ねえとれ 1
衣服は体に合っておらずぶかぶかで、それはおそらく小人が着るためのものではなく通常の人間のものだからだろう。あちこち汚れてしまっていはいるものの、生地の具合から元はそれなりに上等なものだとわかる。
そのぶかぶかの衣服は丈だけが小さな人間の体に合っており、一直線に切り揃えられている様子が示すのは誰かの手が入れられたということ。乱れた髪の端も同様それなりに切り揃えられていることを含め、本人がそうしたのかもしれないとも思えるが。
いってみれば一直線の部分だけがかろうじてある清潔さかもしれない。
それ以外、獣と疑うほどのきつい体臭と服だけでなく指先から首筋、顔まで汚れた姿は、浮浪者そのもの。
しかしそれがただの浮浪者ではないと印象付けるのは、唯一の持ち物である大剣のせいだ。
それは素人が見ても粗末だと言い切れるほど酷い状態で。
両の刃のどちらもが硬い鉱物でも叩き続けたのかというほどに大きな刃こぼれをし、姿は宛ら鋸のようだ。
そんな刀身の全体に血の色や土の色、草の色が付着し乾燥しており、そういう汚れは少なくともここ数日でこびりついたものとは思えない。
つまり、この持ち主は清潔という状態に興味が無い。
だからほぼ間違いなく、身なりを切り整えたのは本人以外の誰かだといえる。
その誰かは、自分以外の誰かである彼女の身なりを多少気にするほどの清潔感を持っていた。
いや、おそらく汚れた彼女を放っておけない優しい性格だったのだろう。
しかし、その誰かはもういなかった。
地面に空いた穴、残された荷物、散らばった羽の数枚。
彼女の同行者がどうなったのかは、一目して察し余る。
ジェニは散乱した荷物の中から素朴な櫛と淡い花の香りがする未使用らしい石鹸の二点だけを受け取り、あとの荷物は全て近くの木陰に穴を掘って埋めた。
字が書けない彼女の代わりに、"ナーグス"と簡易な墓標に刻んだのもジェニだった。
だからというわけではないが、彼女はヒイラギではない。
そもそもヒイラギは男だったと皆は記憶していたから当然といえば当然だ。
だが、似ている。
汚れてみすぼらしい風貌、無口なところ、幼子のような立ち振舞い、誰にでも答えられそうな質問のほとんどに「わからない」と答えるのも、鈍らを愛用していることも全部。
いってみれば、性別以外彼女はヒイラギそのものといってもいいくらいだった。
それでも記憶違いを疑うジェニとスズに彼女がヒイラギではないと結論させたのは、彼女が自分を"ネー"という名だと自覚していたからだ。
いくら物事を知らないヒイラギでも自分の名前を間違えたりはしない。
彼女の口から違う名が発された時点で、彼女がヒイラギである可能性は消えたはず。なのに、それでも二人は彼女にヒイラギを見るような懐かしさが消えなかった。
もしかすると、【記録の書】が発現していないのかもしれない。
もしかすると、あの粗暴な戦い方のせいで記憶を失ったのかもしれない。
もしかすると。
ジェニとスズの二人は、考えれば誰でもヒイラギにできてしまうのではないかというような検討をする。
生まれた新しい会話はどうやら尽きないようで、それまで自分以外信じられないような不信感に苛まれていたスズが、ネーについて考えることで多少落ち着きを取り戻したようにも見えた。
そのせいか、スズのネーに対する処遇は特に厚く。
ジェニがベルエルに対してしていた心配も、猪突猛進に敵に突っ込んでいくネーを守ろうとするスズの動きのおかげで無用となっていた。
それは姉妹としての関係に向けられるものか、はたまた親と子か。もしくはスズ自身の孤独な経験からか。
奇妙なスズとネーの関係性は、少なくとも二人にとって悪く影響しているわけではないのが傍で見ているジェニにもわかっていた。
そしてベルエルはというと。
ベルエルもまたネーのことを気にしている様子こそあるものの、スズのように行動の選択が変わるほどではなかったが。
しかし、影響は受けているのだろう。
ベルエルの食事をする"クセ"は止んでいた。
これがいい影響かというと、それは違う。
だってベルエルはこれまで空腹時には食事を摂っていたのだ。
今さらそれが正常に戻ったかというと、単にそういうわけでもないことがジェニにはわかっている。
むしろ、よくない。
ベルエルがネーの行動に影響を受け、自分の行いを正しているのだとすれば、それはこれまでの自分の行いを忘れるも同然だからだ。
無意識にでもあったはずの理由を忘れる、いや、忘れていく。
何かをきっかけに優秀な戦士がそうなっていくのをジェニは見てきた。
だからやはりベルエルの獣返りは進行しているのかもしれない。
そして、そのきっかけが今回はネーというヒイラギに似た少女なのは明白だ。
これからのこと、というよりも自分が何を願うのか天秤にかければ彼女をどうすべきなのか、答えは簡単だった。
◯
「で、でも。あの子一人じゃ【初心者の拠点】に戻ることだって……」
少し大袈裟な身振りで抗議するスズ。
その気持ちを十分理解した上で、ジェニは首を横に振った。
「言わなくてもわかってると思うけど、ボクとベルエルはこの先にやるべきことがあるんだ。今彼女に付き合っている余裕は、正直無いよ。それでも、もしオマエがそうしたいっていうんなら、輪の外側まで連れて行ってあげるといい……」
大丈夫さ、とジェニは微笑む。
「オマエなら彼女を守りながらでも帰ることができる。ボクが保証するよ」
「そういう意味じゃ……」
呟いてスズは物憂げな顔で店の外で待つ二人に視線を送る。
「一緒に……」
その一言はさらにか細く、ほとんど息を吐くように発された。が。
「それは、できない」
ジェニははっきりと断った。
「どうして、なんて訊かないでくれよ」
「……わかってる」
「じゃあどうするか決断してくれ。ボクたちと一緒に来るのか、それとも彼女を連れて外へ戻るのか。とはいっても、だ。もし外へ行ったとしても、それで二度と会えないってわけでもないし、気軽に考えてくれよ」
「…………」
無言のまま、スズは棚に並べられたこの店特性の武器を手に取った。
新型の手甲"ブレーズ式突刺甲"というらしい。
左右一組のその金属製の手甲は、一つの不思議な形のそれも金属の筒を介しておそらく土竜の革で出来ている管で繋がれており。管の先は両方の手甲に付けられたまた別の筒へと繋がっている。
手甲の筒の先端からは筒の太さにあった棘が、片方は長くもう一方は短く、とそれぞれ違った具合で飛び出していて。
説明書きには、『長く棘が出ている一方の拳で殴りつけると棘が筒に収まり、代わりにもう一方の棘が突出する。その一方でまた殴ればもう一方の棘がまた突出する。また、その反動で拳が弾き返されるため、上手く扱えば通常の倍以上の攻撃力を期待できる。』と書かれている。
「こんなの、両手に武器持つのと変わらないよね。それに、交互にってんじゃむしろ両手に武器を持った方が効率的じゃない?」
「ふーん、そうかな。握る手間がないぶんまた別に武器を持てば四本……いや、三本か。手があるのと同じことになるんじゃないかな。非力なプライアにはありがたい代物になるんじゃ?」
「なるほど。幼獣人ならともかく、ってか。それなら理にかなってるかも……でも……」
「オマエなら、また別のものを作るかい?」
ジェニの質問にすぐには答えず、スズはまた外を見つめて頷いた。
「……そうか。プライアらしいよ」
「君もだろ」
「ああ、そうだったね」
そうして二人は結局何も買わずに武器店を出た。
直後、扉が閉まるのを待たずにジェニが言う。
「今日一日はここに留まるよ。急かすつもりはないけど、決断は明日の朝までに頼む」
その時彼女は何か呟いたはずだが、扉が閉まって鳴った鈴の音に掻き消されてジェニにはよく聞こえなかった――。
◯
ここは【常連の休憩所】。
時々に密集度が変わる活発な林を抜けた先、日によって山頂部が変わる"落ち着きない山々"に囲まれた変わらず山間であるその場所に位置することも、ジェニの記憶に違いはなかった。
しかし、そこはもう村と呼べるような場所ではなくなっている。
十分な建物の数、人々。
一言でいえば様変わりだが、その変わりようはただ変わったという一言では不十分だろう。
そこにいる人々の大半は輪の内側で己を鍛え上げる屈強な戦士たちだが、それ以外に行商ではなく店舗を構えて商売を始めた者が少なくない。
そんな店舗で売られているものは、先の【熟練者の鍛錬場】に向けて備えられるいわゆる旅道具にとどまらず、輪の外側では見られない特殊な武器がある。
どうやら【コルト】や【アーハイム】からやって来た鍛冶屋が始めたらしいその武器は、今やこの【常連の休息所】特産といわれる"黒油"のおかげで特別に進歩したようだった。
そういう進歩した武器は手に持つ武器としてのものだけでなく、ジェニとスズが見かけたような防具型のものも存在し。
それらはブレーズ式の他に"フィーザー式"というもう一種類の構造で作られていて、しかしどちらにも黒油が用いられている。
そんな二つの型式の違いはというと、
ブレーズ式武器は、黒油の粘度を利用した通称"油圧"の構造、
フィーザー式武器には、黒油を消費する"爆発"の仕組みがされているらしく。
しかしその違いもあって、ブレーズ式で出来るような防御性能をフィーザー式で作ることはできない。
つまりフィーザー式というのはブレーズ式に比べて、攻撃に特化した型式といえる。
特に投擲道具である"フィーザー式拡散炎弾"は、一人で複数の野獣を相手にする時最適なようで、今や輪の内側を歩く戦士たちが常備する道具の一つとなっていることが道行く人々を見れば明らかだった。
腰や鞄のベルトに括り付けられた拡散炎弾やフィーザー式、ブレーズ式どちらかの武器を携えた戦士たちの姿。
黒油が進歩させた武器とそれを求めてやって来る戦士たちを見て、三人はここが【黒のコルト】と呼ばれる理由を暗に理解していた。
「なあ、ここならお前のジウ弾もすごいのが出来るんじゃないか?」
広場に腰掛け"暴れウサギの黒焼き"を頬張るスズの隣で、ベルエルがぼんやりと言った。
「ジウ弾、ってビリーとかジリーのこと?」
「他に何があるんだよ」
ベルエルがスズの顔を見ると、「そんな呼び方もあるか」と頷いた。
「たしかに、できるかもね。ジウを使ってもソダロを使っても単体ずつしか攻撃できないし、フィーザー式ってのを少し学んでみる価値はあるかも」
「じゃあ、ここに残るか?」
「それは……」
言い淀んでゴクリと黒焼きを飲み込み、スズは残ったものに目を落とした。
「とにかく、黒油だけでも買ってみようかな。それと拡散炎弾も買っておけば研究できるし」
「見ただけでわかるのか?」
「さあ? たぶんね」
そうしてスズが黒焼きを食べ終えて少し。
まだ空が夕日色に染まっている内に、町に黒油灯の火が灯されていく。
ちらちらと踊る黒油の光は残像のような薄い影を生み、その明かりを受けて染まる人々の顔は赤らんで見える。
ただ火に照らされているだけの見慣れた光景にまるで黒い炎に焼かれているような錯覚を覚えるのは、きっと彼らの面持ちに楽しげな印象を受けないからだろう。
そこでもまた、黒の、という意味を感じずにはいられない。
故郷はきっと変わるのだ、とジェニはひとつため息をもらした。
それから四人はテントを借りに町の外れへと向かったが、テントを二つ分借りて荷物を置くと、すぐにスズはもう一度町を見てくると言ってネーを連れて行ってしまった。
その後ジェニは一人で情報集めに町の中心へ行き。戻ると変わらず座ったままのベルエルとテントの中で少しだけ会話をして、二人が戻ってくるのを待たずに眠る。
しばらくして夜中にジェニは目を覚ますと、暗くなった自身のテントの向こうでぼんやりと光っているのが見えた。
いったいいつまで起きているのだろうか。
中で起きていることが気にならないわけではなかったが、きっとそれは自分が知るべきことではないと決め、ジェニは隣のテントに背を向けてまた目を閉じた。
そして翌朝。
夜の空に薄水色が混じって群青色に変わり始めた頃、ジェニとベルエルが身支度を整えてテントから出ると、隣のテントは暗くなっていた。
そこに二人を起こそうとベルエルが近付くのをジェニは止め、二人はテントが設置されているのとは反対側の外れでしばしの間スズを待つ。
少しして空に白みが増したが、それでも思ったように明るくならないのは、今日の空にはいつの間に生じたのか薄雲がかかっていたからだ。
そのせいか僅かに湿り気を帯びた空気の感触が冷たく感じられる。
「……もう行こうか」
ジェニが言うとベルエルが「スズとネーは?」と訊く。
ジェニは何も言わずにゆっくりと首を横に振った。
それだけで何か伝わったのだろう。ジェニに続き、ベルエルはそれ以上訊かずに歩き出した。
と、その時。
――ちょっと待って
聞き覚えのある声に引き止められ二人が振り返ると、少し痩せた荷物と例のブレーズ式の手甲を担いで走るスズの姿があった。
スズは一人だった。




