もうそう遠くない。
闇に霞む視界でも、向こうの何者かがラナイの光に気づいてもおかしくない距離だった。
ラナイの歩幅でニ十数歩程度と思われるその距離を一歩、二歩と進めると、ラナイの目は小さな橙色の光を捉える。
前方にいるのは、アナーブで確定だ。
そこでラナイは歩幅を縮め、出会い頭の一声を考え始めた。
やあ、とするか、よう、とするか。
だが、一応にもラナイはドールだ、それも世間では珍しい自立し、しかも話すドールだ。
何をどう言おうとも、相手の反応は"何だお前は"に決まっている。
何を言っても意味がないと悟り、ラナイは向こうの反応を待ってから先にスズのことを伝えようと決めた。
橙色の光まで、あと十数歩。
ラナイが歩幅を元に戻すのと同時、バラバラ、と一つだったものが幾つもの足音に変わり、止まった。
増えたのは、それだけじゃない。
小さな橙色の光も複数に増えていた。
合計五つ。
ラナイには正確な距離まで掴めなかったが、それらはおよそ一列に並んだように見える。
橙色の光まで残り十歩を切る。
相手が複数と知り、ラナイは光る右手を上げ、とりあえず「よう」と声を掛ける方に切り替えた。
そしてラナイは、橙色の光に辿り着き、自らの放つ白光の際にそれを置く。
すぐそばにあるにも関わらず、いつまでも小さく心細い橙色の光。
その奥には、薄ぼんやりとその鎧が見える。
橙色の光を受けてさらに深く赤さを増した妖艶な鎧、しかしそこにある艶は光の色に関わらず白っぽく輝いている。
着ている者の肌は窺えず、白光の外でそれは宙に浮いた鎧でしかなかった。
それを見て、ラナイからは疑念が吹き飛んだ。
絶対にノットではない、と確信を持てたからだ。
安心し、気楽に「よう」とラナイが声を発したその時。
――ピッ
と、それは何かを強く擦ったような微かな音がラナイの耳の穴に届く。
何かが放たれたのだと、ラナイはすぐに気づいた。
だが、そこにはもうすでに異変が生じていた。
どうなったか、ある程度予想をしつつ、背後を経由し弾き飛ばされる格好で無理矢理体の脇に収められた右腕に、ラナイは視線を送る。
次の瞬間、左の肩に一発。
右腕に送った視線を戻す間もなく、放たれた。
また、一発。左の脇腹に。
まだ視線は二発目にも向いていない。
また、一発。
どこに撃たれたのかわからない。視線は左方へ。
また、一発。
おそらく、右肩に。視線が正面を向く。
そして、一撃。
視界が闇に包まれる。
何が起こったのか理解する暇もない、瞬く間の出来事だった。
だが、ラナイは少なくとも"矢"を放たれたのだと実感してはいた。
それが合計五発、当然前方にいる五つの光から放たれたのだろう。
なら、なぜ視界を奪われるのだろうか。
いったいつ、この手の平はラナイの頭部を押さえつけるに至ったのだろうか。
矢の速度よりも早く動く人間がいる。
いや、違うのだ。
それは、初めからすぐそばにいた。
ラナイの頭部上半分から即座に下方へずらし、開きかけた口を覆うその手の平。
明かされた目に映るそれは、そこら中に溢れる闇が如く黒い。
一見するだけなら人かどうかも区別がつかないそれは、陽光の下か或いはラナイやスズのランタンから発される白光の中でしか確認できないだろう。
ラナイや堕天使が白い人型ならば、それは黒い人型だ。
鎧に包まれていない部分でがふわりと波打つ体毛の様子を見れば、それは宛ら漆黒の炎を纏っているかのようである。
それが橙色の光を陽動に闇に紛れていて、矢の動きに合わせてラナイに飛びかかったのだ。
お前が、コゾウか。
ラナイがそう訊ねようにも、馬鹿力で顎が挟まれ、ウゴウゴと唸ることしかできない。
すると、それを抵抗と取ったのか、黒いサルの妖獣人はラナイの顎を掴む指先にさらに強く力を込め、空いている左の拳でラナイの頭部を思い切り三発殴りつけた。
殴られて、ラナイの頭からは、ボコッ、ボコッ、ボコッ、とかぼちゃでも叩いたような音が鳴る。
だが、そんな間抜けな音に反し、確かな威力はしっかりとラナイに伝わっていた。
衝撃を受ける度、ラナイの視界に星が飛ぶ。
三発目の一番強い衝撃で足下がふらついたが、ラナイは倒れない。
むしろ、
(目が、覚めたぞ……このっ……)
半開きだった瞼に力を込め、瞳を剥き出しにするラナイ。
自覚は無くとも、すぐそばでそれを見た黒いサルの妖獣人には何か伝わったようだ。
黒いサルの妖獣人は灰色の足の裏でラナイの白い胸を蹴飛ばすと、その勢いでまた闇の中へ姿を隠した。
周囲で弦の伸びる小さな音が。
それを聞き、ラナイが鼻を鳴らした。
「やれるもんならやってみろよ。次は、全部避けるぞ」
暗闇の中に姿を隠している者に語りかけ、そしてラナイは右手の平と右肩に刺さった異様に細い矢を引き抜いた。
それを地面に捨てるのと同時、
――ピッ
矢を射る音がハッキリ鳴るのをラナイは聞いた。
さっきよりもずっと強い音だ。
だから、ラナイは気づいたのだ。
放たれた矢は同時五本だろう、と。
足音と同様、彼らは音を陽動として行動の基準にしている。
(なら、次の一手が本命か……)
一瞬の判断で、ラナイが選択したのは、跳躍。
足の下で矢がどこへ向かったのかはわからないままだったが、それでも、宙に浮き上がったラナイの体に矢は触れていない。
宣言通り全ての矢を躱したラナイ。
すると、
「それで」
後頭部越しに声が聞こえた。
「矢を避けて、だからどうした」
またしてもいつの間にかラナイのすぐそばにいた黒いサルの妖獣人は、黄色味がかった獰猛な四本の犬歯を剥き出しにしてニヤついた表情を浮かべている。
「お前を捕まえるんだよ」
「あ?」
次の瞬間、黒いサルの妖獣人は剥き出しにした牙を口の中に収め、瞳を剥いた。
その視線の先には、白い人型の瞳がある。
思わず退避を余儀なくされた、不気味な白い瞳が。
「くっ」
悔しげな声を漏らし、黒いサルの妖獣人は半回転して背後に向けられた白い人型の変哲の無い顔面から逃れるために両足を突っ張った。しかし。
背後を向いたのは顔だけではない。
肩から伸びる左の腕もまた、当たり前のように背後を向き、今飛び去ろうとした黒いサルの妖獣人の両足を抱え込んだ。
「くそっ!」
そのまま逆さ吊りにされ、黒いサルの妖獣人は胡座の要領で白い両足に挟み込まれる。
白い人型の締め付けは強く、両腕をも封じられて最早身動ぎは許されない。
そうして空中に出来上がった一瞬の造形は、単調な作りの白い人型の身体と相まって逆さ絵が如く。
黒いサルの妖獣人は、頭頂部を下に向けて一直線に地面に近付いていく。
「ぬぅぅっ!」
近付く地面を"見上げ"、黒いサルの妖獣人は突如「構わん!」と叫んだ。
それを聞きラナイの理解は、黒サルが死を覚悟した。
しかし。
「いや、殺すつもりなんかな……いっ!」
言い訳しかけて前方から閃光、衝撃。
次いでラナイは胸に激しい熱を浴び、後方にふっ飛ばされる。
ダメージがあったのか、それは本人にも自覚はない。
ただラナイの脳裏には、熱いと疼く、と二つのことが浮かんでいた。
すぐにでも前に向き直り、胸の状態を確かめたいラナイだったが、今背に抱くものを放つわけにはいかない。
だってそうすれば、地面に叩きつけられた人の体が無事でいられるはずがないからだ。
異常に軽い体だからこそ、ラナイは速度に対して鈍感でいられる。
だが、今抱えている人間は、そこらにある大きめの岩ほどの重さはあるだろう。
それが、この速度で地面に衝突すれば、肉のおかげで千切れはせずとも、中身がぐちゃぐちゃになることは目に見えている。
ならば、今この手を放すわけにはいかない。
より硬く黒いサルの妖獣人を抱き、そしてラナイは腹から地面に激突する。
あ。
ぐ。
お。
べ。
悲鳴とも言葉ともつかない音を口から漏らしながら、横向きにゴロゴロと地面を転がるラナイ。
本来なら声の一つも漏らすつもりは無かったが、腹が剥き出しでは防ぎようもない。
そして横に倒れたまま地面を滑り、崩落で出来たらしい土壁にぶつかって体が止まる。
いつの間にか、ラナイの顔は前面に向き直っていた。
「……おい、無事か」
顔を向こうに向けたまま、背に抱かれたままの黒サルに声を掛けるラナイ。
「……ふざけんな」
「え?」
「てめえのせいで危うく死ぬところだ」
「なんだよ、助けてやったんだろ?」
ラナイが言うと、腕の中で黒サルが藻掻き苦しげな声を漏らす。
「テメエ、このバカ力が。腕が折れてやがる……」
とっとと放せ。
そう言って黒いサルの妖獣人は、嘆息した。
言われるままラナイが黒いサルの妖獣人を解き放つと、「いってぇ」とまた声を漏らし、右腕を抱えながら立ち上がる。
立ち上がってみると、あまり背が高い方ではないことがわかる。
それでも、アレやスズのような小人の類よりも頭二つ分は高く、その体躯に至っては小人ではない普通の人間より数倍大きい。
筋肉が大きく盛り上がり剛毛越しにも筋を成し、胸と腹を守るガードが窮屈そうだ。
さらによく見てみれば、大きな鼻が顔の真ん中あたりにあって、その周辺には毛が生えていないものの、露出した肌ですらほとんど黒色に染まっている、サル特有の顔。
両手の先には指を守る歪な手甲、体表面を覆うガードも含めて、すね甲も全て鈍い赤色だ。
胡座をかいたまま、ラナイがその鈍い赤色から再び黒い顔面に視線を移すと、そこにある薄灰色の瞳と目が合う。
「お前が、コゾウだな」
およそ間違いない、という思いでラナイが言った。
「……なんだ、怪物。どうしてワシのことを知ってやがる。まさかとは思うが、野獣界隈でも有名だとでも言う気か?」
「何言ってんだ、お前。野獣と口なんか利けるか」
呆れて言い、ラナイは「スズだよ」と鼻から息を抜いた。
「スズ……だと、テメエ……。やっぱりその光、あの娘から奪ったのか!」
喉奥からの唸り混じりにコゾウが怒鳴る。
「いや、違う。ほんの……たぶん一日くらい前まで一緒にいたんだ」
「ぁあ? ならあの娘はどこだ、どうしてテメエは一匹で彷徨いてやがる」
「地震だよ。あのおかしな地震の時に別れたんだ、そうするしかなかった……」
そう言ってラナイは何気なく遠くの暗闇を眺めた。
「……それで、テメエはあの娘を探しに行こうとはしなかったのか」
「気持ちでどうなる問題でもないだろ」
ラナイが言うと、コゾウは「気に食わねえ」と荒く鼻息を吐き出した。
「だが、まあ、助けが来るなんてことを期待しているようじゃここに食われて当然。
あの娘は弱くねえ、きっと脱出するはずだろう……」
で、とコゾウはまたラナイに向き直る。
「それにしても、どうしてドールがこんな器用に話すんだ?
妙に戦い慣れてる様子だし、まったくわけがわからねえ」
その質問に対し、今のラナイが答えられることが無くはない。
堕天使、ベルバル様。
どちらかを言えば、コゾウの知識の何かには触れるかもしれないのだ。
しかし、その答えが盗賊にどんな印象を与えるのかがわからなかった。
だから。
「【否読の書】だ。おれはそれが読める」
ラナイはそれだけを伝えた。
そう聞いて、コゾウが驚いたのは言うまでもない。




