すずとれ 12
息を呑み呼吸を止めると、スズは駆け出していた。
ジウを右手に、それと肉切り包丁とランタンとを腰のベルトに引っ掛けて。
走りながらジウにジリーを二発装填した。
ほんの十数メートルか数十メートルか先に目標がある。
息切れする必要もないほどの短距離だったが、不思議と息は途切れ途切れだった。
髪を振り乱し、スズの後に散る雫の数滴。
そして、スズは地面を擦りながらその場に急停止する。
光の端に現れたのは、その両足だった。
カビと土で二種類の黒ずみを付けた元々は革のブーツ。
すね当ては失われて鎧下代わりのズボンが剥き出しになっていて、膝当ては左の片方にしか付いていない。
膝からしたしか見えない横たわる者の状態を確かめるのには、二歩進めば十分だった。
そこに深緑色の背中が現れたからだ。
さらに一歩進めば、獰猛な横顔がある。
横たわるノットに覆いかぶさるのはその二体の地底人。
傍らで千切れた腕を弄ぶ三匹目がいた。
切れ切れの苦しげな呼吸をしながら、スズはジウを構えた。
――パンッ、パンッ
込めたばかりの弾丸を二連発。
当てたのは、千切れた腕を弄ぶ一人と横顔を向けていた一人の頭部にだ。
嗚咽を飲み込み、吐き出す息が異様に熱く。
スズはほとんど無意識にヒューイを装填していた。
その背後から忍び寄る地底人が一人。
地面を踏みしめる音が聞こえた瞬間、スズは肉切り包丁を手に立ち上がり、飛びかかる地底人の体を真横に一刀両断した。
そのまま肉切り包丁を地面に投げ捨て、スズは頭を上げたノットを貪る地底人にジウを向ける。
――パンッ
三発目。
発射された弾丸は周囲に満ちる闇と空気を押し広げ、風を唸らせる。
すると弾丸は受けた空気圧で弾頭が花びらのように開き、小さな音を立てて発火。
中から飛び出した円錐状の細い弾丸が一気に加速し、風を鳴かせた。
それは、空を駆けるタカの鳴き声を彷彿とさせる。
そうして瞬きの間よりも早く、鋭い風切り音を軌跡とばかりに飛んでいったヒューイは、地底人の眉間を貫いき。衝撃に押され、地底人は仰向けに倒れた。
ノットは、ゆっくりと体を起こそうとした。
しかし、腹の中身をぶちまけられて薄くなった上体は下半身と折り重なり、おかしな方に捻れて倒れてしまう。
それでも尚、ノットは左腕を地面に押し付け、下半身は膝を曲げて立ち上がるような素振りを続けた。
視線三メートル先にそれを見つめ、スズはまた嗚咽を飲み込んだ。
「ビ、ビリー……」
愕然としながら、スズは自分が口走った名前に体の中が焼けるような痛みを感じていた。
そして、
「……ばか……」
堪えきれず、溢れ出す嗚咽と涙がスズをみっともなく汚す。
急に静かになった闇ばかりの空間に天井から垂れる水滴が、ピン、と鳴り、周囲の蔓が蠢く鈍くギシギシと鳴るのが聞こえる。
「どうして……どうして……」
言葉を詰まらせながら膝をついて声をこぼし、スズは大きく息を吸って「どうしてさっさと死ななかったの」と、また激しく嗚咽を垂れ流す。
◯
それは断片的な記憶だ。
彼女は、どこか暗い洞窟を歩く少数精鋭の一団の一人だった。
よくはわからないが、彼らは腕利きの集団だった。
当然、彼女もその道では一目置かれた存在で、得意な武器は弓。
一列に連なって歩く六人の中の、最後から二番目のところを歩くのが定位置だった。
先頭を歩くのは隊のリーダーであり、屈強な全身鎧の騎士。
二番目は低い背の割巨大な刺剣を携えた、また騎士。
三番目は大荷物を背負う一見気の弱そうな学者。
四番目は両腕に刃を仕込んだ手甲を持つ拳闘士。
五番目に彼女。
六番目は分厚い重い大剣を二本扱う、それもまた騎士だ。
一行が歩く道は、通称【忘れられた水路】。
どうしてそこにいて、どこへ向かっているのかはわからない。
だが、少なくとも彼女には何か使命があった。
命を懸けるのだと、そういう強い思いはわかるのだ。
彼女は皆と仲が良かったが、特に深い仲だったのは、いつもすぐそばを歩いていて手助けすることも多かった殿の男"ジリー・ビンズ"。
それと、物知りで彼女の質問には何でも答えてくれた学者の"ヒューイ"。
それからもう一人。
先頭を行く隊のリーダーである男を補佐する、勇敢で明るく仲間思いだった騎士の男"ビリー・ジェームス"。
彼女にとって彼は、憧れであり、そして恋人でもあった。
初めは順調だった【忘れられた水路】の進行は、そこがあまりにも長いということと持ち込んだ熱光石の消費が予想を上回って多かったことが原因で徐々に難しくなり始めた。
いずれ縦一列に並んで進むには光が足りなくなり、隊列は二列に変わる。
おかげで野獣に囲まれる機会が増えるようになった。
次に浮かぶ記憶では、六名いた隊は五名に減っている。
いなくなったのは、ヒューイだ。
どうして彼がいなくなったのかはわからない。
荷物は彼女が代わりに持つことになった。
次の記憶では、彼女が殿になっていた。
リーダーとビリーと彼女三人は、先頭をリーダー一人として、後方を二人並んで進む隊列になっていた。
引き返すのが良いと思われる状況で彼らが引き返さなかったのは、やはりその"使命"があるからだ。
道は、洞窟から謎の牢獄へと姿を変えた。
牢はおよそ空のものが多く、何か入っていたとしてもそれは何者かの死体だけだった。
だが、それはただの死体ではない。
砕かれて尚活き活きと生命を感じさせる奇妙な死体だった。
気を取られた一行は、そこで何か巨大な生物に襲われた。
深く獰猛な鳴き声、体がとてつもなく大きく人の形にも獣の形にも見えないそれは、深緑色をしていた。
まるでヘドロが生命を受けたかのような不気味な姿。
剣を振るう二人の"断つ"攻撃はそれなりに有効だったようだが、彼女の弓矢ではなんらダメージを与えることはできていなかった。
しかし、彼女の洞察力が敵の弱点を暴き出したことで、状況は一変する。
それの弱点は、"熱"だった。
どういう仕組みかは知らないが、それは乾くことで弱体化することがわかったのだ。
リーダーとビリーが敵を牽制し、その隙に彼女は幾つかの熱光石を炙って石を熱くたぎらせる。
それを矢にくくり付けて放つ。
だが、現状で熱光石を限界まで炙るには炎が足りず、さらに幾つもの熱光石が失われた。
それでもなんとか敵の弱体化には成功し、ヘドロのような怪物を退けることができた。
そして、最後の記憶だ。
二人に何があったのかはわからないが、地に伏せ、彼女とビリーは見つめ合っていた。
いつもと変わらないその優しい笑顔に、なぜか彼女の感情が悲しみの一色に染まる。
彼女はビリーに言った。
「先に行って」
ビリーは優しい笑顔を浮かべたまま彼女の言葉を否定するように首を横に振った。
「君が先に行くんだ」
それを最期に記憶が途切れ、彼女の感情が崩壊するが、どうしてか彼の笑顔と「俺が終わらせてやる」という一言だけが壊れずに残っていた――。
◯
「ビリー……」
顔中を汚す水滴を拭うこともせず、スズは地に伏せて藻掻くノットにそっと触れた。
カラカラに乾いていて、そこには何の温度も感じられない。
その代わり、スズの首に付けられた深い傷跡が熱く疼いた。
ひっそりと、彼女はノットの"意志"を感じていた。
「ゴメンね……俺、気づかなくて……」
でももう大丈夫。
スズは顔を乱暴に拭った。
そして、うつ伏せのノットの後頭部に優しく唇を触れる。
「今、戻してあげる」
立ち上がり、ヒッと嗚咽混じりの息を吸い、スズはジウを構えた。
込める弾丸はジリー。
間髪入れずニ発の発砲音がランタンの照らす光の中に響き、ノットの体と千切れた腕は徐々に粒子と変わって宙に舞っていった。
風のほとんどない暗闇の空間で、灰色の粉塵は帯状になって漂う。
そしてひとまとまりに。
ぼんやりと浮かぶそれは、目の錯覚のような淡いものだ。
しかし、ひとまとまりになってからそれ以上散り散りにはならず、そこに佇んで見つめるかのようにじっとしていた。
「ビリー」
呼んで、スズはひとまとまりの粉塵に手を伸ばした。
それは返事をしなかったが、スズが手を触れても黙って受け入れた。
すると、灰色の粉塵はほんのりと熱を帯び、粒子の一つ一つが白く輝き始める。
耳を澄ませば、キラキラと音が聞こえてきそうなほどハッキリとした輝き。
その輝きが増すように見えるのは、ぼんやりとしていたそれらが少しずつさらにまとまってきているからだった。
突如生じた不可思議な現象に、スズは怯える様子もなく、そこから手を引いて粉塵の変化する様子を見つめていた。
そうしてさらに輝きが大きくハッキリとしてくると、粉塵はもう塵とは呼べないほど小さくまとまり、宛ら空に見える星の一粒程度にまで小さくなる。
そして、星は地面に落ちた。
コツ、とその辺りに落ちている小石となんら変わらない音を立て、星は地上で輝きを内側に押し込めていく。
「これって……コンセキ?」
見覚えのある丸みを帯びた石を拾い上げ、スズは呟く。
手の平の上で生暖かく、触れば固いが噛み砕くことが可能な焼き菓子のような小石。
以前は小腹を満たすために重要だったそれに、ノットは姿を変えた。
「どうしてだろう……」
まじまじと"ノットだったもの"を見つめているスズの表情はどこか唖然としていた。
「ビリー?」
返事が返ってこないことなどわかっていながらコンセキに声を掛けると、
「まさかね」
頭を振ってスズはそれを胸のポケットに仕舞い込む。
そうして胸に仕舞ったコンセキに手の平を押し付け、スズはいつものあの人を真似て微笑んだ。




