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おれとれ 3

 ドールを襲ったのは、ワシヅカミだ。

 巨大な手のような形のそれは、見れば見るほど手とはかけ離れた気味悪さが目に付く異様の生物である。

 いつ見ても、だ。   


 ドールが襲われている様を俯瞰で見て、ラナイはあの時スズがどんな気持ちだったのかを暗に感じようとしていた。

 

 胸から頭にかけてワシヅカミにされ、仰向けのまま膝を立てて無理に起き上がろうとするドールは、単純に藻掻く姿よりも無機質感が強調されて余計必死に見える。

 だから、助けなければという感情は後回しにされ、むしろドールがこれからどうするのかが気になってしまう。


 自分はできるだけ藻掻いたつもりだったが、きっと似たような状況だっただろう。

 そう思うと、ラナイはどうしてか心の奥がざわつくのを感じた。

 これまで何とも思っていなかった、ドールかもしれないという現実に違和感を覚えたのだ。

     

 ラナイはドールに被さるワシヅカミに近付き、違う、と言葉にする代わりにワシヅカミの二本の指を強く握り締めた。

 瞬間、ドールとワシヅカミの間から、ミチ、ミチ、と音がして、さらに右手の方からは湯気が上がった。


「お前も……」


 一度は消えかけた【エルオム】と地下生物との関係がラナイの頭を過るが、すぐに振り払い、ドールからワシヅカミを引き剥がす作業に戻る。

 しかし、それでもワシヅカミが簡単に剥がれるようなことはなく。


 そのまま力を入れて引っ張り上げると、ドール諸共ワシヅカミが宙に浮き上がった。


「しぶといな」


 なかなか剥がれないワシヅカミ。

 その後色々な角度で引っ張ってみるも、ドールが踏ん張らないことでいくらやっても状況は変わらず。

 もどかしい状況に、ラナイの頭にはふと最終手段が過ぎった。


 だが、少しだけ息を吸ったところでラナイはそれを飲み込み、(ダメだ)と頭を振る。

 

 何が起こるかわからない。

 ワシヅカミが溶けて液化することは想定することができたが、ドールはどうなるだろうか。

 好奇心よりもやはりその体の無事が気になったのだ。


 簡単に見える状況が意外にも困難だったことに呆れ、


(もうこのまま連れていけばいいかな……) 

 

 諦めかけたその時、また、ラナイは自分がどういう状況だったのかを思い出していた。

 記憶の本のページが捲れたのだ。


「なるほど、だからノットは……」


 張り付いたワシヅカミの除去方法はわかったものの、本で見た通り"突き刺す"ものがラナイの手元には無かった。

 

「なら、手でいくしかないな」


 全くもって自身はなかったが、失敗して元々。

 ラナイは右に手刀を用意し、素早く。ワシヅカミ体の真ん中に突き出した。

 容量は拳でそうするのと同じ。

 それだけなのに、驚くほど何の抵抗も無く、ラナイの手は指先からワシヅカミの体内へと滑り込んでいった。


 それに驚いて、ラナイは自分の手を引くタイミングが少しだけ遅れてしまった。

 気づいた時には何か固いものが指先に"詰まった"ような違和感を感じていて、それがドールだと知ったのはドールが「うぐっ」と声を漏らしたからだ。


「すまん。加減が利かなくて」


 即座に拳を握りワシヅカミから腕を引き抜くと、ワシヅカミは剥がれる音を立てて半分だけ捲れてだらしなくぶら下がる格好に変わった。

 生きているのか死んでいるのか、よく見てみると"裏側"の歯はまだ鈍く蠢いていた。

 しかし、ゆっくりとその吸着力が落ち、時間差を置いて、最終的にはひっくり返って地面に落ち、ワシヅカミは動かなくなった。


 足下に絶命したワシヅカミを見下ろすラナイ。

 その視線に写り込んだ自分の右腕からは淡く湯気がまとわりついていた。

 指を擦り合わせると細く弱い糸が引く。


「…………」


 スズは、知っているのだろうか。この事実を。

 本来の目的を考えれば知ったとしても意味のないことかもしれなかったが、地上でもしスズに再会することがあるのなら、必ず訊こうとラナイは決めた。


 そしてまた、視線を自らの手の平に移した――。


          ◯


 どうしてそんなことをしたのだろう。

 後悔にも似た、反省らしくもあり、しかし初心を思い返すような、岐路を進んで少し先のところにラナイはいた。

 記憶の本に描かれていることではない。

 ただ間違いなく、ラナイは自分が道を振り返っているという絵が頭に浮かんでいた。


 だからではないが、ラナイが実際に記憶の本を開いたのはそんな想像の後だ。


 再び開いた本は、記憶の本の中でも特別な一冊【否読の書】。

 そこになら、その"クソ不味さ"が理解できるかもしれないと思ったのだ。


 ラナイが(クソ不味いものを食った……)のを思い出したきっかけは、指先に残っていた何かの粉末に気づいたことだった。


 ワシヅカミを貫いた時に付いたものだろう、それはラナイの白い肌の上ではわかりづらいものだった。

 白光の中でほとんど光っているようには見えないものの、際立つ白さを放っていたその指先で、粉末は少しだけ濁った色をしていた。


 土でもなく、ワシヅカミのような見た目でもない。

 振り払ってそれで記憶に残っても見直さないような些細な出来事となるはずだった。しかし。

 

 ふとした好奇心でラナイはそれを"舐めた"。

 味を知ろうとかそんな思いもなく、ほとんど無意識に近い衝動だ。


 その小さな好奇心がもたらしたのが、昔クソ不味いものを食った、という覚えている類の記憶。  

 次ぐ衝動に駆られ、ラナイは【否読の書】に手を伸ばしたが、そこに期待したようなことは起きなかった。


 そして、この何度も繰り返してきた行動が、この時を振り返る原因となったのだ。


 ラナイは、野獣を食っていた。衝動に駆られて。   

 咀嚼はしていない。

 

 覚えにある"クソ不味いものを食った"という事実を探すために【否読の書】を手に取ったと思っていた衝動は、実は探究心によるものではなかった。

 ラナイに生じたそれは、"食欲"。


 目覚めてから一ヶ月と少しの間、一度も起きなかった欲求が、つい一、ニ時間ほど前に謎の粉末を舐めたことにより発作的に生じたのだ。

 いや、発作的だったのはあの一瞬だけで、今は確かに明記されている。


『欲するのは、生命に違いない。

 だからこそ血の一滴も残さず、得なければならない。


 得なければならない。

 口の動き、舌の動き、喉の動き。

 身体の意味を得なければならない。


 そのための手足。

 捕らえ、得るために使うべし。

 壊すのはひとつだけでいい。

 

 ワタシは全てを得る。

 衝動に躊躇すること無く、そこに在るものをワタシは得る。

 衝動は食欲。

 生まれた身体の意味を知ればこそ。』


 新たに読めるようになった【否読の書】の一節だ。

 これまでに読めるようになったバトルスタンスと戦い方のように、虫食いばかりの物語でも、図鑑のような説明くさいものでもない、また別の文体でそれは記されていた。

 

 この言葉を一行読む度、ラナイには食欲という衝動が蘇っていった。


 その最中、運悪く近くを通りがかった野獣は襲われたのだ。

 通りがかった野獣は、六本足の生えた前後双頭のヘビ。なり損ないの地竜のような姿の生物だった。

 体長はラナイの二倍ほどで、小人からすればかなり大きなな生物だろう。

  

 それを捕えるラナイの動きに迷いはなかった。


 四足姿勢で音のする方へたった三歩で跳ねるように駆け寄り、突然の光に逃げる間もない野獣の頭部を掴むと同時、それを握りつぶした。

 ラナイの指の隙間からこぼれ落ちた湯気を上げる野獣の血液、それが最初の一口だ。


 その後一度野獣のぬるつく体に耳の穴を押し当てその心音が弱くなっているのを確かめると、そこを指先で一突きし、それからラナイは齧り付いた。

 だが。


「味は無いのか……」


 半分ほど野獣を食った後で、ラナイはそのことが少し気になった。

 自分の指を舐めてみると、そこにも味はない。

 

「続きは、【否読の書】に書いてあるってことか」


 そうして野獣の残りを食べながら記憶の部屋に入り、再び【否読の書】を開くが、新たに読めるようになった食欲の章以外読める部分は増えていなかった。

 すると、ラナイは落胆している自分に気づく。


(味が知りたいのか? それとも……もっと美味いものを食いたい……?)


 自分の感情が理解できず、ラナイはふと、


(次はアンチを食べてみるか)


 と閃くのだった。


          ◯


 食欲を思い出してからのラナイは、もう【忘れられた水路】の暗闇などただ暗いだけで特に意味のないものとしか感じていなかった。

 音さえ聴こえれば、匂いさえ感じられればそこへ駆けつけ、食う。

 空気を吸い込むのと同じで、満腹にはならなかった。


 それが、ラナイにとって起こるべき変化かどうかはわからない。

 少なくともこの時点で、ラナイは【否読の書】が自分の機能の全てを教えてくれると信じていた。

 味も、満腹感も全てそこに書かれていると。


 それからラナイは、食事の片手間に【否読の書】を開くことが多くなった。

 意識で本を読み、現実で肉を食らう。

 

 その脇で度々足を止めていたドールだったが、ラナイが捕らえた野獣が三体目をこえてから、同じく食事をするようになった。

 

 一頭の野獣を囲む四体の白い人型、という光景に団欒のような温かさは感じられない。

 皆淡々と一言も交わすことなく、野獣を腹に収めていくのだ。


 それがいくらか続き、ラナイが足代わりの四本のヒレを引きずって歩く頭も何もない野獣を食べている最中のこと。

 ついに、念願だったアンチが姿を現した。


 壁に張り付いた状態で静かにしていたのはワシヅカミだ。

 もしかすると眠っていたのかもしれない。

 ワシヅカミは、ラナイがすぐそばに行くまでピクリと動くこともなくじっとしていた。


 ラナイは油断しきっているワシヅカミをひと突きし、完全に沈黙させる。


「……まあ、食ってみなきゃわからないな」


 ひっくり返ってむき出しになった腹を見下ろしてラナイが呟き。


 拾い上げるようなかたちでワシヅカミを持ち上げ、指の部分を引きちぎった。 

 引きちぎると、ワシヅカミからは剥がれる時のミチという音でもなく、プチプチ、と繊維が断たれる弾むような音が鳴る。


 裂けた部分はちぎれた繊維がはねて毛羽立っていて、その間をほとんど透明の液体が雫を作っているが、血液らしいものは見受けられない。 

 ラナイは、それを例のごとく丸呑みにした。

 ワシヅカミの一端が喉を通ると、口内の空気もが押し込まれ、ゴクリ、と鳴る。


 それが完全に体の内側に入り込むと、胸の辺りまでは感じられていた異物感も失せてしまった。

 口に残った体液を搾り取るように空の口を窄ませ、ラナイはもう一度喉を鳴らす。


「なんだ、これ……美味い……」


 残るワシヅカミを見つめ、ラナイは感心したように声を漏らした。

 次いで湧き上がる衝動に突き動かされ、また別の指をちぎって口の中に滑り込ませるラナイ。

  

 二口目の感想は変わって、「懐かしい味だ」。


 そうしてまた一口、とワシヅカミを口に入れようとしたその時。


「これ……」


 ラナイは、その"懐かしい味"が何だったのか思い出したのだ。

 

「竜の味かっ! こいつ、そうだ……っ」


 興奮し、三口目を口に放り込む。

 同時に四口目を手に取った。


「水竜だな、この"苔臭さ"間違いない。おかしな形だから気づかなかったぜ。おい、誰かっ……」


 続く言葉を吐き出す前にラナイは驚愕し、口を開けたまま黙り込んでしまった。

 それは、ある意味"我に返った"といった方が正しいかもしれない。

 思い出す効果の内、その一言は恐らく覚えている類のこと。


 溢れるように浮かんだ、酒、の一言に、ラナイは絶句していたのだ。


 絶句しつつ、しかしラナイの口の中には入れてもいない、甘酸っぱい味、が広がっていた。


「おれは何を……」


 放心するラナイのそばには、三体のドールが立っていた。

 目の動きだけで、無心のまま三体に視線を送るラナイ。

 すると。


「ベルバル様。我らにも、竜を分けてはもらえませんか」


 拙さを感じさせない、かしこまった声でドールの一体が言った。


「り、竜ってこれか?」


 言って、ラナイは手に持ったワシヅカミを見せつける。

 ドールは頷いた。


「はい。それは、竜なのでしょう?」

「……ああ、たぶん」

「ならばっ……一口で良いのです。その一本を皆で分けますっ」


 どうか、とドールが跪くと、追って二体も跪き「お願いします」と頭を垂れた。


「ああ……もちろん……」


 今度はラナイがたどたどしくなり、先のドールにワシヅカミを手渡した。


「ありがとうございます!」


 嬉々としてそう言い、ドールは受け取ったそれを三等分にちぎって二体に分け与えた。

 そうして皆がほぼ同時にワシヅカミを口に入れる。

 ラナイとは違って、咀嚼していた。


 顎が小さく上下する度に、グチ、と音が鳴り、それが数回。

 多少顎を上げて喉を露出させるようにして、三体が同時に喉を鳴らした。


「竜の味だ……」


 感慨深くドールの一体が言うと、二体からは「さすがに美味い」と声が上がる。

 そして、「ベルバル様っ」と半ば興奮したように言って、何かを求めるような視線をラナイに向けた。


 ラナイは何も言わず、静かに頷いた。


「ありがとうございます!」


 さっきよりも嬉しそうに、さらに興奮を隠さずに三体のドールは地面に転がっているワシヅカミを囲んだ。

 傍観するラナイをよそに、ワシヅカミを次々と腹に収めていくドールたち。

 それがラナイの視界から完全に姿を消すまで十分と時間は掛からなかった。

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