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ピープルインバスケット  作者: 扉野ギロ
ぐりむとれ
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ぐりむとれ 18

 目覚めに必要なのは、恐らく違和感だった。

 ゆっくりと目を開けたラナイは、その時初めて暗闇を感じていた。


 黒で塗り潰され何がなんだかわからない空間に音はほとんど感じられず、しかし呼吸する度に薄っすらと生臭い匂いを孕んだ空気が鼻の奥に入り込んでくる。

 外とは全く違うその状況が、目覚めて突然そうだったのなら今すぐにでもここを抜け出したいと感じたかもしれない。

 

 だが、ラナイにとってこの薄気味悪い空間の方がむしろ幸いだった。


 前回、ラナイが記憶を失った期間は三日分。

 気がついた時には見知らぬ場所にいて、その原因がグリムの"紐"だった。

 それで恐怖を覚えたわけではなかったが、ラナイ自身ショック受けたのは確かだ。

 

 しかし、今回はそれが違っていた。

 まず、紐は自分で付けるように仕向けたことだったし、なによりここに満ちている匂いとは知った仲だったからだ。

 

 意識が遠のく直前からずっと嗅いでいた生臭さ。

 多少落ち着いているようだが、それが漂っていること自体、ラナイがネズミ道から離れていないことを物語っていた。


 だから、うつ伏せのまま倒れていた状態も不思議ではなかったし、ラナイは目覚めに初めて"ここはどこだ"という言葉以外を口にしていた。

 だが、その声はどこへも反響せず。

 耳を閉じて聴くような不思議な感覚を耳の奥に残すだけだった。


「あー……あー……」


 試しに声を出してみると、それも結果は同じ。

 音が反響しないという奇妙な状態が、まさか自分の体に起きた異常なのかと、期待半分、残り半分をただの興味本位でラナイは自分の体を弄った。


「ん?」


 指先に触れた違和感は、耳にではなく腕にあった。

 ラナイがそれをすぐに"ヒビ"だと理解できたのは、遠のいた意識のそこで夢を見ていたからだ。

  

 いや、正確には夢だと思っていたものだ。

 あの時不意に入り込んだ自身の腕の亀裂、それが今現実のものとして指先に感じられている。


 耳を塞ぐ闇と腕に入ったヒビ。

 周囲の状況に覚えがあった今度は、自分の身に覚えのない異常が起きていた。

 結局、ラナイは目覚めについて回る疑問から逃れることができず、「はぁ……」と小さなため息を漏らす。


 それはいったいどこへいったのか。

 いつもなら多少の変化を周囲に起こしていつの間にか消えているその"黄色の息"ですら、ここに満ちている闇には敵わないようで。

 酸っぱい匂いこそ漂うものの、何も見えなくて音が聞こえない状況ではまるで意味のないただのため息と同じだ。


 ここに、ラナイを差別する要素は何もなかった。  

 ただ自分の声と、そうではないものの匂いと温度だけが伝わる世界。

 

「……知ってる……この感覚を、おれは……」


 記憶の部屋へと入りかけたラナイを、前方から差す白い光が引き戻した。

 暗黒の空間に、ただ一つ。

 だがそれは、星と呼ぶにはあまりにも強すぎ、太陽と呼ぶには冷たすぎた。

 この暗闇が耳を塞ぐ布であるならば、そこに見える光はそれを裂くナイフに違いない。 

 

 そんな光の軌跡にだけは侵入できない暗闇は、為す術無く仲間の元へ押し返されるが、それでも光の"その先"を得ようと何度も手を伸ばしているように、光の縁で歪んで波打って見えた。


「グリム?」


 光の先であるその持ち主を想像し、ラナイが立ち上がろうとしたその時。

 背中に僅かな疼きを覚え、そうして一瞬気を逸した内に光は消えていた。

 

 そこでラナイがもう一度、慎重に「グリ……」とまで言ったところで、返事は眉間の一点に返えされた。

 僅かな破裂音と瞬間的に、ピリ、と走る痛み。

 だがそれよりも、一瞬にして体の自由を奪われる奇妙な窮屈さがラナイを激しく混乱させていた。

    

 正しく手も足もでないまま、せっかく起こした体をひっくり返されたラナイ。

 地面に倒れる最中、暗闇を理解不能な閃光が走り回り、体中が痺れて身動ぎが上手くできなくなっていた。


 ピクピクと痙攣する体。

 その鬱陶しい感覚が続けば続くほど、自暴自棄らしく動くのが面倒に感じられるようになっていくラナイは、いずれ身動ぎしようという心を諦めた。


 それが少しして、体の痺れが収まる頃。

 ラナイはすぐそばに近付いてくる何かの気配を感じた。


 生臭さを撒き散らして、それはどこかで嗅いだような匂いだった。

 グリムの放つ独特の"石臭さ"に似ていたが、明らかに違うのは、グリムの匂いが乾いているのに対し、今近くにあるのは焼けていること。


(誰だ……?)


 ラナイが考えてもわからないことを考えていると、焼けた石の匂いを放つ何かは、ラナイを確かめるかのように体を突っつき始めた。

 暗闇の中でそれは野獣が食事できるかどうかの選別行為に及んでいるようにも思えたが、先に受けた眉間の衝撃を考えればそれは違う。


 近くにいる者が十中八九人間だと感じていたラナイは、すぐそばまで来て微かに聞こえる足音に集中し。

 そして、一瞬の動きで手の平に収めた。

 

「わっ!」


 姿は見えないものの、手の中で藻掻く感触は伝わってくる。

 それは、間違いなくあの毛虫人間のものでもなく、それ以外の野獣のものでもなく。

 やはり人間だ、とラナイは感じていた。


 手の平に伝わる感触は、何か衣服のゴワゴワしたものと、何やら細かな道具の固いもの、大きさは小人の類で全体的に筋肉質ではなく、むしろ柔らかい部分が多いといった印象。


「……女か?」


 よく見ようと人間と思しきそれを握り締めたまま顔に近付けるラナイ。

 だが、顔に触れるほど近付けてもその姿を捉えることができず。

 自分の目に異常が起きているのかもしれないと、空いた手で目を擦ると、そこに僅かな異物感を感じた。


 まさか、今度は喉じゃなく目に詰まったのだろうか。

 なんとなくグリム・ゴーレムの姿を想像しながら瞼の隙間に指先を差し込んでるが、そこには何が触れる感触も得られなかった。


「ったく。面倒な体だ……」

   

 自分自身にボヤくのと同時、ラナイは突如視界を白光に奪われた。

 目の奥に痛みを覚えるほどの鋭い閃光。

 驚いて咄嗟に手の中のものを遠ざけた次の瞬間、再び小さな破裂音が聞こえ、しかし今度はその衝撃を胸で捉えていた。

   

 すると、先のピリとした痛みは、今回においては些細なものでは済まされず、ビリビリとラナイを痛めつけ、最早倒れ込むことも許さないほどの痙攣を齎した。

 そのあまりの衝撃に勝手に声が漏れ、唇は閉じては開いてを繰り返す。

 

 あぱぱぱぱぱ。

 

 応じて視界には謎の閃光が縦横無尽に走り回り、そしてそれは瞬きが如くラナイの目の前を白と黒の交互に染め続けた。

 それが幾ばくか、徐々に白と黒の点滅の感覚が落ち着き始め、白……黒……白、で点滅は収まった。


 そうして改めて白に染め上げられた世界には、視線に応じて景色が与えられていた。

 

 一直線に伸びて、壁面に浮かぶ大きな二つの白い円。

 その内側にだけは、崩れたレンガ造りの壁と覚えのない植物の蔓、そして壊れた家具が転がっている様子が映し出されていたのだ。

 

 自分に何が起きたのか、当然ラナイはそれを理解していない。

 それよりも、何をしたのか、とそれを問うつもりで視線をそちらへ向けると。


「あ、れ……?」


 そこに、深い水の底のような青色を浮き上がらせたニ粒の輝きが映り込む。

 ラナイにとってそれは見覚えのある輝きで。

 それだけじゃなく、おまけに頭頂部から流れ落ちる美しく長い黒髪まで彼女は持ち合わせていた。


 思えば、ラナイにとってそれは待ちわびた姿だった。


「アレ、探したぞ」


 どこからとなく湧き上がる安堵感に、ラナイは「やれやれ」と後頭部を掻いた。

 

「今までどこにいたんだ? イーリークラップはどうした?」


 続けざまの質問に、少女は俯いたまま答えなかった。

 どこか様子がおかしい、と首を捻るラナイの耳の穴に二回分小さな物音が聞こえ、そして。

 顔を上げて見えるはずの懐かしいニ粒の瞳は、横に並んだ二本の鉄筒の向こう側に隠れされていた。


「望遠鏡でも拾ったのか? こんな暗いところでそんなものたぶん役に……」


 立たない、と言い掛けたラナイの声はまたしても聞こえた破裂音に掻き消され、同時に受けたニ連続の衝撃でゴーレムの剥がれて軽くなった体は簡単にふっ飛ばされてしまった。

 すると生じる激しい痙攣と痺れ。


 ラナイはわけもわからないまま、またしても点滅する視界に目を回し、それが白か黒かどちらで終わるのか、遠のく意識でそれを待つことは叶わなかった。


          ◯


 気がつくと、ラナイはまた記憶の部屋にいた。

 あちこちに本が開きっぱなしのまま放って置かれていて、ここは相変わらず散らかっている。

 そこへ胡座をかいて座り、その中の一冊、目が覚める直前まで読んでいたそれをラナイは再び手に取った。


 開いたままのページに書かれているのは、"吸え"だけで、その次のページには震えた線が縦横無尽に走り回って"わからない"と文字を象っていた。

 

 それは、今しがたラナイが受けた衝撃についてのことだ。

 あの刺すような痛みと、窮屈さ、痺れが何をもってしてそうなったのかがラナイにはわからなかった。

 つまりそれが、ラナイのとって初めてだった。

  

 感覚の本のどこにも記されていない初めての衝撃。

 それ故に、自分に起きた現象の説明もつかないし、具体的にどう痛がるべきなのかもラナイにはわからなかったのだ。


(そういえば……)


 とラナイは本棚へと向かった。

 そこに収まっているのは、今やたった一冊の本だけだ。

 しかし、それこそがこの記憶の部屋の中で最も重要な本。


 それをグリムは、アリアスの頭に眠るものと同じ【否読の書】だと言っていた。

 そしてそこには、ラナイの記憶が記されているはずだ、とも。


 開いても読める部分が少ないことから、しばらく放置していたそれを、ラナイは久しぶりに手に取った。 

 その銅表紙の書は、ずっしりと重く、どの本よりも冷たい。


(最後に読んだ時、読めたのは"バトルスタンス"のページだけだったか……)


 そんなことを思い出しながら、ラナイはページを捲っていく。

 読んで新たな発見があるとは到底思えなかったが、もしかしたら今の痛みについて何かわかるかも、という期待もあった。

 それが数十ページを過ぎたところ。


 ピタリと手を止めたラナイの指の間から覗く文字は、確かに"取り方"と書かれていた。

 本から手を除け、隠されていた文字を改めて眺めると、


(急所の取り方……か)


 そこには、生き物の殺し方が書かれていた。

 

 書いてあることは、主にどこを狙えば相手の命を奪えるかで、狙うべき急所として心臓や肺、喉、それだけでなく、特定の野獣における特殊な急所についても漠然と記されている。

 繋がって、ラナイはここで初めて"思い出した"。


 それは、先に読めるようになったバトルスタンスという自身の体の特徴と、それを用いた相手の急所の取り方。つまり、"戦い方"をだ。

 瞬間、ある光景がラナイの脳裏に浮かぶ。


 目の前に立つのは、ラナイよりも頭二つ分は背の高く、体は三倍ほどはあろうかという巨躯の生物。

 馬鹿に大きなその拳が何度もラナイを襲い、ラナイはその巨大な拳を何度も退けた。

 すると、巨躯の生物は言う、「なあ、ワタシたちはなぜ戦う?」。

 ラナイは、それに「さあね」と答える。


 それで終わりだ。

 どこで戦っていたのか、相手が巨躯である以外顔も形もほとんど浮かばず、自分の姿すら思い浮かばなかった。

 そんな懐かしいような光景を見終え、再び本を閉じたラナイ。

 するとふと、


「……あとみにあ……」

 

 謎の五文字が頭に浮かび。

 ラナイはその文字列の意味を調べようとまた銅表紙の本を開いたものの、当てはまる文字はどこにも書かれていなかった……。 

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