ぐりむとれ 17
ラナイの歪んだ形相に「ヒッ!」と声を上げて再び死んだフリへと戻る女。
しかし今は急ぎ答えを欲していたラナイは、女を仰向けにひっくり返し、そこに顔を近付けて再び問いかける。
「イー……ップ、こ……こっ……?」
それにも絶叫で返事をした女だったが、続くラナイの「だ、じ……ぶぅ」で敵意がないこと、そしてそのゴーレムが言葉を話しているのだと悟った。
「もしかして、お前なんか訊こうとしてるのかい?」
女の質問に、ラナイはゆっくりと頷く。
「イ、リ……クッ……な、か?」
「……まさか、お前あの子たちの知り合い? イーリークラップって、そう言おうとしてる?」
再びラナイが頷く。
すると、女は若干の怯えを残したままの表情でそっと首を横に振った。
「み、見てないよ……」
きっとそうだろうと思っていた。
それでもジワリと染みる失望感に、ラナイは小さく鼻から息を漏らした。「でも」
「普段は見掛けない奴がいたよ。たぶん新入りだと思うけど、あいつはここらじゃ珍しい格好だった。全身真っ黒の革の服着てさ、何に使うのかってくらいナイフを引っさげてて……。それとあの趣味の悪いバンダナだよ、あれはたしか小悪党の……」
女が言って、ラナイの瞼がグイと見開く。
「ど……った……?」
「わかんないけど、ウチが見たのはもっと奥の方さ。妙に挙動不審で、何か探してるみたいだったよ」
女の言っている意味はわからなかったが、指差す先に何かがあるのは間違いない、とラナイはそう思った。
声にならない声で一応礼を言って、そしてラナイは道の奥へと進む。
どこもかしこも同じような作り、同じような風景の単調な通路を行くラナイ。
その心には自覚できないほど微かな焦燥が湧き、入り口からそこまで進んできたのよりも少しだけ足早になっていた。
ふと頭に浮かぶのは、長い黒髪の靡く様。
一緒に赤い木の実のネックレスが踊っていて、しかし少女のその顔が上手く思い出せなかった。
あまり余計なことは考えられず、どことも知れない目的地がまるで近くにあるように感じられ。
そのせいでラナイは探しものを一つ失念していた。
それが一体どれだけの重さだったのか。
狭い通路を這って進む体が、ふと軽くなった気がした。
しかし、その現象は一歩、一歩と進む度に気のせいという遠いところでの出来事ではなくなっていく。
体の軽さが違和感ではなく、"そういうことなのだ"とラナイが気付いたその時、ラナイはおよそ一ヶ月振りにへこんで歪な痕のついた白い体表面を風に晒し、振り返ったそこにはそれまで体を覆っていたルビーの原石が一つの塊となって立っていた。
(どういうことだ? どうしてこいつがここに……)
ラナイは一ヶ月振りの小さなずんぐりむっくり"グリム・ゴーレム"を見つめ、喉を気にした。
試しにと大きく息を吸い込んでみると、まだ僅かに異物感はあるものの、さっきまでとは比較にならないほど大量の空気が勢い良く体に流れ込んでくる。
「あ……あー……。ごえ、も。ゲホッ」
と、ラナイが自分の手の平を開くと、そこに残った原石の欠片がぽろぽろと地面に落ち、勝手に転がって目の前に立つゴーレムの体の一部になった。
するとゴーレムは、何か言いたいことでもありそうな態度でラナイをじっと見つめていた。
それが十数秒ほど、突如ゴーレムは四つん這いの格好になり、ラナイの腕と足の股の間を無理矢理に潜っていく。
それもラナイの心に追憶させ。
何に期待するのか、ラナイは不可思議な妄想に囚われたままゴーレムを追った。
時折道の左右を気にしながら、それでもほとんど迷わずにゴーレムは三度目の角を曲がって姿を消し。
その時だった。
通路の向こう側から、カチャカチャ、と何者かの身動ぎが聞こえた。
そして、粉をいっぱいに詰め込んだ袋を蹴飛ばしたような鈍い音が。
ラナイが追って角を曲がると、そこには胸から上を失ったグリム・ゴーレムの姿と、今武器を収めたばかりの背の低い金色の鎧を纏った騎士が向かい合って立っていた。
そして騎士は、ワシを象った獰猛な面を小さな動きでラナイに向ける。
「……面妖な。まったく、ここはどうなっている」
呆れたように頭を振り、騎士は再び武器を抜いた。
それは、刀身が二又に分かれた形状の、宛ら音叉のような刃のない剣状の武器だ。
鞘から抜いた途端、それは震えて周囲にうなりを響かせる。
「おイ、お前なんテことしてくれたんダ」
抗議するラナイの声は、慣れない喉のせいでところどころひっくり返り、その意気は測れない。
「驚いたぞ……。これほど珍妙な生き物が、しかも口を聞くとは。先程の虫ケラといい、このネズミ道はどうやら他とは違うようだな」
声色は男の騎士、彼はそう言って自分を挟む両側の壁へと視線を向けた。
「ひトの話聞イてるのか? どうしてクれるんだよ、そいツ一人しかいないんダぞ」
「ふむ。見たところアンノウン……ではないな、これは……ドールか? いや、しかし這って歩くドールなど聞いたこともないし、こんなに不細工なはずがない。ならば……」
ラナイを無視するかのように独り言を続け、そして騎士が出した結論は、
「やはり、アンノウンだな……」
そう言ってまた「ふむ」と唸る騎士。
ラナイはその態度に「ふん」と鼻を鳴らした。
睨み合う二人。
するとその時、緊張感漂う二人の間で不意にゴーレムがもぞもぞと動き始めた。
それを確認し、再び武器を振り上げる騎士。
「おい、やメろ。そいつハ、おれの友達ナンだ。そっとしといてくレよ」
「友達……?」
「そうだ」
ラナイが頷くと、騎士は一度だけゴーレムと交互にそれを見て武器を収めた。
「……気味の悪い奴らめ」
吐き捨てた言葉には、悪意以外何も感じられるものはなかった。
だが、騎士は一度収めた武器を再び抜くようなことも、自分の脇をすり抜けていく小さな頭の生えたゴーレムに目もくれず、曲がり角の手前に体を戻したラナイの目の前をスタスタと歩いてどこかへと行ってしまった。
すれ違いに通路へと入り、再びラナイはゴーレムを追う――。
◯
それから何度か角を曲がり、ゴーレムは何の躊躇もなくそこにあるノブありの扉を開けて入っていった。
ようやく終点だ。
先の騎士のせいで一旦は霞んだ期待が、再びラナイに蘇る。
閉じられた扉の前に佇み、ラナイはゆっくりと鼻から息を抜いた。
そして、その小さなノブを指先でつまみ、押し開いた扉の向こうへと腕に続いて頭をねじ込む。
すると、
「良かった! まさかこんなに早く来てくれるとは思わなかっ……たわ。って……」
そこに現れた大きな顔に歓喜したかと思えば、一転表情を曇らせたのは、グリムだ。
するとグリムは小さな声で「ゴメン」と、ラナイに近付き、そっと歪になった顔に手を当てた。
「これって、あの子を貼り付けてたから?」
「…………」
「ラナイ?」
「……ん? あ、ああ。たぶんね」
失せた妄想の余韻から慌てて戻ったラナイが言葉を発すると、
「こ、声……、戻ったんじゃない!」
グリムがまた喜びを顔いっぱいに浮かべる。
「そうだな。たぶん、それもあいつがくっついてたせいだと思う。喉の鬱陶しいのが取れて、それで出た」
言いながら室内に全身を収めるラナイ。
「そうだったのね。なんだかお前と話をするのが遠い昔のことだったみたい……」
すごく懐かしい感じがする、とグリムが微笑む。
「そうか? おれはずっと話し掛けてたつもりだけどな」
「あれじゃ伝わらないわ」
そう言ってグリムが変な笑顔ではにかんだ。
「で、どうして急にこいつを剥がしたんだ?」
ラナイが投げかけた当然の質問に、グリムの表情から笑顔が消えた。
その代わりに滲むのは、恐怖か焦りか。
グリムはラナイを部屋の奥に行くよう促すと、扉の前にそこにあった机を押し当て、深いため息をついた。
「見つかったのよ、っていうかバレた。なんにせよ最悪よ」
と、二度目のため息を吐き出すグリム。
目が合って、ラナイは肩をすくめる。
「アリアス・コムよ……。まさかアタシたちまで追ってきていたのは想定外だったわ」
そう言って漏れた三度目のため息には疲れと苛立ちが混じっている。
「盗んだようなもんだからな。普通は追っかけてくるんじゃないのか?」
あくまで常識的な意見を言ったつもりだったラナイだが、それが意外にも「まさか」という言葉で返された。
「あり得ないわよ。そりゃ八百長は卑怯だけど、やっちゃいけないってわけでもないんだから」
「それこそあり得ないだろ。ゲームにいちいち八百長があったら試合にならない」
ラナイがまた常識的に言うと、今度は「まあね」とグリムが言葉を返す。
「要は、やれるもんならってことよ。暗黙の了解があるわけ、便宜上闇闘技場を名乗ってるからね。純粋な闘技ってより観客を興奮させたり、裏の連中に金稼ぎさせる意味のが濃いのよ。そこでアタシは何年も遊んできたんだから、そういうことに一枚噛むことだって無かったわけじゃない。
だけどね、だからなのよ。
悪いところで悪いことをしたんだったら、もう終わり。そこから去って二度と戻らなければいい。わざわざ探す方が手間だしね。それが、暗黙の了解よ」
八百長で得た獲得金だって、たかがその日の売上の七割程度なのに。
そう言って四度目のため息を吐き、グリムはがっくりと肩を落とした。
「それじゃ、どうしてお前は追われてたんだ?」
「……あの日起きたこと、覚えてないはずないわよね」
「ヴァーシュが暴れた時のことを言いたいのか? だったら忘れるはずがないね」
それよ、とグリムが頷く。
「イルルとはあまり街に出ないように過ごしていたから、アタシたちの関係を知られていないと思っていた。実際、ついさっきまでは怪しんでいただけみたいだったけど……」
「けど?」
「簡単にいえば、ひとまとめに見つかったのよ。おかげでこじれて伝わっていた話が本物っぽくなっちゃったわけ……。こうなると、もっとちゃんと隠れててくれれば、って考えちゃうわ」
呆れたように頭を振るグリム。
その様子に、ラナイは思っていたことを口にする。
「イーリークラップか。あいつを見つけたんだな」
「そうよ……って、勘がいいわね」
そう言ってグリムは「もしかして、イルルに会った?」と、ラナイを見上げる。
「…………」
「どうしたの?」
返事の無いラナイをきょとんとして見つめるグリム。
次にラナイが吐いた言葉で、その無垢な表情が一瞬にして青ざめた。
ただ一言、「嘘でしょ」と空いた口からこぼし、そしてグリムは絶句する。
「今はルールーウィップがついてるはずだ。見ただけだからどうとも言えないけど、あれは瀕死ってやつだった……。グリム、この街の医者は腕がいいのか?」
ラナイが訊いても、グリムは同じ表情のまま身動ぎすらしない。
「グリム? この街の医者は腕がいいのかって訊いてるんだけど」
再度ラナイが問い掛けるのと同時、突如我に返ったように厳しい表情を浮かべたグリム。
何も言わないまま勢い良く机を押しのけて、扉のノブを握り締めた。だが。
数センチ扉を引いたところで通路に響く足音を聞き、すぐにそっと扉を押し戻してしまった。
そしてグリムは、机の代わりに自分の頭を押し付ける。
「どうした?」
ラナイの変わった問いへの返事は、「怖い」。
「怖い、って何がだ? アリアス・コムか?」
グリムが小さく頷く。
「これだけ道が入り組んでるんだから、上手くやれば大丈夫じゃないか?
ルールーウィップみたいに匂いでお前を追ったりできないだろ?」
ラナイが言うと、グリムは急に激高して「そういうことじゃない!」と叫んだ。
「お前は、あいつらがわかってないからっ!
あの時だって、イーリークラップがいなかったら……っ」
言ってグリムは扉に頭を押し付けたまま崩れ落ちる。
「なんだ、あいつ助けてくれたんだな。ってことは、アレも無事……」
言い掛けたラナイの言葉は、グリムの「違うっ!」で遮られた。
「あいつは、自分が助かろうとしただけよ!
アタシはそれに便乗できただけ、運が……良かっただけよ……」
そして、グリムは懇願するような声でイルルの名を扉に向かって呟く。
小さな背中が縮こまってさらに小さくなり、そんなグリムを見下ろすラナイには、それがこのいつか店だった場所にある家具の一つのように見えていた。
まるで弱々しく、グリム・シュタインという強さを微塵も感じさせない"それ"は、ただ長い年月だけが刻まれ、ただ古びただけの使われなくなった家具だ。
みすぼらしく、価値の無い。
その失望感に、ラナイはふと懐古的な感情が湧く。
それは、目覚めてすぐに感じたこととに似ているかもしれなかった。
自身への無価値感。
それを確かめるように、ラナイは「おれはどうすればいい」と呟いた。
するとグリムが消え入りそうな声で呟く、「なんとかして」。
「…………」
ラナイは何も言わず、グリムに背を向けた。
その大きな背中をちらと見て、グリムは「なんのつもり?」と投げ掛ける。
「おれには何も出来ないんだ。だから、使えよ」
「つ……かう?」
「ああ。強い奴と戦うには、強い"武器"が必要だろ?
だから、なんとかするのはお前だ……」
――ドールマスター
そう言ってラナイは、グリムに背を向けたまま両腕を大きく開いた。
すると背中越しに聞こえたのは、ブーツが地面を擦る音。
次いで衣擦れの些細な音が聞こえ、そして。
意識が途切れる寸前、ラナイの耳の穴に残ったのは、
「簡単に壊されないでよ」
◯
遠い意識の向こう側で、細い風に乗って不思議な歌が一節だけ聴こえた。
ほんの一瞬で消えてしまったため、なんの歌なのかはわからなかったが、そこに「わたしはここに」と詞があてられていたはわかった。
その先が気になったのは、なんとなく続きを知っているような気がしたからだ。
確かめるつもりだったのか、それとも思い出すつもりだったのか。
おそらく後者だった。
酔って眠ったと、ありきたりで曖昧な記憶。
その前に自分が何をしていたかを気にするつもりもないが、ふと思うのは、一体誰と話をしていたのかだ。
どうせ自分の行動など思い返しても、せいぜい羞恥心を蘇らせるだけだ。
だが。そこに誰がいて何を話したのかは、つまり人生だろう。
独りでは無かった。
それだけは、どの本にも書かれていないが確かなことだった。
わたしはここに。
と、同じ一節ばかりが繰り返される不思議な感覚の中で、不意に開かれた本の一ページには「イタイ」と、たった三文字がいっぱいに書かれていた。
瞬間、本を掴む片方の腕に亀裂が入るが、そこに書かれているような"痛み"は感じなかった。
――こいつっ!
突如響いた一声で、あの歌は吹き飛んだ。
そうして一時気を逸らし、再び視線を落としたページには今しがた聴こえた声が書かれていた。
まったくどうなっているのか。
わけもわからないまま開いたページには、「吸え」と。
それは、自分ができることの中で唯一得意といえることだ。
だから、次のページを開くまでもなく、その後にするべきことはわかっていた――。




