おれとれ 2
初めは、意味の分からない文字だった。
だが、それらは三体のドールが口ずさむ度に文字が列に代わり、ラナイの記憶に刻まれた不可解な言葉と繋がっていく。
「……ル……ル……」
それは、サンゴーが暴走したその時にラナイに語りかけた文字だ。
ラナイはその二文字に、スズが会わせてくれたドールの言った「サ」の文字を加え、ドールたちの言う文字列にタイミングよく合わせて一つの言葉に仕上げていく。
「べル……バル……サマ……?」
ベルバルサマ。
新たに現れたドールたちは、そう言っている。
これが正しく彼らの伝えたいことなのか、ラナイにはわからないことだったが、「サマ」が「様」ならば、それは何者かの名前のように聞こえた。
「おい、誰なんだそれ」
一番最初に触れたドールにラナイが語りかける。
すると、ドールはラナイから手を離し、ふらふらと拙いが明らかに跪くような格好に変わった。
同じく、二体も跪く。
そうして格好が変わった三体だが、顔をラナイの足下辺りに向けたまま何も言う気配は感じられない。
「やっぱりダメか……」
ラナイが愚痴のようにそうこぼした声に隠れ、跪いたドールはまた何か呟いた。
しかし、すぐに黙ってしまい、ラナイの耳に残ったのは「ジオ」の二文字だけだ。
それを気にせずにいられるはずもなく、ラナイがもう一度「おい」と声を掛けると。
「……ルサマ。ゴ、シジ……ヲ……」
「シジ? 指示……って言ったのか?」
ラナイが聞き返しても、ドールたちは俯いたまま返事をしない。
「おれが、どうしてお前たちに指示なんか……」
彼らに問いただしたところでどうせまともな答えは得られない。
半ば諦めて、(何がなんだか……)わからない、決まり文句が頭を掠めたその瞬間。
ラナイは、咄嗟に天井を見上げた。
次いで湧き上がるのは、焦り、不安、そして力だ。
ラナイは無意識に両足で地面を掴み、腰を落としていた。
上半身を硬く引き締め、両腕を広げて、さらに肩に力を込める。
「おいおい……っ。わけが、わからないぞっ」
突発的に生じたとてつもない"揺れ"に耐えるためだ。
揺れは、そこが地下洞窟であること、大地が押し固められて出来ていることなど、まるで意味が無いといった様子で波立たせた。
大きな波ではなく、いたずらに水の中に手を入れて生じる波紋のように、細かく立つ小さな波が幾つも大地に表現されているのだ。
奇妙な揺れに、すぐラナイは立っていられなくなった。
両手を地面につき、四足の姿勢で次々に押し寄せる波に耐える。
やはり大地は大地だった。
水の自由さがそこにはなく、立ち上がった波は頂上で裂け、水面には生じ得ない不思議な模様を描き始める。
幾つも幾つも、それは宛ら生まれたての火山らしく、しかし繋がっていることから山脈的である。
弧を描く山脈が二股に分かれ、迫る波と帰る波がぶつかり合い、そこにはまた山脈が生まれ。
そしてまたそれが裂けて同じく山脈を作っていく。
ラナイの足下で起こる大地のせめぎ合いは、そうしてあっという間に地面を解してしまった。
固かった地面は粒の大きな砂利に変わり、ラナイの両手の甲は土で汚れた。
その手の甲は、宛らついさっきまでの地面の縮図だ。
白い肌の上で砂利が細かく飛び跳ねるようになり、同じく周囲に石たちがぶつかり合うガチャガチャとした音がし始めて、そして。
揺れは収まった。
「…………」
突然の出来事に興奮が隠せず、ラナイは肩で息をしていた。
揺れが収まったというのに鼓動は大袈裟な振動を続けていて、それを収めるためにラナイは口元についた土を拭った。
「……びっくりした」
わざわざそんなことを呟いてラナイが平静を取り戻そうとしていたのは、今の揺れで何か言いようのないものがこみ上げてきたからだった。
ゆっくりと立ち上がり、ラナイは周囲を見回す。
足下は解れたまま、揺れの余韻とばかりに小石がパラパラと降り注ぐ音が聞こえる。
そして、三体のドールはひっくり返ったままだ。
その一体に近付き、「おい、大丈夫か」とラナイはドールを起こした。
するとドールは、今目が覚めたかのようにピクリと動き、またラナイのそばに跪く。
他の二体も遅れてそうした。すると。
「べるばるさま、どうかごしじを」
拙いが、今度はハッキリとそう言った。
「……おれが、そうなのか?」
ラナイが訊いても、ドールは答えない。
そんなドールに対して言いたい文句をすくめた肩に乗せ、
「じゃあ……とりあえず、出口に案内してくれ。わかればだけど」
鼻息混じりにラナイが言うと、ドールたちはふらふらと立ち上がりゆっくりと歩き出した。
言うことが通じたのか通じないのか、この状況でそれを思案することに意味はない。
ラナイは、先を行く三体のドールの後について足を進めた――。
◯
ドール三体とラナイという構図に変わって進む地下洞窟【忘れられた水路】は、ラナイがスズに案内されて歩いていた頃とは様変わりしていた。
歪とはいえ均されていた道は先程の場所と同様に解されて砂利だらけになり、壁には幾つもの裂け目があり、崩落のせいで道が半分くらい塞がっているようなところが出来ている。
そのところどころには天井から落ちてきたのか、例の蔓が落ちていたり何本もぶら下がっていたりして、それらは風もないのにくねくねと揺れる。
只事ではない地震だったにも関わらずここがまだ道の形を保っているのは、きっとこの蔓のおかげなのかもしれない。
通り過ぎざまにラナイはぶら下がる蔓の一本を右手で軽く叩いた。
瞬間、蔓は湯気を立て、他よりも余計にぐねぐねと蠢く。
まるで嫌がっているようにも見える様子に、ラナイが何を思わないはずがない。
足を止め、いつの間にか肘にまで光が侵食している右腕を眺めてから、ラナイはもう一度蔓に触れた。
するとまた、蔓はぐねぐねと蠢き。
「まさか……」
と、ラナイにひとつの閃きを齎したのだった。
「あのヌメヌメって、これなのか?」
呟き、改めて見つめたラナイの指先には、深緑色ではないものの液が付着している。
それは指で擦り合わせるとすぐに切れてしまうほど細く弱い糸を引く。
ラナイは思い付きでその薄い粘液を光っていない左腕に塗り付けた。
粘液は、微かに冷たい。
わかっていたことだが、ヌメヌメと対峙した経験がラナイにこの事実を無関係だとは考えさせなかった。
「これも、似てるけど違うものか」
一言呟き、立ち止まったラナイを置いてけぼりに進んで行くドールの足音を追いかけた。
道中、ラナイはヌメヌメの"中身"を思い出しながらこの謎の蔓とヌメヌメの関係性を考える。
もし、この蔓がヌメヌメと同じものなのだとすれば、あの中身はいったいなんだったのだろうか。
顔という枠組みを無視した位置に、ほとんどくっつけられた状態で二つの目と口はついていた。
だから、中身そのものが顔だったかもしれない。
だが、その前に結論付けなければいけないことがある。
中身を除いたとして、本当にヌメヌメが"植物"の類なのかだ。
今のところ確かだといえるのは、二つとも冷たい粘液で守られていて、全く同じではないがどちらも緑を基本としているということ。
ヌメヌメは深緑色、蔓は緑以外の色も混ざって見えるが、下地には間違いなく緑色が窺える。
そういう"色"に着目したことで、ラナイにはまた別の可能性が浮かんだ。
それは、スズのいうところの地底人という存在だ。
あれも深緑色だった。
(じゃあ、地底人も植物かもしれないってことか……)
そのあり得ないような一つの発見が、ヌメヌメと蔓"植物と肉体の関係"のみならず、"植物が話す"というさらに不可解な現実を見出した。
さすがに、ラナイの覚えている常識でもそれは無いことだ。
とはいえ、前者の発想がもし正しいのならば、後者もまたあり得るという説は成り立つ。
自分自身がわけのわからない生物である以上、そういう非常識も切り捨てることはできない。
「何がなんだか……」
鼻息混じりに独り頭を振るラナイ。
ふと視界に入ったドールの背中を見つめて、「非常識……お前たちもか」とぽつり呟いた。
およそ八十年前には当にこの場所にいたというドール。
それらとラナイとの繋がりは、姿形がよく似ているということだけでなく、"古い"という観念もだ。
ドールはいわば出生不明であり、しかし最近突如誕生したわけでもないことを今の【アトニム人】たちは知っている。故の古さ。
ラナイはというと、姿は似ているもののドールだと断言することはできず、しかしながらそこに眠る記憶に関しては、古代文字が読めるなど現代【アトニム】的ではない。つまり、古い記憶。
二つは違う要素を持って、古代、というキーワードで結ばれていた。
(古い……古代……)
何か意味をと考え始めて、ラナイは突如思い出したことに「あっ」と声を漏らした。
急ぎ、記憶の本のページを遡る。
開くのは、目覚めのページからもう数ページ先だ。
(イグナスの昔話……)
――まず、そこには大いなる樹の切り株があった。どこから吸い上げているのかそれは水を吸い続けるが、成長することはなく。いずれ吸い上げられた水は切り株の頂上表面へと溢れ出した。
(久しぶりに読み返すと、妙に懐かしい感じがするな……)
――そして雲はいつの間にか形を成し、それらは自らを【オウモ】と名乗った。
(ここじゃない)
――それがある日、乾いて柔を失った大地は我が足踏みによって割れ、そこに頂上で溜まっていた水のほとんどが流れ込んだ。その時だった。我は切り株の裂け目へと落ち行く悲鳴を耳にした。
(これが【エルオム】の出現。後に現れたのは"草"だった。でも、ここじゃないもう少し先だ)
ページを捲り、そしてラナイはイグナスの巨大な顔の脇に折り重なる字の列を下から読み始める。
すると目を止めるのは早かった。
重要だったのは、下から四行目、
――【エルオム】は特に共生ということを知ろうとその末を模索するようになった。
という一文だ。
そのたった一行に、ラナイは吸ったまま息を吐くのを忘れた。
少しして、細く声となって口から漏れ出したのは、「まさか」の三文字。
「ヌメヌメも地底人もあの蔓も、【エルオム】が見つけ出した"共生"の成果だっていうのか……」
じゃあ、あの目と口はなんなのか。
考えて、ラナイはあの時ヌメヌメの"視線"を感じたことの意味を理解する。
(死んでなかった、ってことか。あれは、取り込まれたまま生きていた……。
なら、地底人はどうなる。あいつは、一つだった。混じってない)
ネズミ道で地底人と相まみえた時、ラナイは地底人が人を襲っている姿を見ていた。
だが、ラナイはまだ地底人が何を食べるのか見ていなかったのだ。
その時感じた耳の奥への異物感と瞬間的な痛みを覚えているだけで。
それからも少しだけ記憶の部屋の中で過去を読み漁り、ヌメヌメと地底人には色以外共通点を見つけることができなかった。
そうしてラナイが出した結論は、(地底人は違うな……植物じゃない)。
恐らく、地上から入り込んだ別の生物が住み着いたのだろう。
それなりだがきちんとした答えが出て、ラナイは少しだけすっきりした気分になっていた。
その余裕が、(そういえば)と今さらになって一人の少女のことを浮かばせたが、
(まあ、あいつはここの玄人だし、大丈夫だ。たぶん【ディーズベルグ】か【コルト】辺りで会えるだろ)
ラナイは、助けにも行けない状況で無闇なことを考えるのは止めた。
グリムのことだってそうだ。
気にしても今の自分にはどうすることもできないと、それがわかっているのに、どうしてかラナイの頭の中には悪い未来が想像されなかった。
記憶の部屋から出て、ラナイは先を進む。
◯
相変わらず道は悪かったものの、ラナイと三体のドールが行く【忘れられた水路】の進行は、野獣の気配との遭遇数十回と、闇の向こうにする物音が増えたという変化があったものの、右腕を侵食する光の範囲が肘を越えたことで光の範囲が増し、順調だった。
もし、ラナイが疲れを知っている生物ならとっくに休むことを考えていただろうが、休憩を気にする者が誰もいなければそんなことは頭のどこを掠めることもなく、彼らは暗い洞窟を着々と進んで行った。
そうして徐々に道が上り坂になり始めた頃、光の範囲にぎりぎり背中が映っていたドールが消えた。
順調な進行にぼーっとしていたラナイが、それが消えたのではなく蠢く無数のイボが生えた瘤に変わっていることに気づいたのは数秒後。
見覚えのある気味悪さ。
前方二メートルほど先にそれを見つめて、ラナイは、
「油断してた……」
と頭をポリポリと掻いた。




