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ピープルインバスケット  作者: 扉野ギロ
ぐりむとれ
27/106

ぐりむとれ 14

 ラナイとルールーウィップが宿を出て少し時間が経った後、グリムは目を覚ました。

 二人はどこへ行くのか置き手紙一つ置いていかなかったが、どこへ行ったのか昨晩の短い会話のを思い出せば察しがつく。

 グリムは片手で寝癖頭を散らして、もう片方の手でイルルを乱暴に揺すった。


「イルル、起きて。アタシたちもそろそろ出掛けるわよ」

「うー……んー……」

「ねえ、イルル。おい……っ」


 頭を引っ叩かれてそれでも起きようとしないイルルに嘆息を吹きかけ、そうしてふと触れた毛布は、日差しが当たって熱いほどになっていた。

 毛布を引き剥がすと、グリムの色黒の脚にはベタついた汗の感触が残っている。


「水を取ってくるから、戻ってくるまでに起きていなさいよ」


 うつ伏せのまま返事もしないイルルに投げかけて、グリムは部屋を出た。

 外壁に付けられた窓は全て開けられており、その向こうにある宿と同じくらいの大きさの白塗りの建物が、天上から降り注ぐ日差しを反射して廊下を明るく照らしている。

 その割部屋の中ほどの暑さは感じられないのは、開け放たれた窓から吹き込む風のせいだろう。


 そこを歩くグリムの肩まで伸びた黒髪が窓の前を通り過ぎるたびに揺れる。

 時間も時間だけに人の気配は感じられず、踏み出す度に鳴る一人分の足音が妙に孤独を感じさせた。

 そんな静けさに満ちた空間を一階まで降りきると、受付カウンターの向こうで店主が何やら真剣な顔をして帳簿を睨みつけていた。


「あの、水汲み場はどこに?」


 突然話し掛けられて一瞬厳しいままの顔を向けた店主だったが、それが客だということに気付いてすぐに表情をほぐした。


「そこの廊下を行って裏に出ればあるよ。桶はいるかい?」

「ええ、お願い」


 グリムが言うと、店主は「はいよ」と軽く頷いてカウンターからすぐの部屋に入って行った。

 店主は幾ばくも掛からずに部屋から出てきてグリムに桶を渡す。それを受け取ってグリムは廊下の向こうへ。

 

 するとそこは小さな庭だった。

 簡単に飛び越えられそうな程度の柵が宿の敷地を囲ってぐるりと巡らされていおり、よく陽の当たる場所に小さめのプランターが赤色と黄色の花を詰め込まれて幾つか並んでいる。

 

 柵の向こうは細い路地だが、何の用もない者が通る場所ではないのだろう。

 そこを歩く者は誰一人おらず、宿の中と同様に静かなものだ。


 宿の壁に沿って地面から縦に伸びる鉄管、その先端に付けられた蛇口を捻ると開放を待ちわびた水たちが細い口から一気に溢れ出す。

 それらはグリムの差し込んだ桶の底に当たって弾け、小さな粒となって地面に飛び出して染み込んでいった。


 溜まった水でグリムは早速と顔に張り付く不快感を洗い流した。

 そうすると、グリムの顔を伝ってこぼれ落ちた水滴がまた同じように地面に黒い染みを作る。

 それをぼんやりと眺めるグリム。

 また手に水を掬って、「水、か……」と呟いた。


 ふと思い出すのは、昨晩夢中になって呼んだ一冊の物語だった。

 

 題名を"アトニム放浪記"とするその物語は、大昔に"ソレ"という作者によって書かれたものだ。

 内容は、とある冒険家"ゴールド"が【アトニム】を旅して回るというありふれた冒険の話で、それなりに知名度が高い作品だ。


 それを母に送られたのは、グリムが五歳の時。


 送られた当初興味を惹かれずに読破しなかったその本を、ちゃんと読み切ったのはグリムが【アーハイム】に住むようになってからだった。

 そうして初めて目にした物語の最後の一節は、『そして手持ちの熱光石は失われ、ゴールドは暗闇に敗北するほか無くなったのだ』というところで終わっていた。


 しかしそこには"終わり"と書かれていないことから、物語には続きがあるのではないか、というのがアトニム放浪記の熱狂的な読者の間での通説だ。


 また、話の流れにシーンとしての連鎖が感じられず様々なところで詳細を欠いているため、それは誰かから聞いたものを主人公を用いて一つの話風に仕上げただけなのではないかともいわれていて、続編の存在と同様に"誰から聞いた話なのか"とそういう人々の好奇心を掻き立てる都市伝説的おまけまで付いている。


 そんな背景あって、一旦はその続編を探していたグリムが捜索を打ち切ったのは、彼女がドールの一部と出会ったからだ。

 それ以降、アトニム放浪記の謎のことなどすっかり忘れて、グリムはドールと石に没頭するようになっていった。


 それが、今再びグリムの好奇心に火を付けたのは、昨晩見つけてしまったネズミ道の隠し通路のせい。

 ゴールバルが敗北したと書かれているその暗闇こそが。


「【忘れられた水路】……」


 ぽつりと呟くと、地面の黒い染みの奥から茶色の地面が薄っすらと色を取り戻していく。


           ◯


 美しく咲き乱れる一面の花々の奥に、そのような暗闇があるなどと誰が想像しようか。

【忘れられた水路】を奥深くへと進んだゴールドが目の当たりにしたのは、古く暗い牢獄だった。

 何に使われていたのかと一度考えれば悍ましさ以外何も浮かびはしない、血の香りと生臭さが残るその牢獄を歩くゴールド。


 どの牢も空かと思われた一つに、何かの死体が横たわっている。

 最早生気を失っているにも関わらず、熱光石の光に当てられて輝く生々しい瞳は、床にこぼれ落ちて尚、生への執着を保っているように思えた。

   

 一体どれくらい深くまで続いているのか、鉄格子の奥に道が続き、また鉄格子が並ぶ奇妙な構造の牢獄はその端をいつまでも捉えさせない。

 そうして奥へ進む毎、不思議な死体の数は増えているようだ。

 

 様々凄惨な死体を目の当たりにして、如何に勇敢なゴールドといえど、この暗闇と牢の道に嫌な予感を感じ始めていた。 

 ここへ乗り込んだ時には六名いた同行者も、今やゴールド一人だけだ。

 

 ふと熱光石の数を気にしたゴールド。その手に触れる石の数は少ない。


 過る後悔の念。それを振り払うように仲間たちの姿を瞼に焼き付け、ゴールドは牢の迷宮を奥へさらに進んで行く。

 だが、先を期待するゴールドの理想とは裏腹に牢の道は長く。

 ゴールドの視界はやがて暗闇に侵されていった。


 既にまで迫る暗闇。その奥で蠢く闇の怪物たちの身動ぎが、ゴールドの心をも黒く染め上げていく。

 一粒、また一粒と減っていった熱光石の明かりは、もうゴールドの全身を包むこともできなくなっていた。


 そして手持ちの熱光石は失われ、ゴールドは暗闇に敗北するほか無くなったのだ――。


「……やっぱり、それ以外考えられないわ。実際見たんだからなおさら、そうだとしか思えない」


 今まで疎かにしていた自分が情けないわ。

 まだ静かな外輪を歩きながら、グリムは開いたアトニム放浪記最後の一ページに嘆息を吹きかけた。

 

「いや、さ。そもそも世界は天、地、地下に分かれてるんだから、地下世界へ続く道ってのを信じない方に無理があると思うんだけど?」

「そ……それは役割の問題ってやつよ。あんたは妖精なんだから、世界が三つあるって信じておけばいいの。アタシは学者だから、それを証明する証拠が見つかるまではダメなのよ」

「なにが?」


「なにが……って。そもそも三神なんてものがいたのかってところからよ。簡単に信じるわけにはいかない。

 だって、今【アトニム】にあるのは、人が住んでいた形跡と文明でしょ?

 

 大地は生まれた時からそこにあったし、空には雲くらいしか見えない。

 誰が作ったかなんて関係ないし、もしそれを神様が作ったとして、証拠はあるのかって話よ。

【オウモ】も【イグナス】も【エルオム】も、ただ誰かがそう言ってたって感じで、彼らが世界を作ったって証拠はどこにも無いじゃない」


 グリムが言うと、イルルは否定とばかりに濡れた頭を振り回して水を切る。


「だからそれは、ルトゥールで滅ぼされたからでしょ?

 五人のアリアスが頑張ったんだよ。『王様気取りの畜生め、貴様らにも肉があるってことを教えてやる!』ってさ」

「……そんなに口悪くないわよ」

「まあ、細かいことはどーでもいいけど。グリムの言う通り三神が姿を見せないってのは、そういうことの証拠じゃないの?

 たしか、ウーリエが【イグナス】様を殺したんだよ。それで世界の熱は自然に還されて。【オウモ】様が殺されて風が還されて。【エルオム】様は……なんだっけ?」


「進化よ。【エルオム】が死んだことで、それまで野獣だった生物は多種多様な人類として変貌を遂げた。それが今……ルトゥール終焉後の世界ってわけね。それと言っとくけど、"様"を付けるほうが逆よ。五人のアリアスの方に付けるの、って何度も言ったでしょ」

「オーマイゴッド。間違えたぜ」


 そう言って大袈裟に被りを振ってみせるイルルに、グリムが「何度もよ」と呆れる。


「それにしても、【コルト】にも入り口があったなんて盲点だったわ。【リルディア】だけじゃなかったのね……」


 ぼんやりと呟き、一旦閉じた本の表紙をじっと見つめるグリム。すると。


「ねえ、グリム。まさか、アレのこと忘れてないよね?」


 確認するようなイルルの発言に、グリムの視線が咄嗟に視線を上げた。


「も、もちろんよ。今はアレを探すのが最優先……。けど、その前に彼女を連れ回しているイーリークラップのことを知らないとね」


 さあ、行くわよ。とその表情に先程までの輝きは失われていた。

 そんな相棒の姿を見てイルルは小さく、ふぅ、と息をつき、「わかってるならいいけど」。


 そうして二人がネズミ道に入り少し進んだところで、飛び込んできた"竜の鼻歌"が暗い通路に響いた。

 瞬間、グリムの表情が硬くなる。

 その隣で、いつもなら「どうしたの?」の一言を掛けるであろうイルルも、今は表情を引き締めていた。


「イルル……」

「うん。臭い……」


 二人の鼻に感じたのは、あの"生臭い香り"だ。

 どうしてそれが明るい横道の向こうから漂ってくるのか、そんなことを二の次に、グリムの脳裏を過るのは昨晩姿を見損ねた這いずる何かの不気味な視線だった。


 暗闇から明るい横道を覗き込むと、そこには何もいない。

 しかし、それで何もなかったと安堵できるほど、二人の気は抜けていなかった。

 昨晩のことを考えれば、そこに誰もいないことが異常だと察したからだ。

 

 先陣を切ろうと、明るく照らされた通路に一歩踏み出すイルル。


「イルル。もし敵を確認したら、迷わず撃ちなさい」

「うん。初めからそのつもりだよ」


 短い作戦会議の後、二人は通路の奥へと進む。

 踏み出す度薄く張った水を弾く二人分の足音は、まるで人気のない通路でどこか遠慮がちに響いていた。

 その短い直線を例の丁字に突き当たると、その向こうからする足音とは違う水を掻き分けるような音が混じる。


 杖を握り直し、挙動でグリムに「待って」を伝えるイルル。

 二人の足音が止まり、通路に響くのは曲がり角の向こうにいる"何か"の身動ぎだけだ。

 しかし耳を微かに震わせる程度の音を聴くだけではそれが昨晩のもの同じかどうか判断は付かず、二人は壁に寄り添っていずれ見えるであろう姿に集中していた。


 流れる水が小さな川を築くように、通路の明かりに照らされ曲がり角の向こうの壁を伝い現れる影。

 それを視界に入れて、グリムは息を呑んだ。


 頭に浮かんだのはオオグチのあの不気味な楕円形の姿。だが、それは瞬時に否定された。

 向こうから近付いてくる影は、あまりにも地面に近く、小さすぎたのだ。

 そして気付くのは、波打つような動き。亀の首のように伸び縮みする奇妙な動きだった。


 それが再び縮み始めたその時、機を伺っていたイルルが通路に飛び出し、鋭く息を抜く「シュゥっ」と声を発した。

 次の瞬間、イルルの杖先から赤い霧が吹き出し、通路の中はもともとの光とイルルの光で僅かなグラデーションに染まる。

 

 その熱く赤い火の霧を浴びて"それ"は、ギィ、と悪い扉が鳴るような無様な鳴き声を上げた。


「こ、こいつ……虫……?」


 イルルが唖然として呟き、グリムも通路へ飛び出す。

 そしてやっとその姿を目の当たりにし、驚愕の強さからグリムからはそれまでの緊張感が吹き飛んでいた。


 炎の霧に全身を焼かれ、そこでのたうち回るのは、何というまでもなく"イモムシ"だった。

 だが、その大きさといえば異常で、平均的な大きさの小人一人分程はある。

 体表面をまんべんなく焦がされてそれは、山火事跡のようになっていた。


「なんなの、これ……」


 グリムが呟くと、徐々に動きを弱めていくイモムシを眺めてイルルが「さあ」と首を傾げた。


「どこから入ってきたのかしら。入り口から?」


 グリムが言うと、イルルが咄嗟に「いや」と否定する。


「それは違うよ。こいつ弱そうだし、入り口から来たんならここの人たちで十分駆除できたはず」

「それなのに、こいつがここにいたってことは……まさか……」

「奥から、だろうね」


 イルルが頷くと、


「じ、じゃあ! こいつが地下世界の住人ってこと!?」


 グリムが興奮してイルルに掴みかかる。

 その両手から鬱陶しそうに顔を背けるイルル。


 するとその時、奥から水を勢い良く弾く何者かの走る足音が聞こえた。

 それが聞こえていて、それでも二人が視線を奥へと向けただけなのは、そこにいるイモムシのせいで一旦緊張が切れていたからだ。


 今の悲鳴を聞いて、誰かが奥から走ってきたのだろうと、そんなことを考えていた。

 だったら質問は、「これがどこから来たか見なかった?」だろう。しかし。

 そんな一方的な未来予想は、二人がいる通路に飛び込んできた"それ"の存在によって砕かれた。


 ひと目に人ではないとわかるそれは、


「あいつ! 昨日のやつだ!」

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