第一話 十三節
「姉さん、うちのこと押してみて。」
くるりと羽根駒に背を向けて華宮耶が言う。
「や、いやや。」
「はよ。」
羽根駒はおそるおそる、華宮耶の背をそっと押した。
華宮耶は一歩、足を出して止まる。
「な。平らなとこなら、こうなるやろ。」
「……背中押されたら、足ぃ出るな。」
「せや。押されたら人は足ぃ出して踏ん張る。やから、足首を痛めること自体は変やない。」
華宮耶は自分の足元を指した。
「でも、綾緒さんはお座敷帰りやった。ほなら履いとるはずなんや。」
「履いとる?」
「おこぼや。おこぼを履いて、八坂さんのあの石段で踏ん張れはる?」
羽根駒は答えられなかった。
「昨日のお兄さん、石段で転んだ言うてはった。手首に包帯、肘と頬に擦り傷。あっちこっち傷ついてはった。でも足首はなんともなかった。」
華宮耶は、言葉にしながら自分の考えを確かめるように続けた。
「しかも噂では突き飛ばした言うてはった。足を出して踏ん張ろうとしても、おこぼでは石段を捉えられへん。踏ん張れへんなら、身体ごと落ちる。ほなら足首だけやのうて、手ぇや顔、身体のあちこちも傷つくはずなんや。おこぼを履いて石段から突き落とされて、足首だけを悪う折り、ほかは綺麗なままなんて、うちにはどうにも変に思えるんどす。」
羽根駒は、自分のおこぼを思い浮かべた。
厚い木の底。
それを履いて、八坂の石段に立つ自分を思い描く。
上半身は誰かに押され、勢いよく前へ倒れてゆく。
おこぼを履いた足は踏み出そうとして空を切る。
着物の裾が纏わりついて、足が自由に動かせない。
手を出そうとして、袂が身体に巻き付いた。
目の前に石段の角が迫る。
羽根駒は思わず息を呑んで固く瞼を閉じた。
そこで華宮耶は、ようやく羽根駒を見た。
「な。やから、雪乃さん姉さんが綾緒さんを後ろから突き落とした。それは変なんや。」
「ほな……なんでそんな噂……」
華宮耶は羽根駒の足元から、ゆっくり顔を上げた。
「噂には、必ず口がおす。」
「口……」
「うちにはこの噂、単純なものには思えへんのどす。」
華宮耶がそう言った瞬間、羽根駒は、この花街という世界の底を覗き込む心地がした。




