あれとれ 10
結果から言えば、ラナイはグリンドルとの戦闘に勝利した。
とはいえ、正確にそれが"戦ったか"といわれれば、そうではないというべきだろう。
グリンドルは、自爆したのだ。
ラナイの吐き出す黄色の息、それを胸いっぱいに吸い込んだことで。
だが、グリンドルは死んだわけじゃない。
ラナイの吐き出す息が、今までダメにしたものを考えれば、彼の肺もそうなるだろうとラナイ自身はそう考えていたが、起きた現象はそうではなかった。
グリンドルは、一時気を失い、そして目を覚ました時には"失くしていた"のだ。
つまり、グリンドルが目を覚まして一番初めに言ったのは、「ここはどこだ」だった。
次いで、「ワタシはだれだ」とそうも言った。
その二つの発言に思い当たる節があるのは、闘技場内でアレとラナイだけだ。
だから、二人だけはグリンドルが"記憶を失った"と気付いていた。
◯
ラナイが再び金色の檻だった場所から通用路へと引き戻されてすぐ、アレは席から立ち上がった。
「どうした?」
「……うん、ちょっと」
いつの間にかアレの隣から動かなくなっていた太った妖獣人の男にそう言った。そして。
「あのさ、あそこに行きたんだけど、どうすれば行ける?」
そう言って、通用路を指差した。
「あそこって……。あそこは、関係者以外通れねえぞ?」
「いいから、どこから入ればいいのか教えて」
食い下がるアレに対し、男は怪訝な顔を浮かべて「知らねえ」と言った。
「俺も長いことここを利用してるけども、あいつらがどこから獣を搬入してるのか、よくわからねえんだ。まあ噂じゃ、入り口を探す奴は消されるって言われてるぜ」
だからやめときな、と男はアレを見上げたまま小さく首を横に振った。
するとアレは一瞬だけ天を仰ぎ、
「……じゃあ、諦める」
と、男に背を向けた。
「お、おい。どこ行くんだ?」
「うん、ちょっと……」
「一応もう一度言うけどよ、やめとけよ?」
「そうじゃなくて、"用を足しに行くの"」
「なんだ……便所か」
「……だから、また後でね」
そう告げて、アレは自分がここへ入ってきた扉へと向かう。
そんなアレの背中に「そっちじゃねえぞ」と聞こえてはいたが、今しがた思いついたそれが頭を支配していて、いちいち反応したりはしなかった。
そうしてアレが、外に出るはしごに手をかけると、カウンターの男が何やらニヤついた表情で「どちらへ?」とアレに聞いたが、アレは「別に」とだけしか言わず。
再び外の日差しを浴びて、アレは「もうっ」と唸った。
「何してんのよ、ラナイのやつ……」
屋根を下りてアレが見つめるのは、ラナイらしい何かが姿を消した人通りの多い通りだ。
「たしか……」
と独り言を呟いて、アレはその四つ手前の横道へと向う。
そこは、今通ってきた道とほとんど変わらずに人が多く、建物がひしめき合っていた。
どの建物の扉も通りに面して付いており、【アーハイム】では珍しく整頓されている街並み。
普通ならおかしくないそれがつまり、おかしい、とアレは思っていた。
だが、かといってどこがどうおかしいというのかはわからず。
アレは、とにかくとその通りを歩いた。
通り過ぎる大きい人々は、やはりアレを気にしない。
それが、いつしか壁のように感じられていたアレにとって、通りは常に形の変わる不思議な迷路にでも迷い込んだかのようで。
しかし、それも壁際を歩くという方法を思いつくまでのことだ。
大きな人のほとんどがそうしない建物のスレスレを歩くことは、アレにとって最善にして安全だった。
そうすることで、アレの目にもう一つの街が姿を現す。
今まで時々にしか見掛けることのなかった自分と同じ小さな人間。
彼らがそこを通って"普通の道"という情景を作り出していたのだ。
そして彼らアレと同じ小さい人間たちは、アレに気付かないなんてことはない。
目が合えば目が合うし、会釈すれば様々な表情で会釈を返してくれた。
「…………」
するとアレからは自然と笑みが溢れる。
「やっぱり、私が人間だ」
意味もなく辺りを見渡し、自分自身を足元から確認して、そして。
ふと目を上げたそこに、改めて不思議なものを見つけた。
「何あれ……ズレてる……」
きちんと整列された街並み。
隣り合う建物と建物の間にもほとんど隙間のないその一部が、前後で妙にズレている場所がそこにあった。
少し離れたところでアレが見る限り、それは少なくとも何かを隠しているように思えた。
奥にある建物よりも手前のものが引っ込んでいる部分、それは壁に沿って視線を合わせれば、そこに暗い隙間があるとわかるものだが、その道を阻む中途半端な壁が通りに面して付けられてもいる。
あたかも隣の建物との景観的バランスを取ってそうしているようにも見えるそこは、ラナイが吸い込まれたこの道を怪しむアレにとって、それは明らかに不自然な風景だった。
「あの、ちょっと聞きたいんだけど」
と、アレは近くを通り過ぎようとした自分よりも背が低く頭部に対して大きな耳の妖獣人に声を掛けた。
「何?」
「あの奥って、何があるの?」
そう言ってアレが指差す"隙間"を見て、大きな耳の妖獣人は「ああ」と声を漏らす。
「あそこは、ネズミ道だよ」
「ネズミの?」
「そう。私たちみたいなのが通る安全な道。普通に歩いて踏み潰されるってのも珍しくないからさ。街に慣れてる人は大体そこを通るよ」
「へー、そうなんだ。じゃあ、あそこを大きい人が通るのは無理?」
「まあ、場所によるかな。そこは狭すぎるけど、別のところなら通れるところもあるよ。でも、大きい人にとってはかなり窮屈だから、誰も通らない」
「なるほど……。その大きい人でも通れるところって、近くだとどの辺りにあるのか教えて?」
得られたのは、「この通りを過ぎて、右に曲がってすぐのところ」だ。
そこは、角に面してさり気なく設けられたネズミ道であるため、小さい人間であれば誤って入り込んでしまうこともしばしば、というわかりづらい道となっている。とそうも付け加えられた。
アレは礼を言い、そこへ向うことにした。
もしラナイが連れて行かれたのだとすればそこしか考えられない。
そんな確かな思いで到着したそのネズミ道には、アレの予想が正しかったのだと証明する者が待ち構えていた。
小さな人間よりもさらに小さな姿の獣。
何がどうしてそうなったのか、暗い壁の内側に張り付いて身じろぎ一つしないそれは、アレが声を掛けると「ジュイ」と鳴いた。
「……ってことは、ラナイはこの奥に連れて行かれたのね?」
「ジュイ」
ジュイを抱きかかえ、アレはネズミ道を覗き込む。
そこは道というにはあまりにも狭く、いうなれば棚と壁の隙間のような埃っぽく陰気な雰囲気が漂っている。
設置された明かりは通りを照らすにも心もとないし、折り重なる建物の屋根のお陰で陽の光すらもほとんど遮られて。
とてもじゃないが、先の通行人が言った「安全な道」の様相ではない。
そこに人がいるにはいるが、どう見てもこの道を通り過ぎようとしている様子ではなく。
むしろ、この道こそが住処だと言ったほうが正しいだろう。
壁際に佇む人々は、集って話をしたり、ぼんやりと屋根の裏側を眺めていたりする者ばかりだ。
だが、そんなのはアレにとっては関係の無いこと。
アレは、覗き込んだその道にラナイが入れそうな扉を探していた。
「うーん……」
しかしどこにもそれらしい入り口は見つけられず、闇雲にでも怪しいところを探そうと道に踏み込んだその時だ。
――ちょ、ちょっと待ってくれよ。話が違う!
何者かの声が狭いネズミ道に響いた。
それは大概大きな声といって間違いないものだったが、そこらにいる誰一人として声に反応する様子はなく。
だからかえってアレの目にはその突き飛ばされて愕然とする男の姿がよく見えていた。
「あれって……」
汚れた水の溜まる歪な石畳に尻もちをついたまま、悔しげにそこを殴りつけた男のその姿には、つい一時間ほど前にアレを闘技場へ連れて行ったあの"うさ耳"が付いている。
「イーリー!」
立ち上がる気力も失せた様子のイーリークラップに向かってアレは叫び、そばに駆け寄る。
「き、君……は……」
唖然としてアレを見上げるイーリー。
アレはそれを厳しい目付きで見下ろし、「ちゃんと説明して」と凄んだ。
「……あそこに置いていったことを怒ってるの?」
「そんなはずないでしょ! ラナイのことよ! どうしてあの子が出場しているの? 私に何の説明もなくっ」
もうっ、とアレが唸る。
「だ、だって……色々あるんだ、事情がその……」
「事情? 何それ、そんなの言ってくれなきゃわからない」
「し、仕事……かな、俺の。空いた枠にアンノウンを入れないといけなかったんだ。でも、アンノウンって普通は登録されているから、ポロトロスに出場させられないし。
だから、それなりに珍しい奴でも声掛けようかな……と思ってたらあいつが……」
「それってつまり、初めから私たちを案内所に連れて行く気なんて無かったってこと?」
アレが言うと、イーリークラップは激しく首を横に振った。
「い、いやそれは違う! 相手はグリンドルだってわかってたから。だからすぐに負けるだろうと思ったし。それで後は君のところに返そうと思ってたんだ。そうしたら二人とも案内所に連れて行こうって……」
嘘じゃない。
そう言ってイーリークラップはまっすぐにアレを見つめた。
「……だから、訊いてるの。どうしてちゃんと説明してくれなかったのかって」
「それっ……てもしかして、あいつを貸してくれって言ったら貸してくれるつもりだったってこと。だった?」
「断ったわよ、当然」
「な、なんだよそれ……」
「そもそも、順序がおかしいのよ。まずは私たちを案内所に連れて行く、それからあなたの事情の説明……って流れが当たり前じゃない。それなのに、まずは自分の事情から聞いてもらおうなんておかしいわ? 挙句、上手くいかないだろうからってラナイを勝手に……」
返して、とアレはイーリークラップの脇にしゃがみ込み目付きを厳しくした。
「それが……ちょっと難しいことに……」
「どういうこと? だってあなた初めからラナイを返してくれる予定だったんでしょ?」
「そう、そのつもり……だったんだ。けど、あいつ勝っちゃっただろ? だから、ポロトロスがあいつを欲しがっちゃって。
本当は、あいつの入る枠には【ディーズベルグ】から借りてきたドラゴンを入れるはずだったんだよ。グリムはいいとして、グリンドルなんて奴が来るようになってから、【アーハイム】のポロトロスはガーディアンをダメにされて困ってて……なんだけど……。
そのドラゴンってのが気難しいやつでさ、全然言うこと聞かないんだ。それで今日も檻から出ようとしなくて。それでなんだ、あの白いのを代わりに入れてとりあえずってさ」
「なによそれ。あなたちゃんとラナイは返す予定だって伝えたの?」
「したさ! そうしたら……これだよ」
とイーリークラップは俯いて肩をすくめ、自嘲気味のため息を漏らした。
「ごめん……」
呟いてイーリークラップがまた落ち込むと、アレがその"うさ耳"をひっぱたく。
「ごめんじゃない!」
「で、でも俺にはどうしようも……」
「うるさいわね! あの子は私のものなの! 一緒に旅するって決めたのに……っ」
「…………」
「奪い返すわよ、イーリー。あなた、詳しいんでしょ」
案内して、とアレがイーリークラップを無理やり立ち上がらせると、イーリークラップは「無理だ」と漏らす。
「ここは、ポロトロスだ。"アリアス・コム"が三人もいる。もし、あいつらに見つかったら、まず間違いなく殺される。それに中は他の奴らもウロウロしてるし、でかい奴を逃がすなんて出口も限られてる。だから……無理だよ」
俯いたままのイーリークラップ。
すると、アレはまたその頭をひっぱたいた。
「そういうのはいいからっ。とにかく、私にはラナイが必要なの!
あの子を諦めるんだったら、私にはもう何の意味も残らない。だからこれは、"私の意味を取り返す"ってことなのよ。とっとと開き直って、さっさと案内して」
「…………」
沈黙の後、イーリークラップが「わかった」と顔を上げるまで少しだけ時間が掛かった。
これまでに掛かったその僅かな時間の躊躇がどんな意味だったのか、アレは少しも考えなかった。




