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舞妓探偵  作者: 掛出すみれ
雪乃編
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第一話 十七節

それから、羽根駒は呼ばれていた座敷をどうにか終えた。


松村亭の一番北側の支度の間。

その前で羽根駒は固まっていた。

この部屋は特別だ。

本当なら、支度の間は人の出入りが絶えない。

衣擦れ、白粉の匂い、男衆の声、芸妓たちの笑い声が交じる場所である。

けれど雪乃がこの部屋に入る夜だけ、そこには誰も近づかなかった。

誰に言われたわけでもない。

ただ、「特別だから」「気づいたら」「なんとなく」「周りに合わせて」そうなっていた。

羽根駒自身もそうしていた。

「おたのもうします。」

羽根駒が意を決してそろりと襖を開けると、そこに雪乃はぽつんと座っていた。

羽根駒は、雪乃の背を見た瞬間に背筋に氷の塊を押し付けられたような心地を覚えた。

薄明かりに照らされたその姿は、衣装の袂の先まで一切の乱れがなかった。

伸びた背筋からおふくに結われた髪の一本に至るまで過不足なく美しかった。

その姿こそ、祇園一の舞妓そのものだと羽根駒には思えた。

本来なら、その姿を一目見ようと、その声を少しでも聞こうと、人が寄ってくるはずだった。

しかし今、彼女は自身の膝元を見つめたまま一人でじっと座っている。

唐紙の向こうでは、今も大勢の芸舞妓の笑い声や三味の音が入り交じっている。

ゆらりと雪乃の視線が羽根駒を捉える。

瞬間、雪乃の眉が跳ね上がった。

「や、羽根駒ちゃん。すごい顔色してはるで。ちゃんと寝てはるの?」

雪乃は膝をにじらせ、羽根駒の手を取った。

「や、あかん。手ぇ冷とおなっとる。こっちきなはれ。足ぃ崩しや。」

羽根駒の手に触れるなり、迷わずに自分の袂に入れて温めようとする。

「帯も少しだけ楽にしよし。後で男衆さん呼んで、きちんと直してもらえばええさかい。」

「や……そんな……」

言いかけた羽根駒をよそに、雪乃の指が帯の脇へするりと差し入れられた。

何をどうしたのか、羽根駒にはわからなかった。ただ、締め付けがわずかに緩み、息の通り道が出来た。

羽根駒は、はっと息を吸うと俄かに身体が熱を取り戻すのを感じた。

指先ひとつで、息の通り道を作ってしまう。

圧倒的な場数の違いだった。

けれど羽根駒が何より驚いたのは、それほど格上の雪乃が、自分を「羽根駒ちゃん」と呼び、迷わず手を取ったことだった。

雪乃は袂の中で優しく羽根駒の手を摩る。

何故だかじんわりと目頭が熱くなった。

綾緒さんのことを訊かなければ。

辻占煎餅のことを訊かなければ。

そう思うほど、羽根駒は何も言えなくなった。

唐紙の向こうで、男衆が雪乃を呼ぶ声がした。

雪乃は表からはわからぬように羽根駒の帯を整え、最後に羽根駒の手をぽんと軽く叩いた。

「ほな、行って参ります。」

そう言って立ち上がる雪乃の背には、乱れひとつなかった。

その姿はやはり凛として気高く、

「あ……おおきに。」

羽根駒が慌てて礼をした頃には雪乃の姿はすでになかった。


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