すずとれ 2
妖精。
それは、おおよそ尻尾が無い人間のことを差す。
つまりは"通称"であり、
彼らがそういう呼ばれ方をするのは、彼らの出生が謎であることと、【パイロニアス伝書】というものの存在が原因だ。
【パイロニアス伝書】とは、妖精が吹聴するそれも通称"布教"で語られる【アトニム】誕生の秘話であるが、"パイロニアス"と呼ばれる者の存在が不明であることや、三匹の竜にまつわる【アトニム】生誕の記述に関して一切の証拠が見つかっていないため、今となっては似非物として扱われる、妖精にとっての古来より伝わるバイブル、と周知されている。
そんな妖精だが、尻尾無しであることに限らず、本来は出生不明の者、またそれを当の本人たちすらも知らないという場合にいわれるものだ。
それが、【パイロニアス伝書】における"後を追って生まれたものども"という正体不明の生物と混同され、竜の使者"妖精"をとってそう呼ばれるようになった。
「……それが、親のいない子への偏見に使われるようになったりして、いつの間にか差別の言葉に変わっちゃったんだね。まあ、つまり"アトニム人"は臆病ってことだよ」
「臆病?」
そう、とスズが頷く。
「どうしてそうなったのかわからない、ってことが怖いんだよ。受け入れられないんだ。
世間一般とズレたことをする人、世間一般からかけ離れた力を持つ人、全部一度は妖精と疑われるの。
例えば、アリアスだって一昔前までは妖精っていわれて差別対象だったんだよ」
「へえ、アリアスが……」
「うん。学者たちが、【否読の書】っていう頭の中の本のことを、"現在の記憶と本人のものとは違う記憶"っていう風に明らかにしたから、彼らは二種類以上の記憶を持つ超人として受け入れられうようになったけどさ」
そんなスズの話に、「二種類……ねえ……」と首を捻るラナイ。
「まあいいや。それじゃ、結局お前は妖精じゃないってことか?」
そう言ってスズの方を向く。
「だから、"いわゆる"妖精なの。自分じゃ自覚ないけどさ……俺も、どうやって生まれたのかわからないんだ」
「それってつまり、何がだ?」
「まず、両親ってのがわからないじゃん……それと、どうやって大人になったのかもだね」
スズが、うんうん、とひとりで頷く。
「つまり、記憶喪失か? 昔のことを何も思い出せないって」
「あー……どうかな。似てるけど違うと思う。自覚ないって言っといてなんだけど、そういう風になるようなことは無かった。頭ぶつけたり、死にかけたり?
気が付くとって言うとなんだけど。覚えているのは、俺が静かな村にいて、普通に生活してるってとこからだね」
いわゆる妖精の人たちの中ではそういうの当たり前にあることなんだ。
そう続けてスズはまた、うん、と頷いた。
それを聞いて、ラナイは「似てるけど違うな」と呟く。
「おれも記憶喪失だけど、おれの場合"酔って眠った"って記憶を失う直前のことを覚えてるんだ。それから何がどうなったか知らないけど、おれは白い人型になってて、こんなんじゃなかったって思う」
「確かに、似てるけど違うね」
「ああ。そうなんだよ」
ラナイがスズの横顔に話し掛けると、「でも」。
「似てるとこもいっぱいあるね」
「そうか?」
「だって、尻尾が無いじゃん。それと、人でしょ。君も俺も」
そう言ってラナイを振り返るスズ。
「そう言われてみれば、それは一緒だな」
謎の人型と妖精と呼ばれる過去を覚えていない少女。
似ても似つかない二人には、共通点が存在した。
それはあまりにも杜撰さの目立つ共通点だが、それでも"生きている"ということと"尻尾が無い"というその二点があれば十分な気がしていた。
だから、
「お前たちは、違うけど似てるよ」
ラナイはそう言った。
「たち、って?」
「アレとスズだよ。名前も違うし、喋り方も少し違う。姿はちょっと似てるけど、そういうんじゃなくて……」
「じゃあ、何が?」
「……存在感……だな。なんとなくそんな感じ」
ラナイが言うと、「そんざいかん……」とオウム返しを宙に放ち、スズは天を仰いだ。
「わけわかんないよ」
「おれもだ」
するとスズは口元に手を当てて吹き出し、小さく肩を震わせながら少し後ろに立つ白い人型を見上げた。
「そういえば君、名前は?」
「ラナイ」
「らない? それは覚えていたの?」
「いいや、違う。アレがくれたんだ。"わからない"ってばっかり言ってるから"ラナイ"なんだってさ」
ほとんど無表情の白い人型がそう言うと、スズはまた肩を震わせた。
◯
二人が進む道は、きちんと整備されて均等なネズミ道とは違っていた。
次の曲がり角までの距離はまちまちだし、道幅は広くなったり狭くなったり、さらには湾曲までしているし、足下は剥き出しの固い土で、おまけに歪んで捻れてまでいるため、明るく照らされている視界でなければとっくに平衡感覚を失ってしまっているだろう。
どこもかしこもが足下と同じく丸みを帯びてでこぼことして固い土が剥き出しな状態は、つまりここが洞窟であることを示していた。
その道に傾斜があるとラナイが気付いたのは、ふと見上げた天井が暗くなっていたからだ。
それを見ていて、ラナイはふと違和感を覚えていた。
今までなら、そこがたとえ暗闇であっても白黒で視えていた世界が、天井を見上げる視線一メートル程先から黒く塗りつぶされて何も視えない。
スズのビリーにあてられて、元に戻ったと思っていたはずの体調が今もまだ狂っているように思えたのだ。
そして初めて、ラナイはスズに色が付いて視えていることを疑問を感じた。
通常の人の目ならばどちらを異常と捉えるかはいうまでもなく。
ラナイは少しばかり特別だったからこそ、すぐ前を歩く少女の腰に掛けられた"ランタン"というものをここにきて初めて意識した。
どこにでもありそうなありふれたそのランタンは、白い光を湛えていることがわかる。
だが、凝視して眩しいわけでもなく、本来なら感じるはずの"淡さ"が感じられないそれは、宛ら白濁した質の悪い水晶のようである。
照明具としては心もとないように思えるそれが、一つ。
たった一つで二人の周囲四、五メートルの範囲をおよそ円形に照らしていた。
それはまるで世界を切り取っているかのような光景で、光の届く距離から先は完全な闇に覆われていて、正しく明暗を分けて"視える"空間を作り出している。
と、それだけならば何のことはない暗闇を照らす光である。
だが、"スズのランタン"は違っていた。
ただ一つ、周囲のどこを見ても映るはずのものが見当たらないのだ。
「影がない」
ラナイがキョロキョロと辺りを見回しながら呟くと、スズは何気なく「ふーん」とだけ言った。
それ以上は何も言わず、黙々と道を進むスズの後頭部を見下ろし、ラナイは(なんでだ?)と疑問は頭の中に浮かべた。
そして目を擦る。
結局、悪いのは自分の調子だけなのだろうか。
しかし、視界に"効果範囲"なんてものがあるとは思えない。
視えないなら視えないで形を捉えられなくなるのが普通で、それはつまり効果範囲なんてことではなく単にピントの限界だ。
少なくとも、真っ黒になって何も映らないなんてことは無い。
それが、今自分の身に起きているというのが、異常としてもラナイには信じられなかった。
全てを確かめるため、ラナイは足を止めた。
すると数秒後、ラナイはすぐに耳を塞ぐ暗闇に覆われたのだ。
周囲は黒く塗りつぶされ、音も遠くこもってしか聞こえない。
あの時、目覚めてすぐに感じたことと同じだった。
だが、その闇の中で視えているものもあり、それが闇に霞んで遠ざかっていくスズと風景だった。
(なるほどね……。おれの目がどうこうじゃないってわけか)
なんとなくこの【忘れられた水路】の暗闇の性質を理解し、ラナイがスズの元へ向かおうとしたその時。
淡々と足を前に進めていたスズが動きを止めた。
「どうした?」
追いついてラナイが言うと。
「動かなければ大丈夫」
そう言ってスズは暗闇の向こうをじっと見つめ、合わせてラナイもなんとなくその方を見つめる。
すると、向こう側からは不機嫌そうな低い唸り声が聞こえた。
二人どちらにもその姿は確認できないが、息遣いとベタついた身動ぎの音だけはわかる。
「野獣だよ。彼らの幼虫だったら唸ったりしないから」
暗闇の向こうを見透かしたようなことを言うスズに対し、ラナイは一旦覚えた二度目の違和感を押し殺し、「見えるのか?」と尋ねた。
スズは「ううん」と首を横に振る。
「そうじゃなくて、前までは戦ってたから。声からすると、たぶん"ヒレの奴"だと思う」
「ヒレ……ってことは水竜の類か?」
「竜、ではないね。あいつのは、言ってみれば亀に近い姿だよ。っても結構遠いけど」
「かめ……って?」
「知らない? 背中が硬い装甲で覆われた水棲生物なんだけど」
「だから、それは水竜だろ? 首が伸び縮みする奴でさ、名前はたしか……"フィレ・エルシュ"」
ラナイが言うと、スズは若干考えてやはり「違うなぁ」と首を捻る。
そうして二人が問答している内、暗闇の向こうの何かは唸りの声色を変えて遠ざかっていった。
それを見送り、スズはぽつり「行ったか」と呟く。
「なあ、今の奴はどうして襲ってこなかったんだ?」
ラナイは、ふと思いついたことを口にする。
するとスズは、「ああ……」と声を漏らし、そして腰元のランタンを軽く持ち上げた。
「これのおかげだよ、たぶん」
ランタンが小さく、カラ、と音を立てた。
それはランタンに収められた何かがぶつかり合う音だ。
乾いていて、皆が用いる熱光石のそれとは違って聞こえる。
「へえ。中身は何なんだ?」
「わからない……。よくわからないけど、役に立つから使ってるの」
「開けてみたことは?」
スズは首を横に振る。
「ううん、無いよ。だって、余計なことして消えちゃったりしたらヤだもん」
「あ、そう。大事な物なんだな」
「大事っていうか……まあそうだけど。一応盗品だからさ、大きな声では言えないよ」
「なるほどな。それがお前の生業か」
ラナイが言うと、スズは慌てて「違うよっ」とそれを否定した。
「本業ではない!」
「じゃあ、副業ではあるんだな」
「ま、まあそうだね……っても、結果的にそうだってだけで、盗賊じゃないんだからね?」
と、スズはラナイを見上げるその瞳は相変わらず黒い。
「あ、そう。で、本業は何をしてるんだ?」
修復士だよ。
そう言ってスズは、背負っている鞄の他に肩から掛けている三つの鞄の内の一番大きなものを開けてみせた。
長方形のその鞄の中には道具が詰め込まれていた。
特に金属製のものが多く、それらは直線的なものや鈎状のもので、それから小さな箱幾つも入っている。
どれもが使い込まれて手垢や色剥げが目立つ、年季の入ったものばかりだ。
「武器とか盾とかは管轄外だけど、それ以外のものなら大概直せるよ」
けど、とスズは小さく嘆息した。
「そういう技術って俺に限らず誰でも持っているし、珍しくないんだよね。それに妖精だし……、前ほどじゃないけど、やっぱり仕事が少ないんだ」
「なるほどね。だけど、それとこれと何が関係あるんだ?」
「だからね、こうやって皆に忘れられたこの地下に残ったものを拾って、直して売ってるの。
こことかネズミ道には、忘れられて放って置かれてるものばっかりだし。
俺は直すのが得意だし、眠ってる道具たちも暗いとこで埃被ってるより、また誰かに使って貰うほうが楽しそうから、結果オーライでしょ」
そう言ってスズはどこか誇らしげな笑顔を向けた。
「つまり、そのランタンが"一応"盗品なわけか」
「ま、そういうことだね。と言いつつ……それは個人的に失敬しただけだけど」
肩をすくめ、いたずらっぽく笑うと、スズはランタンを腰から外した。
すると、周囲の黒と白の境目が揺れて、二人がまるで小さなガラス玉に閉じ込められたように見える。
「これさ、不思議なんだ。一見ただのランタンで、結局ランタンなんだろうけど……」
「それは、見ればわかることだな」
うん、とスズが頷く。
「ほんと、たまたまだったんだ。
あの日まで、俺はここを彷徨くのに一般的な熱光石を使ってたの。
ここの暗闇はちょっと妙でさ、普通の量じゃ全然足りないんだ。だから、大型のランタンに大量の熱光石を詰めて使わなきゃいけなかった。
ま、今となってはそれでも十分な明るさだったとはいえないね。
それである日俺は、うっかり普通のランタンを持ってきちゃったの。
ネズミ道に入ってから気づいたからさ、戻るのが面倒だったんだよね。
で、適当なノブ付きに入ってみたら、そこはどう見ても使われてない感じの店だったわけ。
店のものも全部、床まで埃だらけだったから、ずっと使われてないとこだったんだと思った。
でもだよ?
それなのに、そこは明るかったんだ。
幾つかランタンはぶら下がってたけど、この一つを除いて全部が光を失って屑になった石で煤けたものばっかだったのに。
よく見てみたら、これが白く光ってることに気づいてさ。
その時は、ラッキーくらいにしか思ってなかった。
で、これを持って"こっち"に入ってみたら、不思議なことに気づいたの。
これは、熱光石の照らす範囲よりかなり広い範囲を照らしてくれて、それだけじゃなくてしかも、外にいるのと変わらないくらい明るいんだよ。
こりゃめっけもんだと思ってさ、それから愛用してるんだけど。
何が不思議って、これを使ってると、野獣が近付いてこないんだよね。
むしろ、この光に当たりたくないみたいで、こっちが近付くと逃げるくらいなんだ。
熱くもなくて、眩しくもなくて……」
本当に不思議だよね。
そう言ってスズはランタンを顔に近付けて覗き込むようにした。
光源をすぐそばにしても、スズの顔はいままで通り変わらずに見えている。
その白い肌はそのまま、そこに浮かぶ二粒の瞳も瞼の奥で黒っぽいまま。
彼女の背後にあるのは、やはり白と黒の境界線だけで、映るべき人影はどこにも見当たらない。
「それで、影が無いのは? さっき知ってるようなこと言ってた」
ラナイが訊くと、スズはランタンから目を外してラナイを見上げ、振り返る。
「え……?」
そしてそのままラナイに背を向け、
「……今気づいた」
と、壁に向かって肩をすくめた。




