軍服の秘密
珠春は眠っていたが、街に出ないかと誘うと起きて支度を始めた。
「……兄上は疲れていないのか?」
寝ぼけ眼をこすって眠そうに珠春が部屋から出てきた。
「まあ疲れてはいるけど、部屋があんなんだからなあ……」
今朝方王宮の客間から侍女室を経て部屋に帰ったときの衝撃を忘れない。あんなに乱れた部屋に平然と住んでいられるレグルスが不思議でならない。
「そんなに師匠の部屋は乱れていたのか」
「俺が初めてフェリアに来たときより乱れてた」
「そんなに……」
珠春はため息をついてリゲルの顔をいたわしげに見上げた。
「昼飯食いにいかないか? レグルスさんからお小遣いもらったんだ」
手の中に握った金貨を見せると、珠春が顔を輝かせた。
「一万リグル! ……でも、もらいすぎじゃないか?」
「俺もそう思ったんだけど、ボーナスだって」
「よかったな兄上。またジーナさんの店がいいな」
違う店にも何度か行っているが、ジーナの店がフェリアの城下でいちばんうまい店だとふたりは認識している。
「わかった。その前に髪長さんのアトリエに行かなきゃ」
ふたりは宮殿を出て、城下町に繰り出した。フェリア城下は相変わらずにぎわっていて、いろんな国の旅人や地元の人間がひしめきあっている。いろんな食べ物の匂いがして、珠春は空腹を強く感じ始めた。
「昼時だから混んでるな」
「早くジーナさんの店に行こう、兄上」
珠春がリゲルの袖を引く。
「おつかいが先だ。もうちょっと待っててくれ」
髪長さんのアトリエは、中央通りから外れた六番街にある。リゲルはさくさく進んでいくが、珠春は空腹でだんだん機嫌が悪くなってきた。
「もう、珠春機嫌直せよ。髪長さんとこでなんかもらおう。スピナーさんが出してくれるよ」
珠春は下を向いて無言だ。こんなとき、律の機嫌を損ねたときのことを思い出す。なにか買ってあげるとすぐに機嫌が直ったっけ。
「わかったよ。そこで肉の串が売ってるから買おう」
「本当か!?」
珠春がぱっと顔を上げた。律と同じ反応だ。いまはどうしているだろうか、律。
焼いた肉の串を渡してやると、珠春は喜んでぱくぱく食べ始めた。
「慌てると詰まるぞ」
美味しそうに焼けて、脂で輝いている牛の肉は、二分もしないうちに珠春の胃袋に収まった。
「ちょっとは腹の足しになったか?」
珠春は口を拭いながら大きく頷いた。リゲルも思わず笑顔になる。
「歩こう、あとちょっとだ」
六番街に入り、人通りも少なくなってきた。髪長さんのアトリエの前に着き、窓から様子を伺った。先客はいなそうだ。
「ごめんください、おつかい頼まれてきました」
茶色の木のドアを開けると、カランとドアベルが鳴った。
「珠春は初めて来るんだっけ?」
「ああ、確か御印のふたりがやっている店だということは聞いている」
そんな会話をしていると、奥からスピナーが出てきた。
「これはこれはリゲルどの。長官どののおつかいでしょうか?」
「はい、白衣を二着お願いしたくて」
奥で鳴っていたミシンの動く音が止んで、髪長さんがでてきた。昼時だからか、髪はもう床につくほどに伸びている。
「おや珍しいね。ひさしぶり、リゲル」
「お久しぶりです。こっちは珠春。この子も御印です」
御印と聞いてふたりはバッと顔を見合わせて、すぐに珠春のほうを向いた。珠春はなにも言わずに手の甲の印を見せる。
「あんたが行方不明だった弱竹の?」
その差し出された手をとって、桜の花の形の痣を認めると、髪長さんは珠春に尋ねた。
「はい、おれが弱竹のかぐやです」
珠春も力強く頷く。その瞬間、髪長さんが珠春を抱きしめた。
「よく生きてたね……よかった」
「髪長さん、苦しいです……」
あまりに力強く抱きしめたのか、珠春が情けない声を出したので、髪長さんは慌てて体を離した。
「まあまあ、おふたりともお腹が空いているでしょう。マフィンでよかったら焼いた残りがあるので、食べていってください。はちみつ入りの紅茶も出しましょう」
「!! ありがとうございます!」
スピナーがにこにこと言うので、珠春は空腹を思い出して頭を下げた。
「座って? あんたたち魔導士になれたんだってね。新聞で見たよ」
勧められてふたりは椅子に腰を下ろした。
「はい、魔導軍に入ることになっています」
「やっぱりねえ。いやね、リゲルが初めてここに来たとき、レグルスが『あの子はこの国の救世主として呼ばれた者だから、軍服がいずれ入り用になりますのでよろしく』って耳打ちされたの。でもおかしいわね、新聞にはそんな話載っていなかったような……」
髪長さんは首を傾げたが、そんなことはすっかり頭になかったリゲルは、それの何が不思議なのかいまいちわからなかった。
「まあ、しばらく内密に、って言われたから、正式発表を待ちましょうかね」
「内密にするようなことなんですか?」
ぽかんと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、髪長さんはリゲルの顔を見つめた。
「正気? 救世主だってわかれば、あんたを殺そうとする人間がこの国にはうじゃうじゃいるのよ?」
「あ……」
そういえばそんな話をここに来たばかりのときにレグルスに言われていた。すっかり忘れてしまっていた。
「御印を差別する人間がいるように、“あちら側”を差別する人間もいる。その最たるものが救世主の存在よ。これから来る全面戦争を、救世主を消せば避けられると思っているお花畑もいるのよ」
「なるほど」
そのときスピナーがお茶とマフィンを持ってきた。珠春がいただきますと言って食べ始めた。
「安心しなさい。あんたたちの軍服はものすごく丈夫なやつに仕立ててるから」
「軍服も作っているんですか?」
髪長さんのアトリエが政府公認のテイラーだとは小耳に挟んだことはあるが、そんなすごい仕事をしているとは思わなかった。
「フェリア軍の軍服は特殊繊維でできていてね。衝撃や攻撃を防ぐ鋼のような繊維でできているの。その繊維の秘密は明かせないけれど、まあ私の髪から作った魔法布とだけは言っておくわ」
御印は魔力を使わないで使える能力があるほかに、潜在魔力が無尽蔵な人種を呼ぶ。どんな魔法も、御印にかかればいとも簡単に発現するのだ。
「軍服の黒いインナーがその特殊繊維でできているわ。深い青の布もまあ丈夫ではあるけどね。丈夫なだけじゃなくて、夏は涼しくて冬は暖かいようにも作っているから、軍務のない日も着ておくのを勧めるわよ」
髪長さんはそう言ってウインクした。リゲルと珠春は、なんとなく着ていた服にそんな秘密があるとは思わなかったので、呆気にとられてただ頷く。
「そうだ、レグルスの白衣の注文があるのよね?」
「はい、二着お願いしたいです」
「そのほかは? 普段着とか困ってない?」
リゲルと珠春は顔を見合わせた。
「俺は困ってないけれど、珠春はいつ見ても同じ服を着ているような……、お願いすれば?」
珠春はしばらく考えていたが、口を開いた。
「いくらくらいしますか?」
「そうね、いま着ている服を二セットくらいで、三千リグルってとこかしら」
三千リグルは日本でいうと、一万五千円くらいだ。
「軍からの初任給が六万リグルくらいだから余裕だろ、俺が出してやろうか?」
「いいのか、兄上? でも自分で出せる。お願いしたいです」
珠春は財布を握りしめて頭を下げた。
「わかったわ、じゃあちょこっと採寸させてちょうだい」
マフィンとお茶をすべて平らげてから、珠春は採寸されに奥へ連れていかれた。
「じゃあ、長官どのへの請求書を書いてしまいますね、お待ちください」
スピナーもカウンターでなにか書き物を始めてしまって、リゲルはひとりになった。ああ、キオンの餌を買うんだった。長靴猫さんの店ならあるだろうか。同じ猫だから、なにが好きなのか教えてくれるかもしれない。次は長靴猫さんの店に行こう。




