あれとれ 12
「サンゴー!」
と、それは消えた幻聴の代わりにラナイの頭の中に響いた声だ。
すると例の如く白っぽい人型は藻掻き、そしてゴーレムはグリムを振り返った。
その目に映るペリドットの瞳が何を言わんとしているのか、それだけでも十分だというのに、さらに口の動きでまで「アホ」と。
それに気付くと、ゴーレムは後頭部をひと掻きし、再び白っぽい人型に向き直る。
次の瞬間、起きた予想外の出来事に、ゴーレムであるラナイも、そしてグリムでさえも体をビクリと反応させ動きを止めた。
まず、ラナイの目の前にはもうすでに"それ"がいた。
洞穴のような目、てっきり空洞だとばかり考えていたその奥に色を失った何か乾いた塊のようなものが詰め込まれている。
それがわかるほど、すぐそばにまで白っぽい人型の顔面が近付いていたのだ。
そして白っぽい人型はラナイの頭部を両手でしっかりと掴み、ラナイがそうするのと同じように、その太眉のような目の奥を覗き込もうとしている。
当事者以外の者たちからすれば、謎の人型と謎の人型が何か交信しているように映るのかもしれない。はたまた謎の生物のつがいとしての光景か。
何にせよ、誰がどう見てもわけのわからない状態がそこにはあった。
とそれは、グリムにとってもそうだった。
不可解な行動を取った白っぽい人型の元々の所有者であるグリムが、幾年にも渡り研究を続けてきた"ドールマスター"の彼女でも。そこで起きていることの意味がわからなかった。
当然だ。
グリムは、"ドールにそんな命令はしていない"。
「な、なんでなの……?」
頭を過る"暴走"の二文字を振り払うように、グリムは頭を振った。
そして、反発とも思える指先に伝わる抵抗を何とかして元に戻そうとしつつ、必死に声を上げる。
「一旦下がれっ!」
声に反応したのは、ラナイだ。
命令に従い距離を取ろうと白っぽい人型の両腕を掴んだ、その時。
――る……る……
たった二文字のそんな音がラナイの耳には聞こえた。
その一瞬、眼窩と思しきその目の穴の奥に詰まった何かが、僅かに色付き。そこで初めて、ラナイの意識に"目が合った"という実感が生まれた。
おかげで、ラナイにはその白っぽい人型が呻きではなく"何か言おうとしている"と、そう思えたのだ。だが。
「サンゴー! 離れなさいっ!」
グリムの怒鳴り声が響き、突如白っぽい人型は沈黙。
力なく項垂れて、ラナイの頭部を掴んでいた両腕も追ってその白濁の体の脇に収まった。
そうして再び頭を上げたその目の奥にはもう色は宿っておらず。
ただの木偶と変わり、ラナイの方を向いていた。
「……おい」
ラナイが声を掛けるのと同時、再びその頭部を掴んだ両手の平に先程のような柔らかさは無く。そのままラナイは、力任せに地面に叩きつけられた。
状況が掴めずに呆然と寝そべったままのラナイ。すると。
「上手くいったわ。だからもう……動かないで……」
とグリムが小さく呟くのが聞こえた。
◯
グリムのゴーレムが敗北したのは、これで三度目だ。
一度目は、ゴーレムの本体であるドールの素材が不足していたためにグリムの手作りだった部分が破損したことが原因で。
二度目は、ドールの暴走が。
それ故、どちらも棄権という形での敗北だった。
それが今回、初めてゴーレムは正式に負けた。
それ故に観客たちの絶望は凄まじく。
思い思いに吐き出される罵詈雑言は、退場を告げる声も巨大な檻の蓋が閉まるその物々しい騒音すらも掻き消した。
そんな中、ところどころで笑みを浮かべる者もいるにはいるが、そんな"不謹慎"な輩は一瞬にして有象無象に飲まれてしまい、観客席には幾つかそういう人集りが出来ている。
そうして混乱を露わにするのは、観客席だけでなく、通用路の無効で蠢くポロトロスの人々もまたそうだった。
しかし、そこに聞こえるのは歓喜、関心や困惑といった声だけではない。
それは、試合が終わり、白っぽい人型が檻に戻されるのを確認してから、グリムがそれとは反対方向の通用路へ向かい、その少し奥に入ったところでのこと。
「あれが暴れている」
「あの老いぼれが、やっぱり使い物にならねえ」
「【ディーズベルグ】の奴らめ、こっちの状況知ってて足元見やがって」
そんな声が二人の耳に聞こえていた。
ラナイにはなんのことだか、それは歓喜も困惑も含めてわからないことだったため。
少しでも何かを知るためにと周囲を目だけで見回していると、
「ちょっと、何が起きてるの?」
とその通りすがりの"猫耳"をグリムが引き止めた。
「あー、なんかよくわからないっすけど。『ヴァーシュが暴れてる』って大騒ぎみたいっすね」
「ヴァーシュって、あんたらが借りてきた"飛竜"じゃない。ふて寝してたんじゃなかったの?」
「よくわからないっすけど。『急に機嫌が悪くなった』って言ってたっすね」
「何それ……。寝起きで機嫌が悪いってこと?」
「よくわからないっすけど……」
猫耳は、そして「俺の仕事じゃないんで」と言い残してどこかへと走り去って行った。
「グリム、どうするんだ? このまま逃げるのが良いのか?」
何か起きているのかを理解した上でラナイはグリムに問う。
「ま、そうね。それに、逃げるったってちゃんと"代わり"は置いてくわけだし、何を後ろめたく思う必要もないわよ。出場者のアタシが手伝う義理もないし」
「そうか?」
「そうよ。っていうか、あんまり人前で話し掛けないで。少なくとも"サンゴーは喋らない"」
うん、と小さく返事をしてラナイは黙り、途端に静かになった二人は、過ぎ去る人々忙しない足音に紛れてほとんど存在感が無くなってしまった。
いつもならば、労いの言葉のひとつでも掛けてくれるはずの係員も誰一人として、グリムを気にしていなかった。
それほどの忙しなさは、むしろ"計画が楽になった"と喜ぶべきことなはずなのに、グリムはどこか釈然としない様子のシワを眉間に寄せていた。
そうしてなんとなく生まれた何か物足りないような不可解な空気を引きずり、二人はアリの巣状の通用路を奥へと進んで行く。
それが幅三十メートルはあろうかという、金や銀の檻よりも少し狭い程度の広い道に差し掛かると。
突如、下から突き上げる微かな衝撃が生じ、通用路内に何かの、オオォ……、と唸るような音が響いた。
それは、山肌に跳ね返るやまびこよりもはっきりとしていて、しかし洞窟の奥深くで唸る風の音のように特段意味のないもののように空気を震わせていた。
その音の元の方へラナイが体を向けると、
「本当みたいね」
言ってグリムがラナイと同じ道の向こうを覗き込んだ。
「ああ、何を言ってるかがよくわからなかったけど……」
「当たり前でしょ。竜なんだから」
と、グリムのそんな意見を無視して、ラナイは人々が走っていくその流れに混じろうと歩き出す。
すると。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「気になるんだ。その、ヴァーシュって奴がどうして暴れてるのか」
「何それ。まさか、聞くつもり? 『どうしてお前は暴れてるんだ?』って?」
バッカみたい。グリムが肩をすくめておどける。
「普通、そうじゃないのか?」
「は? 竜に話しかけるなんて普通じゃないわよ。だって、竜よ? 言葉なんて話せないじゃない。そんなの子供だって知ってるわ、"人間は野獣とはわかりあえない"ってね」
「……あ、そう」
と、ラナイがまた一歩踏み出す。
「無視するなっ」
グリムは憤慨してラナイを蹴飛ばしたが、ラナイは構わない。
慌てた様子で駆けていく人々の後を追うように道の奥へと進み、そして気付くことがあった。
それは、まずこのやけに広い道がゆるい坂道になっているということ。
もう一つ、人の流れは一方ではない、ということだ。
皆大半は武器を持っていたが、それを手に握っている者の多くは坂道を下る方へ、武器を鞘に収めたままの者たちは大概曲がり角の奥へと消えていく。
そんな光景から推察できるのは、
(もしかして、ヴァーシュだけが騒動じゃないのか?)
ということだった。
そして、ラナイのその推測を証明するかのように、「あっちを探せ」「部屋に隠れているかもしれない」「見つけたら殺せ」、と物騒な言葉がラナイの耳に聞こえた。
竜が突如暴れだしたという出来事の答えがそこに見えたような気がして、ラナイが振り返ると。
後を追って走ってくるグリムの姿がある。
息絶え絶えの最早死にかけなくらいに疲弊して、グリムが到着するなりラナイが言う。
「グリム。ヴァーシュが暴れる理由がわかったぞ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って……いき、が……」
「誰かがやったんだ。誰かはわからないけど、そいつがヴァーシュに何かしたんだ」
「ちょ、っと待ってってば……」
依然呼吸が整わず、体を折り曲げたまま元に戻らないグリムに向けてラナイは続ける。
「……なんか気になるな」
「ハッ、ハッ……へ……?」
ちょっと見てくる。
言い残して、ラナイは走り出した。その時。
大きく湾曲している坂道の向こうから、先程よりもハッキリと聞こえた何者かの咆哮。
そして悲鳴。
二つが作り出す音には、草原を駆ける一匹の馬、といった情緒があり、どこか開放的で一直線な印象を与える。
それは謎の生命体であるラナイにも例外なく感じられた。
だから、その奥から押し出されように坂道を上がってくる強く地面を叩くドコ、ドコという飛び跳ねるような音が、何を成そうというのかも伝わっていた。
足を止め、その先を見つめるラナイ。
そうして心の準備を整え始めておよそ数秒、それは激しく体を揺らしながら姿を現した。
それは、一言でいえば"怪物"であり、そしてラナイにはそれに覚えがあった。
通称"首なし"と呼ばれるその飛竜の名は、
「ヴァーチカッター・シュル……」
その最大の特徴は、言うまでもなく"頭が無い"ことであるが、それは傍目に見れば、もしくは常識的にはという意味でだ。
実際それには頭部が存在するのに、何も知らない者が見てもそこに気付けない。
頭部を頭部と見分けるために重要なのは、その"目"に気付けるかどうかだ。
勢いそのままヴァーシュに蹴飛ばされる寸前、ラナイは無意識にその首の周りに生えた幾つもの棘の他にある幾つかの瘤に視線を向けていた。
そして、その瘤が剥き出しになって現れた瞳と目が合う。
それで終わりだ。
次の瞬間にはラナイは吹っ飛んできた脚に蹴飛ばされ宙を舞っていて、起き上がった頃にはすでにヴァーシュの姿は尻尾の先端が微かに残されていただけだった。
徐々に遠ざかっていく足音に耳の穴を震わせながら、ラナイは少しの間だけ呆けていた。
すると、その耳にか細い「ひぃぃ」と悲鳴が随分遅れて聞こえた。
「……グリム、何」
「チ、ちぬかとおもた……」
道の真ん中で胡座をかいて座るラナイに対し、グリムは道の端で壁にすがるようにして腰を抜かした状態でいる。
「結局、なんで暴れているのかは聞けなかったな……。でも、なんか楽しそうじゃなかったか?」
「は、はぁ? どう見たって暴れてただけでしょ。ディーズベルグから借りてきたって言ってたし、何十年も閉じ込められてストレス溜まってたんでしょうね。
誰がやったか知らないけど、その人に感謝するべきね。あの怪物……」
と、グリムが道の先を意味もなく見つめた。
そして、「気が済んだなら、行くわよ」とラナイを導き、二人が地下から抜け出ようと道を戻ると、そこはさっきまでとは全く違う様子に変わっていた。
いや、それは変わっていたなどと遠回しにいうまでもなく、"崩壊していた"。
壁や天井の至る所に突き刺さったままの棘と、一体何をしたのか抉れた壁や、床。
ところどころでは、死体なのか気絶しているだけなのかわからない人間が転がっていて、そういう彼らを救うために脇道から次々と人々が姿を現す。
その崩壊の跡を追って二人が会場方向へ視線を向けると、そこに新設したばかりでひしゃげた"鉄の檻"が見える。
それを見て違和感を覚えたのは二人ともだったが、
「なんで、あっちに行くのよ」
口にしたのはグリムだった。
「…………」
そっちを眺めたまま黙っていたラナイが、「まさか」と口にするまでが十数秒。
再び"暴走"しようとしたラナイの体は、不可解な束縛感によって阻まれ、動かなかった。
そんなラナイの背中に、束縛を施した張本人が言う。
「いいから、行くわよ」




