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おれとれ 5

 それを知らないとは言えるはずもない。


 自分の後をいつの間にかついてきていて、そして今は先導して歩いているドールたち。

 彼らと出会ってから起きている小さくはない変化は、調子のおかしさ、としてラナイをざわつかせていた。


 ウィッシュバルへの質問を口にする前からもうすでにその答えがラナイの頭を掠めていた。

 だが、あれは聞き間違いだったはずだ。

 アレが、『その先に竜の巣がある』と注意を促しただけの。

 

 その証拠に、滑り落ちた先で巨大な黒竜が待ち構えていたし、それは『ここがどこか知らないはずがない』とも言った。

 だからすぐに聞き間違いだと気づいたはずなのに、どうしてか訊かずにはいられなかったのだ。


 あの時ラナイは、ほとんど無意識に見ず知らずの"ウーノス"という妄想の村のことをイグナスに訊ねていた。


 あんなことを訊いたのは、覚えていたからこそだったのかもしれない。

 そう考えるようになったのは、ラナイがウィッシュバルの過去の話を聞いている最中のこと。


 記憶の本には無い情報なのに、ラナイにはその話が物珍しいものには感じられなかった。

 むしろ、だからなんなのか、とすら思えた。

 人間に尻尾が生えていることを知っているのと同じように、ラナイの持つ"常識"のように。


 だから、ラナイが発する一声は、


「やっぱり……」


 ウィッシュバルを向いてはいても合ってはいない漠然とした視線を向けたまま、ラナイは呟いた。

 すると。


「もしかして、覚えていたのですか?」


 相変わらずしっかりとした強い目線でラナイを見つめ、ウィッシュバルは慎重にそう言った。

 いや、とラナイは首を横に振る。


「わからない」

「わ、わからない? でも、ベルバル様。あなたは今『やっぱり』と……」


 疑念をたっぷり含んだウィッシュバルの声には、どこか苛立ちのようなものも混じっている。


「ああ、覚えてはいる。けど、確かじゃないんだ」

「それはつまり……、どういうことですか?」

「どういうこと……か。

 たぶん、呼吸をするのと似てる。そういうことをわざわざ"知ってる"なんて考えないだろ?」


 聞いてウィッシュバルは一瞬戸惑ったようにしてラナイの肩から手を離し、そして自信なさげに頷いた。


「おれにとって、覚えているってことはそういうもんなんだ。だからその、もしかすると……」


 と、そこまで言ってラナイは言葉に詰まる。

 それを急かすように、ウィッシュバルは相変わらず強い視線でラナイを見つめ直し、「はい」と。


「もしかすると、初めから忘れてるわけじゃないのかもしれない。

 本当は覚えているけど、おれは何かを忘れていて、だから思い出せないんじゃないか?」

「そ、それはつまりどういうことですか?」

「だから、わからないって」


 おれは何を忘れたんだ。

 そう言ってラナイはやっとウィッシュバルの僅かに色づいた瞳を見つめた。 

 

 その時、少し先で沈黙し状況を見守っていたイーバルが二人の沈黙の間に「あの……」と挟む。

 声に気づき、ラナイとウィッシュバルが同時にそちらへ視線を向けた。


「あなたは、ベルバル様……なんですよね?」


 ラナイは答えられなかった、しかし、ウィッシュバルが「当たり前だろう」とハッキリ答える。


「でも、今の話……。おれ、その、あなたと同じかもしれません」


 イーバルが苦しげに首を傾げ、「あぁ……」と声を漏らした。 

 その脇でミーヒルバルがイーバルの肩にそっと手を添える。

 だが、イーバルはそれにもまるで気づいていない様子だ。


「今の話を聞いていて、おれ、思い出したんです。おれ……たちは、ベルバル様を知らない。見たことが無いんです。

 当然、名前は知っています。先導者と呼ばれていたことも、ルトゥールの提言者であることも……」


 けど、違うんです。

 そう言って、イーバルはウィッシュバルの方を見た。


「おれ、ウォーバル隊なんて知らないんです。それに……三王じゃなくて、六王でしょう……?」


 怯えたような振る舞いで、イーバルはそれもやはり苦しげに言い、また頭を抱えて俯いてしまった。


 その様子を隣で見つめていたミーヒルバル。

 俯くイーバルの顔をちらと覗き込むようにして、小さくため息をついた。


「……でも、ベルバル様がベルバル様だという実感がある。そうだろう?」


 ミーヒルバルが言うと、イーバルは顔を上げて頷いた。


「つまり、あなたと似ているんです……たぶん。

 覚えているけど、なぜ思い出せるかがわからないんです。あなたの姿を見るのは初めてなのに、ベルバル様だとわかるんです……。どうしてでしょう?」


 質問を投げかけられても、状況は掴めず、相変わらず無言のままのラナイ。

 すると、ウィッシュバルが言う。


「それは、誰かから聞いたということではないのか?」

「もちろん、名前はそうだ。おれたちはウルバル様から聞いていた。ルトゥールのことも……だが……」


 ミーヒルバルの言葉を聞いた瞬間、ウィッシュバルは目を見開き、例の強い視線がミーヒルバルに向けられた。


「おい! 総大将は生きているのか!? あの押し迫る闇から、逃れたのか!?」


 不意に興奮するウィッシュバル。

 だが、ミーヒルバルは戸惑った様子で「だから、おかしいんだ」と。


「何がだ、何がおかしい……」


 興奮を押し殺し、生唾を飲み込みながらウィッシュバルが言った。


「おれがルトゥールのことを聞いたのはずっと前だ。あの闇が来るよりもずっと……」

「なんだと!? ならばなぜ、ウォーバル隊を知らない!」


 そんなのおかしい、とウィッシュバルから押し殺した興奮が吹き出す。


「覚えているか? さっきおれたちは、灰影隊と白猿隊に所属していたと話した。

 おれたちがアトニモに加入した時、すでにウォーバル隊という名の隊は無かったんだ。

 おれたちが知っている訂正軍アトニモは、五つの大隊で構成されていた。

 それにアトニモの総指揮は総大将ではなく、将軍、とそう……」

   

「バ、バカなことを言うな。

 アトニモはウォーバル、ブルバル、ティルバル三大将が率いる三大隊で構成されていた。ウルバル総大将の近衛隊、ベルバル様の精鋭を含めれば、加えて二つの隊も……だが、大隊のような人数は……っ」


 言い返すようにウィッシュバルは言って、イーバルと同じように苦しげに俯いた。

 そうして地面に向けられた口から溢れる、何がどうなっている、という台詞は、ミーヒルバルがそう言うのと同時に発せられた――。


          ◯


 ミーヒルバルが、押し迫る闇を見た後から今まで何も覚えていないのはウィッシュバルと同じだ。

 しかし、その押し迫る闇の到来直前とそれ以前の状況がまるで違っている。


 ミーヒルバルが知るアトニモは、五つの大隊で構成されていた。

 大隊にはそれぞれ隊長の任を与えられた五人の人物がいる。


 第一大隊"白狼隊"には、隊長ウーリエ。

 第二大隊"白竜隊"には、隊長アインベール。

 第三大隊"白鳥隊"には、隊長ミシエル。

 第四大隊"白猿隊"には、隊長ローディーカップ。

 第五大隊"灰影隊"には、隊長ドルバル。


 彼ら五人の隊長たちは、アトニモ並びに【アトニム】でも稀有な人種で、それだけでなく腕を認められた猛者ばかりである。

 しかし、聞いての通りウォーバルやブルバル、ティルバルといった大将の称号を持つ者はいない。

 むしろ、堕天使ですら数少ない"人"として認知されているのだ。


 だから、もし、たとえばウィッシュバルの知るアトニモの隊が堕天使を基本として出来ていたのだとすれば、それはほぼ間違いなくミーヒルバルの知るアトニモではないといえる。


 さらに、押し迫る闇の到来直前の状況だ。


 それが空から落ちてきた時、ミーヒルバルは少なくとも【ガダルタ】近辺にいた。

 中の状況をいまいち覚えていないところ、思うにミーヒルバルは【ガダルタ】に侵入する直前だったのかもしれない。

 

 その点、イーバルは【ガダルタ】内部の様子をある程度記憶している。


 とはいえ、大きくはウィッシュバルの知る【ガダルタ】と同じ。

 違うのは、牢獄、そして第四階層についてだ。


 ウィッシュバルが死の牢獄と呼ぶその場所は、イーバルの記憶でも確かにその通りだった。

 しかしそこに死体など一つもなく、"あった"のは人の形を残すだけ怪物。

 

 それらは、いったい何に貪られたのか抉れた傷を持つもの、最早肉片と化したものとして牢の中や外に溢れていた。


 如何にも凄惨な状況。

 だが、放置されたそれらの状態は、本当にそれが凄惨といえるのかどうかと、イーバルを混乱させた。 

 見た目には生命が無残に散らかされた状況なのに、不可解なことがあったのだ。


 まず一つは、血痕がほとんど残されていなかった。

 また、匂いは充満していたが嗅ぎ慣れたそれとは違っていて、それが関係あるかはわからないことだが、息がしづらかったのをイーバルは覚えている。


 大きくこの二つが灰影隊を混乱させた要因だが、それも本当は違う。

 真実の要因は、それらが"死んでいなかった"こと。

 死体以上なのか以下なのか、とにかくひどい状況だったが、それらは生き生きと色づき、まるで死んでいるようには見えなかったのだ。


 その時感じたことを言葉にするのは難しい。

 

 皆押し黙り、小隊長に続いて歩く牢獄には、足音と肉片共の蠢く不気味な音だけが響いていた。 

 そうして生まれた奇妙な静寂に満ちた空間は、これまで気に留めなかった時の流れを意識させる。

 動くものだけが時を刻み続ける秒針のように淡々と動を続け、元から動くものでもない風景が停止しているように感じられた。  

 

 単調な作りの牢獄は永遠に続くように思え、必要以上に隊の体力を削っていった。

 だが、牢獄は異様であるものの危険なことなど何一つ無く、そこを抜けて初めて、皆自分の呼吸に肩を揺らした。


 その後イーバルたち小隊が別小隊らと合流した時、彼らも同じような体験をしたことを聞いた。

 それからそこは、"牢獄の迷宮"と通称された。


 そして、第四階層だ。

 イーバルたち小隊、侵入した灰影隊はそこへ辿り着けたのかがわからない。


 理由は、この暗闇だ。

 

 第一階層では、確かに天使の目が機能していた。

 第二階層までも同じく、夜闇を浮かび上がらせる天使の目はしっかりと風景を浮き彫りにしていた。だからこそ、牢獄の迷宮での悲惨な光景を見る羽目になった。

 

 そして、第三階層に入る直前、天使の目が通用しない"それ"が現れた。

 

 初めは、【ガダルタ】に幾つかある海の一部海面だと思ったが、違った。

 その水面に似た空間は、闇の溜まりだったのだ。

 

 天使として生まれ、堕天使として生きるイーバル他【オウモ】から発生した彼らにとって、目の当たりにする暗闇というものは、ただただ珍妙なものでしかなかった。しかし。


 そこで目が見えないということの不自由さを、そして恐怖を知った。

 

 恐るべきものだった。

 あの【オウモ】のひと睨みにも匹敵する緊張感。

 まるで自分が小さく意味の無いものとして押し固められ、粗雑に作り変えられたかのような劣等感が意識の中に蠢くようになった。


 隣を歩く数名の仲間たちも同じように感じていたのだろうか。

 それを訊くことができたのかどうか、次にイーバルが意識を取り戻したのは、肉が喉を通り抜けていく感触を受けた時だった。


          ◯


「お、おい……おいっ!」


 イーバルの話を聞き、我慢ならないといった様子でミーヒルバルが声を荒らげる。


「だったら、おれたちは、白猿隊はなぜ【ガダルタ】へ向かったっていうんだ!

 おれたち白猿隊が【グリンボウ】から【ガダルタ】へ向うのは、【エルオム】の発見報告を受けてからという計画だった!

 だから、少なくとも【エルオム】は発見されたはずだろう!

 それなのに、どうしてお前は【エルオム】を発見する前に記憶が……っ!」


「わからない……。

 だが、もし【エルオム】が発見されていたとして、それをおれが知らないのはこの暗闇のせいかもしれない」


 どういうことだ、とミーヒルバルが押し殺した声で言った。


「おれたち灰影隊は、大隊としてこの【ガダルタ】に侵入した。

 かといって、大隊丸ごとが縦隊に進んでいったわけじゃない。

 十人編成の小隊が二十、それぞれに間隔を開けて内部を進んでいたんだ。


 だからだ。

 第三階層に満ちた闇のことも、先行の報告が無かったから知らずにいた。

 おれたちはその後、後続の別小隊と合流し、それから第三階層に下りている」


「な、なら、先行の皆は……?」


「それがわからなかった。

 少なくとも、第三階層に下りる坂の手前にはおれたちしかいなかった。

 何かおかしいようなことも起こっていなかったし、だったら皆第三階層に下りていると考えるのが普通だろう。


 それでも念のため、おれたちの小隊長は後続を待つことにしたんだ、おれたちは残る殿の手前を行く隊だったから。

 そうすれば、後に来るクロウマル副隊長らと合流できる、何か問題が起こったとしても対処できると考えてな……」


 そう言って、イーバルは深くため息をついた。

 そんなイーバルの疲れたようなため息を聞き、 


「それで、第三階層に下りてから、お前たちは数時間前まで記憶が無い……そういうことだな」 

 

 ウィッシュバルが締めくくる。

 イーバルは小さく二、三度頷いた。


「……なるほどね」


 と、それはラナイの一言だ。

 三人の視線がラナイへ集中する。


「お前たちが【エルオム】を追ってここにきたってことはわかったよ。けど、どこか噛み合ってない。記憶のせいなのか、それとも……」


 呟くように言って記憶の部屋に入りかけたラナイだったが、「とにかく足を進めるぞ」、と本来の目的を思い出して歩き出し、改めて記憶の部屋に入って三人から得た新たな情報を整理し始めた。


 何せ知らないことが多過ぎる。

 手に持っていた記憶の本を開き、今しがた聞いたばかりの内容を改めて読みながら、ラナイは本当に考えなければならないことを探す。


 アトニモ、という謎の軍隊のことだろうか。

 ウーリエの名が聞こえたことか。

【エルオム】は見つけられたのか、だろうか。

 この耳を塞ぐ闇のことだろうか。

 それとも、第三、第四階層以下のことか、聞き覚えのある街の名か。


(……違う。どれもしっくりこない)


 なら、彼らの話が噛み合わない理由だろうか。

 何度か通して話を読み返し、ラナイの前には彼らに共通する謎の一つが浮き彫りにされた。

 それは、"闇"だ。


 ウィッシュバル、ミーヒルバル、イーバルは三人共記憶が切れる間際"闇"を感じている。

 だが、イーバルの感じたものだけが二人とは違った。

 同じく正体不明の闇であっても、性質が全く違う。

 

 それなのに、記憶が途切れるというところだけは同じなのだ。

 なぜなのだろうか。  

   

(…………)


 ラナイは一旦記憶の部屋から出て、遠くなった暗闇を見つめた。そして。

 この闇に気づいてすぐのことを思い出したのだ。


(おれは、この暗闇を知っていた……)


 なら。


「おい、イーバル」


 ふと、ラナイは少し先をとぼとぼと歩くその背中に声を掛けた。

 反応し、イーバルが三人の内誰よりも大きな目の穴をラナイに向ける。


「お前……本当に"イーバル"なのか……?」

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