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あれとれ 11

 その頃。

 再び檻に閉じ込められ、通用路の奥、野獣が閉じ込められたラナイの元に、一人の女が訪ねてきていた。

 

 それは薄緑色のローブを纏い、身長はアレよりも頭一個分小さい女。

 目深に被ったフードの奥でローブと同じペリドットのような薄緑色の瞳が怪しげに輝いている。

 

 正面から見るのは初めてだったが、ローブの色が特徴的だったために、これが例の小さい人間"グリム"だとラナイはすぐに気付いていた。


「何か用か?」


 無言のまま自分を見つめる不思議な女にラナイが声を掛ける。

 すると、出し抜けにグリムは「手を貸すわ」と言った。


「ん?」

「お前、逃げたいんでしょ? だったら手伝うって、そう言ってんのよ」

「あー、それは助かる……けど。元々おれをここに連れてきたのは"イーリープラック"だから、勝手に出てったらあいつが困るかもしれない。だからさ、訊いてきてくれないか?」

「訊くって? まさかとは思うけど……」

「"逃げていいか"、だよ。まあ、ダメだって言われても逃げるから、"逃げるぞ"って伝えてもらった方が良いかもしれないな」


 ラナイが胡座をかいてもグリムと視線の高さは合わない。

 それはアレの時もそうだが、少なくとも座ってアレと話す時にはアレの顔がラナイの顔と同じ高さにはあった。

 それが今は、首を傾けなければならない。


 すると突然、ラナイにはその小さい人間よりも小さい人間に対して奇妙な感情が浮かんだ。 


 思い出したというにも微かで、感情が僅かに動いたその痕跡すらも淡く消えてしまう、そんな夢を思い出すかのような杜撰な感覚の残像。

 そういう片鱗が、ラナイに生じた小さな感情だった。


 そんな小さな感情に突き動かされるように、ラナイは鉄格子の間から指を伸ばしていた。


「な、なに……?」


 突如としておかしな行動を取り始めた白い人型に、一瞬怯むグリム。

 だが、ラナイはそんなグリムの様子も構わずに、「おれは、お前に会ったことがあるか?」と畳み掛けるようにおかしなことを口走った。


「はあ? そんなわけ……」


 大きく口を開け、そこまで言って口をつぐんだグリムは、「いえ」とそれを否定する。


「もしかしたら、アタシが忘れてるのかも。お前の"仲間"をいくつか見たことがあるから……」

「仲間……? いるのか? おれに?」

「いるわよ、っていってもあまり多くはないけど。"見つかっている"」


――お前は、"ドール"


 そう言ってグリムはラナイの指を両手で掴み、まじまじとそれを観察し始めた。

 

「ドール……」


 自分を観察されるのも気にせず、独り言を呟いてラナイはまた記憶の部屋の扉を開けていた。


 あの時、ウーリエに襲われて本の散らかったままの室内。

 たった一つある本棚には、一冊の分厚い銅表紙の本だけが背を向けて置かれている。

 元々床に落ちていたそれを本棚に戻したのは、ラナイ本人だ。

 

 グリンドルとの戦闘中。

 頭に一撃を受けてその時に、本に書かれた文字列の少しだけがラナイには理解できた。

 そこで初めて手にとってそれを眺めてみると、それまで思い出すことの出来なかった自分の過去の一端。


 バトルスタンス。

 というその言葉と、意味が書かれていたのだ。


 それは、ラナイが戦う上で取る戦闘姿勢のこと。

 基本的には二足歩行で移動するラナイは、過去、特に戦闘時においては四足の姿勢を取ることを主としていた。

 さらに、ラナイの関節はあらゆる方向に回って問題ない可動域をもっているということもそこには書かれていた。


 それでも何を思い出したという強い感覚は得られなかったが、少なくとも記憶の本棚に収められていたわけだ。

 ここに書かれていることは自分の過去に違いないと、ラナイは理解した。

 

 すると、そこから一つの真実が浮かび上がる。 

 それは、ラナイが過去"戦っていた"ということだ。

 

 だから、ウーリエの奇襲を躱せたのも、グリンドルの攻撃を受け止められたのも、本能ではなく蓄積された確かな戦闘経験によって成されていたのだと、自覚はないにせよラナイはぼんやりと理解していた。

 しかし。


(やっぱり、読めない部分ばっかりだ……)


 銅表紙の本を読んでみても、わかるのはそれだけだった。

 他の文字列は相変わらず謎のままで、何を理解することもできない。


 一息ついてから、ラナイは「わからないな」と言った。


「お前、やっぱり記憶が無いんだね」

「ああ、そうなんだ。何か思い出そうとしても、頭に浮かぶのは"わけのわからない本"ばっかでさ。絵本は見ればなんとなくわかるけど、字が書いてあるやつは全然読めない」


 何気なくラナイが言うと、グリムは「ん?」と声を漏らして小首を傾げた。


「"わけのわからない本"? お前、そう言った?」

「言っただろ、今」

  

 すると突然。

 グリムはラナイの指を放り、小さな顔を鉄格子の間にねじ込まんとして押し付け、ペリドットの瞳をくわと剥き出してラナイに顔を寄せた。


 そして興奮した様子でグリムは、


「レア……ものっ!」


 と荒いだ息に混じってそんな言葉を発した。


「……何が?」


 困惑するラナイを無視して、「オーマイゴッド!」とグリムはさらに興奮する。


「自律してるってだけでも珍しいのに、しかも【否読の書】までっ。言語も堪能、知性があって……なんてことなのっ!」


 そしてまた、「オーマイゴッド」と今度は熱っぽくそう漏らした。


「なあ、その【否読の書】っていうのは?」


 ラナイが訊くと、グリムは興奮して漏れる息を飲み込み、


「アリアスが読む不可視の書物よ。アリアスはそれを読むことで普通のアトニム人じゃできないことをやってのけるの。諸説あるけど、それは"記憶"だっていわれてる。だから……」

「だから?」

「まずは、ここから逃げるわよ」


 全く会話の噛み合わない突拍子もないことを言って、グリムは檻扉に引っ掛けられた錠を何やら調べ始めた。

 それが僅か数秒。

 錠から手を離すと、グリムはラナイの檻が置かれている室内をぐるりと見回す。  


 そこには、ラナイのものを中型として、大型の檻が二つと、中型の檻そして小型の檻が幾つか積み重なって室内の家具とばかりに置かれている。

 全ての檻の中に何かが入っているというわけではなく、大型の檻の一つに妙に足の短い四本足球形の"毛玉"がいる以外どの檻も空っぽだ。


「……ここも、もう終わりね」


 毛玉の獣入った檻を見つめて、グリムはそう呟いた。


「終わり?」

「だって見てよ。どの檻も空でしょ?

 つまり、釣り合ってないのよ。ポロトロスが捕まえてくるアンノウンと、挑戦者の力量がね。っていってもまあ、何百年も前から続いているわけだから、これも時代の流れってやつなのかもしれないけど……」


 そう言って「やれやれ」と頭を振り、

 

「だから、このポロトロスもいい加減野獣のアンノウンを扱うのは止めたほうがいいわね。

 プライドか何か知らないけど、他の街のポロトロスは、百年前からとっくにガーディアンを全部人間にしちゃってるわよ。

 いつまでも野獣を嬲るバカみたいな決闘方式を取ってるなんて、時代錯誤も甚だしいわ。

 そんなことをやっているから、ここは"闇賭博"のままなの。

 おまけに"コンセキ"を掛けに使ったりとか、自分で自分の首を締めちゃってるし……」

 

 バッカみたい。

 言うだけ言ってグリムは締めに嘆息した。

 そして。


「ところで。それって直らないの?」


 グリムはラナイの額に突き出たものを指差して言った。

 それは、グリンドルの大槌で後頭部を殴られたことにより、飛び出してしまった前頭部の瘤。

 後に大槌は取り除かれて後頭部の窪みは元に戻ったものの、どうしてか額に突き出た折れた角の根元のようなそれだけは戻らずにそのままだった。


「さあ。まあ、不便はしてないし問題ないよ。そんなことより……」


 錠を外す方法は思いついたのか。

 言ってラナイはグリムを見つめた。すると。


「あったりまえでしょ、簡単よ……けど……」


 とラナイの顔に自分の顔を近付けると、「それよりもいいこと思いついちゃった」。

 声を潜めてそう言い、フードの奥でグリムの表情がニヤリと歪んだ。


          ◯


 それから数十分後。

 ラナイは銀色の檻の中にいた。


 そんな数十分ぶりの室内は、空いていた中、上段の席にも人々がひしめき。

 そうして増えた人の分だけ立ち上る熱の量も増し、今や室内の上空が霞んで見えるほどだ。

 彼らのざわめきが豪雨宛らに空気を震わせ、上空に溜まった熱と相まってここは梅雨のような湿っぽさで満たされている。


 とはいえ、それは檻の上での出来事だ。

 共に同じ檻の中に立つラナイとグリムの二人にとっては、通用路を通って流れてくる薄ら冷たい風と湿った石の床の感触だけが闘技場だった。


「さあ、やるわよ」


 怪しく瞳を輝かせ、グリムが言った。


「……わかった」


 呟いてラナイの見つめる視線の先には、例の人型がいる。


 自分に似ているようで、しかしそこに境遇を重ねることができないのは、ラナイの感じる"昔の姿"とドールがそもそも違うからだ。

 だが、その姿が"今の自分が何なのか"というヒントにはなっていた。


 今ラナイの視線の先に立っているのは、

 白っぽく、

 同じくらいの背丈で、

 手足が長く、

 そして卵型の頭の人型で。


 まるで、"さっきまでの"ラナイの姿と瓜二つなのだ。


「なあ、グリム。本当にこれでいいのか?」


 鏡写しが如く猫背の直立不動で立つ、無表情なその洞穴のような目から視線を逸らさずにラナイがそう言うと。

 少し間を置いてグリムは「いいわ」と呟いた。


「どうせタダじゃないんだから」

「あ、そう……」


 それじゃあやるわよ、言ってグリムは「サンゴー!」と叫んだ。

 すると、声に合わせラナイの正面に立つ白っぽい人型が咆哮を上げる。


 次いで観客たちの歓声。

 そうして巻き起こった割れんばかりの歓声で、天井の隙間からは木くずや埃が舞い散る。


 そんな騒音の中、グリムがラナイの背後から「行って」と囁いた。

 ラナイは無言のまま小さく頷き、両腕をぶら下げたままの奇妙な格好で突進してくる白っぽい人型へ向かって走り込む。


 足は、白っぽい人型の方が遥かに速く。

 檻の中心よりもずっと手前で、ラナイと白っぽい人型は交錯する。


「サンゴー!」 


 白っぽい人型の初撃は、不格好な前振りの蹴り。

 膝が伸び切っていない初めてボールを蹴る子供のようなその動作は、一度【否読の書】を読んだラナイにとって他愛もない攻撃だった。


 それ故に頭の中では回避の映像が見えているものの、それをスムーズに表現させてくれないのは、"新たに加わった重量"のせいだ。

 結局回避も防御も遅れて、蹴りはラナイの股に直撃。


 幼い蹴りであるにも関わらず強力な一撃は、ガゴッ、と鈍い音を立ててラナイの股間の装甲を僅かに砕いた。

 一瞬、ラナイの頭に(おいおい……)と不安が過ぎったものの、それでも重量のおかげでラナイの姿勢はブレていなかった。しかし。

 

 まさかダメージを受けないとは考えていなかったラナイは、攻撃を受けた後に遅れて回避行動を取っており、おかげで二手目の出も遅れ、幼稚な蹴りに続く左フックもモロに直撃。

 重い頭部が揺さぶられた衝撃でバランスが崩れ、ラナイは無様に地面に片手を着いた。


 すると、歓声に再び火がつく。

 それは、「あのゴーレムが、倒れた!」からであり、「久しぶりに見た……」者がほとんどだったからだ。 

 

 そんな無様な姿を背後から眺め、グリムは無意識に「よしっ」と漏らした。

 そして慌てて頭を振り、「足払い!」と暗にゴーレムに向けて助言を送る。


(……はぁ……)


 心の中のため息は、グリムには届かない。

 ラナイは体表面に挟まった石くずを振り落とすために頭を振り、右足で白っぽい人型の足下を思い切り払った。


 それだって思うようにできたわけじゃない。

 だが、それも予想外に威力が高く、蹴られた白っぽい人型はいとも簡単にひっくり返って地面に頭をぶつけた。


 強さを増す歓声。


 気にせずにラナイは立ち上がり、ゆっくりと起き上がろうとする白っぽい人型の頭部を掴んで無理矢理に持ち上げた。

 

(なんだこいつ、軽い……)


 それは、元々にラナイが怪力であることも原因だが、それにしてもそうだった。

 持ち上げたラナイにしかわからない感覚。

 まるで枯れた木の幹でも持ち上げたかのようなその感覚は、おうとつの無い表面の硬い感触と噛み合わず、とても気味が悪い。


 だからか、ほとんど反射的にラナイはそれを放り投げていた。

 すると、後方から「ああっ」とグリムの嘆きが聞こえる。

 

 少しして白っぽい人型は立ち上がり、続くグリムの「もう一度よ」の声と共に駆け出した。

 それを見てから、ラナイも前進する。


 体に掛かる重量を意識しつつ、少しずつ、ゆっくりと加速しそして。

 再び二体は交錯した。


 突き出すのは、互いに右の拳。

 一歩どころか、三歩分は速い白っぽい人型のストレートが先にラナイの頬を捉え、勢いに負けてラナイの体が僅かに押し返される。

 しかし、それは計算の内だった。


 左半身を押し返されて生まれた捻りは、ラナイがわざと一歩分遅らせた右フックに乗り、その卵頭に直撃。

 勢いに乗ったラナイの右拳に押し込まれ、体よりも先に頭部が地面に叩きつけられた白っぽい人型は、木偶らしくあちこちに手足を振り乱して跳ね上がり、体が捻れたまま地面に伏せて沈黙した。


 戦いの地味さはさておき、その圧倒的な威力に興奮した観客は、悲鳴とも区別がつかないほど甲高い声を上げ、手に持つ様々なものが檻に投げ込まれた。


 それが固い石の地面を叩き、豪雨は奈落にある檻の中にも降り注がれる。


 だが、観客たちの歓喜をよそにグリムは消沈。

 ラナイは、その心の奥に何かチクリとしたものを感じていた。


(…………)


 意味不明の感覚だった。

 

 無様に寝そべるその白っぽい人型を相変わらずの無表情で見つめるラナイは、心に生じた小さな痛みを探すために、記憶の部屋の絵本を次々に開いていく。

 しかし、少しだけむず痒くなるようなその感覚が、記憶の部屋の絵本に記された"期待"なのか"不安"なのか、"焦り"なのか"緊張"なのか、判断できずにいた。


 その時。

 僅かな呻きのような声が、記憶の部屋の中で絵本を読み耽るラナイの耳の穴の奥で震えた。

 それは、慌てて記憶の部屋から出たラナイの耳には聞こえず。

 

 周囲に満ちる歓声と地面を叩く物々の音と、背後から響く「アホウっ」の声のおかげで、ただの"幻聴"としてラナイの頭の中で霞んで消えていった。

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