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すずとれ 9

 そこは、歩くというよりも滑るといった方が正しいかもしれない。

 それまで遠く離れていた背中と地面との距離は近付き、臀部は度々湿った地面に触れるほどの斜面。

 となれば両手もただ宙に浮いているわけにはいかず、体を支えるため常に手の平は下を向いていた。


 スズの腰に括られたランタンはでこぼこで跳ねてカラカラと小さく鳴り続け、背負い鞄や衣擦れの少し詰まったような音がゴソゴソと喧しく。

 あれほど音に注意していたスズも、ここではその警戒の優先度を保てていない。


「滑りやすいから気を付けて」


 新たな警戒の最優先事項として伝えようとスズは一度ラナイを振り返ったが、四足の蜘蛛のような格好で歩くそれを見て、「あっそ」と一言漏らしてすぐに正面に向き直った。


「乗るか?」

「……鞍があればね」


 そうしてどことも知れない暗闇の底を目指す二人。

 それが少しして、ふとラナイの耳の穴は不可解な物音を捉えた。

 スズの出すそれとも違い、キィ、キィ、とそれは錆びた金具の鳴くような音だ。


 一瞬、ラナイの脳裏にあの鎖の音が蘇る。


(また……)


 周囲に暗闇と蔓の這う壁面しかない風景に音の出処を探し、ラナイは次は先手を取ってやる気で意気込んでいた。すると。


「違うよ」


 と、突如スズが言った。

 スズはいつの間にかラナイの方を向いていて、ランタンを片手に持ち替えていた。

 

「ほら、あそこ」


 そう言って中腰に体を持ち上げ、スズはランタンを高く掲げた。

 そこに映し出されたのは、足だ。


「あれって……ドール……」


 太ももが突き刺さって、まるで壁から生えたみたいになっている白い足を見つめてラナイが言った。


「そう。大体はあんな風に体の一部が土に埋まっているんだよ。腕とか頭とか、体が半分ってこともある」

「へえ……」


 と一時は納得したものの、「だけど、どうして足だけが勝手に動くんだ」かが納得できず、ラナイはスズを振り返る。

 スズは、ラナイと同じくフラフラと揺れる足を見上げていた。


「勝手にじゃなくて、風でしょ。何をそんな敏感になってるんだか……」


 ニヤリと挑発するような笑みを浮かべ、ラナイに視線を移すスズ。

 ラナイは目の端だけで視線を合わせ、「あ、そう」と鼻息を漏らした。

 それから目を戻し、自分の体を見直す。


 歪になって醜く、肉が薄くて白く細い体。脚。

 そこに埋まっているものとそっくりだった。

 だが、同じではない。


 初めてにして唯一まともな形で見たサンゴーと名付けられたドールの姿を確かめながら、ラナイはふとあの時のことを思い出していた。


「なあ、スズ。ドールは、たしか喋るんだよな……」

「全部ってわけじゃないけどね。たぶん」

「何を言ってるのかわかるってことは?」

「無いよ、少なくとも俺は。途切れ途切れだし、本当に言葉かどうかも怪しいよ……気になるの?」


 とスズは首を傾げた。 


「グリムが操っていたドール……あいつは"サンゴー"って呼んでた。

 ポロトロスで戦ったことがあるんだけど、その時サンゴーが急に近付いてきて言ったんだよ、『る、る』って。お前の言う通り途切れてたから何を言ってるかはわからなかった……」


 今まで気にしていなかったことが不思議なくらい不思議な状況だった、と今さらラナイは思う。

 すると、

 

「ちょっと待って」


 スズが急に怪訝な顔をする。


「ドールを操るって?」

「ああ、そうだ。グリムはドールマスターらしいからな。そういうのが得意なんだろ」


 当たり前のように言うラナイに、スズが何かを否定するように首を乱暴に振る。


「あれって物好きなマニアの観賞用じゃないの?

 それを動かして、挙句戦うって……」


 呆れたようにため息を吐き、「どうやって?」とスズがラナイを見上げる。


「紐を付けるって、グリムは言ってた」

「ひも……?」

「おれも詳しくはわからない。付けられるとすぐ気を失うからな」

「それって、怖くないの?」

「ちょっとチクっとするだけだよ。痛いってほどでもないし」


 なんとなくその時の感触を思い出してラナイが首の後ろを撫でる。

 

「何それ……怖いじゃん」


 前方に向き直ったスズ。

 再び坂を下り始めて一時間ほど、ようやく立って歩けるようになった地面に立つと、「ちょっと寄り道しよう」と言って、ラナイが立ち上がるのを見届けずにさっさと歩き始めた。


          ◯


 先の急な下り坂より上を第一階層とすると、下った先は第二階層。

 スズが確認しているのはここまでで、先に第三層があることまではわかっているが、まだ第二階層の状態を覚えきれていないため、未踏だという。


 第二階層は、第一階層に比べて湿度が高く、気温が低い。

 そのため滴る水音がそこかしこで鳴り響き、第一階層よりも野獣やアンチの気配を捉えづらくなっている。

 

 そんな第二階層の特徴はもう一つ。

 第一階層では見かけなかった謎の蔓が壁や地面を走っている風景だ。

 踏めば弾力を感じるそれは、剥き出しの地面とはまた違った歩きづらさがある。


 それがスズの選ぶ道に従って徐々に道幅を狭くし、気がつけばそこら中謎の蔓に覆われた巨大な生物の喉の中のようなところへと変わっていった。

 道幅は立って歩くラナイが三人分程度だ。


 そして、それは突如光の中に飛び込んできた。

 見てすぐに何とわかる白い人型、それは壁の方を向いて佇んでいる。


「やっぱり、まだいた」


 一言いって、スズが白い人型の背後に立つ。


「ほら、ラナイくんも近くに来て」


 小さく手招きするスズに促され、ラナイは自分よりも少しだけ背の低いそれに近付いた。


「サンゴーとそっくりだ……」


 毛髪、体毛が一本も生えていない体。

 手足が長く、骨盤や関節部が張り出しているその様子はサンゴーよりも少し痩せているように見える。

 長い指は力なく垂れピンと伸びたまま、顔は俯き気味で猫背の立ち姿。

 まるで生気を感じさせないそれの、覗き見た横顔が僅かに揺れ動いていた。


 その口元の動きを凝視しながら、ラナイはそこに耳の穴をそっと近付けた。


「…………」 


 佇むドールは、スズの言う通り確かに何かを呟いていた。

 だが、ラナイがすぐそばに耳の穴を近づけてもプツプツと唇が触れる僅かな破裂音しか聞こえない。

 

 一旦ドールから顔を離し、ラナイはスズを見下ろす。


「何を言っているのかはわからないな、やっぱり」

 

 そう言って小さく首を横に振ったラナイ。

 すると、スズは口をあんぐりと開けておかしな顔をしているの横顔がそこにはあった。

 どこを見ているのか、スズの視線を辿り、ゆっくりと目をドールへ戻すと。

  

 すぐそこでドールがラナイをじっと見つめていた。


「…………」   


 見つめ合う白い人型と白い人型。 

 その異常な光景にスズはたじろぎ、足元の蔓に躓いて転びかけた。


「なんだ、動けるんだな」


 ドールから目を逸らさず、ラナイは言った。

 ラナイの視界の端でスズが尻もちをついたままゆっくりと首を左右に一往復だけさせている。

 ドールは顔に続いて体をゆっくりとラナイに向けた。


 その何気ない行為に、ラナイはドールから二歩下がり様子を確かめようとした。

 すると、ドールはまるでラナイを追いかけるようにふらつく足取りで一歩踏み出し、しかし、そのおぼつかない足取りではたった一歩をまともに行うこともできず、つんのめる。 


「おっと」


 倒れかけたドールの体にラナイが腕を差し込んだその時。

 ドールの細く長い両方の腕がラナイの腕に絡みつく。

 しっかりと、力強くドールの手の平はラナイの腕を掴んでいた。


「ル……ル……」


 すがりつくようにして、ラナイの顔に自らの顔を近付け、ドールはハッキリとそう言った。

  

「サンゴーもそう言ってた。お前たち、おれに何が言いたい?」

「……ル……サ……」

「ルルサ?」


 訊き返すラナイの声が聞こえているのか、ドールが再び口を開きかけた瞬間。


「ラナイくん、それから離れた方がいいかも……」


 スズが割り込み、ラナイの腕を引いた。

 続きを聞きたい気持ちもあった、だが、聞く必要が無い気もしていた。しかし。

 何よりラナイは、反射的に言う通りにしてしまっていた。


 ラナイの支えを失い、崩れ落ちるドール。

 頭から突っ伏して腰だけが浮いて高く山のようになっていて、それは少しだけ残酷で無情な光景だ。


 一瞬の戸惑い。

 ラナイは体のどこかでチクリと痛みを感じた。と。


――……ッ……ッ


 水音ではない、何かが近付いてくる音が狭い道を流れていく。


「何の音だ……」

「わからない。初めて聞く……足音……?」


 あくまで声は冷静、だがスズが焦っているのは見た目に明らかだった。

 壁に背を預け、ジウを構えて左右の暗闇に意識を尖らせるスズ。

 ラナイは、立ち上がろうとぐちゃぐちゃに藻掻くドールを見下ろし、そして同じく周囲に視線を移した。


「どっちに逃げる、スズ」


 どちらから迫っているのかよくわからない音に耳を立てながら、ラナイが口にするのと同時。

 二人が来た道の奥に薄く闇靄に霞む白い光が。


「スズっ」


 語気強く、ラナイがスズを呼ぶ。

 すると、険しい表情をしたスズの鋭い視線とジウ口がラナイの視線の先に向けられる。  

 そして、


「なに……あれ……」


 唖然とした声とは別に、スズの頭はジウ口越しとそうでない視線を交互に変えていて忙しない。

 撃つか撃たないのか、ジウの突起に添えられた指はまだ折れていなかった。


「とりあえず、ビリーで牽制する。もし効かなかったら、ヒューイが一発。外れれば一旦弾込めの隙が生まれるから。だからその時は、頼むよ……」

「ああ、わかった」


 と、ラナイはスズの背後に回り込んで四足の姿勢で構える。


 近付く足音、少しずつ闇靄が薄れ、ランタンの白光からニ、三メートルというところで二人は"それ"の姿を捉えた。

 スズはすぐには動けず、それはゆっくりとランタンの明かりの中に踏み入る。


「ちょっと、どうして……」     

 

 驚愕しながらも、スズはジウの突起に指を掛けた。


「どうしてドールが……?」


 二人の視線の先にいるのは、そこで横たわっているのものよりも肩幅が広く若干頭が細長いドールだ。


「こういうこと、今までに……」

「ないっ!」


 もうどうすればいいのかわからない。

 声を荒げ、スズはジウを頬に引きつけ、そして。


――パンッ


 発射された弾丸は一直線に青白い光の帯を引き、ドールの胸に命中。

 小さな閃光が散り散りになって白い体に纏わりつき、ドールは小刻みに痙攣しながら仰向けにひっくり返った。


「大丈夫なのか?」


 痙攣するドールに近付いてラナイが言う。


「死にはしないと思う。っていうか、そもそも生きてるって表現が正しいのかわからないけど……」


 ジウを降ろし、スズはラナイの陰からドールを見下ろす。


「……さっき、光ってたよね。これ」

「光ってた。けど、今はなんともないみたいだな」


 どうしてだ。

 と、ラナイがスズに顔を向ける。


「そんなのわからないよ。たまたま目の錯覚か何かじゃ……」


 言い掛けてスズが「あっ」と声を上げた。

 重なった驚愕は、開いた目の大きさに比例している。


「お、俺の弾丸……?」

 

 そう言ってしゃがみ込み、未だ痙攣を続けるドールの肩口を凝視するスズ。

 もしかして、とそれだけ付け加えて立ち上がり、後ずさるようにドールから離れていく。


「おい、それ以上離れたら……」


 言う間にラナイの視界が黒靄で霞む。

 すぐ目の前にはランタンの明かりで照らされる風景、その中心でスズが立ち尽くしたままどこかを指差していた。

 自分ではない、自分の隣。

 指先を辿ったそこで、また別の明かりがあった


(ドールが、少しだけ光ってる)


 ラナイの視線、ドールの肩口から顎にかけて、それから胸の中心までが濡れたように白く光っている。

 その不思議な光景に気を引かれ、光っている部分に触れたラナイを例の、ビリッ、が襲う。


「オぎっ……と……」


 慌てて手を引き、痺れる手を振るっていると、再びラナイをランタンの明かりが覆う。


「やっぱりね」


 少し遠いところでスズが言う。


「やっぱりって何がだ?」

「今ので気づかなかったの?

 それ、こっちの光の中だと消えてるみたいに見えるけど、たぶんずっと光ってる」


 ちゃんと見てて。とスズが後ずさると、ドールはまた暗闇の中で光っていた。


「ね?」

「……でも、どうしてだ?」

「正確なことはわからないけど、たぶん俺の撃ったジリーが原因だと思う」


 と、スズがドールの肩口にめり込んだ金属片を指差す。


「どうして?」

「だから、わからないってば」

「いや、どうしてドールを撃ったりしたんだ?」

「一発外したの、君がワシヅカミにやられた時。たぶん、気づかなかったけどそこにいたのかもしれない」


 小さく頷くスズ。


「じゃあ、こいつは自分で勝手に動いてたってことか?」

「え?」

「だってそうだろ。たしか、ドールは勝手に動かない。グリムが言ってたし、こいつもずっとここに突っ立ってたんだろ?」


 そう言ってラナイが地面で藻掻く別のドールの方に視線を移す。


「……どうして?」


 とそれはスズの声だ。


「知らないね。とにかく不思議なことが起きてるってことはわかった。ところで……」


 言いながらラナイは立ち上がり、「それとこれ、似てないか」とスズのランタンを指差した。


「同じ白い光だ。ドールの方がちょっと弱いけど」

「確かに……そうだね」


 自信なさげに、スズは手に持ったランタンと痙攣の止まったドールを交互に見る。


「ちょっと開けてみろよ」

「や、やだよ。空気に触れて消えたりしたらどうすんのさ」


 スズがランタンを背後に隠す。


「大丈夫だ。その時はドールを撃てばいいんだろ?」


 ラナイが言うと、スズがハッと息を呑み、しかしすぐに「サイテー」と表情を曇らせた。


「撃ったのはお前だろ。いいから、やってみろって。いつまでもわけわからないもの持ってるのもなんだしさ、いい機会だ」

「でも……」


 と一瞬躊躇したスズだったが、ラナイが「ほら」とせっつくと「ちょっとだけ」と言い聞かせるように言ってランタンを持ち替えた。


「いくよ……」


 生唾を飲み込み、スズはランタンの蓋と胴体を繋ぐ爪を外し、そして蓋にそっと指で触れた。

 その瞬間。


「あっつっっ!」


 ランタンの内側から漏れ出た熱気に驚き、スズはランタンから手を離した。

 地面に落ち、乾いた金属音が狭い道に響く。

 

 衝撃で蓋が開き、ランタンの中から零れ落ちたのは、親指の爪程度の大きさのニ粒の白い塊だ。

 その小さな白い塊がそれぞれ別の方向に転がると、二人を包む白い光が揺らぎ、僅かな股が生まれた。


「そんなちっちゃいのが、これだけ明るくしてたのか……」


 空中に出来た"股"の部分を見上げてラナイは感心したような声を漏らし、そして転がった白い塊に触れようとしたその時。


「触るな!」


 スズが今までで一番大きな声を上げた。

 

「それ、ただの石じゃないよ……それ……」


――コルトの火だ


 そう言ったスズの表情は唖然として呆然として愕然としていて、肩は小さく震えていた。


「コルトの火……って。どうしてそんなもんがここにある?」

「そっ、そんなの知るか!」


 声を荒げたものの、すぐにスズは落ち着き「でも……」。


「少なくとも、こんなことできる人は決まってる」


 と慎重に言った。


「誰だ?」

「種火守だよ。それ以外あり得ない。あそこは昔と仕掛けが違うから、もう近付けないし」

「もう?」


 小さな疑問が、ラナイの思考の邪魔をした。

 すると、スズはちらと目だけでラナイに視線を移し、「別に」とすぐに足元の白い塊に視線を戻した。


「とにかく、これはコルトの火で間違いない。

 でも、どうして種火守がこれを持ち出したりしたんだろう……」


 聞いてラナイが首を横に振る。


「そんなの考えたってどうしようもない。まずはこれをランタンに戻すのが先だろ?」

「そ、そうだ。でも、どうしよう」


 スズが乱暴に頭を掻く。


「どうしようって、熱いなら何かで摘んで……例えばその包丁で掬ってやるとか」


 言ってラナイがスズの背から飛び出して見える肉切り包丁の柄を指差した。


「無理だよそんなの。触れた瞬間に穴が空いて終わりだよ。

 聞いてなかった? これは、"コルトの火"なの。街中の鍛冶屋が鉄を焼成するために使う大切な炎の種火。ここ数百年と消えていない、もしかしたら永遠に消えないっていわれてる代物なんだから」

「じゃあ、どうするんだよ。戻せなかったら」


 そこのドールでも引きずって行くのか。

 そう言ってラナイは倒れたままのドールの脚を掴み上げた。


「ちょ、ちょっとラナイくん。一応生きてるんだから乱暴しないでよ」

「お前、撃っただろ」

「そうだけど、それは不可抗力だって。でも、困ったなぁ……」


 とまた、頭を掻きむしる作業に戻ったスズ。

 ラナイは、取り乱すスズを見て、落ちているコルトの火を見て、それから仰向けに寝そべる撃たれたドール、と順番に視線を送り、そのもしかしたら……と一つの考えが頭を過り。


 徐にコルトの火に近付き、ランタンを拾い上げたラナイ。

 躊躇なくコルトの火の一粒を摘み上げた。


「あ!」


 スズが気づくが時すでに遅し。

 周囲には、カラ、とつまらない音が響いた。


「……平気なの?」


 痛そうとばかりに顔をしかめ言ったスズに、ラナイは自分の指先を見つめながら「ぜんぜん」とだけ言った。

 そうしてもう一粒もランタンの中に戻し蓋を閉めると、ラナイはそれをスズに渡した。


「ねえ、本当に大丈夫……?」


 二度目の心配に、ラナイはやはり指先を見つめたまま、しかし今度は何も言わなかった。

 ただ、ラナイのその細い指は小刻みに震えていた。

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