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 男は腕からおびただしい量の血を流しながら笑うその少女の姿をじっと見つめいてた。

 クルークはひとしきり笑い終えると右腕でコートの中を探って二本の薬瓶を取り出すと、器用に片手で開けて、片方を口に含んだあともう片方を腕の傷口へと乱暴にかける。

 ポーションの染み入るその激痛に顔をしかめるがその苦痛が治まれば、腕の止血は完了している。


「はっぁ、あぁ、ちょいとひやりとしたが、やってみるもんだね」


 だらだらと冷たい汗を流しながら、それでもクルークは強がって笑ってみせる。

 対して男は、足を絡め取られた状態だというのに、悠然とクルークの事をみつめている。


「それで、どうするこの状態から。貴女の攻撃がこの鎧を傷つけられぬことはもうわかっているはずだ」

「そうだね傷つけることは恐らく出来ない、だがね」


 クルークは言葉を切って、一本の薬瓶を取り出す。

 それは、今までのものとは違う、薄い緑色をしたきれいな液体。


「確かにまぁ、幾重にも刻印を刻まれた金属ってのは強固で削り取ることも難しい。ましてやそれほど緻密に幾重にも張り巡らされては、物理的に削り取ることはほぼ無理だろう、だがね」


 薬瓶を男の頭上へ放り、そのガラスの容器に圧力をかけて割る。


「強固な刻印でも、こいつは流石に想定してなかったんじゃないか?」


 中からこぼれた液体は男の鎧全身に降りかかり、その装甲を、触れた部分から音を立てて溶かしていく。


「これは……!」

「効果が出てくれるかがチト不安だったが、さすが我の作った薬よ」


 見る間に男の身を包む鎧に刻まれた文様が溶け、形を崩し、その効力を失っていく。

 やがて音が止まる頃には、所々虫食いのように穴の開いた、ボロボロの鎧姿の男が立っている。


「ただの棺桶を身に包んでいる気分はどうだい若造?」


 悠然と片手に残りの攻撃用の薬瓶を掴み取り、男の目に映るように掲げる。

 鎧の防御力を失ったその生身の体にそれら全てを受ければ、どうなるかは想像に難くない。


「あんたをこの場で倒せるのなら、腕一本安いもんだ。これで終いだよ」


 言葉と共に全ての薬瓶を男に向けて投げつける。

 男はただそれをじっとみつめ、微動だにしない。

 クルークが式を展開し、その薬瓶に最後の着火をしようとした、その瞬間、急激に男の鎧が淡い緑の燐光を放って輝き始める。

 周囲のマナが、鎧へと集まっていくのがはっきりと視認できる。

 何が起きているかは、わからないが、ともかく急がねばまずい。すぐさま式を起動して、着火、そして下層の地を揺らす轟音が響き渡る。

 もうもうと爆炎と砂埃が上がる中、クルークは薄ら寒い感覚を覚える。

 爆発を経て尚、急速にこのブロックのマナが減り続けている。

 周囲のマナが吸われて行くのは爆発の中心、男のいた位地。

 やがて煙が晴れるころ、周囲のマナはあらかた消費され、体からエーテルが漏れていくのを感じる。

 それほどのマナをいったい何につぎ込んだというのか。

 開けた視界の先、そこには、無傷の白銀の鎧が立っていた。

 確かに刻印を溶かしただの金属塊に代えたはずのそれは、最初に出あった時と同じ、精巧な細工を施した鎧へと戻っている。

 呆然とその白銀の輝きを眺めることしか、クルークには出来なかった。

 なにか性質の悪い冗談としか思えぬその光景。


「このブロックの住人達にはすまぬことをしたが、それで貴女を討つことが出来るのなら、安い代償といえよう」


 男は何事もなかったかのように大剣を構えたままゆっくりとクルークへと近づいていく。

 驚愕に顔をゆがめながらもクルークは後ずさる。


「なんの冗談だってんだりこりゃぁ」

「冗談でもなんでもない、単に、このブロックのマナを使って鎧の刻印を使って修復したに過ぎん」

「馬鹿いうんじゃないよ、表面の刻印は溶かして――」


 クルークは自らの言葉でその可能性にたどり着く。男は感慨もなく淡々とその答えあわせをするかのように告げた。


「そうだ、表面は確かにそうなった、だが裏側にも刻印があればどうだ。万が一そこ溶かされていたら、こちらが負けていただろう」

「どうりで、崩落に巻き込まれて傷一つないわけだよ」


 刻印を彫られたときの状態へと物体を戻す、修復の刻印。

 修復するよりも普通にもう一度刻印を彫るほうがマナやエーテルの効率は圧倒的にいい。だがこのような二度と作れそうもない貴重品であれば話は別だ。


「この力を使わせる程の優秀な魔法使いよ、貴女のことは決して忘れないだろう」


 男の剣先がクルークへと向けられる。

 もうクルークに打つ手は残されていない。

 左手を失い。攻撃用のポーションは底をつき、戦う手段はもう何一つ残されていない。

 完全に手詰まり。

 逃げる事も、戦うこともできない。

 長い人生の中、負けたことは何度もあった。だが、その度に生き残る事だけは何とかしてきた。

 しかし、今回ばかりはそうもいかなそうだ。

 白銀の鎧を身に纏った死神がゆっくりと近づいてくる。

 それでも顔を上げて視線を向ける。

 心の中で、クルークはフィーとフルトに頭を下げる。


 ――どうやら、我は負けるようだ。


 長く生きて、いずれ死が来ることは受け入れているつもりだったのだが、どうにも足掻きたくてしかたがない。

 思い出すのは弟子と少女、二人の笑顔。

 二人のために道をつくってやれなかったこと、二人の成長をこの先見守ることができないのが、たまらなく悔しかった。

 はじめて生に酷く執着した。

 やりたいことがあるとこれほどまでに死を怖く思うとは。

 理不尽に大きな力に踏み潰されることが堪らなく屈辱で、それにかなうことのなかった自分の力の無さを悔やむ。


 男が間合いの一歩手前で足を止めて視線を向けて来る。


 何一つ弟子のために残せなかった。

 我のようになりたいと語った愛らしい弟子のためにこの男にせめて一矢報いることが出来たならと思う。

 だが思いだけで奇跡など起こるはずもない。

 長く深く息を吐いて、右手を構える。


 頭の中を、ここ数日間の出来事と、フィーに出合った頃のことが駆け巡る。

 まだ小さかった可愛らしい弟子の姿。

 成長していく過程をずっと眺めていた。

 はじめて見せた笑顔。

 はじめて見る表情。

 もっとたくさん見たかった。

 もしも、もしも、今日、何事もなく家に帰れていたとしたら。

 フルトは林檎でどんな料理を作ってくれたのか。

 それを食べたフィーがいったいどんな表情をしたのか。

 ありえないもしもが頭の中を埋め尽くしていく。


 もっと二人を見ていたかった。逃げ切った先、平和なその場所で笑う二人の姿を。


 男の大剣が振り下ろされるのが見える。

 踏み込んで狙うのは男の首。

 鎧であろうとそこをへし折ることができれば、敵を殺せる。

 男の頭を狙った蹴り足が、膝先から切断されて飛んで行く。

 痛みはもう感じなかった。

 まともに動けぬ体でそれでも、男の首に右手を伸ばす。

 胸から冷たい金属が体へと侵入してくる、気味の悪い感覚。

 口の中いっぱいに広がる血の味。

 目の前が真っ暗になってもう何も見えない。

 自分の咳き込む音が遠く滑稽に聞こえる。

 味も匂いも薄れていく。

 体にはもう力が入らない。

 クルークの伸ばした手は何も掴まぬまま力を失い、ぶらんと垂れ下がった。

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