21
時間は既に夜。
家の外を照らす銀板の光も既に夜のそれに切り替わり、薄い明かりの下庭園の木々が揺れている。
フィーは居間の中をせわしなく往復を繰り返している。
テーブルの上にはすっかり冷えてしまった夕食が並んでいて、その前にはフルトが静かに座って不安そうにフィーの事を見つめていた。
クルークがこの家をでて、もう十時間近くが経過していた。
買ってくるものはそれほど多くなかったはずで、どこかに寄り道していたのだとしてもこれほど時間がかかるとは思えない。
フィーは親指の爪を噛みながら小さな窓から外をじっと見つめていた。
酔っ払って、遅くなって悪いと帰ってくる師匠の姿が見えないかと。
師匠を信頼していないわけではない。
フィーは一度も師匠に勝てたことはなかった。どれだけ本気で挑んでも、どれだけ魔法の錬度を上げても、策を練り、技を磨いて模擬戦を繰り返しても、一度として勝てなかった。
師匠の手の内も、戦い方も全部知っているというのに。
名も知らぬどんな魔法使いより、二人組みの熟練の魔法使いより、そしてあの白銀の鎧に身を纏った魔法使いよりも、強いと、フィーは信じている。
それでも嫌な予感を拭い去ることはできない。
ありえないといくら心の中で唱えても、脳裏に浮かぶのは最悪の想像ばかりで。
「遅いですねクルークさん……」
「アァ……」
それだけしか言葉を返せない。不安なのはフルトも一緒だとわかっているのにそれを気遣う余裕もない。
本当ならいますぐにでもここを出て師匠を探しに行きたい。しかし、今ここを出るのはどう考えても危険だ。フルトをおいていくわけにもいかない。ただ出来るのは信じて待つことだけ。
「道にでも迷っているんでしょうか」
「かもしれナイ、下層は入り組んでイルから」
「です、よね。ちょっと料理温めなおしてきます」
フルトに頷きを返して再び視線を窓の外に投げる。
師匠が道に迷うなんてそんなこと、あるわけもない。たとえ迷ったとして少し高い建物にでも登れば帰るべき方向は簡単に確認できる。
けれど、そうであってほしいと願わずにはいられない。
酔いつぶれたとか、道に迷ったとか、そんな理由で帰りが遅くなっているのなら構わない。こんな時になにをしているのかと、怒るところを特別に許してもいい。
それ以外の可能性なんて、考えたくもないから。
暖かな美味しそうなにおいが漂ってくる。
もうすっかり嗅ぎ慣れたフルトの作るご飯のにおい。
師匠もフルトの料理は大変気にいったようで、ここ数日食事の時間を楽しみにしていたのをフィーは知っている。
一緒に暮らしていた頃、あまり食べ物に関心を示さない人だったのに、最近では作業中、気休め程度の会話の切り出しはいつも次のご飯はなんだろうと、そればかりだった。
だから、少しでも速く帰って来てくれるようにと、フィーは窓を開けてにおいを外へと運ぶ。
目ざとい師匠の事だ、きっとにおいをかいでご機嫌で帰ってきてくれる。
そう思って開け放った窓から飛び込んできたのはしかし、フィーの望んだ声ではなく、激しい鈴の音。
フィーの隠れ家にあったのと同じ、登録された人物以外のエーテルを感知して鳴り響く、警報。
一瞬、フルトがまた精霊を召喚したのかと思ったが、違う。初日の内に念のためにと、フィーはクルークと一緒にフルトのエーテルを警報に登録している。
――敵襲!
「フィーさん! こ、これってあの時の」
奥の部屋から戻ってきたフルトがあわててフィーの元へとかけよる。フィーはフルトに頷いて返しながらすぐにかけてあるコートを羽織って臨戦体勢を整える。
「敵ダ」
師匠のいない今、この場所を離れるのは不味い。合流をするにも作戦の漏洩を防ぐためにも襲撃をかけてきた相手は、一人残らずら殲滅し、素早く師匠と合流後ここを破棄しなければ。
冷静に考えながらフィーはフルトの手を退いて家の外へと出る。
薄暗い岩窟の中に鈴の音が幾重にも響いている。
やがて銀板の光のささない庭園の闇の中から現れたのは、白銀の鎧。
フィーとフルトはその顔を驚愕に歪め。互いに手を強く握り合う。
いったい、やつはどうやってあの状況から生還したのか、どうしてこの場所が割れたのか、師匠は今どこで何をしているのか。
わからない事だらけでも今目の前のこの強敵をどうにか打ち倒さなければいけないことだけがフィーにははっきりとわかっていた。
フィーはフルトを一歩下がらせて男へと視線を向ける。
男はそれを受けて一歩前に出ると、一つ礼をした。
その態度にフィーは片眉をあげて怪訝な表情をみせる。
しかし男のほうはそれを気にした様子もなく頭を上げると一歩踏み出した。
「投降の意思はないかシメーレ?」
発せられたのは最初に対峙した時と同じく、降伏を呼びかける言葉。
「貴女には万に一つの勝機もない。もし少女を引き渡して大人しく投降するというのなら悪い扱いにはしない、同胞として迎え入れるよう打診する準備もある」
その言葉に従うつもりなどあるはずもなく、フィーは両の手にナイフを構える。
あの鎧の防御を掻い潜る手は未だに思いついてはいない。それでも有効打を与える方法は考えている。
たしかに鎧の守りは堅固ではあるが、その内部にあるからだは生身の人間とは結局変わらない。
ならば、打撃によって間接を折ってしまえばいい。
四肢の自由さえ奪ってしまえばいくら鉄壁の防御をほこっていようがなにもできやしない。
ナイフや銃、魔法はあくまでも囮。
力を込めるのその両足。
男はそうして戦闘体勢を整えるフィーに対して、本当に残念そうに声を漏らす。
「やはり戦うのか?」
「今更、何ヲ」
鎧の上から顎を撫でるように男は指を動かして、その手を腰に吊る大剣へと移動させて、ゆっくりと撫でる。
「貴女は、何のために戦う?」
奇妙なその問いに、フィーは辺りを警戒しながら答えを返す。
「フルトを、助けたいカラ」
シンプルな答え。
突き詰めて行けば結局はそこに行きつく。
たまたま出合った少女が、たまたま悲惨な運命を背負い、そうして、助けてと望んだから。それを助けたいと思ってしまったから。
理由は他にも探せばいくらでもつけられるけれど、結局はそこに行きつく。
「その意思は何物にも変えがたく尊いものなのか、自信の命を賭して、敵の命を奪い、様々なものを切捨てでも欲する答えなのか?」
「ソノつもりダ」
フィーの言葉に、男は一つため息を吐いて視線を一度だけ落とす。
「その覚悟があるのならばよかろう」
視線を上げた男は淡々と言葉を繋ぐ。
「貴女のその思いを貫くために、一人の魔法使いが死んだ」
心臓が何か目に見えない手に掴まれたかのように胸がぎゅぅっと苦しくなる。
体全体が冷たく研ぎ澄まされていくような感覚を覚えながら、フィーは男の次の言葉をただじっと待つしかなかった。
「腕のいい手にかけるには惜しい魔法使いであった。名をクルークという、貴女の師匠だ」
フィーの両の手からナイフが落ちる。
フルトはその後ろで息を呑んで両の瞳に涙を貯め、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「勇敢な最後であった、勝ち目のない状況で尚、攻撃の手を止めぬその信念。敵ながら、敬服した。あれほどの魔法使いの弟子すらも手にかけるのは、こちらとしても本意ではない。大人しくその少女を引き渡してほしい」
空になった両の手をゆっくりと強く握りこんでいく。強く口を引き結んで目の前の男を射殺さんばかりの視線で貫く。
心の中に渦巻く様々な感情をフィーはなんと呼ぶのか知らない。一度たりとも抱いた事のない感情が体の全てを支配している。
ささやかな空調の風が、髪を靡かせる。
踏みしめる地の硬さを靴を通して感じる。
昂ぶる感情を抑えるように深く長い呼吸を繰り返し、それでも感情を抑えきれない。
不快なその感情はしかし、体中に力をみなぎらせる。
その感情を如何にすれば抑えられるか、それはもうはっきりとわかっている。
ただ、目の前の男を殺せばいい。
目標がはっきりとすればあとは、踏み出すだけ。
踏み出せば、今自分の中を満たす感情が全て動かしてくれる。
フィーが地を蹴って式を展開する。
淡い青色の三つの式が緑の燐光を放って起動する。
二度と主人の戻らないその空間に、戦いの音が響き始める。




