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ピープルインバスケット  作者: 扉野ギロ
ぐりむとれ
28/106

ぐりむとれ 15

「こ、これが?」


 興奮するイルルに対し、グリムは困惑していた。


 今そこにでこちらを向いて狂った秒針のように首を回す、凶暴そうな大顎を備えた華奢な生物にはあるものが足りない。

 一見してイモムシとも思えないその姿には両足があり、体の脇にはギザギザと細かいトゲの生えた両腕が。そして、深緑色をした体全体が微かに煌めく無数の細い毛のようなもので覆われているのがわかる。

 そのどこにも耳らしい器官が無いのが唯一あのイモムシとの共通点であり。

 つまり、見つからないのはそれと、"目”もだ。


 昨晩の記憶を手繰れば、暗闇で自分の周囲を徘徊していた時に聞いた音があの両足から発されるようなものではなかったのは確か。

 だからこそ這いずっていたと断言できるはずなのに、イルルはこいつが昨日のやつだと言う。


 両足があり、這いずるような動きが想像もできないこの生物が"昨日のやつ”だというのなら、それはいったいどういうことなのだろうか。

 混乱するグリムは、壁に張り付く"虫のような人型生物"に這いずる音と繋がる要素を探したが、見当たらず。

 

 ましてや目のないその姿に、あの視線のことなど知る由もない。


「間違いないの?」


 再度確認するグリムの質問に、イルルは黙って頷いた。

 次の瞬間、壁を蹴って勢い良く二人めがけて吹っ飛んでくる"人虫"。

  

 顔から水平に突き出す先の短い鋏状の大顎をいっぱいに開き、その奥で円形の口が捕らえたものに齧りつかんとして、獲物が顎に捕らえられる前から準備運動宛ら無数の牙を蠢かせている。


 その一撃目。

 人虫は突っ込んでくる勢いのまま器用に空中で体を捻り、両腕を突き出してイルルの頭を掴もうとしたが、イルルは咄嗟にそれを回避。

 頭部を掠めて短く切り落とされた栗色の髪が宙を舞う。

 

 瞬間、振り返りざまに吐くイルルの「シュゥっ」の声と共にまた赤い霧が吹き出し、着地したばかりの人虫に襲いかかった。

 しかし、不意の一撃にも関わらずそれは躱され、再び同程度の距離感をもってイルルと人虫は向き合う。


 その間、グリムは全く違う方向を向いていた。


 自分の周囲を這いずっていた何か。その特徴を持っているのは、現状そこで寝転ばるイモムシである可能性の方がずっと高い。

 今しがた目にした人虫の運動能力を考えれば、あの時、自分を部屋に引きずり込んで壁のどこかか、部屋の奥に隠れていたのとも考えられる。だが。

 

 あの視線のことはどうにも説明が付かない。


 今は焦げの塊と果ててしまってよくわからないが、もしかすると。

 悩むグリムが出した結論は、


「イルル、それはいい。こっちのイモムシの方を学会に持っていくわ」


 グリムの声を聞き、イルルは頷いた。


「了解」


 すると、通路に響く「ルテ、ルテ」という声。

 それもまたイルルの"魔法"だが、その効果を実感するのは本人ではない。

 

 イルルは「ルテルテ」と幾つか声を残したかと思えば、正面に佇む人虫に向かって走り込んでいた。

 だがそれはただ走っているわけではなく、杖先で適当に地面を叩きながらという余計な動作を加えてだ。

 そうしてイルルが目の前にまで来ても、人虫はほとんど動かなかった。


 生け垣に留まったまま動かないトンボのように隙だらけの人虫に向かって、イルルは思い切り杖を振るう。

 その軌道は確実に当たる胴体部分へと向けられていた。

 それが直撃する寸前。

 人虫は俊敏な動きで腕を払い、それを阻止する。


 そして、棘だらけの腕が杖に触れた瞬間、イルルの舌打ちに合わせて小爆発。

 

 弾き飛ばされた腕の勢いに引っ張られ、人虫の体は捻られながら壁に激突。

 髪の燃えて鳴るような、ジッ、という短い悲鳴を上げ、そのまま地面に崩れ落ちた。

 追って、地面に落ちた千切れた腕が足下に薄く張った水を赤黒く汚す。


「一撃かよ、だらしねえなぁ」


 一言漏らし、イルルは人虫の頭部に杖先を向け、「バンっ」。

 次の瞬間、人虫の頭部に付いた炎は激しく燃え上がって体を飲み込んでいき、そこから嫌な匂いと細い煙が立ち上った。


 一部始終を眺めていたグリムから、ふっと肩の力が抜ける。


「見た目は、虫。けど形は、人。普通に考えれば地下で独自に進化した別の人類ってことかしら……」

「わからないよ。口聞いてないし」


 そう言ってイルルが肩をすくめると、グリムは突然「どうしよう」と自信なさげに声を漏らした。


「アンノウンだと思ったから、殺しちゃったけど。もしも本当に人類だったなら、別のやり方があったのかも……」

「えっ。今さらそんなこと言うの?」

「仕方ないじゃない。突然襲ってきて、まず会話をしてみようなんて考えないわよ。だから、まあ……やっちゃってから言うのもなんだけど、もしこの人みたいな虫に人類のような文化や文明、高い知能があったら……」


 顎に手を当て、俯き加減で首を捻るグリムに、イルルが「あったら?」と生唾を飲み込む。


「ルトゥールが起きるかも」

「……へ?」

「古代に五人のアリアスがそうしたみたいに、地上で王様気取りの人類を淘汰しようとこの人虫が動き出すかもってことよ……」


 緊張した様子でグリムが言うと、イルルは、


「でも、こいつ素っ裸だよ? もし頭のいいやつだったら、全裸はないでしょ」


 と自分の発言に納得して頷く。


「確かに、その通り……か」


 イルルに合わせてグリムが頷くのと同時、辺りの部屋の一つが開き、そこから一人の猿の妖獣人の男が姿を現した。

 そして男は、通路に転がる謎の焼死体を見て「うっ」と口を塞ぎ、そのまま固まってしまった男にグリムが近付く。


「ねえ、ここにはまだ人が?」


 グリムが訊くと、男は一瞬動揺しながらも「たぶんな」と。


「大概朝方になれば皆帰るもんだが、店をやってるもんの中にはもうほとんどここに住んじまってる奴もいるぜ……って。ところでこいつは何なんだ?」


 男の質問にグリムはただ首を横に振り、「ありがとう」と軽い会釈をして、男に銀貨二枚を握らせた。


「悪いんだけど、そこのイモムシの死体を外まで運んでおいてもらえない?」

「は? 俺がか?」

「そう。もし一人じゃ無理だって言うんなら……」


 と、グリムは男にさらに二枚、銀貨を渡した。

 すると男の表情が緩み、「ああ、任せとけ」と四枚の銀貨はポケットに押し込まれた。

 そうして男がイモムシの死体へ向うのを見つめ、グリムは「嫌な予感がするわ」とぽつり。


「あの部屋へ行ってみましょう」


 そして二人は昨晩と同じ道を辿った。

 それが四つ目の角を曲がった辺りから生臭い匂いが強くなり、五つ目の角を曲がって、二人は昨晩イルルが開けた穴がより拡張されている光景を目の当たりにする。

 それを見てグリムは、「やっぱり」と呟く。


「この奥から来たんだわ……」


 言ってグリムが通路の明かりを飲み込んで昨晩よりも明るくなった部屋を覗き込む。

 室内は、何も変わっていない。

 相変わらず部屋の隅に朽ちかけたままの死体が積み重なっていて、嫌な匂いをたっぷり吐き出しているだけだ。


 その"いつ見ても"の光景にグリムはふと違和感を覚えた。

 

「どうして、死体がそのままなの?」


 それがおかしく思えたのは、今しがた出会った人虫が間違いなく二人を襲おうとしていたからだ。

 理由を知る前に殺してしまったが、だが野獣だろうが人だろうが意味もなく生物を襲うなど考え難いことで、ならば考えられるのは二つ。


 一つ、縄張りの構築。

 もう一つは、食事のためだ。


 二人を襲ってきたことを加味すれば、人虫の目的は後者である可能性が高かった。

 それなのにそこに死体は転がったままで、傷んではいるものの"減ってはいない"。

 その二つの事実が与えるのは、


「あいつら、一体何がしたかったの?」


 という新たな疑問だ。


「状況からして、あのイモムシは人虫の幼虫でしょう。それが違うとしても、あれが襲ってきたタイミング的にイモムシを守るために人虫がいたって考えるのが妥当。

 昨日の夜のことも踏まえれば、イモムシは自分で餌を取れないんだわ。それなのに……どうして死体の方を食べないの?」


 そう漏らしたグリムの声には、どこか浅い絶望感のようなものが含まれていた。

 普通の生物ではない、とあれらのことが頭を掠めたからだ。

 と同時に、地下世界という場所が常識の通じない未知の空間などだという感触も得た。


 グリムは、悩み事で頭が占領される最中、崩れた壁の奥に潜む深淵に目を凝らしていた。

 最早そこに恐怖は感じていない。

 その危なげな背中に、「グリム……」とそっと声を掛けるイルル。

 それを遮るように「イルル」とグリムが振り返った。


「もう少し、ルトゥール時代について調べる必要があるわ」

「う……うん。でも……」


 イルルがグリムを正そうとしたその時。

 

「おいおい、何か昨日より臭くなってんじゃねえか?」


 ネコの妖獣人の男が二人の背後から声を掛けた。


「イーリークラップがどうしてここに来ていたかわかったぞ」 


 その言葉に、「本当に!?」と返事をしたのはイルルだ。


「ああ。どうやらイーリークラップってウサギは、店に寄ってたんじゃなくて、ここの道端にいた誰かに会いに来ていたみたいだ」

「道端? 誰かって?」

「名前はわからねえ。けど、そいつは尾無し……つまり妖精かもしれなくて、ガリガリのなんだか陰気な雰囲気の奴だったらしい。

 まあ、そういう金のない浮浪者がここに来るのは珍しいことじゃねえし。それに、イーリークラップはドの付く善人だったみたいじゃねえか。きっと放っておけなかったんだろうよ」


 聞いて、なるほど、とイルルがグリムに視線を送ると、グリムは眉間にシワを寄せ妙に真剣な顔をしていた。

 その様子に違和感を感じたイルルが「グリム?」と声を掛けると、


「ヒイ……ラギ……?」


 彼女は薄緑色の瞳を曇らせて疑いの多い答えを口にした。

 それを「まさか」とイルルが言い掛けた時、今度は「ちょっと入れてくれ」と別の男が入り口に溜まる三人を押しのける。

 

 男はランタンを片手に部屋の隅に積み重ならる死体へと臆さず進み、そして「マジかよ」と怪訝な表情を浮かべてため息を漏らした。

 次いで独り言のように溢れ出る人の名が数人分。


 わけがわからずに男の背中を見つめたまま何も言えずにいたグリムとイルル。

 すると、始めに話し掛けてきたネコの妖獣人の男が「それって、行方不明になってた奴らじゃねえか?」と。


「ああ、そうだよ。さっき外で聞いたんだ。昨日開いたノブ無しの部屋の中に五年くらい前いなくなった奴らの死体が集まってるって。それで見に来てみたら……」


 こりゃひでえ。と男は口元を覆って疲れたような息をついた。


「ちょ、ちょっと待って。今五年前って言った?」


 グリムが死体の山の前の男に話し掛けた。


「間違いねえ、っても大体だけどな。あの頃、ここらで行方不明になる奴が多くて……まあやけに旨い酒が多かった時期だから、大概ノブ無しに入ったんだろうと予想はしていたが、まさか皆同じ部屋に迷い込んでたとはなぁ……」


 男の言葉に、グリムは「まさか……」と沈黙する。


 イーリークラップと謎の友人との出会い、そして築かれた死体の山。

 それら二つの出来事が偶然にも今から五年ほど前に起きたという。

 一緒くたにするにはあまりにも情報が少ない。だが、どうしてもそれをただの偶然として繋げずに考えることはできなかった。


 グリムがその嫌な予感にすぐ抹消したのは、イーリークラップがネズミ道で会っていた"友達"がヒイラギだという可能性。

 だからグリムは、


「イーリークラップの"友達"は、危険よ……!」


 と口にしたのだった――。


          ◯


 達した一つの結論をラナイとルールーウィップに伝えなければと、二人はネズミ道を飛び出していた。

 

「たぶん、二人はアイロのところか【オルディグ】にいるわ!」


 急ぎましょう、とグリムがまたひしめく家々の迷路抜けて外輪へ踏み出たその時だ。

 グリムが目の端に捉えたのは、すれ違いに零区の道へと入って行く"聞き覚えのある姿"。

 黒ずくめの衣装に無数のナイフを携え、頭にバンダナを巻いた長い二つの耳を持つ小人だった。

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