キオンのご飯
「兄上、次はどこに行くつもりだ?」
採寸を終え、請求書ももらい、髪長さんのアトリエを出た。珠春はジーナの店にまっすぐ向かいたいようだったが、長靴猫さんの店に行かなくてはならない。いつもはアテナがどこからか買ってくる餌をあげていたのだが、アテナに懐かれても困るので、自分が飼い主だという自覚をより強固にするために、自分で買いに行くことにした。
「長靴猫さんの店だ、キオンの餌を買わないと」
「あの花柄シャツの猫か……」
そう、長靴猫さんはいつ見ても花柄のシャツを着ている。彼は御印でもなんでもなく、ただの獣人で、ただ長靴を履いているだけの猫だ。いつ行っても、うさぎがよく獲れる魔法の麻袋を勧めてくる。
「ついでに猫ってなにが食べたいもんなのか聞こうと思って」
「知らないで猫飼ってたのか」
珠春はふっと笑った。
「仕方ないだろ、俺が生んじゃったんだから……」
そう言うと語弊があるように聞こえるが、キオンという存在は、初めて王女三姉妹に対峙したとき、あまりの緊張にパニックになったリゲルが、制御装置でも抑えきれないほどのイメージを固めてしまい、この世界に生まれ落ちた猫だ。キオンにとってリゲルは飼い主であり、文字通りの親なのだった。
「じゃあおれもうさぎを生めるかな」
「やめとけ、一生語り草にされるぞ」
いまだにキオンの件は王女三姉妹にいじられる恰好のネタだ。こんなことなら、あのとき生き物以外を考えればよかった。
「それに、魔法で生き物を生むのはちょっと禁忌っぽいことをギウス先生が言ってたな。だから俺、キオンのことは拾ってきた猫ってことにしてるんだ」
実際には“ちょっと禁忌っぽい”どころではなく、しっかりと禁忌なのだが、リゲルはこのあたりの認識が弱い。そんなことを思いつく人間もいないため、明文化されていない禁忌なので仕方ないとも言える。
そんな会話をしているうちに四番街の長靴猫さんの店に着いた。
「おお! 新人魔導士たち! ようこそ!」
長靴猫さんはリゲルたちを認めるなり駆け寄ってきた。彼の身長が八十センチくらいしかないので屈んで挨拶する。
「こんにちは、猫のご飯って置いてます?」
「オレのご飯? そりゃあるにゃ! こっちこっち」
長靴猫さんが店の奥に連れて行ってくれた。たしかにずらりと猫のカリカリご飯が置いてある。
「お兄ちゃんの飼い猫かにゃ?」
「ああ、まあ……。猫ってなにが好きなのかなと思って」
長靴猫さんはカーッと笑って言った。
「そりゃ十猫十色だにゃ! 魚味が好きな猫もいりゃ、肉が好きな猫もいるにゃ! お兄ちゃんの飼い猫はなにをよく食べてんだにゃ?」
「お城の侍女さんが買ってきたご飯ばかりで……ああでもこの青い袋だったかも」
リゲルが指差した青い麻袋には『キャットカリカリ! やっぱこれだね!』という煽り文句がペイントされている。
「もしかしてアテナさんが買いに来てたやつかにゃ? たしかにこれだった気がするにゃ。これは魚味で、こっちの赤い袋が肉味だにゃ。オレは赤い方が好きにゃ」
値段は一キロで一五〇リグルだ。日本円なら七五〇円くらいだ。猫の餌を生前買ったことはないのでよくわからないが、まあ妥当な値段だろう。
「魚味が好きなら、魚のすり身とかあげると喜ぶにゃ。マグロがいちばんスタンダードにゃね。鶏のささみをゆがいたやつもまたいいにゃね。食べやすいようにほぐしてあげるんにゃよ」
そういえば、弥生が公園で隠れて猫を飼っていた。彼はカリカリだけでなく○ゅーるもあげていたが、猫のおやつみたいなものはないのだろうか。
「おやつみたいなのないですか?」
「それはこっちにあるにゃ。カリカリの中に魚のクリームが入ったやつにゃね。これはちょっとお高いにゃ」
たしかに二百グラムで百リグルはちょっと高い。百リグルは日本円で五〇〇円くらいだ。
「まあでも、ちょっと最近寂しい思いさせちゃったから、詫びおやつを買ってってもいいかなと思ってます。これ買います」
「毎度ありにゃ! おもちゃはいいのかにゃ?」
「じゃあこの、動くエビ。俺は忙しくなって遊んであげられないかもしれないから、魔法で動くやつにしようかな」
「わかったにゃ! まだなにか必要なものはあるかにゃ?」
そういえばなにか頼まれた気がする。メモを懐から取り出すと、歯ブラシと書いてあった。
「えっと、歯ブラシと歯磨き粉かな」
「魔動歯ブラシもあるけど普通の歯ブラシでいいかにゃ?」
この世界にも電動歯ブラシみたいなものがあるのか、とちょっと感動したリゲルである。
「普通の歯ブラシ二本で。歯磨き粉はミント味のやつお願いします」
「いま紙袋に全部入れるから待つにゃ!」
珠春は匂い付きのトイレットペーパーを眺めている。
「買ってやろうか?」
「兄上、ケツを拭く紙が匂ったって仕方ないだろう。おれはちょっと見てただけだ」
見てたくせに元も子もないことを言う。珠春はこういう奴だ。
「魔導士のお兄ちゃん、お会計は三二〇リグルだにゃ」
「はーい」
財布の中の銅貨を四枚出して、お釣りの十リグル札を八枚もらった。
「毎度ありにゃ! また来てにゃ!」
長靴猫さんはふたりの影が見えなくなるまで店先でぶんぶんと手を振っていた。
「珠春、ちょっと寄り道だ。市場へ行く」
「キオンに魚でも買って行くのか?」
「ああ。アジとか売ってるだろ」
四番街から中央通りの市場に向かう。途中珠春に果物なんかを買ってやって食べさせた。
「らっしゃい! なにが欲しいかね?」
魚屋の店主はよく日に焼けた豪傑そうな男だった。声が大きい。
「猫にあげる魚なんですけど、小魚でいいかなと思ってて」
「ハッハッハ! マグロの切り身にしなよ兄ちゃん!」
「いや、荷物になるから……」
既に一キロの猫の餌を抱えているので、あまり荷物は増やしたくない。秋口に差しかかっているフェリアだが、まだ少し暑いので傷むのも心配だ。
「冷凍の切り身があるんだぜ! これは安くしとくよ! 五十リグルでどうだ?」
冷凍ならたしかに傷む心配は減る。マグロの柵の切り身を買うことにした。
「じゃあそれで」
「あれ? リゲルと珠春じゃん?」
聞き慣れた声がして店の入り口を振り返ると、ピルクとメイが立っていた。
「ピルク、魚買いに来たのか? なに作るんだ?」
珠春はピルクのことを、美味しいものをくれる人だと思っているので、異常に懐いている。
「魚じゃなくて貝を買いに来たんだよ。ボンゴレパスタ作ろうと思って」
「私のリクエスト!」
ピルクの隣でメイが笑った。
「いいな、おれも食べたい!」
「わかったよ、珠春にも作ろうね」
冷凍のマグロを準備していた店主がピルクに反応した。
「なんだ、兄ちゃんたちピルクの知り合いか!」
「学習院の同級生だよ。おじさん、僕たち魔導士になったんだよ」
ピルクが少し自慢げに店主に言った。
「ピルクが魔導士! 俺ぁてっきり料理人になるんだと思ってたぜ。兄ちゃん、ピルクの知り合いならもっとまけてやるよ。三十リグルでいいぜ」
「本当ですか!」
「俺ぁ嘘言わねえんだ、そっちの嬢ちゃんにもなんかおまけつけてやるよ」
嬢ちゃんと呼ばれた珠春はちょっとムッとした顔をしていたが、髪が長いし華奢な身体なのだから仕方ない。
「……じゃあこのエビの焼いたやつ」
「わかったよ、冷凍マグロとエビ焼きで三十リグルな」
リゲルは財布から十リグル札を三枚出して店主に渡した。
「毎度あり!」
エビ焼きはその場で食べることにして、冷凍マグロの包みを受取って紙袋に入れた。
「ピルク、俺たちこれから昼飯食いに行くんだ。めちゃくちゃ美味いとこだから紹介したくて」
「え! 行く行く!」
メイが“めちゃくちゃ美味い”に食いついて大きな声で賛成した。
「僕の勉強にもなりそうだね! 一緒に行くよ!」
「『恋するロビン』って定食屋なんだけど知ってる?」
「知ってる! 行ったことはないけど」
「じゃあ行こうぜ、俺の奢りね」
「やったー!」
一万リグルもあるから、四人で腹いっぱい食べても足りるだろう。珠春とメイはルンルンでスキップまでしそうな勢いだ。ピルクとリゲルはゆっくり歩き始めた。




