ぐりむとれ 6
不気味なそのキノコをグリムもイルルも知らなかった。
それは単にグリムの知識の中に情報が無いということだけでなく、グリムが持参している図鑑にも載っていなかったということでもあり。
「ってことは、ルール―の言う通りアンノウンなのかも。とにかく、近付かない方が身のためね。変な毒でも持ってたら大変だし。【コルト】に着いたら一応報告しときましょう。街道沿いだからもうすでに誰か報告してるかもしれないけど」
と、不気味なキノコの件はそれで終わりになるはずだった。
しかし、事態は日を増す毎に存在感を主張していく。
この日の昼には匂いを感じることもなくなっていたルールーウィップが、再び"おかしな匂い"を感じたのはまたしても夜だった。
「匂いが強くなっている……」
そう言ってルールーウィップはラナイを揺り起こした。
すると、その日は街道を歩いている昼にもルールーウィップは匂いを感じる。
グリムとラナイ共に、何かおかしい、と思うようになったのはこの時だった。
そこで考えられたのは、それがキノコであるが故の繁殖力の高さで、もしかすると輪の外側では最早当たり前に生息しているのかもしれない、ということ。
「でも。だったら、アンノウンとしてとっくに登録されているはずよ……」
だが、ルールーウィップにはキノコについて二人とはまた別の"おかしさ"が感じられていた。
彼女はそれを、「上手く説明できないんです」と言葉を濁し、グリムの追求にも軽い謝罪だけ述べて口を閉ざした。
それがきっかけで、一行は輪の外側の岩陰に野営をすることにした。
それは野獣や良くない輩からの発見率を高くしてしまう一種の運任せのような行為だったが、怪しげなキノコのことを考えると、「むしろ、アンノウンの方が危険よね」。
にも関わらず。
案の定ルールーウィップは夜になると一層強くなった"おかしな匂い"を感じた。
しかもそれは昨晩よりも強く、昼に感じたものよりもずっと強く感じられていたのだ。
この数日を考えれば、それはもうおかしなことではなかったが、今回は少し状況が違った。
四人は、ここに野営を張る前しっかりと周囲にキノコが無いことを確認していたのだ。
それが匂いを感じたというのはおかしい。
イルルを含めて三人の意見が一致した時、やっとルールーウィップが口を開く。
「追って……来ている気がするんです」
わけがわからない、と反応したのはグリム一人で、ラナイは相変わらずぼけっとしていて。しかし。
イルルが二人とは全く違う反応をみせた。
「それってさ、誰を?」
聞いて意見を発したルールーウィップすらも困惑する状況で、さらにイルルが言うのは、
「キノコってさ、すごい執着するよ? もしあたしたちの誰かを追ってきているんなら、早く逃げた方が良いと思う」
「ちょ、ちょっと待ってよ。キノコよ? 植物よ? どうしてそれが"追ってくる"なんて簡単に受け入れてんのよ、あんた」
「あたしも似たようなもんだから」
言われてグリムは言葉を失った。
それは、最もだ、という風に不覚にも諭された気がしたからで。
「で、でも違うわよ。少なくともあんたとは違う……。あれには目も鼻も口もないじゃない」
「ま、そうかもね」
時点で、【コルト】まで残りニ日半も歩けば辿り着けるという距離。
そこでグリムが出した結論は、
「別に、キノコが追ってくるなんてのを信じたわけじゃない。けど、ここからは止まらずに進むわよ」
そうして一行は残り二日半を眠らずに進むことにした。
◯
朝に話し合って、その昼。
早速ルールーウィップは"おかしな匂い"を感じていた。
それを敢えて口にすることは無かったが、ルールーウィップの頭の動きを見ればそれは明らかだった。
むしろ、だからこそグリムはルールーウィップの発言に疑念を抱いていた。
彼女が嘘をついているとは当然思っていなかったが、それが彼女の気のせいではないか、ということがあったからだ。
なにせ、"おかしな匂い"はルールーウィップにしか感じられない。
ラナイもイルルも、元々の性質として人を疑うということをしなかったために、キノコの存在と恐らくそれから発されているであろう"おかしな匂い"をあっさりと受け入れていたが、そういった二人の性質とはまるでことなるのがグリムであり。
百四十三年に及ぶ人生経験が作り上げた冷静さが、奇妙な意見でも暗に否定するべきでないと思わせ、しかしあり得ない事象を無条件に信じることもさせなかった。
輪の内側を避け外側に野営を張ったのも、街道を少し外れて外側の草の上を歩くことにしたのも、それが理由だったのだ。
状況に不利益が無いから、グリムはルールーウィップの発言を考慮した。
だがもし、とグリムは隊列の真ん中を歩きながら考える。
ルールーウィップの言う通り本当に"おかしな匂い"が追ってきているのだとすれば、それはイルルの気にする"誰か"ではなく、"どのようにして"だろう。
先日確認したキノコは、たしかに不気味な形ではあったが、手足があるようなものではなかった。
それが、ルールーウィップに追ってきていると錯覚させるのは、恐らくキノコが輪の内側に群生しているからで、ここ二日は夜だけでなく昼にも感じていることを加味すれば、それはこの周辺に特に多くキノコが生えている可能性があるということだ。しかし。
輪の外側で視線を巡らせるグリムの目にキノコは映らない。
そこで一旦皆を止め、グリムは街道を横切って輪の内側を確認する。
所々に木々の数本が作り出す藪があり、その間には大きめの岩が見える輪の内側。
探してみると、不気味なキノコはすぐに見つかった。
それらは、街道と輪の内側を跨ぐようにしてある岩陰にあり、十数本ほどが密集している状態だ。
その向こうにある岩陰にも同じような状態のキノコが確認できた。
それらを見つけると、ふとグリムは何か違和感を覚えた。
言葉にするのは難しい微かな違和感だった。
だからグリムは三人には何も告げず、「先を急ぎましょう」と隊列の先頭を行く。
グリムだけがおよそ無言のまま、そして日が暮れた。
疲れてグズるイルルはラナイの持つ荷物の一つとして背負われて二時間ほど、グリムもついに我慢の限界が来て「一旦休憩しましょう」と久しぶりに口を開きかけたその時だった。
「あれは……?」
グリムの目に映ったのは、輪の内側の少し奥まったところにある藪、そこで光る何かだった。
あまり良い予感はしないながらも、何か目が離せないような不思議な感覚を覚えたグリムは、
「ルール―。匂いは、感じる?」
と、背後のルールーウィップに声を掛けた。
「はい。でも、違うものも感じます」
「違うものって?」
「脂です、動物の。それと、鉄の香り……」
そう言ってルールーウィップが指差すのは、案の定グリムの視線と同じ方向。
「……なんだか、嫌な予感がするわ」
言いながらも、グリムはラナイを待機させ、ルールーウィップを連れて光の方へと近づく。
「ルール―。何かあったら、その時は頼むわよ」
「もちろんです」
砂地の街道を越え、輪の内側に生えた草を踏む二人。
謎の光は向こう側から見た時よりもハッキリと藪の中でキラキラと輝いていた。
視線の先三十メートルほど。
藪が近くなると、ルールーウィップが不意に咳き込んだ。
「酷い……」
咽ながらそう呟いたルールーウィップに、グリムは「ええ」と返事をした。
藪の手前、グリムが抱えていた大きなランタンを中に突っ込むと、そこには一台の荷車があった。
持ち手を天上に向けて、そこに持ち主の姿は見当たらない。
「もしかして……」
「もしかしてっていうか、間違いなくそうよ。この匂い、間違えるはずがない……」
察してグリムが藪の中へ一歩踏み出すと、ルールーウィップが剣を鞘から抜いてそれを止めた。
「私が先に行きます。グリムさんは後ろから照らしてください」
藪に入ってほんの十歩。
荷車のそばで二人が見つけたのは、鎧を身に着けた一人の人間の死体だ。
それは激しく損傷しており、通常の大きさであること以外いつ死んだのか、早いのか遠い以前なのか、最早何の人間だったのかも判別が付かない。
「……最悪」
周囲に漂う悪臭と、その死体の朽ちかけた様に思わず吐き気を催し目を逸らすグリム。
「グリムさん、やっぱりですか……?」
どこか緊張した様子のルールーウィップの声に反応し、グリムは再び男の死体に視線を送った。
そして、そこに嫌な予感の正体を見る。
「あのキノコ……っ」
見つけたのは、ぼこぼこの歪な傘は橙色に灰色のまだら模様、柄の部分にも灰色が配色された、見間違いようもない例のキノコだ。
それらは死体の身に着けた鎧の隙間から顔を覗かせ、まるでそこが住処だといわんばかりに占拠している。
「こいつら、死体にも付くのね……」
呟いてまた、グリムの心にもやもやとした違和感が生じた。
その原因が恐らくキノコだと感じながらも、とにかくと死体を避けて周囲を照らす。
探すのは、そもそもここへ近付こうと思ったその理由だ。
実のところ、グリム自身にもそれがわからないままここへ来ていたが、それを無理矢理にキラキラと光る何かの正体に向けることで、グリムは何かに納得しようとしていた。
そして、荷車の後部に回り込み、グリムは愕然とする。
「これって、どういうこと……」
そう呟いてグリムが照らすのは、荷車からこぼれ落ちた物資の幾つかだ。
それらは、鎧の各部位と麻の大袋。
なんということはないただの物資が、グリムの目に異常として映ったのは、そこにあの不気味なキノコが生えていたからだ。
明かりに照らされて美しく色を放つ鎧からも、麻袋から飛び出した熱を溜め込んで夜に光を放出する熱光石や純度の低いコンセキからも、それらは生えていた。
「グリムさん、何がどうなっているんです?」
唖然とする間にルールーウィップから急かすように投げかけられ、グリムは今見ているものを伝えた。
「灰色のキノコ、ですか? それが鎧や石から生えている?」
「ええ、そうよ……。こんなのっておかしいわ」
「な、何がです?」
「キノコなのに、だからよ。
こいつら、キノコなのに木になっていないからそれでおかしいと思ってたんだけど、それだけじゃなかったんだわ。アタシは、こいつらが岩のそばに生えていることもおかしいと感じていた。
でも、それは種類によって考えれば不自然ってことでもない。でもね。
この鎧も、ここにある熱光石も、植物が繁殖するような環境じゃないの」
まったく、どうなってるのよ。
そう言ってグリムは深い溜め息をついた。
頭に浮かぶのは、どうして違う成分のものに同じキノコがなるのか、という巨大な疑問。
「聞いたこと無いわよ、"雑食のキノコ"なんて……」
そんなグリムの言葉を聞いて、ルールーウィップが言う。
「……あの、それってもしかして、ここ数日野獣を見掛けていないことも関係ありますか?」
「や、やめてよ。そういう怖いこと言うの……」
言いながら、もしそうだったら、とグリムは考える。
もしそうだったら……。
考えかけて、それ以上を妄想するのはすぐに止めた。
まとめられる推測を敢えて投げ出すことで、グリムはこのキノコの脅威から逃れようとしたのだ。
現状を確認し、そして二人はすぐに街道の向こう側に置いてきた二人の元へ戻る。
だが、グリムはルールーウィップに口止めをし、見つけたキノコの事実を二人には告げなかった。
それも恐ろしい想像から身を守るためだったが、それだけでなく、一刻も早く【コルト】へ入った方が良いと第六感が作用したからだ――。




