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ピープルインバスケット  作者: 扉野ギロ
ぐりむとれ
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ぐりむとれ 4

 ラナイに顔を向けたまま、そう言ってオオカミ頭の妖獣人はもう一度「ヒイラギ?」と呟いた。

 それがどういう意味なのかわからないラナイは、(おれに言ってるのか?)と身振りで示すが、オオカミ頭の妖獣人はこれといって反応しない。


「あ、あの……ヒイラギって?」


 そう声を掛けたグリムもまた、自分が見つめられていると感じていた。

 疑問はそれとは関係無かったが、つい先日そういう話をしたばかりで敏感だったグリムは、"ヒイラギ"というその言葉の真意について聞きたかったのだ。

 するとオオカミ頭の妖獣人は、ぽつり「ごめんなさい」と呟く。


「女の人だったのですね。懐かしい匂いがした気がしたから、てっきり……」


 言ってオオカミ頭の妖獣人はまた「ごめんなさい」と頭を下げる。

 しかし、グリムはそれとは打って変わって興奮していた。


「ちょ、ちょっと待って。あなた、ヒイラギを知っているの?」

「ヒイラギは、古い友人だけど……。もしかして、あなたも彼を?」


 知ってるわ。

 そう言葉にするよりも早く、グリムは興奮した様子で階段を駆け下り、オオカミ頭の妖獣人に掴みかかっていた。


「ここに? ここにあの人はいたの!? ヒイラギは、いたの!?」


 抑えきれず、声を荒げてオオカミ頭の妖獣人を乱暴に引っ張るグリム。

 すると、オオカミ頭の妖獣人は困惑した声で「はい」と答えた。


「あ、あの。あなたは……?」


 そんな当たり前の質問にグリムは我に返り、「ごめん」と漏らして自らを名乗る。


「アタシは、グリム・シュタイン。【アーハイム】に、住んでいたの……それで、ヒイラギとは……」


 言い掛けたグリムを、「ちょっと待って」とオオカミ頭の妖獣人が制す。


「この後も少し仕事が残っているんです、あの子達が外側で安全に眠れるように……。だから、それが終わってからお話しませんか? 日が落ちてから、そこの酒場で……どうでしょう?」

 

 提案にグリムが頷くと、オオカミ頭の妖獣人ははぐれものの羊を追って行ってしまった。

 それから一旦は部屋に戻った三人だったが、ものの数分でしびれを切らしたグリムが一人でさっさとどこかへ向かった。

 訊くまでもなく、それが宿から数軒離れた並びにある酒場だとわかっていた二人。

 口の利けないラナイが(どうする?)と、イルルに身振りで伝えると、


「ほっとこ。まだ腹も減ってないし。ヒイラギのことだって、あたし聞いてもよくわからないし。君もそうでしょ」


 ラナイが首を横に振る。


「そうなの? でもどうせ口利けないでしょ。だったらさ、少し街ん中探検しない?」


 そう言ってイルルはグリムの鞄から膨れた布袋を取り出し、「カネならいくらでもあるしよ」と厭らしい笑みを浮かべた。


          ◯


 彼女の名前は、"ルール―ウィップ"。

 代々続くオオカミの妖獣人の家系であり、職業である牧畜業もまた引き継がれてきたものである。

 彼女が引き継いだのは、それだけでなく。

 鎧は母のもの、剣は父から兄、そしてルール―ウィップへと伝わったものだ。

 つまり、ルールーウィップは継承者なのである。


 そんな彼女が唯一継承できなかったもの。 

 それは、視力だ。

 生まれた時から彼女の目は光を捉えることができなかった。

 それ故、必然的に他の感覚が優れ、特に嗅覚は野獣のそれを凌駕するほど発達している。


 若い頃、彼女が奔放だったのは、目が視えず鼻が利く、というその状態のおかげだった。


 イメージという具体性を持たないルールーウィップは、単純な視覚的恐怖というものを知らなかったのだ。

 幼いルールーウィップは、得られる外部情報の全てに触れようとし、遠く漂う香りに惹かれて行方をくらますことも多かった。

 そういう意味で、脈々と受け継がれてきたそのオオカミ特有の身体能力が災いしていた。

 無意識に気配を殺し、無意識に素早く。

 そんなルールーウィップを見逃さずにいるのは、当時両親にとって大変なことだった。


 いつの間にかそこにいて、いつの間にかいなくなる。

 本邦で危なっかしいルールーウィップを、だから身内たちは"ニバンボシ"と呼んだ。

 手の掛かる娘を、両親は呆れながらも精一杯に愛した。


 そうしてそのニバンボシとしての性質を損なうこと無く、すくすくと成長していったルールーウィップが十歳の時。

 彼女は、あろうことか輪の内側の奥へと入って行ってしまった。        

 いつ起きてもおかしくないその状況を予期していた両親に言いつけられ、自分を監視していた十歳上の兄"タータールップ"の気配を掻い潜ってのことだった。


 その時、ルールーウィップはそれまでに嗅いだことの無い香りに惹かれていた。


 芳ばしく、柔らかく、柑橘類の果物か背の低い木になる実を白ワインで煮出したような少し酸味を帯びた甘ったるい独特な香り。

 わかりやすく言えば、焼きたての林檎のパイに似た不思議な香りだった。

 漂う先が輪の内側だとわかっていたからこそ、彼女はその香りに誘われたのだ。

 誰がそんなところで料理などしているのかと。


 匂いの道を辿ることで、ルールーウィップは迷うこと無く輪の内側へと進んで行った。

 途中で匂いが途切れる、その時まで。


 それまでずっと続いていた匂いの道が途切れたのは、その前を何かが横切ったからだ。

 とはいえ、消えた匂いの道もいずれは形を変えて繋がると、ルールーウィップは経験上知っていた。

 だが、そんな悠長なことを言っていられるのは輪の外側での話。


 問題は、そこが輪の内側で、横切ったものもまた嗅いだことのない香りを発していたということだった。


 実際、今もその正体をルールーウィップは知らないままで。

 言えるのは、それから"むせ返るほどの血の匂い"がしたことだけだ。


 幼くても、"血の匂い"が何を意味するのかくらいは知っていた。

 そこでやっと自分がマズイ状況にいると気付いたルールーウィップは、初めて感じる本物の恐怖に侵され、動くことができなくなってしまった。


 しかし、程なくして"血の匂い"は遠ざかり、それが去るとあの不思議な香りもどこかに消えてしまっていた。

 そんな呆気なさに呼応するように、ルールーウィップの周囲にあるはずの匂いの道も消えていた。


 それは、彼女が幼かった故のことで、つまり経験不足からくる現象だった。


 生まれもあって通常の人間よりも記憶力の良いルールーウィップだが、それが何なのかわからなければ優れた記憶力もまるで意味が無く。

 むしろ、その正確な記憶のせいで全てが感じられてしまい、彼女は完全に道に迷ったということだ。

 その時、ルールーウィップが叫んだのは、両親ではなく兄だった。


 助けて、お兄ちゃん。


 すると、兄は妹の呼び声にすぐさま応えた。

 声のする方にルールーウィップが走ると、そこに兄と兄の愛馬の匂いがあった。

 抱かれた兄からは、薄っすらと血の匂いがした。


 ルールーウィップが、兄から漂う薄っすらとした血の匂いの意味を知るのは、その日の晩のこと。

 自室の扉越しに聞こえてくる、父の怒号と母の罵声と、そして兄の呟く謝罪の声が今も頭から離れない。

 それが止むと、兄は妹に「無事で良かった」と言い、そして「ごめん」と言った。

 謝るべきは自分だとわかっていながら、ルールーウィップは何も言えなかった。

 

 翌日から、ルールーウィップは奔放さを捨てた。

 家からあまり出ず、出たとしても兄から離れようとしなくなった。


 外が怖かったからではなく、それだけが兄へ向けられる謝罪だと思っていたからだ。しかし。


 その日以降、両親が向ける兄への態度は荒くなっていく。

 兄へ向けられる言葉の大半は、妹を変えたのはお前の油断のせいだというもの。

 さらに自己嫌悪に陥っていくルールーウィップは、暇さえあれば兄に謝罪を口にするようになっていた。


 兄への後ろめたい気持ちから、いずれ彼女は両親へも畏怖を抱くようになり、気が付けば輪の内側をよく眺めるようになった。

 時折漂う知らない香り、遠く聞こえる野獣の咆哮。

 そこには、自由があるとそう感じていたのだ。


 それが憧れになるのにそう時間は掛からなかった。


 兄から剣を学び、輪の内側の事情とそこを旅する狩人たちがいることを知った。

 兄もまた、そこに何かを求めていると気付いたのはその時だった。

 そうして兄妹は、輪の内側について情報交換をすることが多くなっていった。


 少しずつ、二人は関係を修復していき、ルールーウィップから謝罪の言葉が消えた頃。

 父が突然死んだ。

 原因はよくわからなかったが、医師は寿命だと言った。


 通常の妖獣人は大体寿命が五十年ほど。

 その時ルールーウィップは十六歳で、兄は二十六歳。

 二十歳の時に兄が生まれたことを考えれば、寿命として妥当な年齢だった。


 しかし、なぜか母は兄を責めた。

 謂れなき疑いをかけたのだ。

 母は、自身が兄に行った横暴を受け入れられなかったからか、それとも受け入れていたからか、兄が父を殺したと言い張った。


 心中察するまでもなく、ルールーウィップは母を叱りつけた。

 だが、母の向ける兄への憎悪は止まず、そしてある日兄は消えた。

 ルールーウィップは、むしろそれでいいと思っていた。

 やっと兄は自由になったのだと、どうか健やかに人生を楽しんで欲しいと祈った。

 

 そんな兄が突然帰ってきたのは、ルールーウィップが二十歳の時。


 しかし、そこに兄の姿は無かった。

 感じられたのは、兄の香りだけでどこにも兄の気配は感じられなかった。

 兄を連れてきてくれたのは、汗と土の匂いのする人たちだった。

 彼らは兄の"仲間"だと言い、兄は【マッキンダム】の墓地に眠っていると教えてくれた。


 遺品だと手渡されたのが、この剣だ。

 父の死後引き継ぎ、兄が持っていった伝承の剣。

 父の香りは消え、そこからは懐かしい兄の香りが今も感じられる。


 仲間の中にはもう一つ、懐かしい香りがあった。

 

 芳ばしく、柔らかく、柑橘類の果物か背の低い木になる実を白ワインで煮出したような少し酸味を帯びた甘ったるい独特な香り。

 十数年振りに嗅ぐその香りこそが、"ヒイラギ"との出会いだった――。


          ◯


「……前置きが長いわね。さすがは元奔放少女ってとこかしら」

「ふふ。そうかもしれませんね。こうして人と昔話をするのも随分久しぶりですから」

「ふーん。ま、一応お悔やみを言っておくわ。お兄さんとお父さんと……お母さんも?」


 ええ、とルールーウィップは頷く。


「兄の訃報を受けてその翌年です。最後の一年は、ほとんど何も話しませんでした……。けど。きっと、謝りたかったんだと思います。母は兄が出て行ってから内側を眺めていましたから」


 聞いてまた、グリムが「ふーん」と鼻を鳴らす。


「よくわからないけど、天邪鬼ってあんまり得しない性格ね」


 グリムが言うと、ルールーウィップはまた小さく笑った。


「父もそうです。父は自身の不甲斐なさを兄にぶつける愚か者でしたから。でも、兄は違いました。

 兄は、私も含めて父も母も愛していました……。優しい人だったんです。

 だから、この剣を持って旅に出た。 

 父にも見せたかったんですよ、世界の広さを、自分のやりたかったことを」


 私の想像ですけどね。

 そう言ってルールーウィップはため息をふっと漏らした。

 すると、グリムは「なんだかね……」とテーブルに置かれた酒を一口飲み込む。


「あんたら全員、不器用すぎるわ。もうちょっと器用に生きなさいよ」

「ふふふ。そうですね」

「で? ヒイラギの話しの続きは?」


 グリムがせっつくと、ルールーウィップは「ええ」と静かに頷いた。


「彼は、兄の仲間たちと共に輪の内側で狩人をしていたようです。パーティーでは前衛を勤めていたらしいんですが、すごく痩せていて、しかも得物は鈍らで……。変な人だな、っていうのが第一印象です」

「痩せていて、鈍らを……。ってあなた目が視えないんじゃなかったの?」

「触ってみた、それだけですよ。ところで、グリムさんはどこでヒイラギを?」

「あー……」


 唸ってグリムは、「アタシのことはいいから、続き教えて」と。


「……ヒイラギは仲間と別れて、それから三年ほど街に滞在しました。どうやら探しものがあったようです。それがなぜこの場所で、しかも三年もの月日を必要としていたのかはわからないんです。

 訊いてみても、彼は『わからない』ってそればっかりで……。

 ただ、いつも輪の内側の方を眺めていました。何があるのかは『わからない』みたいでしたけど」

「輪の……内側を……?」

「ええ、いつもぼんやりと」


 聞いて、「まさか」という気持ちが抑えきれず、グリムは窓の外に視線を向けていた。

 夜になり、室内側から照らされた窓はグリムのその薄緑色の瞳だけをはっきりと映し出す。

 それは宛ら窓についた目のようであり、そこにグリム自身の羞恥を写していた。


「……そ、それで。ヒイラギはどうなったの? 三年経ってそれから」

「突然いなくなったんです。正確には"会えなくなった"……。

 彼に続く匂いの道が消えていたんです。

 それが街のそばのある場所だということはわかっていたんですけど、道が途切れたからか、二度とその場所に近付くことができなくなっていたんです」


 もし、私に目が視えていればその場所もわかったのかもしれませんが。

 と、ルール―ウィップは酒を一口含んだ。 


「そう、なのね。でも、それってその場所さえわかればヒイラギがいるかもしれないってことじゃない。何か匂い以外に覚えてることは無いの?」


 そう聞いて「うーん」と唸るルールーウィップ。


「どうでしょう。もう二十年も前のことですから……」

「は、え? にじゅう……?」

「ええ、そうです。ヒイラギが消えたのは、今から二十年前。私が、二十三歳の時でした……つまり、二十歳からの三年間が、私とヒイラギの時間です」


 二十年前、というあまりにも最近すぎる情報にグリムは愕然とせずにはいられず。

 小さな声で「そんなバカな」と漏らした。


「だ、だって……アタシがヒイラギと出会ったのは、確かに二十三の時だったけど。だけど。

 それって、今から"百二十年前の"よ?

 あなたは妖獣人で寿命が五十年ほど……全然辻褄が合わないわ……」


 言ってグリムは頭を抱えた。

 そして声にするのは、「ヒイラギって一体なんなの?」という台詞。

 ルールーウィップは、「寿命が長いなら、妖精では?」と。


「だとしても、辻褄が合わないのよ。

 だって、あなたが二十三歳だったのは、今から二十年前でしょ?

 アタシが二十三歳だったのは、今言ったけど百二十年前よ。寿命が長いとかどうこうの問題じゃないわ」

「……確かに、そうですね。って! グリムさん今いったいおいくつですか!?」

「何度も言わせないでよ。百四十五歳。どうでもいいでしょ、そんなこと」

「で、でもそんなに長く生きられる人間が……」


 唖然とするルール―ウィップに、グリムが言う。


「ヒイラギは、そういうことを差し置いておかしいのよ。アタシのことなんてつまらない問題じゃない」

「そ、それもそう……なのかな……」

「そうよ」


 そうして二人は無言になり、全く同じ"ヒイラギとは何者か"という疑問に脳内を支配されていた。

 しばしの沈黙の後出た答えは、それも一緒だった。


「もしかすると、あなたとアタシの知っているヒイラギは別人なのかも……」

「きっとそう考えるのが自然ですね。奇妙な偶然、とでも言いましょうか……」 


 しかし、姿や持ち物が同じその男だという事実は変わらず。

 ルールーウィップの言う「奇妙な偶然」が本当にただの偶然なのか、それとも何か別にヒイラギに隠されたことがあるのか。

 漠然とした謎がヒイラギを知る二人の頭にこびりついて離れなくなっていた。


 その答えの手掛かりがあるのだとすれば、それは「彼の探しもの」だ。

 それを探したいという欲求が二人の間に芽生えた頃。

 見覚えのある原石の人型がイルル摘んで酒場に運んで来た。


「おい、なんだここは! 酒くせえベッドだな!」


 机の上に降ろされるなり、イルルが喚く。


「あ、あんたってやつは……」

 

 哀れな相棒の姿を見てぼやき、グリムは「あきれた……」と息を漏らした。

 それからラナイが差し出した布袋を見てグリムが小さな悲鳴を上げ、それを見てイルルは笑い、ラナイが事情説明を求められて肩をすくめると、ルールーウィップがくすくすと肩を震わせた。

 どうしようも無くなったイルルを再びラナイが摘み上げ、そして四人は解散する。


 翌朝、痩せた布袋の中身を改めて確認し、グリムが隣で眠るイルルの朗らかな寝顔に食らわせたものが何だったのか、それは言うまでもない。

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