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すずとれ 7

 ほんの一瞬の怪音。

 その音が"あれ"だとすぐに理解したラナイは、首を絞める鎖の力が緩むことを期待した。

 だが、ピンと張った鎖にも胸を踏みつける力にも何ら衰える様子はなく、鎖の食い込むラナイの首は最早二回りは縮められていた。

 

 呼吸はとっくに止まっている。

 苦しいという感覚はあるし、視界が霞んでいるような気もしていた。

 気を失いそうでそうならないふわふわとしたその感覚は、いうなれば水面下から空を見上げる感覚に似ている。


 しかし、どうしてかラナイはそれ以上深くへ落ちていくことはなかった。

 不思議な感覚だった。


 スズが言う『ノットは殺さない』という意味はそういうことなのだろうか。

 ノットには相手を殺さない限界がわかっていて、だからトドメが刺されないのだろう。

 一度はなんとなくそう察したものの、ラナイは(違うな……)とそれをすぐに否定した。


 だって、喉はもう潰されているのだ。

 息ができていない。

 普通ならとっくに気を失うか、死んでしまっている状況だった。 

 

(普通なら。だからか……)


 その"普通"の二文字が、ラナイの身に起きている不可解な状況を不意に理解させた。

 

 自分は普通じゃない、とそれはとっくにわかっていたことだ。

 霞む視界に重なって見える記憶の部屋をぼんやりと眺めながら、(なるほどね……)とふとラナイは乾いたため息を吐き出したくなった。


 ラナイの気持ちが冷めていくと、視界の濁りは消えていた。

 苦しい感覚も気にならなくなり、踏みつけられている感覚が本当に自分が薪にでもなってしまったかのように感じられ。

 それを否定できるのか確かめるように、ラナイは冷静に胸に押し付けられるノットの片方の足首を掴んだ。


――ヒューン……バシュ

 

 ノットの足首に手が触れるか否か、二度目の怪音がラナイの顔の上方を通り過ぎた。


 すると、今度は先に聞こえなかった、バフッ、と粉の入った麻袋を叩いたような音も聞こえ、今さら(何が起きたんだ)なんてことをわざとらしく考えながら、ラナイは視線を上げた。

 その視線と行き違いに向こうへ崩れ落ちるノット。


 咄嗟の出来事だったが、ラナイの視線は踵を返し、ノットを視線から外さずに追う。

 ノットは、"残った"右腕で無理矢理鎖を引こうとし、勢いに負けて体を後方に捻りながら背中から地面に落ちていくところだった。


 駒が回って止まる直前のような光景。

 暗闇に消えていくノットの後に、埃のような漂うものが残されていた。

 今起きたことの整理が付かず、ラナイは直ぐ隣にある暗闇を見つめたまま少しの間放心していた。


 すると、首から鎖が勢い良く解けていく。

 ジャラジャラ、とそれはどこかへ逃げていく蛇が如く。

 

 首が軽くなった感覚にラナイは自然と上半身を起こしていた。

 白光の範囲が地面を掠める高さに落ちる。

 闇に現れ、仰向けに倒れた状態のノットは、鎖を腹の上に這わせ、残った右腕で大きな鎌の柄をしっかりと握り締めて、そこに左腕があるかのように藻掻いていた。  

 

 錆びて傷んだ鎧のようなものを身に着けた人の形。

 削げて失われた部分の多い容姿は、少なくとも生物ではない。


「ちゃんと見るのは、かなり久しぶり……」


 最期にそう言って、スズは三度目にジウを鳴らした。


          ◯


「あれ……。俺たちは、"ギノコ"って呼んでる」


 石柱と残骸の並ぶ【グリンボウ】の道を歩きながら、スズが言った。

 石柱の隙間が徐々に狭くなってきており、家らしい痕跡や石柱にはめられた扉や窓も少なくなってきている。

 

「ギノコ?」

「そう。キノコっぽいけどキノコかどうかわからないし、ギノコ」


 あ、そう。とラナイ。


「よくわからないけど、そういうのって学会に届けると判別してくれるんだろ。アンノウンがどうとか」

「まあね。でも俺たちはここで見つけたものを学会には報告しないよ。秘密の場所だし、どうせここで見つかるものはほとんどアンノウンだしさ」


 なるほど、とラナイは頷いた。


「それにしても、君の変さは天井知らずだよね」


 暗い空間の上の方を見上げてスズが嫌味っぽく笑う。


「ノットよりキノコの方を気にするなんてさ。もしかしてお腹空いてる?」

「腹は減ってないし、減ってたとしてもあんなとこにひっついてるもんに食欲湧くわけないだろ……」


 言ってなんとなく自分の腹を撫で、ラナイは「二日前に街道の隅で見かけたんだよ」と続けた。


「街道……って外の、だよね」

「地下にもあるのか?」 


 すると特に返事をするでもなく「むむぅ」と唸るスズ。

 ラナイはその何か考えるように俯いているスズの表情を覗き見ようとして少しだけ首を下に傾けた。


「どうした?」

「いや。道具以外にここのものを外で見たことがなかったから……」

「から、なんだよ」

「ちょっと嫌な予感がする」


 するとふとスズは足を止め、ラナイを見上げたのか、暗闇に隠された天井を見上げたか。


「嫌な予感ね。グリムも言ってたよ、それもギノコを見つけてからだった」

「その人……グリムって人さ、時々出てくるけど誰なの?」

「連れだよ。アレがいなくなって、それから一緒に探すってそういうことになったんだ」


 ラナイが言うと、スズは「説明が雑だなぁ」と呆れたようにため息をつき、


「一応訊くけど、その子も妖精だったり?」

「いや、違うよ。グリムは竜人と……」


 言い掛けてラナイは、そういえば、と付け足す。


「父親が妖精だって言ってたな。グリムが生まれる前に消えたとかなんとか」

「へえ、ってことは一応妖精の類だ。ちなみにどの?」

「どの?」

「どんな妖精?」

「……は?」

「だから、妖精は色々あるんだってば。プライアだってそう呼ばれているし、アリアスだって昔はそう呼ばれてたって言ったじゃん。孤児もそうだし、あと、本物もか……」


 スズは指を折りながら、どこか独り言っぽくそう言った。

 その内の一言にラナイは違和感を覚え、表情をきもち歪ませる。


「本物?」

「そう。これもさっき言ったけど、パイロニアス伝書に書かれている妖精のこと。つまり、現在呼ばれる妖精の語源になった"本物"ってことだよ」


 たぶん見たこと無いけどね。

 そう言ってスズは面倒くさそうに「そっか」と嘆息し、


「尻尾は? あるの?」


 と自分の腰の辺りを手の平で払うようにした。

 ある、とラナイは答えた。


「じゃあ、アトニム人の系統かもしれないし、アリアスの血を継いでるのかもしれないしってことか。少なくとも尻尾が無いんだったら、プライアかもって思ったけど……そっか……」


 スズが残念そうにまた息を漏らす。


「で、それが今の話と何か関係あるのか?」


 仕切り直しとばかりにラナイは肩をすくめてスズに回答を求めた。

 スズは、なんとも言えない表情で額の辺りを指先でポリポリと掻く。


「もしかしたら、グリムも俺と同じ"嫌な予感"感じてたのかなってさ」

「だから、なんなんだよ」 

「繁殖期、だよ。もしグリムが長生きなら知ってるかもと思ったんだ」


 聞いてラナイは「なんだ」と、散々もったいぶられた答えに疲れたような鼻息を漏らした。


「グリムの母親は、それが原因で死んだんだ。だから、グリムは体験してる」


 ラナイが言うと、スズはまたおかしな顔をして、「ちょっと待ってよ」と突っかかるように言った。


「ラナイくん、さっきグリムには尻尾があるって言ってたじゃん」

「言った」


 ラナイが頷き、「それがどうかしたか?」と首を傾げる。

 するとスズの鼻からまたしても息が漏れた。


「あのね、繁殖期が最後にあったのは、今から百二十年くらい前のことなんだよ? グリムがアトニム人でも、アリアスでも、そんなに寿命が長いはずないじゃん」

「そういうものなのか?」


「そういうものなの。

 アトニム人の寿命は長くて六十年。アリアスは寿命が短くて四十年が平均、原因は超人であることだっていわれてるね。で、プライアは今のところ老衰した人がいないの。

 つまり、不老ってやつ。

 ちなみに俺は、たぶん八十年くらい生きてる。記憶のあるところからだけど……」


「それで?」

「そ、それで……って。だから、それでも最後に起きたっていう繁殖期を見ていないんだ」

「だけど、記憶に無いだけで実は見てたかもしれないだろ?」


 当たり前のことという認識でラナイは言い返した。

 しかし、それを聞いてスズの表情が固まる。


「……へ?」

「今から八十年前からお前は今の姿のままなんだ。

 だったら、そこに至るまでの十数年か数十年か、あったはずだろ。読んでみろよ」

「よ、読むって、何を?」


 呆けて、スズはもう今までのどこか頼りがいのある女の姿ではなくなっていた。

 堂々と無知を曝け出すラナイよりも小さく、それこそまるで記憶喪失みたいだ。


「【否読の書】だよ。お前は読めないのか?」

「よ、【否読の書】……って君それ……読めるの?」


 ああ、とラナイが頷く。


「えっ! じゃ、じゃあドールはアリアス! なの!?」


 大袈裟に驚いたスズの声が暗い空間に響き、スズは慌てて口を噤んだ。

 そして、「なの……?」と小声で言い直して再びラナイを見上げる。


「そんなの知らない。けど、おれには読めるんだ。変わり者のプライアなら読めるんじゃないのか?」


 ラナイが言うと、スズはやはり呆けたままの顔でただ首を横に振った。


「なんだ、じゃあわからないか」


 ラナイは鼻息を漏らし、「また論点がズレたな」と頭をポリポリ掻き、


「で、その繁殖期とギノコが何なんだ?」


 とまた仕切り直しの質問を投げ掛けた。

 だが、納得いかないスズは、「でも……」と話を続けようとした。

 ラナイはそれを「今重要なことじゃない」と肩をすくめて制し。

 スズの返事はやはりため息だったが、それで何か吹っ切れたようだった。


 深呼吸よりも早い勢いで、ふぅー、と息を吐き出し、「繁殖期っていうのは……」と話し始める。


「俺の知っているところでは、野獣とアンノウンの大発生、ってことみたい。

 どうしてそれが起きるのかはわかっていなくて、繁殖期には大勢の人間が死んだって。

 俺の記憶は今から八十年くらい前から始まっているから、その頃にはまだ【アトニム】には繁殖期を危惧する習慣があったんだ。


 例えば、コンセキだけは浮浪者にも配給されてたし、武器は今の五分の一くらいの値段で買えたり、どの街でも鉱石とかコンセキで物々交換出来たりとかね。


【マッキンダム】、【ディーズベルグ】、【コルト】、【アーハイム】、【北リルディア】を守っている城壁がルトゥールじゃなく、繁殖期から街を守るために造られたっていうのも当たり前だったしさ。


 だからあの頃は、職業関係なしに戦闘力を得るために皆こぞってコンセキを食べていたんだ。

 そうして強くなることで、繁殖期に街を襲ってくる野獣の犠牲者を一人でも少なくしようってね。

 たしか、それを言い始めたのは【マッキンダム】の"ショーグン"って人だったっていったかな」


「ショーグン、ねえ……」


 何かが引っ掛かって、ラナイはそう呟いた。

 しかしその引っ掛かりが何なのかはわからず、「で、ギノコはどこいったんだ?」と。


「どこかの学者の説で、繁殖期には前兆があるっていうのがあったの。

 それが、ある特定の植物の大量発生。

 何がっていうのは毎回決まっていなくて、とにかくそのよく取れるものを食べて野獣が増えるって話だね。

 でも、その学者の意見は繁殖期にアンノウンが増えるってことの理由に当てはまらなくって。


 それを否定するために別の学者が、野獣もアンノウンも世界の中心【マセル】から吐き出される、って説を唱えた。

 実際、野獣もアンノウンも輪の内側からやってくるところが確認されてたらしいし、一見正しいように思われたんだけど……。

 わけわからないものをわけわからないもので説明するのはズルじゃん、ってことで否定されたんだね」


 と、突然考えごとの姿勢に入ったスズは、結論を省いて「どう思う?」とラナイに尋ねた。

 ラナイはそれも詳細を省き、「どっち?」と訊き返す。


「どっちか」

「さあね。おれはどっちかっていえば後者かな。結局わけわからないし、わけわからないもののせいってのがしっくりくる」

「……そう?」


 何か言いたげなスズの声に、ラナイは肩をすくめた。


「言いたいことはわかるけど、おれが外で見たギノコは大量ってほどじゃなかったぞ?

 普通のキノコが生えるのと同じ感じで、岩陰にちょっと、あと道端の死体に取り付いてたくらいだ」

「そっか……」


 そして「やっぱり思い過ごしか」と肩をすくめたスズの表情は至って晴れやかなものだったが、一筋、その弧を描いた口元は僅かに歪んでいるように見えた。すると。


「あっ……」


 と声を上げてスズは進めかけた足を止めた。

 背後から一歩も動けずにラナイは踏みとどまり、「どうした?」とスズの後頭部を見下ろす。


「そういえば、パイロニアス伝書には違うことが書かれていたかも……」

「繁殖期についてか?」

「そう。気にならない?」

「別に。今はアレを探すって目的があるしね。そういうのはグリムが好きかもしれないけど」


「へえ、じゃあ一度会ってみようかな。もしかしたら一緒に考えてくれるかも」

「なんだよ、お前も好きなのか? そういうの」

「そりゃあね。こんなところに何十年も入ってるんだもん。昔のことも多少は気になるよ」


「……あ、そう」


 そして二人はまた【グリンボウ】を進み始めた。


 白く照らされている二人だけの空間、それはどこまで進んでも同じように歪な岩壁を映すだけで何も変わらず、ラナイには道に迷っても迷っていなくても関係ないように思え。

 その感情が、ラナイの視線をスズの背に向けさせた。


 ほとんどが暗闇の、道なのかそうじゃないのかわからないところを迷いなく進んで行く少女の後ろ姿。

 よく見てみると、その長い黒髪はアレより少し髪が傷んでいる。

 同様に、それが掛かる背負い鞄には幾つものほつれや傷、汚れとスズの苦労が刻まれていた。


 鞄の脇に立てられているのが、愛用だった肉切り包丁が一本。

 柄に撒かれた布に柔らかさは窺えず、元がどんな色の布だったのかもわからない。

 その反対側にはジウが立てられていて、それは肉切り包丁とは違って手入れが行き届いているのだろう、まるで新品のようだ。


 そういう武器を見て、ラナイはスズの人生をおせっかいにも考えてみた。

 だが、それが生きるためなのか、それともそういうことが好きだから続けているのかわからなかった。


 ただ。地図を持たずに未知を開拓するスズには、少なくとも死の自覚は無いんじゃないかと思えた。

 それもアレと似ている。


 イグナスというとてつもなく危険な黒竜と何年も生活し、それを襲うアリアスという猛者を目の当たりにして、それでもアレには死に怯えている様子がなかった。

 野獣がいるかもしれない山の中を、籠一つ背負って武器も持たずに彷徨いて。


(やっぱり、アレもプライアなのか……?)


 ふと浮かんだ結論じみた考えが、(……あれ)、ラナイに一つの疑問を生じさせた。


(どうしておれにはプライアの情報が無いんだ?)


 もっと早くに持つべき疑問だった。それがどうして浮かばなかったのか。

 頭をポリポリと掻いて、疑問の答えは『古代人』というスズの一言に尽きるのかもしれないと、そう思った。


 今の自分は、過去の自分。

 そこに無い情報は、過去よりも未来の話、今より前で前より後のことだと感じたからだ。

 

(つまり……)


 とラナイはさらに思考を巡らせた。

 そうして出した結論に、一旦後頭部に立てた指先が力を失って拳に戻る。


――もしかして、おれは一人目じゃないのか?


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