第一話 三節
「姉さん、姉さん。羽根駒さん姉さん。」
次の水曜日の朝、まだ陽も昇りきらないうちに羽根駒は華宮耶に叩き起こされた。
いつもは羽根駒が起こそうが、*お母さんの雷が落ちようがギリギリまで惰眠を貪る華宮耶が、今日は目を爛爛と輝かせている。
華宮耶自身も起きたてなのだろう。
襦袢の襟は捩れ、紐が片方解けている。
「なんやの…」
羽根駒がジロリと睨みつけると、そんなことはまったく意に介さず、
「水曜日どすえ!」
華宮耶は一層興奮して言う。
「ほら、姉さん。はよ、はよ。」
稽古着に着替える間も華宮耶は羽根駒をせき立てていた。
当の華宮耶は羽根駒に着付けてもらった。
静まり返った祇園の通りで、中途半端に腰を屈めた、稽古着姿の舞妓が二人。
隠れているつもりなのは当人たちだけである。
視線の先には、雪乃が暮らす屋形、「千乃」があった。
「……趣味の悪い……」
欠伸を噛み殺しつつ不機嫌に呟く羽根駒に対して、
「姉さんは気にならんのどすか?」
華宮耶が食い下がる。
「あんた…せっかく早起きしはったんやから、踊りの一つもさらって……」
羽根駒がそのまま小言に繋げようとしたその時、
「ほな、行って参ります。」
雪乃が屋形から出てきた。
「ほら、雪乃さん姉さんもこんな早うから稽古に出てはるんえ。
あんたが芸事に気ぃが入らんのもわからんでもないけどやな…」
「へぇ。
せやから、こんな早うから稽古に出てはる雪乃さん姉さんが遅うなるから気になっとるんどす。」
羽根駒の袖をぐいぐいと引っ張りながら華宮耶が言った。
「……それは…確かにそうやなぁ…」
そう呟いた羽根駒は、もうすでに華宮耶にどうこう言える立場ではないことに気がついていなかった。
雪乃は暫く歩いた後に、ふいっと角を曲がって行った。
「こっちは……稽古場やおまへんなぁ。」
羽根駒が真っ直ぐ、雪乃が向かわなかった稽古場の方を眺めながら言うと、
「八坂さんの方や。」
華宮耶が角から顔だけ覗かせ、雪乃の背を見送りながら言う。
「なんや。
雪乃さん姉さんも襟替えを控えて不安なんやな。
ただのお参りやろ。」
羽根駒がそう言って踵を返そうとすると、
「や、や、姉さん!ちょっと!見て!」
華宮耶が慌てて羽根駒の袂を掴んだ。
「なんやの…もぅ…」
羽根駒がぶつぶつ言いながら角から顔を覗かせると、路の途中、目立たない潜戸に雪乃が入っていくところであった。
お母さん=屋形やお茶屋を切り盛りする女性への呼称。実母とは限らない。




